旦那様と奥様と、執事
本日2話投稿しています(こちらは2話目)
4話「苦痛と成長」を読んでいない方は、お手数ですが前話からお読みください
面接は、屋敷の主の執務室で行われた。
執事エドワード、お嬢様、そしてその旦那様が立ち会われた。
知っていた、というよりは覚悟していた。お嬢様だってかつて仰っていた、お婿さんを取る、と。
恋に落ちたときにこの未来は分かっていたのだから、私は傷つきはしない。ただ、美しい淑女となったお嬢様、いや、奥様をあまり見過ぎないようにとだけ意識した。
いくつかの質問に対し率直に答えていると、ふとエドワードは一息つき改まって質問をしてきた。
「フィリップ。あなたは執事として、一切道を間違えることなくこのご主人とご家族に仕えることができますか?」
あまりに鋭い目線で、でも落ち着きのある声で、背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
この男だけが、研ぎ澄まされた観察眼で見抜いていた。私がかつてボーイだった頃から分かっていたのだ、持つことすら許されない恋心を。
「……はい。私は、このご家族のためにすべてを捧げ仕えることを誓います。そして、このお屋敷をより素晴らしい空間とすべく、たゆまぬ努力を続けます。どうか、私をお選びください」
驚きはしたが揺らぎはしない。私は10歳の頃から、この気持ちをランプの灯りのように心に持っていたが、それは決して炎になったりはしなかった。そしてこれからも同じこと。
その場で採用が伝えられ、私は晴れて念願の、この屋敷の執事となった。
エドワードは一ヶ月程の間、引継ぎをしながら共に働いてくれた。
すでに身体を悪くしているらしく、ほとんどの時間は上級使用人の執務室で机仕事をしていたが、丁寧に屋敷独自のルールであったり、社交界について――主人と仲の良い貴族であったり、同席させてはならない組み合わせだったり――や、共に働く上級使用人の気質などをじっくりと教えてくれた。
ワインリストを見ながら旦那様と奥様のワインの好みを聞いていたところ、珍しく気の抜けたため息をしながら彼が言う。
「本当は、体の限界だから1年前に辞めようと思ったんですよ。でもね、フィリップはあの老夫婦のところでヴァレットの1年目だったでしょう。彼らはヴァレットにワインを教えるのが趣味というかなり変わったご夫婦だと有名だったから、1年待ってあげたんですよ。旦那様と奥様を私が説得したんです。感謝してください……」
そういえば、旅先でも屋敷に戻った時でも、彼らはワインを次々と開け味を楽しみ、私にも試飲させながらのワインの産地や特色、出来の良い年、味わい方、香りの違いなどの知識を与えてくれていた。ワインの知識は執事に必要な能力だから、その頃からあのご夫婦は私を応援してくださっていたのか。
会話が途切れていることに気付きエドワードを見ると、彼は穏やかな表情で寝息を立てていて驚く。
そっと彼にブランケットを掛けながら観察すると、10年前は白髪交じりだが全体的にはまだ黒だったその頭は、すっかり白髪で埋め尽くされている。そういえば歩く時は少し左足を引きずるし、姿勢も悪くなっていた。私の前だけではなく、時には下級使用人の前でも固い表情を解いていることも多い。あの仏頂面しか見せなかったエドワードが……。
10年間、私が成長して執事として戻ってくるのを待っていてくれた。
なぜ、あんなどこにでもいそうなボーイだった私を、これほどまでに評価してくれたのだろうか。
やがてエドワードは引退し、年金と別棟に部屋を与えられ、そちらで悠々と暮らした。
私はというと、旦那様の執事として働いた。というのも、爵位は奥様が継いでいるが大半の執務を旦那様が担当され、領地の視察や社交を奥様が担当されていたからだ。旦那様は足が不自由で、長時間の移動は断固として拒否される。お優しい方なので、移動に際して使用人に気を遣わせることが苦手だったようだ。
つまり私は名目上は奥様の執事だが実際には旦那様の執事で、奥様は侍女やヴァレットを従えて外出し、屋敷にいらっしゃらないことの方が多かった。
ご夫婦は私から見ても不思議な関係で成り立っていて、遠目から見ると仲睦まじい様子なのだが、少し近寄ってみるとテーブルの下で足を蹴りあったり抓ってたり、お互い毒づき合ったりしていることが分かる。ただ雰囲気は悪くないので、これはこのご夫婦のじゃれあい方なのだろうと私は勝手に納得した。
奥様が視察で長い間不在となっていた時に、ふとした時に旦那様が私に教えてくれたことがある。
「あれとは政略結婚でね。ガサツな彼女と穏やかそうに見える私は親たちから見ると相性が良かったみたいなんだ。まあ実際に相性は良かったからいい友人関係になれたかな。家族としての愛情はあるけど、結局彼女とは燃えるような関係にはならなかったね」
当時10歳のご子息を膝に抱きながら旦那様がおっしゃったので、さすがの私も度肝を抜かれたが、そもそも貴族は平民に理解のできない考えで動いていると考えれば、そんなに不思議なことでもなかったような気もする。
奥様は帰宅されるとまず旦那様にご挨拶をされ、そして次に私に向かって毎度言うのだ。
「ねえフィリップ。わがままを聞いてくれる?」
それは大抵私をおおいに困らせることばかりで、しかし従順な私は必死にそれを叶えようとしてしまう。
主催のパーティで季節はずれの花を飾りたい。鉄道で3日掛かる町にある有名なお菓子を食べたい。遥か東方の国の細くてしかも曲がった剣を手に入れたい。国内で一番有名な肖像画家に家族絵を描いて欲しい。
叶えるたびに言ってくれる、「さすがフィリップ、わたしの大切な執事」という言葉が欲しいがために、あらゆるコネを使って、時には旦那様が許す限りの資金を使い叶えてきた。
奥様の誕生日が近づく頃、彼女が外出中に旦那様が外商を呼びつけていた時の事。
旦那様に呼ばれ応接室に向かうと、テーブルの上にたくさんのアクセサリが並べられていた。
「なあフィリップ、彼女の誕生日のプレゼントなんだが今回はどうしてもこれだという物が分からなくてね。申し訳ないが、この中から君が選んでくれないか?」
私は女性にアクセサリをプレゼントしたことがない。いや、訂正しよう。女性にプレゼントをあげたことなど一度たりとも無かった。
しかも、奥様の誕生日プレゼントを私などが旦那様の代わりに選ぶことが許されるのだろうか。
たくさんの考えが頭を交錯したが、結局選ぶことにした。
一通り見て、これしかないと思ったそれは、アメジストのネックレスだった。
ランプの灯りを受けたお嬢様の瞳、夕焼けに染まる直前の空色をした宝石は、あの時のままきらきらと輝いていて美しい。
「いいね、さすがフィリップだ。選んでくれてありがとう」
その後そのネックレスをした奥様を見た晩、私は私室に籠もって人知れず涙を流した。
プレゼントをすることが許されない私が、あのお嬢様にプレゼントを差し上げたという気分になってしまった。
よこしまな気持ちを持った私が選んだプレゼントだとは気付かず、旦那様が選んだ旦那様からのプレゼントだと思い喜ぶお嬢様の気持ちを踏みにじっているのに、私の胸から溢れる思いは喜びだった。
神様、この先絶対に道を誤りませんから。どうぞ、あと少しの間お嬢様の近くで執事でいさせてください。
この願いは、神様にきちんと届いていたのだろうか。
数年後、たちの悪い風邪が大流行し、運悪くご夫婦は同時にこの病に罹った。
元々体調を悪くされていた旦那様が亡くなり、そして奥様も快方に向かう気配が無く、まだ意識のあるうちにとご子息が二人で話し合いながら引継ぎをしていた時のこと。
一旦話を終わらせたご子息が退室し、私に言った。
「母上がフィリップにわがままを言いたいそうなんだ。聞いてあげてくれないかい?」
「かしこまりました」
部屋に入ると、ベッドに横になった奥様が私を見て笑顔になる。顔色が悪く、痩せてしまっているが、それでも彼女はとても美しかった。
「ねえフィリップ。わがままを聞いてくれる?」
「もちろんです」
「ランプをもって、こちらに来てちょうだい」
部屋には既に火の灯ったランプがあるので、それを手にして奥様の近くへ寄る。
「ねえ、しゃがんで。わたしを見て?」
言われたとおりにして、奥様の顔を恐る恐る見る。
「ふふっ……すごいわ、あなたの瞳って珍しい色をしているのね」
そこに浮かぶ瞳はあの時のまま。よく見ると手にはあのアメジストのネックレスを握っているようだった。
「お嬢様、あの時私はまだ敬語が使えなくて、本当は言いたいことがあったのに言えなかったのです」
「そうなの? なんて言おうとしてくれていたか、覚えている?」
「もちろんです……あなたの瞳も、夕日に染まる前の空のようで、とても美しいです。そう言いたかった。お嬢様、伝えるまでこんなに時間が掛かってしまって申し訳ありません。私は出来の悪い執事なのです」
「何を言っているの? フィリップ、ずっと仕えてくれてありがとう。わたしの最高の執事だわ」
その会話が私との最期の言葉となった。
翌日、お嬢様は亡くなった。
葬儀は恙無く終わり、跡を継いだご子息が新たな主人となり、やがて屋敷は悲しみから立ち直り日常に戻る。
しかし私はどうしても前のような気持ちで働くことが出来ず、ついに主人に申し出ることとなった。
「大変申し訳ないのですが、次の執事を探し始めてもよろしいでしょうか」
「近いうちに言われるだろうと、覚悟はしていたよ。君は母上の執事だったからね。次の勤め先はもう探しているのかい?」
「いえ。しばらくその気分になれなさそうなので、落ち着くまでゆっくりしようかと」
かつてエドワードがしたように、私も次の執事を必死に探した。主人と息が合い、他の上級使用人と気が合い、そしてこの屋敷を大切にしてくれる人を。
やがて見つかり、引継ぎをして執事を辞める日が来た。
「伝えているように、次が見つかるまで別棟の部屋を使ってくれて構わないからね。まだ明日何をするかは決めていないのだろう?」
「そうですね、町をふらふらして、少し旅に出るのもいいかもしれないですが。何も決めていません」
それなら、と少年のようないたずらな目をして私に問いかける。
「なあ、フィリップ。わがままをきいてくれ」
この方は奥様の真似をして、小さな頃からたまにこの問答をすることを好んでいた。
「そうですね、話にもよりますね」
「ここに明日発の鉄道チケットがある。港町行きで、町にはすでに宿を取っている。そしてこれを持って、旅行してきて欲しいんだ」
渡されたのは、チケットと宿の住所が書かれたメモ、そしてアメジストのネックレス。
「これは……仕方が無いですね、聞かないわけにはいかないわがままじゃないですか……」
こうして翌日私は、戸惑いを覚えながらも列車に乗ることとなった。
初めてで、そして最後の、お嬢様との旅。私の分だけで済むので、妄想していたよりも遥かに少ない荷物を持ち、駅へ向かう。
約束を交わしてから、35年が経っていた。
執事は部下の管理、会計、パーティ遂行、貴重品やアルコールの管理などを行っていました。
そしてフットマンが2-3年で職場を替えるのとは対照的に、長く勤めることも多かったようです。
執事や侍女などの上級使用人は、引退後主人から年金や住む場所を与えられる時期もあったそうです。
今更ですが、この話は英国風の使用人システムをモデルにしていますが、全くの異世界を舞台としており、爵位の相続に関しては英国とは異なります




