ランプに灯された出会い
あまり細かなことを話すと、どの屋敷に勤めていたのか分かってしまいますので。ある程度ぼやかして伝えることをどうぞお許しください。
そう伝えてから、まずは主との出会いから話すことにした。
私はとても運が良い。
生家は貧しくまだ10歳になったばかりの私を奉公へ出したが、すぐに生涯使えたい主人と出会えることが出来たのだから。
「これから離れて暮らすことになる、私も幼い頃にこちらで短い期間だがボーイとして勤めさせていただいたんだ。粗相のないように、そして努力を怠らず主になる方に十分に仕えるんだぞ」
父とはあまり会話をしたことがなかったが、漏れ聞く話ではいつか執事になることを夢見ていたが、上級使用人になるにはあまりに身長が低く早くに諦めてしまった、というような話だったようで。とは言え勤めていた時期から親交のある使用人仲間の伝手で私をこの屋敷に託すことにしたそうだ。
出迎えてくれた、頭の先からつま先まで一切の隙もない不思議な風格のその男性は、屋敷の執事だった。私を一瞥するとすぐに屋敷の地下まで連れて行き、薄暗い中にランプが一つだけ灯る湿気た部屋へ入るよう命じる。
「この子は本日からボーイとして採用しましたフィリップです。まずは適性を確認するために、一通り彼に仕事を教えるように」
薄暗い部屋の中にはよく目を凝らすと少年が5・6人おり、この小さい先輩たちが私の最初の先生だった。
ボーイの仕事というのは、他の使用人たちがしたがらない仕事が割り当てられる。
つまりは単純で、あるいは力を必要とする雑用である。
とりあえず一通りの仕事を軽く経験させ、その間に屋敷の構造を覚え、そして本人に適した仕事を割り振る。これがあの執事の方針だったようだ。
ある週はひたすら外の小屋から屋敷の置き場まで石炭を運び、ある週は膨大な量の銀器を磨き、またある週は眩暈を覚える数の靴を磨き。
最後の週は、ランプを磨くことだった。
毎日屋敷中のランプを集めてくるボーイがいて、その集められたランプの汚れをふき取りオイルを足し、駄目になりそうな芯を取り替える。この仕事は何週間も続けた色々な仕事の中で、私にとってはとても苦痛だった。厩舎で馬の糞よりも、このオイルランプは鼻の芯まで痺れさせるような臭いだったのが、とても耐えられなかった。
あからさまに嫌そうな顔をしてしまっていたのか、先輩が「内緒だぞ、これを見たらきっとやる気がでるから見てみろ」と言いながら美しい装飾の施されたランプに火を灯してくれて、私は思わず目を瞠りランプに釘付けとなる。
ゆらゆらと揺れている小さな炎、その光を細かな装飾の凹凸がいたるところで乱反射させ、部屋の中に光と影が伸びる。
こんなに美しいものがあったなんて。思わず見とれていると、突然今まで誰もそんな雑な扱いしたことないというくらいに豪快な音を響かせドアが開いた。
「あの! 私昨日ランプをこぼしちゃって、とても汚したと思うの。ごめんなさい!!」
よく磨かれた赤い靴、細かな模様を描くレースの裾、値段も想像できないほど上質な布を使ったドレス、形の良い空色の瞳、艶やかなくるみ色の髪の、私と同じ年頃の少女だった。
丁度ドアの方向を向いてランプを眺めていた私は、そこに現れた少女を思わず不躾に観察してしまう。
「え、お嬢様、どうしてここに……」
ランプ磨きを教えてくれていた少年が椅子から降り、その場に跪くのを目の端で捉えながらも私は全く動けなかった。屋敷の貴族に会う時はこうするんだぞと教えられてはいたものの、今まで機会が無くいきなり現れたものだから、呆然として動けなかった。
「あら、あなた」
ずんずんと貴族らしからぬ足音を立てながらこちらに寄ってくるその少女は、一瞬も私と目線を逸らすことなく近づいて、またも貴族らしからぬ大声で話し続ける。
「すごいわ! あなたの瞳って珍しい色をしているのね!」
衝撃的で、そして鮮烈な主との出会い。
それは報われることの決して無い恋の始まりだった。
今でもランプオイルの香りは、この光景を鮮烈に思い出させてくれる。
大きな屋敷ではボーイの仕事も専門領域に応じて「ホールボーイ」「ページボーイ」「ランプボーイ」等々細分化されるようです。
この屋敷ではそれに割り振る前に、短期間で一先ずすべてを経験させ、その後適した仕事を徹底的に覚えさせる、という執事の方針で教育しているという設定です。