知らないでいいこと
流伽君は母方のおじいさんとお母さんとお父さんと、弟の千里君と一緒に住んでいます。
毎年、五月五日は子供の日なのですが、流伽君のおうちでは、鯉のぼりを上げるのと一緒に、仏壇にお線香を上げます。五月五日は母方のおばあさんの、祥月命日なのです。
ですから流伽君のおうちは、お祝いの華やぎと、しんとした死者への追悼の空気が同時に流れます。
流伽君は隣で仏壇に手を合わせるおじいさんに訊きました。
「おばあさんが死んだ時、おじいさんはたくさん泣いたの?」
「あんまり、泣かなかったな。泣けなかったと言うべきか」
「どうして?」
「おばあさんが死んだ時、わしの世界は真っ白になった。生きていく術が見失われたように感じた。しばらく、飲まず食わずでぼんやりしていた。そのくらい、わしにとっておばあさんの存在は大きかったんじゃよ」
流伽君にはよくわかりません。
大好きな人が死ねば、流伽君だったらきっとわんわん大泣きしてしまいます。
泣けないくらいに辛いって、どういうことでしょう。
考えると流伽君は、背中に冷たいものが通ったように感じました。
おじいさんは流伽君と千里君の為に金色の立派な兜飾りを買ってくれたのに、その一方で、おばあさんの死をひっそり悲しんでいたのでしょうか。
そう考えると流伽君は胸がなにやら苦しくなって、きゅうと締め付けられるようでした。
「流伽は知らんで良いことだ。知らんで良いことが、この世にはたくさんある」
わしわしと、おじいさんは流伽君の頭を撫でました。
そうなのでしょうか。
流伽君にはよくわかりません。
流伽君は小学三年生ですが、担任の先生は、たくさんの物事を知りなさいとよく言います。
おじいさんの言うことは、先生の言うことの真逆です。
「……辛いことはな。生きているうちにいくらでもある。それを、流伽がなるべく知らずにすむように、願っているよ」
おじいさんは、おばあさんの遺影を見ながらぽつりと言いました。
その時流伽君は、自分の前に、長い長い道が出来たのを見たように思いました。
知るべきことも、知らないでいいことも、流伽君には、まだこれからたくさん起きるのです。
飼い猫のシロが死んだ時、流伽君は大粒の涙をこぼしました。
寿命だったのだよとお父さんに優しく諭されても、納得できませんでした。
流伽君はシロが大好きだったのです。
毎晩、寝る時も一緒でした。
シロは息を引き取る直前、最後の力を振り絞って、流伽君の鼻をぺろりと舐めました。
それきり、シロは動きませんでした。
ひょっとしたらおじいさんの知らなくて良いと言ったことは、例えばそういうことだったのかもしれません。
でも、流伽君はシロが大好きでした。
出逢えて良かったと思いました。
だから流伽君は、知らないで良いことでも、悲しくても、幸せなことはあると、そう思ったのです。
この作品は霜月透子さん主催されるひだまり童話館参加作品です。