飯田透子 ②
とんでもない事件に出くわしてしまった。
透子は新京極を練り歩きながら、先ほどの出来事を思い返し、大きく息を吐く。
少年を連れ去った車は、ナンバープレートを記憶する間もなく、あれよあれよという間に四条通りを走り去って行った。警察に通報したものの、連れ去られた場所と少年の容姿を聞かれただけで、すぐに切られてしまった。きちんと操作をしてくれているかは疑問だが、一般人としてやることはやったので、後は少年の無事を祈るだけだ。
さて、これからどうしようか。
透子は新京極通りを彩る店達を眺めた後、アイフォンを取り出し時間を確認する。時刻は午後十三時。このまま先へ進めば京阪三条駅が現れる。下賀茂神社まで足を運ぶのもいいが、まだまだ四条にも見るべき場所はたくさんある。
だがしかし、現時刻は午後一時。本日の気温はピークに達している。日陰の新京極通りですら、じっとり汗ばむ程の気温だ。今、神社仏閣へ向かえば、必ず皮膚が真っ黒に焼け焦げ、滝のような汗が流れるだろう。
しばらく、店を眺めて涼もう。
透子は、和風の小物が並ぶ雑貨屋の中に入って行く。クーラーの効いている店内がひんやり涼しく気持ちがいい。食器やちょっとした置物、衣類やタオル、ちょっとしたお菓子やお茶。オリジナルの御朱印帳などもある。
そう言えば、もうすぐ御朱印帳のページが切れる頃だ。ここで買っておくか。透子は近くで見ようと、色とりどりの御朱印帳が並ぶ棚に近づく。何色にしようか。薄緑色の御朱印帳を手に取ったその時だった。
――リン……。
近くで鈴の音が聞こえる。あの少年の髪に飾られていた鈴の音と同じ、美しい音色。透子は背後を振り返る。
そこにはもちろん、吟の姿はなく、頭に大きな鈴をつけた少年少女達がジィ、とこちらを睨んでいる。年の頃は十代前半から後半程。吟と同じ年代のように見える。最近の若者の間では、頭に鈴をつけるお洒落が流行っているのだろうか。しかし、全員見事に顔立ちが整っていた。
何となく気味の悪さを感じ、透子はそっと棚に御朱印帳を戻す。そして、そそくさと出口に向かって外に出た。
リン、リン。
自分が歩けば、鈴の音も付いてくる。振り返ると、先ほどの、鈴を頭につけた集団が、ぞろぞろと遠巻きについてきている。紅茶専門店で茶葉を物色し、タピオカ専門店で《スイカスクイーズタピオカ入り》を購入した時も、彼らはこちらに接触してくることなく、遠巻きに、じっとこちらを睨んでいる。
明らかにつけられている。
透子はストレスに痛む頭を抑えながら、どうしようかと呟く。特に何かをされているわけではないが、ずっと睨まれ続けているというのも気分が悪い。自分は社会のストレスを緩和すべくここに来たのであって、こんな怪しげな若者にストーキングされるために来たのではない。
一体この集団は何なんだ。
吟の仲間か。あまりに非日常的な展開の連続に、透子は遠い目をしながらタピオカを啜る。どうやって撒こうか。ストーカー集団を見つめると、彼らは蜘蛛の子を散らすように、四方八方に隠れていく。隠れるなら、まずうるさい頭の鈴を外したらどうだ。
若干の苛立ちを感じながら、透子はタピオカをもきゅもきゅと咀嚼し、立ち上がる。交番でも探して、公共機関にどうにかしてもらおう。透子は空になったプラスチックのコップをゴミ箱に捨てると、歩き出す。背後で鳴り響く鈴の音に、より一層苛立ちを増していたその時だった。
バッグの底に振動を感じた。アイフォンを取り出すと、見覚えのない番号から電話がかかってきている。一体誰だろうか。通話ボタンを押し、透子はアイフォンを耳に当てる。
「はい」
「京都府警、巴悠斗と申しますが、飯田透子さんのお電話でお間違いないでしょうか?」
電話の向こう側で、低く、少し威圧的な声が聞こえる。声の主は若く、男性のようだった。
京都府警が一体何のようだろうか。吟の姿が脳裏を過ぎり、透子は「はい、間違いないです」と答える。
「十二時頃に通報していただいた件で確認したいことがあります。少し、お話を聞かせていただけませんでしょうか?」