化野吟 ①
気が付くと、身体が動かなくなっていた。
化野吟は、痛む身体にそっと舌打ちをする。
彼の両手両足は、縄のようなもので硬く拘束されており、注連縄を幾重も巻かれて柱に縛り付けられていた。暗い室内を見渡せば、壁一面に怪しげな札が貼られているのがぼんやりと見えた。
何度見ても気味の悪い部屋だ。吟は眉を寄せる。
ギギ、と不愉快な音を立てて、重い木製の扉が開く。白い光の眩しさに目を細めると、その光の中心に、一つ人影が見えた。妙に細長いシルエット。黒い喪服のようなスーツを身にまとった、どこか儚げな雰囲気の美青年。彼は穏やかな微笑みを纏ったまま、こちらに向かって歩いてくる。彼が一歩踏み出す度に、鈴が束になったピアスが、凛々しい音色を奏でながらゆらゆらと揺れている。
「ご機嫌麗しゅう。我が神よ」
纏わりつくような、ねっとりとした低い声音。吟は不快そうに眉を寄せる。
「野川、豊海」
「そのような名前で呼ぶのはお辞めください。私は心身美教の《教主》、海麗です。我が神よ」
そう言って青年――野川豊海は微笑みを讃えたまま、吟に近づく。吟は動かない身体をよじり、ジ、と豊海を睨む。
「そんな顔をしないでください。我が神よ。心配などしなくても、あなたと接触した俗物には、《力》を悪用しないように、我々で《回収》しますから」
俗物――という言葉に吟は「おい」と声を荒げる。
「あの人は関係ない。手を出すな」
「関係はありますよ。《神》である貴方に、接触したことが問題なのです。本当ならば、貴方の姿を見た全員を始末したいところですが、幸いなことに言葉を交わしていませんからね」
始末、という言葉に吟は身を震わせる。
「何を、するつもりだ?」
「今、追っ手を向かわせています。なあに、貴方は何も心配することはありません」
そう穏やかに微笑むと、豊海は穏やかな笑みを浮かべたまま、吟の前に跪く。
「あなたは、《神》なのです。ただ、そこに居て、我らをお守りくださればそれでいい」
その言葉は、まるで脅迫のようだった。
豊海の細い身体には不釣り合いな重く陰鬱な気迫に、吟はごくりと唾を飲む。豊海は立ち上がると「失礼します」と微笑み、重い木扉の向こうへ歩いて行った。ガチャリ、と錠が下ろされる音に、吟は「くそ」と怒鳴り、拳を強く握りしめた。
――透子さん。
一時間ほど前に食事を共にしたばかりなのに、随分遠い出来事のように思える。
どうか、一刻も早く京都から離れて。このまま逃げ切ってほしい。
硬く瞳を閉じ、吟は静かに祈った。
どうか、優しいあの人が、無事でありますように。