飯田透子 ⑨
「吟君」
透子は吟に駆け寄る。周囲の地面には赤黒い足跡が付着し、彼の足や身体は傷だらけだった。
吟は、透子の気配に気が付いたのか、うっすらと目を開ける。透子は小さく安堵した。
「大丈夫?」
透子は吟の猿轡と腕の拘束を解く。吟は徐々に目を見開いていき、大きな瞳で、じっとこちらを見ていた。
「なんで、あなた、ここに……?」
何故自分がここにいるのかは、自分自身が知りたい。そんな言葉を飲み込み、透子は苦笑いを浮かべて「成り行き」と答えた。
「あぁ、でも無事やったんやね……。とりあえず、警察か、救急車の方がええかな。呼ぶから、そこで休んどき」
そう言って吟を無理矢理仁王門前の階段に座らせると、透子はアイフォンを操作し悠斗に電話をする。しかし、何度待っても悠斗は電話に出ることはなかった。取り込み中なのだろうか、小さく息を吐いて、アイフォンをポケットに仕舞う。
「今、警察の知り合いに電話したんやけど、出なかったわ。ちょっと休んで待っとこか」
そう言って透子は吟の傍らに座る。吟はコクリと頷くと、透子の服の裾を掴んだ。
「吟君?」
吟は。俯いたまま口を噤んでいる。よほど怖い目にあったのだろうか。子どもを縛って《御神体》として監禁しておくような人間だ。何をするか一般人の自分には想像つかない。
どう声を掛けようか。
透子が頭を悩ませていると、吟が「あの」と口を開いた。
「透子さんは、もう、知っていますか?」
何のことだろう、そう問いかけようとするも、吟が両手を震わせていることに気が付き、透子はそっと言葉を飲み込む。
「私は。今日会った君しか知らないよ」
透子はそう答えると、自分の膝に頬杖をつく。吟は顔をあげ、透子の横顔を見つめた後、「いいんですよ、気を使わなくて」と苦笑いをする。
「今日一日、変な鈴をつけた集団に追われていたでしょう? あれ、うちの教団の人です」
「……」
透子は小さく息を吐くと、首を上に向け空を仰ぐ。夕暮れだった空は、すっかり紫に染まっていた。
「本当に。すみませんでした」
そう言って吟は深々と頭を下げる。深く項垂れた頭に、透子は掌を置いて少し乱暴に撫でた。吟は「わわっ」と頭を抑える。
「あの、透子さん?」
「別に、君が気にすることやないよ」
そう言って透子は吟から手を離す。吟は頭を抑えたまま、透子を見上げた。
「透子さんは。どうして、また俺に親切にしてくれるんですか?」
吟の質問に、透子は彼の顔を見る。彼はまっすぐにこちらを見据え、どこか縋りつくような表情をしていた。透子は頬を掻くと、小さく息を吐く。
「逆に質問。なんで、親切にされることに疑問を持つの?」
「え、っと」
目を丸くして口籠る吟。少し間抜けな表情が、歳相応で可愛らしかった。吟は困ったように眉をハの字に曲げる。
「その、知らない人に、良くしてもらうことが、なかったから」
「なるほど」
透子は頷き、まっすぐに指をさす。吟がその指の方へ目を向けると、先ほど自分が汚して歩いた、血だらけの道が目に入った。
「血だらけで、フラフラになりながら倒れてて。しかも手を縛られて口も縛られてて。そんな子が倒れてたら、助けるなって方が無理あると思わない?」
「えっと……」
口籠る吟に、透子は「それと」と続ける。
「まぁ、かっこつけて言うたけど、ここに来たのはただの偶然なんやけど……。こうも続くと、もはや縁よな」
そう言って、透子はいたずらっぽく笑う。そんな彼女を、吟は不思議そうに見つめていた。




