プロローグ
八坂神社の境内は、紫外線をたっぷりと含んだ太陽の恵みが、じりじりと降り注ぐ。その突き刺すような日差しは、暑さを通り越して痛い。何故、暑いということをわかっていたのに、京都に観光に行こうなどと思ったのか。ボタボタと大粒の汗を垂れ流しながら、飯田透子は過去の自分を恨んだ。
いつもは観光客で賑わっている祇園四条も、この異常な熱気のせいか、人が少ない。落ち着いて重要文化財を眺めることが出来るこの状況は魅力的だが、三十五度を余裕で超えているこの気温の下では、台無しだ。
そんなことを考えながら、本殿に向かって手を合わせる。この暑さが少しはマシになりますように。そんなことを願った後、透子は本殿に背を向けた。顎を伝う汗を手の甲で拭い、再び長いため息を吐く。撤退しよう。一度涼もう。やや早足気味に社務所を通り過ぎ、屋台が並ぶ道を抜けると西楼門が見える。ちょうど今はお昼時だ。何か冷たいものが食べたいなぁ、そんなことを考えながら、西楼門を抜けようとしたその時だった。
……リン――……。
涼し気な音色が足元から聞こえる。綺麗だ、とその音がする方へ顔を向ける。
そこには、黒い着流しを来た少年が、座り込んでいた。彼は、西楼門の赤い柱にもたれ掛かるようにして、小柄で華奢な身体をさらに小さくしながら蹲っている。彼の長く美しい黒髪を束ねる赤い紐の髪留めには、小さな鈴がついている。どうやら、音の正体はこの鈴だったようだ。
「あらあら、あららぁ……」
間の抜けた声を出しながら、透子は少年に駆け寄る。
「あのぉ、大丈夫ですか?」
透子の声に気が付いたのか、少年はゆっくりと顔をあげる。年の頃は十代半ば頃だろうか。丸い大きな瞳に整った中性的な顔立ち。美しい少女のように見えるが、乱れた着流しの隙間から覗く胸元からは、年頃の少年らしく筋肉がついていた。
少年は、トロンとした、色気のある視線を透子に向ける。その視線に困惑しながら「えっと、大丈夫?」ともう一度問いかける。少年は、じっと透子の顔を見つめ、そして、薄く口を開く。
「……ず」
「ず?」
上手く聞き取れず、透子は聞き返す。少年は、荒い息を吐き出し、もう一度口を開いた。
「み、ず……。水、を、ください……」