『レ・ミゼラブル』は「なろう」である。~古典的名著に見る「なろうテンプレ」的要素②~
前作が思わぬ好評を頂いたので、調子に乗って書きました。
【はじめに】
どんな古典的名著であろうとも、世界の全ては「なろう」作品であると言い張るのがこの文章の主旨です。
『旧約聖書』もなろうだし、『イリアス』や『ラーマーヤナ』もなろうです。あるいは『六法全書』だってなろうかもしれません。古今東西、全人類はなろうテンプレが大好きだ。私はそれを高らかに伝えたいのです。
【本文】
何年前になるでしょうか、『レ・ミゼラブル』が劇場でミュージカルになった時、いきなり歌い出したヒュー・ジャックマンを見て、「なんで『X-メン』のウルヴァリンが歌ってんの?」と思った方は、私の他にも大勢いるでしょう。
その後に『グレイテスト・ショーマン』が公開されて、「ウルヴァリン歌上手くなったなぁ」と思った人も多いと思います。
というわけで今回は、『X-メン』を題材にして――ではなく、小説『レ・ミゼラブル』を題材にして、この作品がいかに「なろうテンプレ」にのっとって書かれているかを証明していきたいと思います。
そうは言ってみたものの、前回の次回予告で『レ・ミゼラブル』を挙げたのはあくまでネタであり、『モンテ・クリスト伯』と同じフランスの近代文学であるという意味でしかありません。
前回以上のこじつけが要求されるかもしれませんが、どうか温かく見守って下さい。
※ 例によって、以下には『レ・ミゼラブル』のネタバレを大量に含みます。ご注意下さい。
① 概要
多分、『モンテ・クリスト伯』よりも圧倒的に、この作品を通しで読んだことのある人は少ないのではないでしょうか。私も学校時代に教室の後ろに文庫が置いてなければ、これを手に取る機会は永遠に無かったと思います。
『レ・ミゼラブル』の著者はフランスのヴィクトル・ユゴーです。書かれた時代は1800年代中盤と、『モンテ・クリスト伯』とほぼ同時代の作品と言ってよいでしょう。『レ・ミゼラブル』の意味は「みじめな人々」とかそういうので、日本語題としては『ああ無情』が有名かと思います。
題名の通り、この作品には当時のフランスの人々の、生活の悲惨さを示そうという狙いもあります。ユゴーはバリバリの政治家ですから、その辺の思想も反映されていますね。
② あらすじ
『レ・ミゼラブル』は分厚い文庫で5巻程度の作品です。これもあらすじを書こうとすると長大になるので、かなりはしょっていきます。
主人公のジャン・ヴァルジャンは、一本のパンを盗んだ罪で19年も刑務所に服役していた。解放されてからも白い目で見られ、社会と全ての人々を信じられなくなっていた彼は、ある町で「ビヤンヴニュ閣下」と呼ばれ崇敬されていたミリエル司教に出会う。
ミリエル司教は元徒刑囚のヴァルジャンに温かく接し、ヴァルジャンもその心に感銘を受けるが、魔が差した彼は司教が大事にしていた銀の燭台と食器を盗み、教会を逃亡する。さらに煙突掃除の少年からなけなしの給金を盗むという罪を犯した彼は、そこで奇跡に出会った。ヴァルジャンは己の罪深さを自覚し、以降の人生を人々のために捧げると誓う。
数年後、黒ガラス玉の製造法を改革したことで大きな富を築いた彼は、かつての司教と同じように周囲の人々に善行を施し、深い尊敬を集めていた。
そこに現れたのがファンティーヌという女性である。彼女はコゼットという一人娘をテナルディエという宿屋の一家に預け、ヴァルジャンの工場で働いていた。
不幸が重なり最下級の娼婦にまで身を持ち崩したファンティーヌを病院にかくまったヴァルジャンは、彼女に娘を引き取って幸せになるように提案する。
……疲れる。まだまだ長いです。どこかからコピペしてくれば良かったと後悔しています。
とにかくその後、ヴァルジャンはまた逮捕されて、逃げて、死んだファンティーヌの娘を引き取り父親になって、自分を追ってくる警部のジャヴェールとなんやかんやあって、テナルディエ一家は最低のクソ野郎で、という感じの話です。
重たいですよ。めっちゃ重たい話です。
物語も優れていて面白いんですが、それ以上に当時の下層民の悲惨さが突き刺さってきます。
『モンテ・クリスト伯』は当時の社交界が舞台ですが、『レ・ミゼラブル』はその下で人々がどのように苦しんでいるかがよく分かります。
……こんな作品を、「なろう」だと言い張っていいのだろうか。
いや! 最初の主旨に従い、次はこの作品がどう「なろう」なのかを見てみましょう。
③ どこが「なろう」なのか
少し尻込みしたのですが、この作品のどこが面白いのかということを分析するのは、「なろうテンプレ」について考える上で参考になる部分があると思います。
具体的には、この作品は「物語として面白いパート」と「全く面白くないパート」に明確に分けられると考えるからです。
それはつまりどういうことかというと、例えばファンティーヌが悪い男に騙されて望まぬ妊娠をして捨てられて……とか、当時の下層民の生活が具体的にどんなんだったか……とかの部分は、読んでいて「ためになる」とは思えても、エンターテイメントとして「面白い」と感じられるかと言えば、また違う訳ですよ。
言っちゃうとそういう面白くないパートをすっ飛ばして、「なろう受け」しそうな要素だけをつぎはぎすれば、この作品も立派に「なろう化」できるんじゃないかと考えるんです。
はい、ということで『レ・ミゼラブル』のなろうっぽい要素を書き殴ります。
A:俺Tueee!
ヴァルジャンは伯爵ほど無双しませんが、個人としての力は非常に優れたものがあります。
例えば怪力。数人がかりで持ち上げられない馬車の車輪を持ち上げたりします。
射撃能力もあります。終盤で兵のヘルメットを狙撃し、前に狙撃して落としたヘルメットに重ねるという離れ業をやっています。
数年で大工場を経営するまでに至ったのですから、知能に優れていない訳がありません。ヴァルジャンが黒ガラス玉のイノベーションを起こして町全体を活性化させていくあたりは、なろうの内政もの的な感覚でニヤニヤすることもできます。
自分の罪は恐れますが、悪人は全く恐れない強メンタルも持っています。
結局、主人公になるような人は何かの意味で強いんでしょうね。
B:おっさん主人公
ヴァルジャンはおっさんです。作品が数十年に渡る話なので仕方ないですが、次に述べるヒロインとの関係を考える上で、おっさんであるということは重要です。
C:ヒロインの属性
本作ヒロインはコゼットと言って差し支えないでしょう。
彼女は悪徳一家のテナルディエに引き取られ虐待されていたところを、ヴァルジャンによって救われ、娘として養育されます。
絶対的に不幸な立場にあるヒロインが、主人公によってその境遇から救われ盲従する。
これは奴隷ヒロインがどうとかではなく、一つの普遍的な型なのかもしれません。
当然、コゼットは美少女です。ですが、栄養不足だった最初はそれが分かりません。成長するとともに美しくなっていきます。
「奴隷ヒロインは何らかの欠損や偏見により見下されていて」、「そんな事は気にしない大きな器の主人公に救われ」、「回復魔法とか何かによって美しさをとりもどす」というのは、なろうでよく使われるテンプレではないでしょうか。
しかしながら、コゼットにはなろうヒロインとして大きな「欠陥」があります。それは何でしょうか。
答えは、彼女が主人公と結ばれないということです。
成長した彼女はマリウスという青年と出会い、恋に落ちます。ヴァルジャンは娘と思って可愛がってきたコゼットが自分から離れる事に対して葛藤するものの、最後にはマリウスを包囲されたバリケードから命がけで救い出します。
感想欄が大荒れしますね。もう、目に見えるかのようです。
「ヒロインが寝取られたのでブクマ剥がしました」
「今からマリウスを死なせて下さい」
「そもそもなんで主人公以外の男を出した」
こんな感じに。
『レ・ミゼラブル』を真の「なろう」たらしめるには、ヴァルジャンとコゼットをくっつける必要があります。それはそれで、「うさ○ドロップ」のようだという批判が集まるかもしれませんが、大多数の支持は獲得することができるでしょう。
D:ざまぁ
これも『レ・ミゼラブル』のなろう的な意味での弱点ですね。
作中で一番好き勝手やらかしてきた悪人のテナルディエが、最後まで断罪されません。
ユゴーとしては、「悪人は必ずしも裁かれない」ということをそれによって伝えたいのでしょうが、ならば私はユゴーにこう言いたいです。
「お前は日間ランキングに載りたくないのか」と。
ランキングに乗らなければ、評価以前に読んでもらえないのだ。下手にテンプレから外れてブラバされたらどうする。作者の伝えたいことや書きたいことなど、どうでもいい。
ブックマークされたと思ったら剥がれるのは辛いよなぁ。
感想欄で批判されたらどうする。暗い話なんか誰も求めてないんだ!
読まれたいんだろう? 評価が欲しいんだろう? ならテンプレに従え!
…………は! 俺は今、何を……? 何かとても、悪い夢を見ていたような……。
なぜか涙が流れていますが、話を元に戻します。
この辺も改編しましょう。テナルディエは早い段階でわかりやすくスカッとする形で断罪される必要があります。
案としては以下です。
・ヴァルジャンがコゼットを引き取りに来た時点で、テナルディエをボコボコにする。
・ゴルボー屋敷で他の悪人が登場した時に、ヴァルジャンが無双してそいつらと一緒にボコボコにする。
・ヴァルジャンがマリウスを救い出した時の下水道での会話で、問答無用でボコボコにする。
・ラスト近くでテナルディエがマリウスにヴァルジャンの過去を暴きに来た時、とにかくボコボコにする。
こんな感じですね。
E:内政チート
上でも触れたのですが、「面白い」と感じるシーンの一つがヴァルジャンが工場を経営している時の話です。ヴァルジャンが財を成して周囲まで裕福にしていく様が、凄いリズミカルに表現されています。
ここは逆に「なろう」側が見習っても良いくらいですね。
ミリエル司教が司教としていかに尊敬を集めていたかのシーンも、私的には結構ニヤニヤできます。司教が元議員に論破されるシーンさえ削除すれば、十分になろう的だと言えるでしょう。
どうでしたでしょうか。
『レ・ミゼラブル』になろう的要素を見出すというよりは、どうやったら『レ・ミゼラブル』がなろう的になるかの方に字数を割いてしまいましたが、ご容赦ください。
しかしここで得た発見をあえて言語化すると、どのような名作も少し改変すれば「なろう」たりうるということでしょうか。
全てはそのさじ加減一つであると。
いい感じにまとめられたので、この辺でこの文章を閉じます。
前回と同じく、タイトルをなろう風にして最後にしましょう。
『徒刑囚だった俺が、いつの間にか工場主になって尊敬をあつめてるんだが!? ~傷心の人妻とかわいい娘を引き取ってハーレムルート~』
前回よりも良い出来な気がするぞ。あまり内容には忠実じゃないけど。
次回があるとしたら何を題材にしましょうか。
日本に戻って、夏目漱石の『こころ』は「なろう」である、とか。
皆知ってる(世代によっては知らない)ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』が「なろう」だと言い張っても面白いかもしれません。
追記
字面的に面白そうなタイトルが浮かびました!
『フランダースの犬』は「なろう」である、とかどうでしょうか。本当にそうであるかは知りません。
ではこの辺で、最後までお読みいただきありがとうございました。
私は『グレイテスト・ショーマン』を観て、ヒュー・ジャックマンの成長を確かめる作業に戻ります。
うん、やっぱりこいつウルヴァリンだわ。このモミアゲのあたりとか。