交流
辺りはすっかり暗くなっていたが俺とソフィヤは焚火を囲み、言葉の授業を続けていた。子供の体力と知識の吸収力は恐ろしいもので眠ることを許さず俺に言葉を教えてくる。早く言葉を覚えさせてあげたいという親切心を激しい雨のように叩きつけてくる。無論、お猪口程度の器しか持たない俺の脳の容量はそれを受け止めきれるはずもなく、ソフィヤがくれる知識をこぼしていく。
流石にほとんど聞き流している状態にも罪悪感が大きくなってきたので制止を試みる。
「ちょっと待ってくれ。そんなに一度に教えてもらっても覚えきれない」
言った後から情けなさがこみあげてくる。目の前の少女はすぐに覚えていったというのに。
ソフィヤは実に不思議そうな表情で俺を見上げる。
「どうしたの?。体の調子悪い?」
この子は調子さえ悪くなければ今の調子で理解できるのか。というかしていたな。
恥を忍びつつありのままを理解してもらうため話す。
「俺は君ほど覚えが良くないんだ。もう少しゆっくりと教えてくれるかな」
よくよく考えればすでに恥ずかしい所を見られているのだ。今更バカなことが知られたぐらいで恥ずかしがる自尊心など持っていても仕方ないだろう。認めろ志倉剱地。この世界では女児より見識が無い。お前はこの小学生ぐらいの女の子に常識を教わるのだ。無駄な維持など捨て、生き残ることが大事なのだ。
プライドを捨てた俺に対し、ソフィヤは不思議そうな顔をして返した。
「そんなに難しい?。わかった、もう少し遅らせる」
俺の頭の悪さをわかってもらえたようで少しづつ俺の学びに合わせて教えてくれるようになった。それでもやはり時間が掛かる。
ソフィヤはいつまでも熱心に教えてくれる。下手をすると朝まで教えてくれそうだったので適当なところで切り上げさせた。
この日は文字の書き方と読み方を辛うじて覚えられたくらいだった。正直まだはっきりとしないところもある。
話すことに夢中になっていたため食事もしていない、ペコペコだ。思わず腹の音が鳴ってしまった。
「俺は食べ物を採ってくるよ。ソフィヤはどうする?。何か食べるものが無ければ一緒に採ってくるけど」
「私は私で食べるものがあるから大丈夫」
そういって小袋から加工した肉のようなものを取り出した。
見た感じ干し肉といった感じだ。今までずっと森にいたせいか森に存在しない匂いに敏感になっているようで、全く近づかなくても肉の匂いがわかる。なんだこの匂いは。調理した肉の匂いとこれは、ほんのり僅かに金属の様な臭いがする。加工時に金属の機器を使っていてその時にこびりつくのだろうか。少し気になる。
後ろ髪を引かれる思いだったがあまり見ているのも変に思われるので食材探しに向かった。
この森を出ることは出来なかったがその代わりこの森に関してはかなり把握できている。夜でも簡単に腹を満たす分の食材くらいならば見つけられる。一人にしておくのは危険だ。すぐに戻らなければ。
数十分後にはいくつかの食材を見つけて彼女のもとに戻ることが出来た。
「イクソヤリホホフホモラマニシチシラソド」
「あ、すいませんわからないです」
想定以上のスパルタだ。戻ってくるなりいきなりそっちの言語で来るとは。
俺が日本語で返すと非常に残念そうに肩を落とした。
「話したい事たくさんある。キンジの方の言葉じゃまだ上手く伝えられない。けどキンジに言葉を覚えてもらうより私がキンジの方の言葉を覚えたほうが早そう」
不満げな様子で焚火に木を差し込んで炭になった部分を弄っている。
俺もそう思う。思わずそう言いかけたがそれは流石に理性がそれを止めた。そこまでは自尊心を捨てきれない。おそらく捨ててはいけないところだろう。
「俺も頑張るよ」
ソフィヤの言葉に対し無理やり作った笑顔と頑張るとしか返すことが出来なかった。
晩御飯も適当に済ませ落ち着いたところでソフィヤと焚火を囲んで改めて話をする。今度は言語の授業じゃなくお互いの話だ。これも勉強になるだろうけど。
「キンジはどこから来たの?。こんな言葉聞いたことない」
言葉に詰まった。どう答えるのが正解なのか。およそ俺はこの世界の住人じゃない。だから日本から来たといっても通じない。
「答えられない?。それなら聞かない」
答えに悩んでいるとソフィヤが気を使ってくれた。この子にこれ以上気を使わせるのは悪いか。
俺はありのままを話すことに決めた。そもそも何の知識もない俺は嘘をつくこともできない。
「いや、大丈夫。ちゃんと言うよ」
自分はこの世界の住人ではないこと。右も左もわからない状態でここに3か月住んでいることを伝えた。わかってはいたが信じてもらえていないだろう。ソフィヤ非常に怪訝そうな顔になっている。
「セカイっていう言葉がよくわからない」
そっちか。確かに世界とは言葉だけでは伝わらない。今まで物で表しにくい言葉は彼女が推察し、理解していたため感覚がマヒしていた。
「なんて言ったらいいのか。世界っていうのは生物が生きている場所やそれ以外の場所。人が知覚、あるとわかっている場所全てのことかな」
思ったより世界という言葉の意味の伝え方が難しい。流石のソフィヤも理解するのが難しいようで、口をへの字に曲げて悩んでいる。
「わかった。兎に角キンジはここの人じゃないってこと?」
思ったよりざっくりとした理解の仕方だ。今までが理解しすぎているところはあったが。意外とおおざっぱなところもあるんだな。
「そうだね。それで合ってる」
ここの人じゃない。思ったよりその言葉が胸に響いた。この世界に人は居る。ただ俺の世界を知っている人は誰もいないということがなんだか寂しい。
「それじゃあ改めてあいさつしないとね」
ソフィヤは満面の笑みをこちらに投げかけてくれた。
「この世界。ヤヒラリーツィモスへようこそ。シクラキンジ。私はあなたを歓迎するよ」
闇の森の中、月明かりも届かない場所で。焚火の炎にのみ照らされた彼女はただの平凡な子なのだろうけど。この挨拶だってきっとよく言っているような言葉なのだろう。でもそれらが。受け取った平凡のすべてが俺にとっては有難く、とてつもなく大事なものに思えた。