第五章 炭坑街(こわいまち)でリメンバー
列車は山と並行に走る。河とも平行に走る。
列車はもくもくと蒸気を上げ、次の駅へと向かっている。
あ、次の駅ってなんだ?
「車掌さん、次の駅は?」
「次の駅は、有山駅です。」
「ついに有山ですか。」
「そうです。」
「まもなくぅ、有山ぁ 有山ぁ 有山にとまりますぅ」
少しばかり待つと、有山駅についた。
有山駅の近くには炭鉱が『あった』。この1983年の時点では、『ある』のほうが正しいのだが。
大日本筑前礦業有山坑。1985年閉山。私の父は昔ここでアルバイトしていたという。石炭の選別担当だったそうだ。
有山駅ではあの欠伸青二才がおりた。そうだ、ここの近くには有山町立有山高校があるんだった。父もここが母校。この辺で4番目に偏差値が低い高校だったそうだ。父はよく、カツアゲをされそうになったという話をしてくれた。
「有山は僕が高校生のとき、カツアゲって言って、脅されたりしたこわーい所なんだぞぉ。」
父の言葉がよみがえった。父は優しい。とっても。母は厳しかったが。
父は曽祖父の家から少し離れた、それこそ「富永駅」の近くの吉牟田という集落のアパートに住んでいた。祖父がマイホームを持つ前の家。いまはない。(というか行ったことがない。)
ドアが閉まる寸前、一人の女性が駆け込み乗車した。主婦だろうか。今でいう『エコバック』を持っている。
「ああ、間に合ってよかったわ。」
車掌さんが向かう。
「駆け込み乗車は危ないですよ。余裕をもって今度は乗車してくださいね。約束ですよ。」
「ああ、すみませんね。子供が泣いて泣いて。困りましたわ。」
「人生、そういうこともありますよ。あ、どこまで乗りますか。」
「あ、中村まで。」
私は思い出した。一つの出来事を。そう、中村駅で降りたのだ。
1983年の夏、中村駅で降りたのだ。駅の目の前に曽祖父の家がある。
じゃあ、曽祖父の家に私たち一家がいるかもしれない・・・
私は中村駅で降りたくなった。




