第二章 なつかしい田園風景
杉本駅を出発すると、なつかしい光景が広がった。
祖父の実家、即ち曽祖父の家に行った時に見た光景に似ていた。
田んぼが広がっている。少し黄色がかっている。この時期だったかな、私が行ったのは。
余談だが、祖父と祖母、父と母(わたしたち一家)で行った。確かにこのあたりだった。
そうそう、列車で行った。でも、何駅で降りたのかが思い出せない。
曽祖父はその時99歳、白寿のお祝いで行った。とても暑かった。そのころは冷房なんてない。
祖父は70歳。古稀。私は12歳だったか、小学校の最上級生だったから。
むこうの車両から家族だろうか。笑い声が聞こえる。
私が乗った車両の中には、車掌の他に乗客がひとり乗っていた。
中折れ帽を被った、40代くらいのサラリーマン。新聞を読んでいる。こっそり見てみた。
『PL学園 桑田・清原《1年生》コンビ 横浜商おさえ2度目の優勝』毎日新聞と書いてある。じゃあ、この空間は何年の何月だろう。
ん?え、え!?1983年の8月だって??日付欄には "1983年8月22日" とある。
今、2019年のはずだが・・・ 30年以上も前なのか。たしか、この線が廃止されたのが1990、1年だったはず・・・。曽祖父宅に行ったのも1983年だ。
「まもなくぅ 木本ぉ 木本ぉ 木本にとまりますぅ」
車掌が言った。
木本駅に着いた。木造の駅舎。家が立ち並んでいる。昔ながらの商店がある。
駅前はにぎやかだ。声が聞こえる。
サラリーマンは下りて行った。しかし、ここで10人ほど乗ってきた。杉本駅では自分とサラリーマンしか乗らなかったのに。
あ、そのあとに人が乗ったかもしれない。向こうの車両に家族が乗っていたのだから。
私が乗っている車両には、私、30代くらいの夫婦と杖をついたおじいさん。あと、カッターシャツを着こなした、20代くらいの若い男。その5人だけが乗っている。たったそれだけ。
車掌が、ほかの人に運賃をもらいにこっちへ来た。
車掌に次の駅をきいた。次の駅は「古森駅」らしい。
そういえば地図を持ってきていた。もちろん、最新(2019年版)の地図だ。
今走っているのは、木本のこのあたりか。『東谷商店』とあるところの前に木本駅がある。
いまは駅跡は公園になっているようだ。
列車は発車し、木本駅のホームを離れていった。また田園風景がまわりに広がっていく。
1983年か。列車は緩やかなカーブに差し掛かった。