第5話 ダリウスの変化
「ダリウス!」
放課後、校舎のエントランスで待つこと約一時間。ようやく目的の人物に声をかける事が出来た。
「ルーカス、元気にしてたか? また少し背が伸びたな」
「そうか? 自分では分かんねぇよ。とは言っても、まだまだお前の身長には追いつけなさそうだが」
相変わらず背の高いダリウスを見上げながら俺は言った。
流石は騎士志望。毎日身体鍛えてるだけあって、追いつける気がしねぇ。
「いつ部屋を訪ねても留守でつかまんないから、ここで待ってたんだ」
入学の数日前、初めてこっち来た時にダリウスは俺の荷解きを手伝ってくれた。
けれどそれ以降、全く会うことが出来なかった。
ティアナと会えないのは、洋館内が男子と女子で区切られているからまぁ仕方ない。
だが、ダリウスは間違いなく同じ寮に住んでいるはずだ。寮長も言ってたし。
朝も夕方も夜も、いつ寝てんだよと言いたくなる留守さだ。
「そうか、それはすまないな、朝と夜は訓練場を借りている。大体寮に戻ってくるのはいつも午前様だからな」
まじかよ。道理でいつ訪ねても居ないわけだ。
「無理しすぎてぶっ倒れんなよ?」
「その辺は大丈夫だ。今は倒れられない理由があるからな。健康管理はしっかりしているぞ」
ダリウスの瞳には、何やらものすごい覚悟のようなものがこもっていた。
「知り合いですか?」
その時、ダリウスの前を歩いていた令嬢が振り返って声をかけてきた。
「はい。同郷の幼馴染みで、弟のような存在です」
「初めまして。スノーリーフ村出身のルーカスと申します」
見るからに気品漂う所から相当な身分のあるお方なのは容易に見てとれた。
失礼にあたらないよう膝をついて挨拶をすると、
「ご丁寧にありがとう。アリーシャ・フォックスです」
アリーシャ様は平民の俺に、流れるような美しい動きで淑女の礼をとって挨拶してくれた。
こ、こんな貴族令嬢見たことがない。
ここに来て、貴族の女は顎でこき使ってくるのがデフォルトだと思っていた。
平民の俺にわざわざそんな……思わず感動していると、ダリウスに声をかけられた。
「それでルーカス、何か用があって待っていたのだろう? 悪いが今はアリーシャ様の護衛の最中なんだ。今夜は早く帰るようにするから、後でもいいか?」
「ああ、俺もお前とゆっくり話したいからそっちの方が助かる」
俺達の話を聞いて、アリーシャ様が心配そうな顔で声をかけてこられた。
「ダリウス、用事があるのでしたら今日はもう大丈夫ですよ。後はもう寮に戻るだけですし……」
「いけません、アリーシャ様。学内といえど、危険がないわけではありません」
珍しくダリウスが焦っている。
何があっても「大丈夫だ」と大らかに構えていたダリウスが焦ってる姿なんて、片手の指で数えられるほどしか見たことないぞ、俺は。
「九時過ぎには部屋に戻るようにする。また後でな、ルーカス」
「ああ、分かった。アリーシャ様、お時間とらせてすみませんでした」
「こちらこそ、気を遣わせてしまったみたいでごめんなさいね。では、ごきげんよう」
「はい、お気を付けて」
二人の背中を見送りながら、俺はある事を思い出す。
フォックス公爵家の令嬢と言えば確か、第一王子の婚約者じゃないか。
そういえば初めて見かけた時、あの糞王子の方を切なそうに見つめていたアリーシャ様の姿を思い出した。
こんなに美しい婚約者が居る癖に、何やってんだあの馬鹿王子は。
まぁティアナも負けず劣らず可愛いけれども、それとこれとはまた魅力の次元が違う。
アリーシャ様は綺麗系でティアナは可愛い系だ。
お、俺は勿論ティアナ一択だけどな!
誰に言い訳してるんだよとツッコミながら寮に戻った。
その日の夜、指定された時間にダリウスの部屋を訪ねた。
「ルーカス、さっきは悪かったな」
「気にするな、ダリウス。それよりこれ、母ちゃんに持たされたメルムの実のドライフルーツ。俺一人じゃ食べきれないからもらってくれ」
「こんなにいいのか? 嬉しいよ、ありがとう。今コーヒーでもいれるから、そこにかけて待っててくれるか?」
「別に気を遣わなくていいぞ。ただし……」
「分かってるよ、ミルク多めだろ。相変わらず猫舌だな」
「サンキュ」
ミルクを入れてほどよく温くなったコーヒーを受けとりつつ、向かいの席に座ったダリウスに話しかける。
「お前は相変わらずブラックか」
「甘すぎるのは苦手でな」
「昔から、すっげー羨ましかったよ。お前のそういうとこ」
俺も言ってみたいな、そんなセリフ!
コーヒーをブラックで飲めるなんて、なんて大人なんだって、張り合って俺もチャレンジして撃沈したのは苦い思い出だ。
「俺はルーカスが頑張って背伸びしようとしてるとこ見てるの、微笑ましくて可愛かったぞ」
「嫌味か!」
「ルーカスもティアナも、俺にとっては可愛い弟や妹みたいなものだからな。兄ちゃんとしては、その成長が嬉しいんだよ」
ダリウスがそう言う度に、ティアナが切なそうに笑ってたんだって、多分こいつは気づいてないんだろうな。本当に罪深い男だぜ。
「それで、話とは?」
「ティアナの事だ」
「まぁ、そんな事だろうとは思ってたよ。何が聞きたい?」
「何故、エリート集団に囲まれてるんだ?」
「昔からティアナは、魔法をかけた物の魅力を最大限に高める魅了魔法が得意だっただろう? 文化祭で手芸部の展示用に作ったティアナの作品が、ハイネル殿下の目にとまった。それが多分、きっかけだと思う。感銘を受けたらしい殿下は、そこからティアナを追い掛け回すようになった」
視線を落としてじっとマグカップのコーヒーを見つめるダリウスの瞳は、悲しげに揺れていた。
「今、誰の事を考えていた?」
「……え?」
「お前がそういう顔するの、初めて見た」
「ここに来て、色んな事があったからな」
苦笑いするダリウスに、おおよその事は見当ついた。
俺みたいに性根が多少ひねくれていれば、お貴族様達の言葉を適当に受け流す事も出来ただろうが、ダリウスの性格上それも難しいだろう。
昔から、騎士になることを夢見ていたダリウスは誰よりも正義感の強い男だった。
そんな男ほど、今のこの学園では生活し辛いだろう事は容易に想像が出来た。
「俺は今、絶賛カルチャーショック中なんだが」
ダリウスが話しやすいように、わざとおちゃらけて言ってみると、心配そうに尋ねてきた。
「ルーカス、お前も洗礼を受けたのか?」
「洗礼受けたっていうか、すっごい理不尽だなって目に遭っただけ。ここに来て、俺が普通だと思ってた常識が通用しないのがよーく分かった。特に入学してすぐあった実力テスト、あれやる意味ないだろ」
「だな。あれはただ権力差を浮き彫りにして順位付けさせるためだけのテストだ。その後の試験は一応中身も加味されるから、しっかり勉強だけは怠るなよ?」
「一応って何だ?」
「人によって加算される特別ボーナス点がある以外は普通と一緒だ。家の爵位に応じて点数は変わるって卒業した先輩から聞いた」
「結局、お貴族様優位体質なのは変わらないんだな」
平民にとったら魔法学園に通える事自体が、エリート出世コースを約束されたようなものだと担任は言っていた。
魔法関連の就職先は、平民からすると高給な仕事が多いから。
元々魔法が使えるのは高貴な血筋の者だけだった。
平民に魔力持ちが現れるのは、貴族の子孫だったり、隠し子だったりと、何らかの理由で高貴な血筋が混じっているせいだと聞いた。
スノーリーフ村のある北方地方は、王族の縁者が爵位を与えられて統治する事が多い。
そのため、たまに俺達みたいな先祖返りの力を得て魔法を使える者が生まれると村長が言ってたな。
まぁここに来て、平民のエリートは下位貴族以下だってよーく思い知らされたが。
「残念だが、この学園には根強い格差がある。貴族がみんな、アレク先生のように平民を蔑むこと無く接してくれるわけじゃない。今だからこそ言える話だが、ここへ入学してすぐ、暴挙が過ぎる貴族を見過ごせなくて反発した俺は、追放されそうになった事があるんだ」
「ダリウス……手紙にはそんな事、一言も書いてなかったぞ」
「お前たちの夢を、壊すわけにはいかなかったからな……」
「それはどうも。それで、大丈夫だったのか?」
「ああ。こうして今ここに居られるのは、アリーシャ様が庇って下さったおかげだ。次期王妃としてあの方は、国のために、民のために、努力を惜しまないとても尊敬できるお方だ。助けて頂いた恩義に報いるためにも、俺はあの方に忠義を立てて仕えている」
「大切なんだな、その……アリーシャ様のことが。好きなのか?」
俺の問いかけに、ダリウスは飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。
「滅多なこと言うな! 恐れ多い! 俺はただ、尊敬をしてだな……」
「そこまで慌ててるお前も、初めて見た」
「お、お兄ちゃんをからかうもんじゃないぞ!」
「好きなんだな」
いい加減認めろよっていう俺の視線に耐えきれなくなったようで、ダリウスは恥ずかしそうに顔を背けて答えた。
「…………ああ。言うなよ、絶対誰にも言うなよ?」
「むしろ、その態度でバレバレなんじゃないのか?」
「そうなのか?! 気をつけねば……」
昔からダリウスは女に向けられる好意に鈍感で、結構罪作りな男だと思っていたが、この二年の間に変化があったのは喜ぶべきか、悲しむべきか。
ティアナが知ったら絶対悲しむ。いやむしろ、もう悟っているからあの時悲しそうにダリウスを見つめていたのかもしれない。
現状を整理すると
ティアナ→ダリウス→アリーシャ→ハイネル→ティアナ
見事な四角関係が出来上がっていた。その周りをさらに上流貴族子息の取り巻きA、B、Cが群がってガッチリとガードしている。
それを遠巻きに見ることしか出来ないのが、今の俺だった。蚊帳の外にポツンと放り出された状態。
ダリウスだけでも厄介だったのに、眉目秀麗で財力に満ちあふれたエリート集団までもがライバルなんて、正直泣きたい。
しかし、泣き言を言っている場合ではない。たとえこの思いが報われなくたって、ティアナの失った笑顔を取り戻す。それが何よりも今、優先して行うべき事だ。
あの腐った檻の中から連れ出してやる。
ティアナが昔、俺を救ってくれたように。今度は俺が、絶対にお前を助けてやるからな!