第24話 恩を仇で返す男にはなりたくない
まじで生きてて良かった。世の中にあんな美味しいスイーツがあったなんて、知らなかった。俺がザッハトルテの美味さの余韻に浸っていると、ヘンリエッタが「よかったらこちらもどうぞ」と追加のザッハトルテを差し出してきた。
お礼を言ってそれを口に含んだ瞬間、俺は何とか吐き出しそうになったのをすんでの所で堪えた。
見た目は確かに完璧だった。光沢のあるチョコレートのフォルムにスポンジ生地とクリームが素晴らしい情景を描いていた。
だが! 何だこの変なあくのある味は。甘いはずのザッハトルテが、もはやただ苦いだけの何かになっている。ブラックコーヒーケーキって言われたら、少しは納得するかもしれない。
「あの、いかがですか?」
「とても、苦い……です」
俺の言葉に、何故かヘンリエッタは目を輝かせて「他に気になる点はありませんか?」と聞いてくる。
「見た目は完璧なんですが、食感もザラザラした感じが舌に残るのが少し気になります」
「ルーカスさん!」
「はい、何でしょう?」
「よろしければまた、私の作ったスイーツを味見して頂けませんか?」
よろしければまた、私の作ったスイーツ?!
まさか俺がダメ出ししたこのスイーツを作ったのはヘンリエッタ?!
「す、すみません! ヘンリエッタ様が作られたスイーツとは知らずとんだご無礼を!」
慌てふためく俺とは対照的に、何故かヘンリエッタは嬉しそうに顔を綻ばせている。怒りの境地を通り越して、おかしくなっていらっしゃるのか?!
「どうか謝らないで下さい。正直に仰って下さって私はとても嬉しかったんです。こちらに来て、お世辞ばかりで誰も正直な感想を述べては下さいませんでした。見聞を広めたくて、わざわざこちらの学園に入れて頂いたのに、これでは本土に居た時とそう変わりません。私はルーカスさんが仰ってくれたような、率直な感想が聞きたかったのです! なのでまた、どうか味見をして下さいませんか?」
公国の公女様相手に、駄目だし出来る奴なんて確かにそうは居ないだろう。
しかもヘンリエッタのこの誰に対しても丁寧で柔らかく誠実な姿勢を前に、まずいなんて暴言吐ける奴居ないだろう。ヘンリエッタが作ったものだと初めから知っていたら、俺だって誤魔化した感想しか言わなかったと思う。
「俺で良ければ喜んで」
「ありがとうございます! ハル様のお誕生日に、今年こそは私がケーキをご用意したいのです! 甘いものが苦手なあの方にも、食べてもらえる美味しいケーキを」
ハル様……ってレオンハルトの事か?!
なるほど、レオンハルトは甘いものが苦手なのか。ふむ、それくらいじゃ何のインパクトもねぇな。ダリウスも苦手だし。くっ、どうせコーヒーもブラックなんだろ! むしろ男としてカッコいいじゃないか。
「ヘンリエッタ様にそこまでして頂けるなんて、レオンハルト様も幸せですね」
こんなに一生懸命に頑張ってる誠実な婚約者が居るのに、レオンハルトはよくティアナを追いかけ回せたものだな。
「そうだと良いのですが……」
俺の言葉で、ヘンリエッタの表情が少しだけ暗くなった。何かまずい失言でもしてしまったのだろうか。
「そろそろ行きましょうか」
結局、それ以上ヘンリエッタから言葉を聞き出す事が出来ないまま迷路探索に戻った。
危険が多い左の道へ足を踏み入れた瞬間、背後から大きな物音が聞こえた。
どうやら後戻りが出来ないように退路を断たれたらしい。前に進むしかないようだ。
突き当りの角を曲がって少し歩いた時、後ろからものすごく嫌な気配を感じた。
振り返ると、さっき北方エリアで散々追い掛け回された甲冑鎧が、今度は雷を纏って追いかけてきた。
「ヘンリエッタ様、後ろ気を付けて下さい!」
何であの甲冑鎧、今度は雷を纏って追いかけてくるわけ?!
もうあのエントランス通りたくないよ。飾られているアイツ等がいつ追いかけてくるかって気が気じゃないよ。
雷を消す事が出来れば止まるんだろうが、あの雷に触れた瞬間入口に逆戻りって事もありえる。
迂闊に触れないのが現状だった。
「ルーカスさん、私が土魔法であの人形の動きを止めます! そのうちに逃げましょう!」
ヘンリエッタは甲冑鎧がこっちに来れないような大きな土の壁を作って、動きを封じた。ドシン、ドシンと、土壁を壊そうと甲冑鎧があがいている隙に俺達が逃げるのを何度か繰り返し、何とか迷路を抜ける事に成功した。
ああ、久しぶりの外の空気は上手いな!
そんな感動を味わったのも束の間、視界に入る景色を見て俺は呆然とした。
目の前には湖の上に、氷でできた城がある。その城壁の氷の中に、たくさんの学生が囚われていた。見たことあるクラスメイトの顔ぶれがそこにはある。
捕らわれている女子生徒達が必死にヘンリエッタの方を見て何かを訴えているが、声が聞こえないため分からない。
「フレイヤ! ミカエラ! エリザベス!」
ヘンリエッタ様のクラスメイトも囚われているようで、心配そうに彼女たちの元へ駆け寄ったその時、何か嫌な感じがした。
「お下がり下さい、ヘンリエッタ様!」
間一髪、ヘンリエッタの頭上に防護壁を作り、空から降ってきた氷のツララを防ぐ事に成功した。
「ありがとうございます、ルーカスさん」
「お怪我はありませんか?」
「はい、私は大丈夫ですが……皆さんが……」
心配そうにヘンリエッタが捕らわれた仲間に視線を送ったその時、城の上層部から声がかけられた。
「皆さんを助けたいですか?」
見上げると氷の城の最上階のバルコニーには、フォックス公爵令嬢のアリーシャ様がいらっしゃった。
美しい氷の城に相応しいお姫様のように、色素の薄いアクアブルーの長髪を靡かせて佇んでいらっしゃる。
なるほど、だからあそこにダリウスが居たわけか。
「スタンプと彼等、どちらを優先しますか? もしスタンプを選ぶのならば、簡易ルートを抜けた先ですぐに押せます。ですが捕らわれた彼等はオリエンテーションが終わるまで、そこから出ることは叶いません。もし彼等を助ける事を選ぶならば、簡易ルートは閉ざされます。この最上階にあるスタンプ場まで、最低約三時間はかかる正規のルートを通ってこなければなりません。どちらを選びますか?」
くっそー! また二択かよ!
「ルーカスさん、私が皆さんを解放します。なので貴方は先にスタンプを……」
ヘンリエッタの性格上、絶対そう言うだろうと思っていた。ここでスタンプを俺だけ取ってくれば、C組はかなり有利になるだろう。だが、ここまで来られたのはヘンリエッタの力があったからこそだ。恩を仇で返すような、そんな卑怯な男にはなりたくない。
「ヘンリエッタ様、俺に貴方のスタンプカードを預けて頂けませんか? そうすれば、仲間もスタンプも両方手に入れる事が出来ます。ただし、貴方が俺を信用して下さるなら……ですが」
スタンプカードの紛失はこのオリエンテーションにおいて、リタイヤを意味する。A組のリーダーであるヘンリエッタのスタンプカードを、もし俺がこの場で預かって壊してしまえばA組は失格となるだろう。そんな大事なものを、ヘンリエッタは軽々しく差し出す事は出来ないだろう。だが、今この場で両方を手に入れるにはこの方法しか思いつかなかった。
「貴方は本当に、お優しい方ですね。私たちのカードをお預けしてもよろしいですか?」
「はい、喜んで!」
ヘンリエッタから預かったスタンプカードを持って、俺はアリーシャ様に声をかける。
「俺はスタンプを取ります」
「私は仲間を取ります」
そう宣言した俺達を見て、アリーシャ様は嬉しそうに笑っていらっしゃった。
「クラスの垣根を越えて協力する貴方たちの姿勢は、とても尊いものです。それを忘れずに、どうかこの先も進んでくださいね。捕らえていた者達は解放します。ルーカス、貴方はこちらへ」
アリーシャ様のバルコニーに続く透明な氷の階段が俺の目の前にかけられた。










