第14話 プリムローズ侯爵令嬢サンドリア
特別教室棟のある建物まで、俺は全力疾走した。
一年生の俺の教室は一般教室棟の三階にある。
特別教室棟は窓から見える位置にあるものの、階段を駆け下りて無駄に広い中庭を横断しなければならない。
これを三分以内とは、正直かなりの鬼畜命令だ。
「はぁっ、はぁ……っ、失礼、します」
ノックをして息も絶え絶えで研究室に入ると、そこに居たのはエレインだけじゃなかった。
「ティアナ?! どうしてここに……それにそちらは……」
エレインの隣には、何とも威圧感半端ない派手なご令嬢が座っていた。ツインテールの深紅の長髪は毛先が縦ロールで、つり上がった瞳が特徴的だ。
「僕が呼んだんだ。彼女はサンドリア、僕の婚約者だよ。それよりルーカス、三十秒遅刻」
「す、すみ、ませんでした」
「大丈夫?」と心配そうな顔をしてティアナが駆け寄ってきた。
ああ、まじ天使。癒される。
ティアナに格好悪い所見せるわけにはいかない。
「これくらいどうってことない」と元気アピールしておいた。
「立ち話もなんだし、とりあえずティアナも座って。少し話があるから」
エレインに促され、円卓のテーブルをエレイン、ティアナ、サンドリア様の三人で囲んでいる。俺はと言うと、エレインの斜め右後方に立たされている。
そうだよね、侍従って座っちゃいけないよね。全力疾走してきて疲れた後だろうが、関係ないよね!
「初対面だろうから、改めて自己紹介。サンドリア、彼はルーカス。ティアナの幼馴染で僕の侍従だよ。面白い魔法が使えるからスカウトしたんだ」
「お初にお目にかかります、サンドリア様。ルーカスと申します。どうぞお見知りおきをお願い致します」
「サンドリア・プリムローズです。よろしくお願いしますわ」
見た目に反して、サンドリア様は優しそうな声をしていらっしゃった。
初対面の俺とサンドリア様の挨拶が済んだ所で、「ほら、ボサッとしてないで皆にお茶でも出して。そのために呼んだんだから」と俺は隅に追いやられた。
ちょっと待て、ここ実験室だろ?
実験用魔道具のコンロでお湯沸かしてフラスコのまま出すのか?! それに、肝心の茶葉は?!
「そこの戸棚にハーブティーぐらいならあるから。僕はカモミール、サンドリアはジャスミンが好きだよね。ティアナは何がいい?」
「私は何でも結構です」
「だそうだよ」
「かしこまりました」と一礼して、とりあえず俺は戸棚を開けてみる。中にはかなりの種類の茶葉があった。
ガラス瓶の容器に乾燥させたハーブの茶葉が所狭しと並んでいる。そして中々流暢な文字で一つ一つ銘柄が書いてあった。
どうやらエレインは、結構几帳面な性格らしい。
カモミールとジャスミンに、ティアナは……薔薇が好きだからローズヒップにでもしてみるか。
肝心の客人用のティーカップもソーサーもティーポットもない。ついでにお湯を沸かすケトルもねぇ。
あるのはコンロの上にのせるらしい網とビーカーやフラスコ。
そういえば、昨日はフラスコで緑の液体出してきたくらいだし、その辺は気にしないのか?
几帳面な性格に見えて、そこは気にならないのか?!
あれだけ愚痴を抱えていたんだ、中身がおっさん化しているのかもしれない。
なんて失礼な事を考えてたら、エレインと目が合って心臓が跳ねた。寿命が三年くらい縮んだ気がした。
「ルーカス、足りない物は用意して。君なら出来るでしょ?」
「かしこまりました」
流石にサンドリア様とティアナの目に付く前で、ビーカーでお湯沸かすわけにもいかない。
俺は創造魔法でケトルと三人分のティーカップセットを思い浮かべた。
ケトルはお湯を沸かすシンプルなやつ。特性で、すぐに沸くよう熱伝導性の機能を上げておいた。
ティーカップセットはティアナが喜びそうなお洒落なデザインで統一して、ついでに給仕用のおぼんも作っておいた。
水を淹れたケトルをコンロにかけている間に、茶葉の準備に取り掛かるも、普段お茶とかそんなに淹れたことないし、分量が全然分かんねぇ。
とりあえずスプーン一杯分ぐらいでいいだろ、一人分だし。
俺がお茶を淹れるのに悪戦苦闘していたその頃、エレインがサンドリア様に呼びかる声が聞こえてきた。
「サンドリア、まずは君に聞いて欲しい事があるんだ。実は……」
「嫌です! 聞きたくありませんわ!」
作業は止めずにそっと聞き耳を立てていると、サンドリア様が突然声を荒げた。何事かと振り返ると、サンドリア様は両手で耳を塞いで、エレインの話を拒んでいた。
「お気に召さない所があったのなら直します。エミリオ様の理想の女性になれるよう努力します。ですからどうか……」
「その必要はないんだ、サンドリア。よく聞いて、僕は……エミリオじゃない。エレインだ」
「エレイン……うそ、どうして……病気で屋敷から出られないって……こんな所に居て大丈夫なの?!」
「僕は病気じゃない。屋敷から出られないのは兄様の方なんだ。だから僕が代わりにここに居る」
「エミリオ様がご病気……私、行かなくては! エミリオ様を助けるためなら、この身体のどの部位を差し出しても構いませんわ! たとえ言葉を交わせなくなったとしても、エミリオ様の中で生きていけるのだもの。きっと幸せだわ」
臓器移植即決?!
椅子から立ち上がり急いで退室しようとしたサンドリア様を、エレインは慌てて止めに入る。
「落ち着いて、サンドリア。移植とか必要ない。兄様は足を骨折しているだけだから。命に別状はないよ。リハビリも最終段階まで来てるから、復帰も時間の問題さ」
「そうなのね、良かったわ」
何とか落ち着きを取り戻したらしいサンドリア様はほっと安堵のため息を漏らす。
「それにしてもエレイン、どうして私にまでその事を黙っていたの?」
「君に会わせると兄様は格好付けようと無理をして悪化させるから、黙っていた。サンドリアだって、心配で他のことに何も手を付けられなくなるだろう? お互いのためにはこうするのが一番だと思ってた。だから君と距離を置いていた本当の理由は、僕の正体に気付かれないようにするためだったんだ。騙してて、ごめん」
「エレイン、私は貴方の事もとても心配していたのよ。無事で、本当によかった」
何とか誤解は解けたようだな。良い感じでお湯も沸いたし、ティーポットに注ぐ。
「ティアナ」
「はい」
「聞いてたから分かると思うけど、僕は女だ。それを隠すのに、あの馬鹿達に混じって君の近くに居るのが都合がよかったんだ。こちらの勝手な事情に巻き込んで、本当にすまなかった」
「ティアナ、私もごめんなさい。余裕がなくて貴方に嫉妬して、酷いことを言ってしまったわ。本当にごめんなさい」
「エレイン様もサンドリア様も、どうかお顔をあげて下さい。誤解が解けて、お二人が仲直りされて本当に良かったです」
自分のことのよう喜ぶティアナを、更なる笑顔に変えるべく、俺は淹れ立てのお茶を出した。
エレインにはカモミールティー、サンドリア様にはジャスミンティー、ティアナにはローズヒップティー。
サンドリア様とティアナは笑顔で美味しいと言ってくれたものの、エレインにはものすごくダメ出しされた。
濃すぎてえぐみが出てるとかなんとか、それはもう容赦が無いくらいめった打ちにされた。
俺、初めてなんだよ? これ淹れたの。
少しくらい大目に見てくれたって……とぼやいた瞬間
「侍従の粗相は僕の不始末にもなるんだ。『妥協』は許さないよ」
との厳しいお言葉を頂いた。
ここでティアナに、不可抗力とはいえ覗きのことをバラされるわけにはいかない。
「しょ、精進致します」
「良い心がけだね。それじゃあ次の休み、侍従として最低限の基礎業務を習得してもらうから予定開けといてね。ちなみに、テオドール公爵家の名の下に、『妥協』って言葉は許されないから覚悟しておくように」
「……かしこまりました」
怖ぇよ、諸侯の娘! くそっ、俺に拒否権があればいいのに。
俺には悪魔みたいだが、サンドリア様とティアナには天使のような笑顔を浮かべてエレインは話し掛ける。
服飾系の話で盛り上がられて、肩身の狭い思いをしながら俺は隅の方に控えていた。
しかしこうして聞き耳を立てていると、エレインもサンドリア様も平民だからと言ってティアナを蔑む事はない。
「ティアナ、君にまた依頼してもいいかな? ここ一年、君の新作が拝めなくてお母さまがとても残念がっていたんだ」
「勿論ですよ、エレイン様。腕によりをかけて作らさせて頂きます!」
「エレインだけずるいわ。私もティアナに作って欲しいものがあるの」
「私に出来る物なら何でもお作りしますよ、サンドリア様」
というか、ティアナとエレインに繋がりがあった事に俺は驚きだった。まさかエレインが、ティアナに依頼していた客の一人だったとは……世の中広いようで狭いんだな。
「ねぇ、良かったら次の休み、二人とも遊びに来ない? 改めてお詫びをさせて欲しいんだ」
「お伺いしてもいいの?」
「兄様を屋敷に縛り付けておくのもそろそろ限界に来ててさ。無理せずきちんとリハビリするように、サンドリアから言ってやって欲しいんだ。だめかな?」
「分かりましたわ。エミリオ様の具合が良くならないと、エレインも本当の姿で学園に来れないだろうし。こうしてまた、皆でお茶をしたいわ。ティアナは、どうかしら?」
「その……平民の私がご一緒してもよろしいのですか?」
「友達を招待するのに、身分なんて関係ないよ。君が来てくれたら、お母様もきっと喜ぶし」
「迷惑じゃなかったら是非、来てもらえると嬉しいわ。こうやってお話するの、とても楽しいんだもの」
「私でよければ喜んで。エレイン様、サンドリア様、ありがとうございます」
よかったな、ティアナ!
俺はお前の笑顔が見れただけで満足だ。
とりあえず、エミリオの件はこれで片付いたと思っても大丈夫そうだな。
残るは後三人、次のターゲットを誰にしようか考えていると、お茶のおかわりを要求された。
お姫様方を待たせるわけにもいかず、すぐさま準備にとりかかった。










