破壊の視線
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
……ん? だああーっ! びび、どけ、どけえーっ!
はあ、何だよいったい。寝て起きたら、お前の顔が目前十センチにあるってどういうことだ。「いないいない、ばあ」ってレベルじゃねーぞ、おい!
今みたいに俺が跳ね飛ばしたからいいものの、ヘタすりゃ思わず起き上がったおでことおでこがカップリングしたり、はずみによっては、もっと大切なものが奪われかねかったり、色々とやばかったぞ、あの距離感。
――寝顔観察も、取材の一環?
そりゃまた、大層なご趣味をお持ちなことで……。
老婆心ながら忠告しておくが、あんまりやらないようにした方がいいぞ。男が相手でも、女が相手でも。寝顔からは極力、距離をとった方がいいらしいぜ。
ちょっと前に、こんな話を友達から聞いてな。
夜に眠る時って、人は色々な姿勢を取るだろう? よく見る仰向けで眠るのに加えて、逆にうつぶせになってみたり、横向きになって自分の腕を枕にすることもあったり。最後なんかうっかり体重をかけすぎると、起きる段になって猛烈な痺れを覚えることさえあるな。
とまあ、これだけでも眠る姿勢というのは、なかなか重要なんだが、それに輪をかけて大切なのがまぶたを開けてから、最初に見る光景なのだという。それが先ほど、お前に注意したことにつながってくるんだけどな。
気取った言い方をするなら、「眼力」という奴だ。芝居をする時などに、視線に力を持たせるため、化粧を施したことに端を発するとされるこの言葉。実際に測る必要があったらしいんだ。
そのケースのひとつの紹介になるな。
友達が小学校に上がったばかりの頃。寝る時はいつも祖父母に挟まれて、川の字になって布団を敷いていたらしいんだ。二人の布団の圧力のためか、友達はしばしば仰向けで眠らざるを得なかったそうだな。
寝る部屋には、ひし形の笠がついた、円形の蛍光灯が日本。そして笠の内側にうずまるようにして、コンパクトな常夜灯がついている。そのオレンジの光を見ながら寝るのが、友達の毎晩の習慣になっていた。
祖父母の朝は早い。友達が目を覚ました時には、いつも両隣の布団が空っぽになっている。友達も目が覚めたら布団から出ようと呼びかけられていたものの、どうしてももう少し眠っていたいと思う時、あるよな?
枕もとの時計を見ると、本来の起床時間まで、あと三十分。友達は眠気に誘われるまま目を閉じたんだが、ほどなく「パリン」と音がして、何かが布団越しに、お腹の上へ落ちてくる感触がした。
あの常夜灯だった。指でつまめてしまうほどの、その小さな電球は、足をうずめていた笠の中から滑り出して、友達の上へと落ちてきたんだ。
ただ落ちてきただけだったなら、さほど問題にはならない。けれども、布団の上に横たわるその電球は、表面が割れて中のフィラメントが、完全に露出していたんだ。
加えて、先ほどの音。明らかに割れてから、布団の上に落ちてきている。一体何がぶつかったのか、友達にはさっぱりわからなかった。
不気味な現象に、いそいそと着替えを済ませて、台所に向かう友達。母親がすでに朝ご飯を用意していて、それを食べながら友達は今朝の話を母親にしたんだそうだ。
母親はちょっと複雑そうな顔をした後、友達に少しの間待っているように告げて、裏庭で土いじりをしている祖母を呼びに行ったとか。
手を洗った祖母が台所にやってきて、友達がもう一度今朝の話をすると、「ひょっとすると」と前置いて、ひとつ話をしてくれた。
友達の住む地域では、昔、人を脅かす大蛇がよく姿を現していたが、そのたびに退治がされて、大きな被害が出ることはなかったらしい。ただ、神話に使われるような酒や刀というものは一切使われず、人ひとりひとりが持つ、「眼力」によって蛇を退けたと言われているんだ。
蛇の眼光には、対象の身体の自由を奪い得るほどの強い力が秘められている、と伝えられているが、この地域に住む者に関しては、それをも上回る強さを持つ者も存在したらしい。なんでも、目を開いた瞬間に、視線上にあった固い果実が砕けたり、生物の内臓に異常をきたしたりする事態もあったとか。
親たちが不安げな表情で相談をし始めるのを尻目に、友達は話を聞きながら、心の中にこみ上げてくるものがあった。
高揚感だ。すでにいくつか触れていた、ヒロイックな物語で活躍する主役たちは、いずれも人間離れした力を持っていた。
自分も同じような、特別な力を持っていたんだ、と内心で嬉しくなったらしいけど、ことはそんなに都合よくは運ばなかった。
まず、話にあがった「眼力」という奴は、日常生活の中では力を発揮できないらしかった。話のあったその日、眼力の話を隠して、友達とにらめっこに興じたり、黒板を穴が空くほどに見つめたりしたものの、聞いたような効果が得られる効果はなかった。
それでいて、朝、目覚めた時の延長線上にある、頭上の蛍光灯たちには影響があるらしく、例の常夜灯に加えて、主力となる輪のかたちをした蛍光灯も、無残に散った。
友達は寝る向きを変えられて、木の天井を見させられるようになったようだ。しかしそれも十日がたつ頃には、起き抜けの視線の先に、大きくひびの入った天井の姿が映るようになっていた。
どうやら友達の「眼力」というものは、睡眠を取る時など、長時間まぶたの下に眼球が隠されることで、開放された眼球から、見えない圧力のようなものがほとばしるらしいんだ。親たちは初めて被害があった時から、時間を見つけてはどこかに電話をしたり、出かけたりして、家を空けることが多くなっていた。
当初は期待に胸を膨らませていた友達も、じょじょに恐ろしさを覚えてきたそうだ。夜に寝て起きる時はもちろんのこと、寝転がってマンガを読んでいる時に、うっかり寝落ちをしてパッと目を開くと、その瞬間、顔にかぶさっていた本のページに、穴が空いてしまうことさえあったとか。
目を開けたままでずっと過ごすことはできない。かといって、眠ってから開いたまなこの先に、どのような被害をもたらすか分からない。
その恐れを映し出すかのように、友達の眠りは浅くなってしまって、二時間に一回程度の割合で、目を覚ますようになってしまったそうだ。そのたびに眠る位置を変えて、被害が一ヶ所に集まらないようにしたけど、昼間の疲れはなかなか取れず、熟睡してしまう日が来るのは、時間の問題だった。
どうにか対策をしないと。そうして日々を過ごしていた友達と親たちは、夏休みに入ってから、とある寺を訪れることになる。
神殿の瓦に苔がむしてしまうほど、古い歴史を持つその寺は、かつて蛇を眼力で追い払った者が、晩年を過ごすのに使われた場所であるとのことだった。
出迎えてくれた和尚さんが、じっと友達の顔を覗き込む。何か害を及ぼしてしまうのではないか、と不安になった友達だったけど、それは杞憂だった。
逆にこちらがもらった。和尚さんの瞳は、日本人のそれにしては、あまりにも黒々としている。よく聞く、吸い込まれそうというよりも、針で肌を刺されるような痛みが、チクチクと走る。拒絶のサイン。
「――なるほど。確かに、眼力の湧出を感じます。たいていの場合はじきに枯渇しますが、被害に関してのお話も伺いましたし、楽観視はできますまい。治療の件、承りましょう」
親たちとの話し合いの結果、友達はその寺に預けられることになった。治療が済み次第、迎えに来てもらうという約束で。
友達はその日からアイマスクをつけられ、その上でまぶたをしっかりとふさいで、一日を過ごすことを指示された。
その眼力の湧く元を断つには、早急に出所を枯らすしかない。日常生活の睡眠程度では、あまりに小刻みな消費。供給量を上回ることができないらしい。
だからこの日常とは離れた環境で、一気に消耗される。源さえもすっかりなくすほどに。そうすれば平穏な日常に戻れると、和尚さんは告げた。
視覚と縁がなくなった生活。けれども、見る娯楽を楽しめなくなったことをのぞけば、さほど辛いとは思わなかったらしい。
常に介助者がついてくれているし、用を足す時などもトイレの場所さえ分かれば、手探りでいけるようにもなった。ちょうど、頭の後ろで何も見ずに鉢巻を結べるような感覚だったそうだ。
寺にいる人たちは和尚さんをのぞいても何人かの気配を感じたが、声を出すのはもっぱら和尚さんで、他の人の存在は、忍びやかに立てる足音と身体に触れる感触のみ。目の粗い手袋をしているような、ざらざらした感じがしたらしい。
おかげで、視覚以外の五感を大いに刺激された数日間になったようだ。
五日後。友達は両目がごろごろし始めた。
まぶたの裏側にゴミが入るだけでなく、実際に涙が出ていないのに、閉じ合わさったまつ毛から漏れて、しとどに濡れていく。そんな抑えきれない流れを感じるほどだったとか。
和尚さんにそれを伝えると、「ならば頃合いでしょう」とばかりに、アイマスクを取って目を見開くように指示する。
久しぶりに見る、風景。目ヤニが張り付く感覚に、恐る恐るまぶたを持ちあがていく友達。ゆがみ切った視界の向こうは、真っ赤に染まっている……。
とたんに、赤が弾けて飛び、消え去った先から数日前に見た、お寺の壁が姿を現した。足元を見ると、布の切れ端のような形になった、弾力のあるゴムらしきものが四散している。
同時に、目の奥がすっと気持ちよくなる。これまで根っこを張っていた煩わしさが、一気に解消された、解放感があった。
少しの間、悦に浸っていた友達だけど、親たちが迎えに来るまでの間、和尚さんと話をしながらも、頭の中では目を開けた瞬間に見えた光景について、何度も反芻していたらしい。
にじんだ景色の中、一面に広がった赤。その上下には鋭く長い刃物が二本ずつ、生えていたような気がするんだ。
それは自分を丸のみにせんと大きく開いた、大蛇の口の中だったような、そんな気が今でもしているらしい。