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ヤルバ爺とリミルの家に住むようになって四日が過ぎた。
日中、俺はリミルの手伝いで森に入り焚き木集め、あるいは畑の雑草取り等をし、夜はヤルバ爺にこの世界や術式を教えてもらいながら過ごしている。
最初、ヤルバ爺やリミルは俺に家でゆっくり過ごすよう言っていたが、ゴロゴロしてタダ飯を食べるより、こうして少しでも何か手伝った方が、肉体的にも何より精神的にも良いと思って自主的に始めたのだ。
とはいえ、元々科学文明万歳の自動文化大国日本で生きてきた俺には出来る事が少な過ぎる。結果的に単純な肉体労働に落ち着いた。
「タツヤさーん! こっちにカオリダケが生えてましたよ!」
リミルの言う通り、木の根元に椎茸に似たキノコが数本生えていた。今日は焚き木拾いだったが、所々でこういう風に見つかるキノコや野草も摘んでいる。キノコも野草も見分けがつかないから、リミル任せになるが…
「これは、歯ごたえと独特の香りが良いんですよ〜」
嬉しそうにリミルが摘んでいる姿を見ると、今夜の食卓が楽しみだ。
「タツヤさんも少しこの森に慣れてきましたね!」
摘んだキノコを受け取りしまっている俺を見ながら、リミルが微笑む。
「そうかな? まだまだわからない事だらけで役に立ててないんじゃないかな?」
ふざけた感じで答えるが、本当に自信がない。
「いいえ、タツヤさんが手伝ってくれて本当に助かってますよ!」
力こぶを作る真似をしながらリミルが笑う。
「そう言ってくれると嬉しいよ。確かにリミルの手伝いは慣れてきたけれど、あっちはなぁ……」
思い出し俺の顔が沈む。そんな俺を見てリミルが首を傾げた。
「……? どうしたんですか?」
「いや……ヤルバ爺に夜教わっている術式がね……」
この世界の魔術……術式というのは、まず大気中に魔素と呼ばれる不思議粒子があり、この世界の人達は、その魔素をイメージと呪文で望む形に整える事で発動するらしく、魔素は濃い薄い密度の差こそあれどこにでもあるらしい。
また、動物の中にもそういった術式を扱える存在がいて、総じて魔物と呼ばれる。俺が追われた跡追い鳥も、微弱だが術式を使えるらしい。
らしいらしいと言うのは、俺には未だにこの魔素という物が一粒も見えないのだ。見えなければイメージする事も整える事も出来ない……という訳で、俺の術式修行は一歩目から壁にぶつかってしまった。
当然、その様子はリミルも知っていて……。
「う〜ん……私達は見えるのが普通ですから、どうすれば良いかお爺ちゃんもわからないんですよね」
二人でう〜んと考え込んでみたものの、名案は浮かばなかった。
「よし、見えない物は仕方ない。ヤルバ爺には悪いけれど、術式習得は諦めよう!」
俺はポンと膝を叩く。
「えぇ! 諦めちゃうんですか?」
俺の突然の決断にリミルが驚きの声をあげた。
「いや、諦めるは言葉が悪いかな? 見えないなら見えるようになるまで一旦保留するよ。今は他にも学ばないといけない事も多いしね」
「そうですか。……では、タツヤさんが術式を使えない間、術式は私にお任せください!」
反らした胸をドンと叩くリミルに思わず笑ってしまう。
「はは、頼もしいな、それじゃあよろしく頼むよ」
「はい! お任せください!」
お互いに顔を見合わせ笑い合う、穏やかな昼下がりの時間……しかし、それは突然破られた。
◆
「なんだぁ、てめぇら!」
木々の向こうから現れたそいつは、一言で言うと直立した人間大のアライグマだった。
アライグマは、胴に龍の紋章が焼き付けられた皮製の鎧と槍で武装し、モフモフ可愛い外見からは想像もつかない汚いオッサン声で、唾を飛ばしながら叫んでいる。
「カケナの森に人が住んでるなんて聞いた事ねーなぁ!」
こちらをジロジロ見てくるアライグマ。
リミルが俺の袖を引き、小さな声で「気をつけてください、帝国兵です」と囁く。
なるほど、あの龍の紋章は帝国兵って事か。全体がそうだとは思わないが、こいつの言動だけだと帝国兵って山賊みたいだな。
「いや〜、すみません! 僕達はカケナの森近くに住んでる者でして、今日は焚き木とキノコ取りに来ました。ちょっと、熱中し過ぎてしまって……そろそろ戻らないと晩飯に間に合わないんですよね〜」
リミルを背中に庇いながら、低姿勢&ニコニコ笑顔で答える。そう、笑顔はコミュニケーションの第一歩だ。言ってる事はほとんどデタラメだが……。
「あぁ〜ん……ふん、どうやら本当らしいな」
俺の荷物を見てアライグマはフンッと鼻を鳴らすと、手を払う。どうやら行っていいようだ。
「そんじゃあ、失礼します。お仕事頑張ってください!」
何とか誤魔化せたようだ。俺はアライグマを刺激しないようリミルとその場を後にしようとした……その時、
「おう、ドズ。どうした」
アライグマと同じ皮鎧にボーガンを装備し、猪の牙と鼻をした男(こっちはだいぶ人間っぽい見た目だ)がやって来た。ドズと言うのはアライグマの名前らしい。
「ん? ああ、この辺の村の奴だっていうガキ達が居たからよぉ。まあ、もう帰るらしいがな」
「そうか、そんでお前はそのまま帰すのか?」
「あ?」
「馬鹿野郎! 森にあった怪しい物品は全て回収。森に居た奴は全員拘束して連行って命令を忘れた訳じゃねーだろ!」
猪が叫び、ボーガンを構えた。慌ててアライグマも槍を向けこちらに向かってくる。
「術式発動! 水撃槍!!」
背後のリミルが前に出て叫ぶように呪文を唱える。
すると瞬時に空中に浮かぶ水の槍が生まれ、凄まじい速度で二人に迫った。
「げふぅううっ!」
「ぐぁあ!」
「リミルっっ!!」
滑るように飛んだ水の槍はアライグマの胴を易々貫き、猪の右手を構えたボーガンごと吹き飛ばした。
しかし、直撃する寸前に発射されたボーガンの矢がリミルの右胸に刺さる。崩れ落ちるリミルを俺は咄嗟に抱き支えた。
「……ぶ、無事ですか? タツヤさん…早くお爺ちゃんに……かはっ」
俺の腕の中で力なく喋るとリミルが吐血する。医学に明るくは無いが、矢の位置から肺を傷つけているようだ。
「わかった。もういい! 喋るな!」
沸騰しそうな頭の中を無理矢理無視して、俺はリミルを抱き抱えると家に向かって走り出す。
ーーピィィィィィィ!!!ーー
背後から高い笛の音……おそらく、生き残った猪の仲間を呼ぶ音だろう。俺はなお一層懸命に走った。