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王城、謁見の間。最側近の数名を除き、居並ぶ臣下達は皆首をすくめ、己が上に主の視線が止まらぬ事だけを願い、出来るだけ目立たぬよう努めていた。
そんな空気を全く気にせず、どっかりと玉座に腰を下ろし、物憂気な視線で前方を眺める獅子顔の男『聖光龍帝国現皇帝ドミニアス帝』は、一見ただただ気だるそうに座っているだけだ。
しかし、ドミニアス帝の周囲を漂う魔素は通常ありえない濃度で渦巻き、時折バチバチと火花が生じる。王の機嫌は非常に悪いようだった。
「クーラムタよ……」
王が口を開く。山羊角の生えた老人クーラムタは一瞬身体を硬直させた後、慌てて主の前に走り寄り額ずいた。
「わ、我が皇帝陛下においてはご機嫌うるわしく……」
「世辞は良い。頭を上げ状況を説明せよ」
「は、はぃ!」
慌てて頭を上げたクーラムタの声は上ずり、膝は自然と震え、汗がとめど無く流れ落ちる。しかし、その醜態を笑う家臣は一人も居なかった。
「お、恐れながら報告させていただきます。輝神結晶を用いた召喚術式は成功……」
チラリと王の顔色を伺う。しかし、王の目線は前方に向いたまま動かない。
「……しかし、何らかの理由により座標のズレが生じ……その……正確な所在は不明……ひぃぃ!」
王の周辺で一際大きなスパークが生じる。クーラムタは慌てて続ける。
「た、ただ、大まかな座標はわかっております!西方ルーディア山のカケナ森林です。現在、捜索隊を編成し向かわせていますので、今しばらくお待ちください!」
報告すべき事は全て言った。クーラムタは再び額を床に擦り付けると、主の次の言葉を待つ。場合によっては、それが自分の人生最期に聞く言葉なのだ。
「ルーディア……あのルーディアか……」
王の瞳に初めて意思の光が宿る。
「ボガード」
「五聖輝将、疾風のボガード、ここに」
王の最側近として控えていた一人が進みでる。ボガードと呼ばれた狼頭の男は直立のまま王の前に立ち、傍らのクーラムタを一瞥した。
「ボガードはクーラムタの部隊に同行。不測の事態に備えよ」
「はっ、全ては陛下の望むままに……」
王の言葉に臣下達が騒めく。帝国守護の要と言っても過言ではない、五人の将軍である五聖輝将の一人を動かすというのは只事ではないのだ。しかし、そんな騒めきなど全く意に介さず、王はゆらりと立ち上がり謁見の間を後にした。
◆
魔物と呼ばれる怪物、超常的な魔術を操る少女……どうやら俺は、いわゆる『異世界』に迷い込んだらしい。
有り得ない事ばかりでそうじゃないかと思ったが……いざ目の前に突きつけられると、まるで漫画やアニメのような話で、何が何だか全く意味がわからない。
今すぐ地面に転がり、頭を掻きむしって悶えたい気分だが、そんな事をしていても何も解決しないだろう……俺は深呼吸をし無理矢理に心を鎮める。とにかく、これからどうするかを考えないとな……。
とはいえ、今の俺にできる事は現状ただ一つだ。俺は行くあても無く困り切っている事をリミルに相談する事にした。
「……なるほど、それは大変ですね……」
一通り俺の事情を伝えると、リミルはウンウンと頷いた。異世界から来た事も正直に伝えたが、少し困惑した素ぶりを見せたものの、どうやら信じてくれたようだ。
「だから、タツヤさんは言葉も違うし、魔物や術式もわからなかったんですね……よく見ると、着ている物も変わっていますし」
「ああ、だからこの辺りの事も全くわからないんだ。幸いリミルのお陰で言葉も通じるようになったし、とりあえず人が居る……街か村に行こうかなとは思うんだけれど、良い場所はあるかな?」
俺の言葉にリミルは「んー」と、少し考えた後、ポンと手を叩いた。
「では、どうぞ私の家に来てください。あいにく祖父との二人暮し、大したおもてなしなど出来ませんが、ここから一番近い村まで歩いて三日はかかりますし、じきに陽も落ちます。夜は魔物達も活発になり危険ですよ」
「いいのか? それじゃあ、よろしく頼むよ!」
リミルのこの上ない提案に、即座に喰いつく。
「それでは、私に着いてきて下さいね」
下ろしていた荷物を再び背負うと、リミルは慣れた様子で森の中を歩き出した。
リミルの家は、出会った場所から少し歩いて行くと、木々の生えていない森の中の拓けた場所に一件、ひっそりと建っているのが見えてきた。
見た目は山小屋といった感じの木造建築で、脇には小さな畑もあった。
「リミルは森の中に住んでいるのか……さっき言っていた魔物に襲われたりはしないのか?」
「はい、この辺りには魔物避けの結界術式が張ってあって安全なんです。ヤルバお爺ちゃん……あ、私の祖父なんですが、実は『三賢』の一人に挙げられる結構凄い術使いなんですよー」
またもやエヘンと胸を張り、エヘヘと笑うリミル。どうやら自慢のお爺ちゃんらしい。三賢というのは何かの称号だろうか…確かに凄そうだ。
家に着くと、リミルは俺に待つように言い、一人家の中へ入って行く。数分後、中から立派な白髭を生やした老人と共に出てきた。老人はリミルと同じように、額と尾に青い鱗を持ち、白髪の中から短めの角が二本、左右のこめかみ辺りに生えている。
「お初にお目にかかる、遠き異界の方。儂はこの娘の爺で名をヤルバ・リーエムじゃ。今しがた、簡単な事情は孫より聞きましたぞ。まずはゆっくり休むといい……さあ、狭い家だがお上がりなされ」
「えっと……ヤルバさん。お世話になります!」
「ヤルバ爺でええよ。さ、お入りなさい」
家の中は、土間と竃や水瓶、囲炉裏もあり、さながらTVで見た昔の日本家屋といった感じだ。
俺はヤルバ爺が桶に貯めてくれた水(ヤルバ爺の呪文で何も無い桶の中に水が湧いた!)で、裸足の足を清め、囲炉裏の側に座らされた。二人は竃で煮炊きを始め、一時間足らずで夕食が用意された。
囲炉裏にかかった鉄鍋から食欲をそそる香りが流れてくる。途端に腹の虫が盛大な声を上げた。そう言えば、こちらで目覚めて以来何も食べていなかった。
「ほっほっほ、豪勢な……とは言えん料理じゃが、遠慮せずお食べなさい」
「い、いただきます!」
そんな俺を見て、ヤルバ爺とリミルが目を細めて笑った。