16墓暴き
ベッドの下に転がっていた靴を踵も整えずに履いて、寝室の扉を開けた。早く早く行かなければ、兄の全てを忘れてしまいそうで急ぐ気持ちが迫り出した。リラは何も持たずに家を飛び出した。
外はやはり暗く、だが暗闇に目が慣れたリラはそんなことは一切気にせずに駆けた。積もった雪がリラの邪魔をし、何度も転ぶ。その度にリラは顔を歪ませ、痛みに耐える。転ぶ度にリラが幼い時に兄が優しく手当てをしてくれたことを思い出したが、手を引いて歩いてくれた時の手の温さも少し困ったように笑っていたはずの兄の表情も靄にかかったようではっきりと思い出せなかった。
時計台の元に置いてきたはずの涙が、両目から溢れ出してくる。リラはあんなにも一緒に過ごしていた兄の姿を忘れてしまう自分が許せなかった、そして悲しみが心の中から消えていくことが不安で仕方が無かった。
家がまばらになり始め、木々が茂る。街の外れに着いた時には、リラの両膝は擦り剥けて赤い血が滲んでいた。しゃくりをあげ、指で涙を拭いながら墓地へとつながる道を歩く。ばさばさと翼をはためかせる音と、木の枝が不気味にかさかさと揺れる音、それに遠くからは野犬の遠吠えが聞こえてくる。リラはその何とも言えない夜の音を恐ろしいとは感じなかった。それどころか兄の姿かたちを忘れてしまう方が、兄が死んだことが悲しみと感じられなくなることの方が恐ろしく感じていた。
リラが墓地に着くと、墓地の入り口にある墓守の家も静まり返っていた。明かり一つない、真っ暗闇。厚手の雲が引き、僅かに月が見え隠れする。その不確かな光源と足裏に伝わる石畳の滑らかな感触を頼りに兄の埋められた場所へ向かう。兄の埋められた場所はすぐに見つかった。『シリウス・ベッゼル』と書かれた白い墓標が地面に突き刺さっていた。リラはその墓の前にしゃがみこんだ。そして先刻土をかけたばかりのこんもりとしたその場所に手を伸ばす。
土は存外柔らかく、指でその土を僅かに掴めばほろほろと崩れ落ちていくようだった。濃密な土の匂いが鼻先に纏わりつく。リラは手をお椀型にして、土をすくった。兄を救わなければいけない、この重く暗い土の中から一刻も早く兄を救うのだ、その一心だった。兄が再び笑いかけてくれるのならば、共に生きていけるのならば、リラはどのような姿であってもよかった。例えボランスのように骸骨姿になってしまったとしても、両親も街の人々も最初は少し驚くだろうがすぐに慣れるだろう。とても人の好い性格をしているから、ボランスと同じように街の人気者になるはずだ。リラはどのような姿になったとしても、以前と同じように兄を愛せる自信があった。
リラの頭の中も心の中も、まるで何かに引っ掻き回されたようにぐちゃぐちゃだった。近しい者を亡くした、しかし悲しいという感情は時間の経過とともに薄らいでいく。それに加えて今まであんなにも間近で見てきた兄の顔を、その表情を一つも思い出せず、どんな姿かたち、なりをしていたのかさえ。幸せな思い出さえもどんどん風化していく。果てに兄が確かに存在していたのかでさえもあやふやだった。大切な存在であった兄への記憶や感情が消えていくのが酷く苦しく、リラは自分自身を許すことが出来なかった。リラがこうして墓を掘り返すのは、もうどうすれば良いのか分からなかったからだ。兄への感情や記憶を呼び起こさせるために、と真っ先に思いついたのは兄を生き返らせることだった。




