完結記念小話②「楽しく穏やかな日々に」
《 補足 》
ソニア九歳で、初等部二年の新学期くらいのお話です。
※世界観について。
法力持ちだったり持っている魔力が多かったりするとほぼ強制的に王立魔法学校に入れられます。そのため、初等部は魔力持ち・法力持ちが発覚した平民出身者の途中入学が多く、貴族の子は初等教育を自宅(家庭教師)で済ませるので初等部から入学している子は少ないです。中等部から一気に生徒が増えるので、初等部と中等部・高等部の校舎は別になっています。ちなみに、初等部は普通に王都の片隅に校舎がありますが、中等部・高等部からは全寮制のために異空間に校舎・学生寮とも用意されています。
初等部は生徒数が少なく、貴族より平民の方が多くて、貴族の生徒も平民と仲良くできる子が多いので、初等部は和気藹々としているのが特徴。貴族出身者が増える中等部から校内の空気がギスギスしていくのが通例です。
クロードはその日の職務を終わらせるといつも騎士団から邸へ直帰している。まだ新人の域を出ないクロードがそれを許されているのは、すべての反論を実力でねじ伏せているからだ。騎士団長のお気に入りであるということも彼が騎士団でやっていくうえではプラスに働いているのだろう。そのせいで僻み・嫉みが強くなっても、陰湿な嫌がらせを仕掛けられても、それらをかわすことはクロードにとって容易い。といっても、煩わしさと無縁ではいられないが。
「おかえりなさい、おおかみさん!」
屋敷の扉を開けるとすぐさま駆け寄ってくる小さな身体。
それを抱き止めて“ただいま”と告げれば、このために早く帰ってきていることを自覚せずにはいられない。
「今日も学校は楽しかったか?」
「うん! あのね、今日はね……っ!」
いつもと同じように尋ねると、いつもと同じように興奮気味の返答が返ってくる。入学してから一年経った今でも、ソニアにとって王立魔法学校はいつも新鮮で楽しい場所らしい。人見知りなせいか友人はそう多くない様子だが、ソニアが毎日楽しいようで何よりだと思う。
それでも、時折ソニアが寂しそうな眼を向けていることをクロードは知っていた。
王立魔法学校の初等部生であるソニアより騎士であるクロードの方が朝が早く夜は遅い。
ソニアは森にいた頃から早寝早起きの習慣が身に付いているので、朝食の時間をともにすることは可能だ。昼は別々になるが、同年代の友人たちとの昼食はソニアにとって楽しいものであるようで、昼休みに何を話したかやどんな遊びをしたかなど楽しげに報告してくる。
クロードがソニアとの時間をとれるのはだいたい夜だ。夕方というには少し闇が濃い時間。あまり遅くなるときは一人で夕食を摂るように言っているが、クロードの言葉が聞き入れられる様子は今のところない。
もうちょっと一緒にいてやれればいいんだがな。
と、埒もないことを考える。
これでも、当初に比べれば時間ができた方なのだ。仕事に家事までしていたらどうやったってソニアと話す時間などとれなかっただろうが、ソニアが入学してすぐに使用人を数名雇ったため、だいぶ時間に余裕ができた。それでも、入団早々に横暴上司から一隊の隊長を任されているクロードの忙しさは並みではないのだが。若く体力があるから何とかなっている面はあるだろう。
使用人に関してはソニアとともに面接をして決めたため、今のところ大きな問題は起こっていない。
“元黒狼”の募集とあって、なぜか冒険者が数名紛れ込んでいたが、ソニアの送迎と護衛にと一人だけ雇うことにした。あとは、フェリクスから紹介された執事と侍女の夫婦、知人の妹だという年若い侍女、王都の食堂で働いていた料理人の五名である。ソニアの人見知りが激しいこともあり、信頼できる人材が見つかるか心配ではあったが、何とか邸としての体裁は整った。年若い侍女など、歳が近いせいかソニアと打ち解けるのも早くて助かったくらいだ。
「旦那様、お食事の用意はできておりますが」
「ああ、わかった」
そう声をかけてきた執事のモルガンに頷きを返し、ソニアに向き直る。
「ソニア、まだ食べてないんだろ? 行くぞ」
「うん! 今日はね、新しい食材を使ってみたって、ティモテさんが言ってた!」
ティモテはこの邸の料理人の名だ。故郷に幼い妹がいるらしく、ソニアのことも可愛がっているようだ。歳が近く、個性的な使用人たちのなかで唯一の常識人だと言っていい人物のため、クロードも何かと話しやすい相手である。
「ふーん。で、うまかったのか?」
「うん! ……あっ」
クロードの問いに見事にひかかったソニアは味見がバレたことに気づいて焦ったような顔をした。
「味見するくらいなら先に食べてりゃいいだろうに」
「むぅ……だって、おおかみさんと一緒じゃなきゃ嫌だもん」
「そうか。ありがとな」
くしゃりと頭を撫でると嬉しそうに笑う。
いつだったか、ソニアはクロードに頭を撫でてもらうのが好きだと言っていたが、クロードもソニアの頭を撫でるのは好きだ。というより、撫でるのはもう癖なのかもしれない。ただ、撫でたときのソニアの笑みに心が満たされる気がするのは確かだった。
「今日の恵みに感謝を」
「今日の恵みに感謝を」
クロードが食前の祈りを口にするとソニアと使用人たちも復唱する。
この邸では主人も使用人も関係なく全員が同じテーブルについて食事を摂るのがルールだ。もちろん、仕事の都合などで使用人全員となると難しいが、クロードとソニア以外に常時一人は同席するようにしている。
このルールができた理由はたった一つ。その方がソニアが喜ぶから。
「――で、新しい生徒が入って来たんだったか?」
食事の用意で中断されていた話題を引き戻すと、話したくてうずうずしていたらしいソニアが瞳を輝かせた。
「そうなの! 法力持ちの男の子で、アンリっていうの」
「お嬢様と同じですねー。王都の子ですか?」
侍女のロラが何気なく尋ねる。
何度も食事に同席しているとはいえ、発言を求められたわけでもないのにクロードとソニアの会話に割って入るのは彼女くらいだ。現在、彼女は十四歳だそうだが、たまにソニアの方がしっかりしているのではないかと思う。そう考えているのがクロードだけでない証拠に、もう一人の侍女でロラの使用人教育を担当しているナタリーなどは呆れ顔だ。これは後で説教コースだろう。
別に貴族でもないのだからそう目くじらを立てずとも……なんて言ったら、こちらに説教が向くのでナタリーの使用人教育にクロードは口を挟まないようにしている。まあ、ロラももし他の邸で働くことがあったときに困るだろうから大人しく説教されてほしい。
「うーん、わかんない。あんまりしゃべってくれないの」
「珍しいな」
思わず、そんな呟きが漏れた。
ソニアの言い方では、その新しい生徒と仲良くなろうと奮闘しているようだ。もともと、ソニアはあまり積極的に他人に関わっていくタイプではない。転入生ということで話しかけるくらいはするかもしれないが、応えない相手にめげずに声をかける性分ではなかったはずだが。……彼女は何よりも拒絶を怖れているから。
「そうかな? ……そうかも」
クロードが珍しいと言った意味がわかったのだろう。ソニアは少し首を傾げた後、同意するように頷いた。
「迷惑かなって思ったの。わたしに話しかけられるの嫌なのかなって。でも……寂しそうだったから。瞳がね、すごく寂しそうで――昔のわたしみたいだった」
どう言えばいいのかわからないのか、ソニアは時折言葉を詰まらせながら語る。
「わたしはおおかみさんのおかげで幸せで、全然寂しくないけど、きっとアンリはまだ……狭くて暗いところにいるんだと思う。アンリは本当に独りが好きなのかもしれないし、わたしじゃ無理かもしれないけど……学校は楽しいところだよって伝えるくらいできたらいいなって」
ソニアの成長を喜びつつ、少しだけ寂しく思う自分がいることをクロードは自覚した。
そんなに早く成長してくれるな。
まだ幼い子どものままでいてくれ。
もう少しだけ、自分が手を引ける存在のままで。
日々を駆けるように成長していくソニアを引き止めたいという気持ちが、クロードのなかには確かにあって、けれどクロード自身はそれだけは絶対にしたくないと思っている。広い世界を見せたいと思ったのは自分なのに、実際に飛び立っていく様を見て止めるなんて身勝手にもほどがあるだろう。
ソニアはクロードに依存しているし、クロードはソニアに依存している。そんなこと、誰に言われなくてもわかっている。
幸せになってほしいと思う。誰よりも、この世の誰よりも幸せになってほしいと願っている。
けれど、その思いのどこかで、いつまでも自分の手のなかにいて、自分が与える幸せだけを知っていればいいと考えてもいて。
要は、クロードはソニアに自分のもとを去って行ってほしくないのだ。置いて行かれたくないのだ。そうとわかっているから、養い子と違って成長しない自分に嫌気がさす。クロードは別にソニアと違って己をことさら嫌っているわけではないが、守るべき対象に縋る自分の弱さは許せない。大切なものに縋りついて堕とすような、そんな真似はクロードの誇りが許さない。
ソニアは、まだ少し怖れている。クロードが彼女の手を離すことを。だが、おそらく――そのときが来たら、手を離すのはクロードからではなくソニアからだろう。
まあ、まだ先の話か。
思考の海から浮上して、クロードは楽しげに学校生活を語るソニアを見つめた。
転入生の話題はとうに終わっていて、ソニアは今日の休み時間にした遊びについてロラに語っている。もともとクロードは口数多い方ではないし、夕食時に話すのは専らソニアでクロードは相槌を打つ程度だ。休日には騎士団の話をせがまれることもなくはないが、ソニアとしては自分の話をクロードが聞いているだけで満足らしい。
「あ、そう言えば、アンリっておおかみさんにちょっと似てるの」
話題がひと段落し、ソニアがふと思い出したように言った。
「へえ、どこが似てるんですか?」
「うーん、と……ここに、皺があるところ?」
そう言って、ソニアは人差し指で自分の眉間を示す。
クロードは思わず眉間の皺を深くした。その表情は、ソニアの言う通りきっとアンリとやらに似ているのだろう。
クロードの眉間の皺を伸ばそうとするソニア……っていうのをいつかどこかで書きたい。
仏頂面・不機嫌顔キャラの定番ですよね。