季節ネタ②「クリスマス小話~おおかみさん家の聖夜事情・前編~」
本編を更新せず、クリスマスに書いた季節小話です。
活動報告からの転載。加筆修正はありません。
鳥の羽ばたきが聞こえる。
「クロードの坊、アレの季節が来たで!!」
換気のために開かれていた窓から勝手に入って来た赤いオウム――ヴィヴィアンは、挨拶もなく相変わらずのハイテンションでそう言った。
料理中だったクロードは、勝手に自宅に侵入されたことが不快なのか、ヴィヴィアンの言葉に何か思うところがあったのか、わずかに眉をひそめる。……彼の家にひとや鳥が勝手に入って来ることはよくあることなので、おそらく後者だ。
背を向けているクロードの反応に気づかなかったソニアは、ヴィヴィアンの久方ぶりの来訪を無邪気に喜んだ。机に皿を並べていた手を止め、小走りに窓辺へと向かう。
「びびあんさん!」
ちなみに、ソニアはヴィヴィアンの名をうまく発音できないのだが、それを指摘する者はこの場に誰もいなかった。本人――本鳥?――など、“その呼び方もなかなかええなー。嬢ちゃんのためならいつでも改名したるで!”と朗らかに笑っていたくらいだ。
「おお、嬢ちゃん、久しぶりやな! 元気しとったか?」
自分の方に寄って来たソニアに顔を向け、ヴィヴィアンはそのよく動く嘴を開いた。
“また大きくなったんちゃうか?”と笑いかけるヴィヴィアンに、ソニアの顔にも自然と笑みが浮かぶ。ヴィヴィアンの問いかけには首を横に振ってから、挨拶を返した。……ヴィヴィアンには二週間ほど前にも会っている。いくら子どもの成長が早いとはいえ、二週間では目に見えるほどの変化はないだろう。
「きょうはどうしたの?」
「そうやった!」
不思議そうに首を傾げて尋ねるソニアに、ヴィヴィアンはポンっと人間でいう手を打つ動作を翼で行った。本当に人間臭いオウムだ。
「クロードの坊、招待状やで!!」
どこからか取り出した封筒を嘴に咥え、黙々と料理を作っていたクロードの方へと飛ぶ。
何の前置きもなく肩に止まったヴィヴィアンに、慌てて火を止め持っていたフライパンを置いたクロードは深い溜め息を吐いた。
「ヴィー……料理中だぞ」
「ん? なんや、すまんかったな。せやけど、わてが来たのに手ぇ止めへん坊も悪いやろ?」
ヴィヴィアンは嘴に封筒を咥えたままの格好で、けろりとした顔で答える。……こういうとき、彼がどうやって話しているのかは、ギルドの三大七不思議の一つだ。ちなみに、七不思議なのに三大と付く理由もそのうちの一つである。
「あー、悪かったな。で、招待状ってのは……もしかして、アレか?」
「もしかせんでも、坊が想像しとるもんや」
「………………」
「まあまあ、そんな顔しぃなや」
ヴィヴィアンは宥めるように、苦虫を噛み潰したような顔をするクロードの頭を嘴で小突いた。クロードの表情がさらに苦いものになったのは、決して“アレ”のせいだけではないだろう。
ヴィヴィアンの言葉に何も返さず――もちろん、突かれた頭が痛いと訴えることもなくクロードは黙り込む。
「そんな悪いもんでもあらへんやろ? 坊かて、なんやかんや言うても毎年来とるやないか」
ヴィヴィアンはそんなクロードを説き伏せるように言葉を続けた。
その言葉に、ちらりとソニアの方に視線を向けたクロードは、彼女には聞こえないくらいの声で答える。
「今年はこいつがいる」
肩に止まったままのヴィヴィアンにだけ聞こえたその声は、何の話をしているのかとじっとクロードたちの方を見つめるソニアの耳には届かなかった。
飽きずにこちらを見つめる視線にヴィヴィアンの方が気を遣ったのか、思い出したようにソニアに片翼を振る。ヴィヴィアンの仕草に嬉しそうに手を振り返すソニアに、クロードは料理の盛られた器を渡し、机の上の皿に盛り付けるように頼んだ。どうやら注意を逸らしておきたいらしい。
それから一拍おいて、ヴィヴィアンが話を続ける。
「まあ、そう言うやろうとは思たけどなー」
「ギルドマスターにはヴィーから断っておいてくれ」
クロードがそう言うと、ヴィヴィアンは、彼にしては珍しく困ったような顔で答えた。
「それはええけど……断れるかどうかは保証せえへんで?」
“マスターは大勢で飲むの好きやからなあ”と続けるヴィヴィアンに、断れない未来しか頭に浮かばなかったクロードは今日一番の溜め息を吐く。
「おおかみさん、おわったよ?」
「……そうか」
思わず、そう言って近付いて来たソニアの頭を撫でてしまうくらいには、すでにクロードの精神は疲れ切っていた。
――――クロードの言う“アレ”とは彼の所属するギルドのクリスマスパーティー……という名の飲み会のことであり、ヴィヴィアンの言う“招待状”とは、パーティーへの召集令状である。
☆★☆
玄関のドアをノックする音が部屋に響く。座っていた椅子から立ち上がったクロードがドアノブに手を掛ける前に、扉が開いた。
「ギルドマスターからの愛の手紙を届けに来たよ!」
そう言いながら現れたマルセルを見た瞬間、クロードは黙って扉を閉める。扉を閉めれば挟む位置にマルセルの指がかかっていたが、気にしなかった。
「……ちょ、ちょ、ちょーっと待て!!」
「チッ」
さすが相棒と言うべきか、クロードの行動を予測して扉の間に足を挟んで来たマルセルに、クロードは盛大に舌打ちする。仕方ないとばかりに溜め息を一つ漏らし、扉を大きく開けてやった。
マルセルはホッとした様子で一歩踏み出す。
「帰れ」
マルセルが半分ほど身体を滑り込ませたところで、クロードは思い切り扉を閉めた。それはもう、思いっきり。
「……い……っ、いったぁーっっ!!!」
よほど痛かったのか、マルセルの絶叫が暗い森にこだました。
数分後。
なんとか家に入れてもらえたマルセルは、扉に挟まれた肩をソニアに撫でられていた。
「……いたい?」
心配そうに見つめるソニアに、緩んだ表情を隠すことなくマルセルは笑って答える。
「平気平気。いやー、ソニアちゃんに撫でられてると痛みがなくなる気がするね! ……いたっ」
マルセルの前に湯気を立てる淹れたての茶を置いたクロードは、無言でマルセルの頭を軽くはたいた。クロードを見上げ、“てへへ”とごまかすように笑うマルセルに、何となくイラッとしたクロードはもう一度マルセルの頭をはたく。……色々分かっていてやっているマルセルは、もう病気としか言いようがない。もちろん、頭の。
そんな二人のやり取り――いつものことだ――には反応せず、ソニアは自分の前にも置かれたカップを持ち、クロードに礼を言う。
「ありがとう、おおかみさん」
「……ああ」
一瞬、クロードは毒気を抜かれたような顔をした。しかし、すぐにいつもの顰め面に戻る。
無意識なのかもしれないが、渋面を作りつつもソニアの頭を撫でるクロードに、マルセルは内心笑いを噛み殺した。
「で、何の用なんだ、マルセル」
「はぁ……クロードだってわかってるだろうに」
今度はマルセルが溜め息を吐いた。呆れたように言いながら、クロードを警戒するように手で頭を庇う。
“これ以上叩かれたらバカになる”とぼやいたマルセルの言葉を聞いて、ソニアは何となく“そにあはなでてもらってるから、いいこになるのかな”とぼんやり思った。軽く撫でただけですぐに離れていった手を寂しく思いながら、そっと自分の頭に手をやる。
「? どうした、お前は叩かないぞ?」
「っ、……ううん」
何やら勘違いしたらしきクロードの言葉にハッとしたソニアはゆるゆると首を振った。訝しげな顔を向けるクロードの気を逸らすようにマルセルに話しかける。
「まるせるさん、なにもってるの?」
「ん? これ?」
そう言って、マルセルは手に持っていた封筒をヒラヒラと振ってみせた。
「招待状だよ、招待状。今度はヴィヴィじゃなくて俺が持って来たの。説得も兼ねてね」
「帰れ」
後半、クロードの方を見て答えたマルセルは、相棒の心無い一言に苦笑を漏らす。
「俺だって、折角の聖夜にクロードとソニアちゃんを引き離すような真似なんてしたくないよ。でも、ギルドマスターの命令だし、仕方ないだろ?」
「………………」
言い聞かせるようなマルセルの言葉には返答せず、クロードはさらに不機嫌そうな顔になった。
交互に二人を見ていたソニアは、クロードが不機嫌になっているというより困惑しているようだと気づく。……そろそろ、クロードの渋面の見分けが付くようになったらしい。
「あのひと、子どもがいようが、新婚だろうが、親が死にかけてようが、関係ないってひとだからね。ヴィヴィから聞いて俺も口添えしてみたけど“気絶させてでも連れて来い”だって」
そう言いつつ、マルセルは気乗りしなそうに魔法でカップを空中に浮かせる。
中身がこぼれないように絶妙なバランスを保ってくるくると回るカップに、ソニアの視線は釘付けだ。
「殺るか?」
クロードは“気絶させれるものならさせてみろ”とばかりに殺気を噴出させる。……最近とある少女のおかげでまるくなったとはいえ、もともと彼は短気な方だ。
「いや、俺を倒しても他のギルドメンバーが来るし。最終的にはギルドマスターが来るだけだって」
「…………」
クロードの頭に、自宅に次々と押しかけてくるギルドの猛者たちと、高笑いしながらそれを観賞しつつ酒を飲むギルドマスターの姿が浮かぶ。何の根拠もないが、クロードには“あの女なら、やる。絶対やる”という確信があった。
「ほら。とりあえず、ギルドマスターの手紙だけでも読んでよ。俺も命は惜しいしさ」
ピッと紙を弾くようにして渡された封筒を受け取ったクロードは、渋々開封する。
それには、こう書かれていた。
『大人しくギルドのクリスマスパーティーに来るか、酒樽持ったあたしとギルドメンバー全員に押しかけられて強制的に家をパーティー会場にされるか、選べ。返事がなかった場合、後者を選んだものとする』
「………………」
「わー」
後ろから手紙を覗き込んだマルセルが何とも言えない声を出した。無言で手紙を睨むクロードをフォローするように口を開く。
「あー、えーっと。まあ、家でパーティー開かれるくらいなら、大人しく参加した方がいいと思うけど」
「………………」
すこぶる正常なクロードの耳には“大人しく参加した方が身のためだ”と聞こえた。
「ソニアちゃんが寝てからパーティーに行けばいいし、ね?」
基本的にクリスマスパーティーとは名ばかりのギルドマスターの趣味に走った飲み会なので、何時に行ってもいい。ただ、行けば最後、酔っ払いに絡まれて帰って来れないだけである。
パーティー自体は夜通し行われているうえ、まだ幼いソニアの就寝時間は早いので彼女を寝かしつけてからでも十分間に合う。
「……そうするか」
すこぶる正常なマルセルの耳には“そうするしかないよな”と聞こえた。
―――世知辛い雰囲気を漂わせる二人は、この話を聞いているソニアが“ソニアが寝たら行く=ソニアが寝なかったら行かない”という考えに至ったことに気づいていなかった。
☆★☆
クリスマスパーティー当日の夜。今日は世間一般で言うクリスマスイブである。
ある意味、この日にありがちともいえる宣言がクロードの家に響き渡る。
「そにあ、きょうはねない!」
そう大きくはない声だったはずだが、クロードはなぜかその声が室内に反響しているような気がした。
「落ち着け、ソニア。もう子どもは寝る時間だっていつも言ってるだろうが」
理由はわからないが興奮しているらしいソニアに、クロードは少し動揺しつつも早く寝かしつけようと諭す。常ならば残念そうにしながらも大人しくベッドに入るソニアだが、今日は違った。
「やっ! きょうはねないの!!」
ぶんぶんと首を大きく横に振り、数冊の絵本を抱き締める。どうやら、それを読んで夜を明かすつもりらしい。……準備万端な様子にやっぱりソニアは賢いなと思ったクロードは立派な親バカだろう。
「…………」
そんな様子のソニアを見て、ふとクロードの頭にある言葉が浮かんだ。
――クリスマスに寝ようとしない子どもを寝かしつける方法。
少し前、表紙にそう書かれた本が街の本屋に並んでいたような気がする。何気なく手に取ってしまったそれには確かこう書かれていたはず。
「ソニア」
「……っ」
怒られると思っているのか、呼びかけられたソニアは少しびくっとしつつ警戒するような顔でクロードを見上げた。
そんなソニアに、寝かしつけるのは骨が折れそうだと思いながら、クロードは自分の記憶から手繰り寄せた台詞を口にする。
「サンタクロースって知ってるか?」
「…………!」
それを聞いて少しだけ揺れた瞳に、なかなか効果がありそうだとクロードはホッと胸を撫で下ろした。
ソニアは危機的状況に陥っていた。
もちろん、ソニアとてサンタクロースなる者は知っている。……たとえ、ソニアの元に来たことがないとしても。
あっ……まえ、いっかいだけ、きてくれた。
両親と暮らしているとき、クリスマスから日はずれていたが、枕元にくしゃくしゃの包みに入ったお菓子が置かれていたことがあった。あのとき、両親が置いたのかと尋ねたソニアに、二人はサンタクロースが来たんだろうと言っていた気がする。
両親のことを思い出すとき、優しい記憶ばかり思い出すから……困る。
「サンタクロースは夜に寝てる子どもの枕元にプレゼントを置いていくらしいな」
「………………」
しかし、今ソニアを追い詰めているのは優しい思い出ではなく、目の前の青年。
「今日は早く寝ないと……プレゼントをもらえないんじゃないか?」
――早く寝ないと、サンタさん来ないわよ。
クロードに買ってもらった絵本に出てくる母親が、そんなことを言っていた。ソニアと同様に“今日は寝ない”と宣言した少年(彼の理由はサンタクロースに会うためだったが)は、結局、母親の言うことを聞いて眠ったはず。朝起きてプレゼントを見つけた少年の嬉しそうな顔に、絵本を読んでいたソニアまで嬉しくなったほどだ。
「……やだ」
「じゃあ、早く寝ろ」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
嫌だと答えたものの動こうとしないソニアとそれをじっと見つめるクロード、二人の間に沈黙が流れる。
意外にも、沈黙を破ったのはソニアの方だった。
「……じゃあ、ぷれぜんといらないもん」
サンタクロースは“いい子”にしか来ないもの。元よりソニアに来るはずもない。
“さんたさんなんて、こなくていいもん”とプイッと横を向いたソニアに、クロードの困惑する気配が伝わる。
やっぱり、もうねたほうがいいのかな。
クロードに家にいてほしいけれど、彼を困らせたいわけではない。むしろ、こんな我儘を言ってクロードを怒らせないか……嫌われてしまうのではないかと心配だ。
「………………」
ちらりとうかがった顔には、ソニアに対する怒りも嫌悪もない。何やら考え込んでいる様子のクロードに、罪悪感からか胸がツキリと痛んだ。
その罪悪感が、クロードを困らせていることに対するものなのか、こんな日々に幸せを感じていることに対するものなのか、ソニアにはわからない。
ただ……。
はやくむかえにきて。
早く迎えに来てほしいと思った。早く、ソニアが帰りたくないと思う前に。
「ソニア」
クロードの声で現実に引き戻される。
「あー、なんだ」
言いたいことをはっきり言うクロードにしては珍しく、言い辛そうに視線を逸らしながら言葉を続けた。
「たまには……絵本、読んでやろうか?」
「うん!」
勢いよく返事をしてしまってからハッとするが、魅惑的な誘いを断るという選択肢はソニアのなかにない。それでも一瞬だけ悩んだが、先に寝台に入ったクロードが“さっさと来い”と自分の隣を叩くのを見て、もうどうでもいいかと悩みを放り投げた。
どれだけ頑固でも、所詮ソニアはまだ子ども。大好きなひとの添い寝と朗読の誘いに、敵うわけがないのだ。
「よんで、よんで!」
「はいはい」
お気に入りの一冊を渡して、ソニアもクロードの隣に横になる。
よんでもらっても、ねなかったらだいじょうぶ。
そんな決意など、眠気の前では何の役にも立たないとソニアが悟るのにそう時間はかからなかった。
「行って来る」
寝入ってしまったソニアを起こさないよう、小さな声でそう呟いたクロードは、“例の場所”を一瞥してこの場を後にする。
そして、珍しく家に入って来ず、外で待っていたらしいマルセルに手を上げて応え、すでに酒の匂いしかしないであろうギルドへと向かった。
☆★☆
「さっさと帰りたい」
「あの、クロード? まだ着いてもないんだけどなー」
「さっさと帰りたい」
「………………」
――――クロードのその願いが叶うかどうかは、パーティー主催者であるギルドマスターの胸三寸だったりする。