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日々のこぼれ話⑤「弱くて情けない、憧れの」

 かなり前にリクエストをいただいた(ような気がする)クロードの過去話です。

 本編には関係ないので読まなくても大丈夫ですが、読んでいるとクロード視点のときいろいろわかりやすいかも。

 ひとが死んだりするので苦手な方はご注意ください。←雑


 真っ赤に染まった視界。

 おぞましい魔物の咆哮(ほうこう)が耳を打つ。

 絶望的な状況のなかで手にした黒い剣だけが少年の希望を繋いでいた。


 いつか見た光景。いつも見る悪夢――そう、これは夢だ。

 あまりに慣れすぎて最早うなされることもない、過去の夢。


 何に怒りをぶつけていいかもわからない。どれだけ後悔しても時を遡ることなんてできなくて――母を友を(みんな)を、そしてあのひと(・・・・)を救えなかった無力な子どもを夢に見る。


 目を逸らすなと、あの日の怒りを思い出せと叫ぶ子ども。それが自分自身だと、何よりも許せないのが自分自身なのだとわかっている。

 いっそ過去を変えられたらと夢のなかで夢想して、目覚めれば何一つ変わらない現実に戻る。


 深く、深く、真っ暗な闇に落ちていく感覚。

 伸ばした手は空を切る。


 そのまま、クロードの意識はもっと深いところへと落ちていった。

 ――後悔と絶望に塗れた“あの日”を繰り返すために。



   ◇◇◇



 クロード・ルーガルーは辺境の小さな村に生まれた。


 村の名前はラージュ。

 ひっそりと身を隠すように森の奥に位置するその村は、貧しい村ながらも魔剣グラムの守り手として何百年も前から存在していた。魔剣が世界を滅ぼさないように、悪意あるものに魔剣を渡さないように。嘘か真かはわからないが、村で生まれ育った子どもは皆この村の成り立ちについてそう聞かされている。


 クロードもそんな子どもの一人だったが、彼の場合は少し事情が違う。彼の生家であるルーガルー家がラージュ村でも特殊な立場だったからだ。村の長ではない。けれど、それよりも尊敬され、守られる身分だった。

 ルーガルー家には魔剣を封じる力を持つ者――巫女が生まれる。それはルーガルーに聖女の血が流れているからだと伝えられているが、巫女たち自身にも真偽のほどはわからない。ただ、彼女たちが世界に十二振りしかない魔剣の一つを代々受け継ぎ、その所有者が現れるまで封じているのは確かだった。


 クロードの母親は当代の巫女だ。

 もう何十代目かわからない、気が遠くなるほど古くから脈々と魔剣を受け継いできた最後の一人。

 早くに夫を亡くし、子どもは息子のクロードだけだった。男のクロードは魔剣を封じる力を持たないので、次代の巫女は彼女の妹かその娘になるだろう。妹は力が弱く、その娘はまだ力の発現が見られない。それがクロードの母をはじめとした村の大人たちの頭を悩ませている事柄の一つだった。


 次代の巫女のこと、村の周囲をうろつく魔物のこと、村を出たがる若者が多いこと――悩みは尽きない。けれど、それでも村人たちはそれなりに平穏な日々を過ごしていた。


 何がきっかけでそれが壊れてしまったのかと言われれば、きっと一人の旅人が村に迷い込んだことからすべてが始まったのだろう。




 ラウル・フロケ。

 そう名乗った男はクラルティ王国の元騎士だった。


「こんなところに村が……魔の森の奥に人が住んでいるなんて思ってもみなかったよ」


 この村に迷い込んだ者が選べる道は二つ。魔術で村に関する記憶を消されて外に放り出されるか、村の一員となりここに住みつくか。ラウルが選んだのは後者だった。


 村の一員となることを選んだ理由をラウル自身は“帰るためとはいえ、もう一度魔の森を一人で抜けなきゃいけないなんてぞっとしないからね”と言っていたが、王都にいた頃に何かあったのだろうということは容易に想像がつく。

 魔の森に入ってこようなんて人間はたいていが自殺志願者だ。自殺志願とまではいかなくとも己の命を諦めている者が多い。だが、そうと知っていても誰もラウルの口から真実を聞き出そうとはしなかった。訳ありの人間なんて他にもいるし、第一、魔剣を擁しているラージュ村自体が訳ありだ。


 村長を中心とした村の大人たちは村に来て早々の余所者に村の秘密を教える気はなかった。村に住む以上、いつかどこかで知ることになるだろうが自ら言い触らすものでもない――と、そう考えていた。

 その選択が正しかったのか、間違っていたのか、きっと答えは出ないだろう。



   ◇◇◇



 ラウルがこの村に訪れてから二年以上の時が流れた。


 ラージュ村の子どもたちは物心ついたときから剣を握る。ラージュ村は魔剣があること以外は他の村となんら変わりない村だが、魔の森の奥深くに位置するせいで魔物の被害が多い。また、村人たちが生きていくうえで必要な森の恵みを得るためにも魔物を退ける能力は必須だった。


 そのため、ラウルの存在はおおむね歓迎されている。元とはいえ正規の訓練を受けた騎士がいるのは心強いものだからだ。

 ラウルの剣の技量はBランクやCランクの魔物を独力で倒すには足りないが、大型の魔物の襲撃なんて滅多にない。小さな村一つ守るには十分だし、何より彼は教えるのが上手かった。




 足場の悪さに体勢を崩した隙を見逃さず、クロードは剣に見立てた木の棒を振るい、相手の獲物を弾き飛ばした。その勢いに飲まれたようにラウルが一歩後退ったのを見て、止めを刺すかのようにクロードはラウルの首元に(きのぼう)を突き立てる。本気で突かれると思ったのか、それを避けようとしたラウルは体勢を立て直せず尻もちをついた。相変わらず鈍臭い。


「っし、三連勝!」


 鈍臭い剣の師匠を前にクロードはガッツポーズをとる。満面の笑みだった。

 村でも少年たちのリーダー格でクールぶっている彼の笑顔はなかなかお目にかかれない。ラウルの前では勝って喜んだり負けて悔しがったりとわりと素直に感情を表出しているのだが、そのことに自覚はなかった。


「それじゃあ俺は三連敗か。元騎士のプライドが傷つくよ」


 自分の子どものような年齢の少年に負かされたラウルはその温和そうな顔に苦笑を浮かべながら身を起こそうとする。すると、それに手を貸すようにクロードが手を差し伸べてきた。

 剣術は天才的でも彼は子ども。ラウルが力を込めればふらついてしまうだろう。手を借りなくても良かったのだが、断れば今は上機嫌のこの少年の機嫌を損ねてしまうことは目に見えている。そう考え、ラウルは大人しく少年の手をとった。


 クロードも優しくなったなあ。まあ、今までが俺みたいな余所者に慣れてなかっただけかもしれないけど。


 負けたことを悔しく思うより、はじめは敵愾心剥き出しだった少年の態度が変わったことをラウルは感慨深く思う。クロードが口に出さなくても、ラウルを慕ってくれていることには気づいていた。


 クロードは……ラウルの教え子は、剣に関して天性の才能を持っている。


 元騎士だなんて名ばかりで、ラウルはたいした実力を持たない剣士だ。この三年で弟子に越えられてしまった情けない師を、それでも教え子は慕ってくれる。

 それが、そのことが――どうしてか苦しい。嬉しいはずなのに、クロードを教え子として己の子どものように思っているのに。


 以前はラウルが上だった。

 だから、負けて悔しがるクロードを宥めて、自分が知っているすべてを教えた。それで良かった。覚えのいい教え子にラウルも満足していた。


 けれど、いつからだろう。クロードに勝てなくなったのは。……いや、まだ勝てる。まだ勝てるときがある。けれど、それもあと少しの間だけだろう。クロードについていけないのはラウルの方だ。きっといつか近いうちに大人(ラウル)少年(クロード)に敵わなくなる。

 驚異的な速度で成長していくクロードに対して、ラウルはもう衰えていくだけだ。今はまだ勝っている体力も腕力も軽々と追い越されてしまう。


 あと一年もしたら……いや、もしかしたらもうすでにクロードの方が上なのかもしれない。天才の教え子はすでに凡人のラウルには手が届かない遥か高みにいるのかもしれない。

 クロードは天才だ。それはわかっている。わかってはいるが、間近でそれを見せつけられるのは辛い。辛くて、苦しくて、ほの暗い感情が湧いてきて心の底にとぐろを巻く。


 なんて愚かな男だろう。

 子どもに嫉妬する己の小ささに嗤ってしまいそうになりながら、ラウルは考えを振り払った。


「なあ、ラウル」


 タイミングよく声がかかる。ラウルが考え込んでいる間に一人で片づけを終えてしまったらしい。

 打ち合いに使っていた二本の木の棒は村の少年たち曰く“なんかいい感じの棒”入れに収まっている。木の棒だの形のいい石だのを集めている村の子どもたちを見て“田舎だなあ”と思ってしまうのはラウルが王都育ちだからだろうか。


「ぼうっとしてて悪かったね」


 呼びかけとともに投げ渡された布で汗を拭いながら、片づけを手伝わなかったことを謝った。


「でもクロード、大人を呼び捨てにするのはいけないって何度も……」

「母さんと結婚すんの?」


 何度も繰り返した説教を遮って、クロードが尋ねる。

 “なんでそのことを”とラウルがぎょっとすると彼は“やっぱり”と呟いた。どうやらカマをかけられたらしい。


「なんだ、クラリスが何か言ったわけじゃないのか……」


 クラリスとはクロードの母親の名前だ。

 魔物の襲撃によって夫を早くに亡くし、現在は一人息子のクロードと慎ましく暮らしている。この村のなかでは村長に次ぐ発言力を持っている不思議な女性だが、正直に言って余所者のラウルにはなぜ彼女が尊ばれているのかわからない。女手ひとつで息子を育てている尊敬に値すべき女性ではあるが、村内での権力とは無縁そうなのに。もしや村長の親類か何かなのだろうか。だが、それにしては……。


「母さんはそういう話を俺にしない。……ガキに話すことじゃないんだろ」


 フンと鼻を鳴らすクロードの横顔は少し悔しそうだった。拗ねているようにも見えるが、母親に頼られないことを歯がゆく思っているのだろう。


 生い立ちのせいか、クロードは歳のわりにしっかりしている。

 ラウルの知るこのくらいの年頃の子どもはもっと自由に駆け回っているものだが、彼は父親の代わりに母親を支えようと懸命だ。年下の子の面倒もよく見ているし、村の仕事も文句一つなくこなしていた。また、母親や村のみんなを守るために強くなりたいと、ラウルと知り合う前から剣術に打ち込んでいたらしい。


 “もっと強くなりたい。早く大人になりたい”と誰にも言ったことがないという本音をラウルにだけ語ってくれたのは、ラウルが村の外から来た人間だからか。それとも、生まれる前に亡くなったという父親の代わりを求めているのか。

 どちらにせよ、クロードが母親や他の村の大人たちに相談したくなかった理由はわからなくもない。ラージュ村の人間は大人も子どももクロードにとって守るべきものだから弱音は吐きたくないのだろう。


「クロードは俺が父親になるのは嫌かい?」

「別に。母さんが決めることだろ」

「君が嫌だって言えば俺はクラリスに振られると思うけどね」


 実際、求婚に色よい返事はもらえていない。

 情けない顔でおどけたようにそう言うと、思わずといったようにクロードが噴き出した。母親に素気なくされるラウル、という図が容易に想像できたのだろう。

 しばらく笑った後、クロードは少し躊躇いながら口を開く。


「うちには――魔剣のこととか色々あるし、母さんの一存じゃ決められないから仕方ねえよ」


 クロードにしてみれば、それは母親と付き合っている男を慰めるための一言だったのだろう。ラウルを好ましく思っているからこそ、母親の相手として認め、心を許しているからこそ出た言葉。ラウルを父にと望む気持ちすらあったかもしれない。

 だが、ラウル思考はたった一つの言葉に支配された。


 魔剣?


「魔剣、だって?」


 思ったことがそのまま口から飛び出す。そのときのラウルの心にあったのは未知のものへの好奇心と……醜い欲。

 ラウルにとって魔剣や聖剣なんて伝説上のものでしかなかった。剣聖と呼ばれる人物や高ランクの冒険者が所持しているという噂は聞いていたが、本当かどうかなんてわからない。むしろ、強いから、実力があるからそういう噂が立ったのだろうと思っていた。

 でも、もしも。もしも、それが逆だったら――?


 魔剣があったら。

 魔剣を得られたら。

 そうすれば自分は強くなれる。クロードに越えられるなんて恐れを抱くことなく、彼の憧れのままでいられる。


 その考えは、今のラウルにとって抗いがたいほど魅力的だった。魔剣という存在にどうしようもなく惹かれる。……それこそが魔剣の力なのかもしれない。

 ラウルの冷静な部分は警告を発していた。けれど、それに従うことなくラウルは禁忌に触れる。


「クロード。その話、詳しく聞かせてくれないかな」


 口を滑らせたと渋面を作るクロードを説き伏せ、ラウルは魔剣グラムの在り処を知った。



 ――このときラウルに魔剣のことを話してしまったことをクロードは今でも後悔している。



   ◇◇◇



 凛として美しい妻と生意気だが可愛い息子。

 魔剣という最強の力。


 愚かな男は手に入るはずの幸せ(かぞく)より、手に入るかもしれない(まけん)を欲した。


 最強になりたかったわけじゃない。ただ、越えられたくなかった。愛しい人々の笑顔より、己のちっぽけなプライドを守りたかった。

 自分を見上げる少年の瞳から憧憬の色が消えるのが怖かった。彼女に、彼に、誇れる男でありたかった。

 正しいことじゃないのはわかっていた。間違っていると知っていた。

 けれど、それでも――自分にはない“強さ”が欲しくて、目の前の力に手を伸ばさずにはいられなかった。


 力を渇望するあまりに欲に堕ち、弱いまま死んでいく。自分にはお似合いの最期だとひとり嗤った。


「ラウルっ!!」


 あの子の声が聞こえる。

 生意気だけど可愛い教え子。息子のように思っていた。彼女と彼と、あの二人と家族になれたらどれだけ良かっただろう。努力家で、強くて、誇り高くて――憧れていたのは自分の方だった。


「クロード、君もいつか知るよ。君は俺より強いけど……強いからこそ、越えられることを恐れる日が来る」


 裏切りに傷ついた少年に向けたのは呪いの言葉。自分で言っていて笑えてくる。

 ラウルとクロードは違う。クロードに、ラウルが恐れた日はやって来ない。でも、それでいい。そうであってほしい。ラウルの真意に気づかないで、気づかないままでいてほしい。


 俺みたいにならないでくれ。

 俺が憧れた君のままでいてくれ。


 この村が好きだった。クラリスとクロードを愛していた。


 ごめん。ごめん。ごめん。

 ごめん……弱くて、情けない師匠でごめん。


 ああ――ごめんなんて、許してくれなんて、君たちからすべてを奪っておいてどの面を下げて言える?


「っ、死ぬなよ! 許してなんてやらないから死ぬな!!」


 こんなときでもクロードは無茶ばかりだ。魔剣に拒絶されて死にかけてるのに“死ぬな”なんて。


「悪いと思ってんなら、生きて償えよ……俺を置いて逝かないでくれ」


 君はいつでも正しい。

 だから、正しい道だけを進んでくれ。


「俺が言えた義理じゃないけど……クラリスを頼むよ、クロード」


 ラウルがそう言うとクロードの顔が泣きそうに歪んだ。“母さんは……”と、漏れた言葉に彼女がどうなったのかを悟る。

 魔剣を暴走させたのだ。魔剣の守り手だったクラリスに影響がないわけがないのに、思い至らなかった自分はずいぶんと察しが悪いらしい。流れる血と一緒に思考能力も抜け落ちてしまったのかもしれない。


「俺に頼むなよ! 幸せにするって言っただろ! ラウルがいなくて、母さんはどうすんだよ!?」


 優しい子だ。死にゆくラウルにクラリスの死を伝えることはしたくないのだろう。


「俺の父さんになるんだろ……?」


 呟くような声でクロードに“父さん”と呼ばれた気がした。

 最低な自分には過ぎるくらいの出来た息子にすべてを託して目を瞑る。魔物の咆哮が遠くに聞こえた。マンティコアなんて、大物が来たものだ。けれど、クロードなら倒してみせるだろう。


 ラウルの瞼の裏には黒い光を放つ魔剣を手にした少年(クロード)が焼き付いている。

 クロードなら扱えるんじゃないかとは思ったが、実際にその通りだったなんて。妬む気持ちすらもう起きない。


 もう一度、目を開いてクロードの顔をよく見ておきたかった。一目でいいから、できることならクラリスの姿も。

 ラウルは地獄に行くだろうから、クラリスともクロードともこれでお別れだ。最期に一目、そう思うのに身体は思うように動かない。それでも、悪い気分ではなかった。村を滅ぼした自分が迎えるには悪くない最期だ。穏やかすぎて申し訳ないくらい。


 次第に身体の感覚がなくなってきて、“ああ、死ぬのだ”とそう思った。やっと死ねるのだと。


 意識が闇に沈んでいく。

 深く、深く、真っ暗な闇に落ちていく感覚――それは夢を見るのに似ている。



 そうして、ラウル・フロケは息を引き取った。

 彼の息子が建てた墓には、彼の名は妻の名前の隣に“ラウル・ルーガルー”と刻まれている。






 実は本編こぼれ話「狼と怖い夢」に繋がっていたり。

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