完結記念小話⑦「あなたとの距離は」
《 補足 》
とうとうソニアも十五歳。高等部の入学式です。
※作中に出てくるスリジエという花は日本でいう桜のことだと思ってください。入学式と言えばやっぱり桜ですよね。
クロードが帰ってきた。
でも、まだソニアは彼に会えていない。
おかえりなさいって一番に言いたかったのにな。
クロードが甘やかすから、ソニアはすっかり我儘になってしまった。幼かった頃からは考えられないくらい。それなのに、今、ソニアの傍に自分を一番に甘やかしてくれるひとはいない。
「我儘くらい言えって言ったくせに」
校門前に立ってからずいぶん経つが、クロードらしき影は見えない。
この前の手紙に書いた高等部の入学式に来てほしいという我儘は叶えられなかったようだ。
駄目だなあ。クロードさんは忙しいってわかってるのに。
クロードは一週間くらい前にこの国に帰って来ていた。
けれど、他国同士の戦争と言えど大きな功績をあげた騎士団副団長を国は放っておいてはくれなくて、クロードは向こうにいるときよりも忙しいかもしれない日々を送っているらしい――これは、クロードの部下の人が教えてくれた話。一刻も早く会いたくて、帰ってきたという知らせと共に騎士団に駆け込んだソニアに申し訳なさそうに教えてくれた。
ソニアにはやっと帰ってきたクロードがひどく遠いひとのように思える。
近くいるのに、不思議なくらい遠く感じるのだ。自分と全然違う場所に立っているような、世界さえも違ってしまったような、そんな思いをクロードに抱いている。
凱旋の際、帰ってきた騎士たちを見ようとすごい人出だったけれど、クロードの姿を遠目に一目見ることくらいはできた。元気そうな姿にホッとして、でも最後まで自分に向けられなかった視線が残念で。
知らない人々に囲まれて知らないひとみたいだった。よく知っているはずのひとなのに、ソニアにとって何より大切なひとなのに。
クロードさんって人気あるんだ。……そうだよね。騎士団の副団長だし、格好いいし。
あのとき、クロードの名を呼ぶ女性がたくさんいた。もちろん、男性にもいたが、彼女たちとはクロードに向けている感情が違うだろう。とくに目を輝かせていた少年たちなどは剣士としてのクロードに対する憧れが顕著で微笑ましかったくらいだ。知り合いのお婆さんが頼りになると言っていたのは誇らしかったのに、ソニアと同じくらいや少し年上くらいの女性たちの歓声にはなぜだかそう思えない。
クロードが多くの人に好かれている姿は誇らしいもののはずなのに、全然そんなことはなくて。
……なんか、もやもやする。
「ソニア!」
入学式の日にそんなことを考えながら俯いていたソニアに、後ろから声がかかった。
それは待ち望んだ低い声ではなく女性のもの。けれど、よく知る相手の声だ。
「入学おめでとう……って、なんでそんな暗い顔してるのよ」
「ロザリー」
お祝いの言葉と共に花束を差し出してきたのはロザリー・フィリドール。ソニアの一つ年上の友人だ。
花束を受け取ってお礼を言う。ロザリーが選んだのだろう華やかな配色の花束は入学式という日に相応しいものだったが、ソニアの落ち込んだ心を浮上させてはくれなかった。
こんなんじゃ、駄目なのに。
折角の晴れの日に落ち込んでいるわけにはいかないし、花を贈ってくれたロザリーにも失礼だ。そう思うのに、その晴れの日にクロードの姿がないと思うだけで気分が沈む。
「また私の後輩になれたんだからもっと嬉しそうな顔しなさいよね。入学式にそんな辛気臭い顔してるのなんて、きっとあなたくらいよ?」
「そう、かな。……そんなにひどい顔してた?」
あんまり暗い表情をしないように気をつけていたのだが、効果はなかったらしい。
思わず頬に手を当てた。鏡がないので自分ではわからないが、ひどく落ち込んだ顔をしていたようだ。
「ええ。今もまだちょっと暗いわね……私がわざわざお祝い言いに来てあげたんだから、無理にでも笑いなさいよ」
有言実行とばかりにロザリーにぎゅむっと両頬を左右に引っ張られる。
地味に痛い。それに、これでは笑顔というより変な顔だ。
「ちょ……っ、ひっはらないれ」
「あら、ちょっとはマシになったんじゃない? 」
ロザリーは抗議するとすぐに手を離してくれた。
「そのまま笑ってなさいよ、その方が可愛いわ」
「ロザリー……」
そう言われても、沈んだ気分のまま笑うのは難しい。
それでも、優しい友人に大丈夫だと伝えるために頑張って微笑みかけてみせるが、上手く笑えている自信はなかった。ソニアの嘘の笑顔にごまかされてくれるひとはソニアの友人にはいない。それは嬉しいことだけれど、困ることも多い。今、このときのように。
ソニアが落ち込んでいる理由を知っているロザリーにしてみれば、そんなソニアの態度がもどかしかったのだろう。少しムッとしたような表情で先程より少し大きな声をあげる。
「あの男が来なかったくらいなんだっていうの! 来れなくて残念だったと思わせてやるくらい、楽しそうにしてなさい。だいたい、あんな男……っ」
ロザリーの言葉が不自然に途切れた。
目を見開いてソニアの後ろを見ているロザリーにつられるように、ソニアも背後に首を回す。
「――ソニア」
ざあっと風が吹いた。
スリジエの花弁がその黒を覆い隠すように舞う。
「…………クロードさん?」
夢を見ているのかと思った。あまりに彼のことばかり考えているから、夢の世界に迷い込んでしまったのかと。
言いたいことはいっぱいあるはずなのにソニアは言葉が出なくて、クロードも黙っていたから、二人はしばらくお互いに見つめ合ったままだった。時が止まったようにも感じる沈黙のなかを風に煽られたピンクの花弁だけが動いている。
その長くも短くも感じる沈黙に終止符を打ったのは蚊帳の外にいたロザリーだった。
「なんだ、結局来たんじゃない。来るなら来るって言いなさいよね」
なぜかロザリーはクロードに厳しい。それは子どもの頃から変わらなかった。
「ソニア。ちょっと癪にさわるけど……お互いに言いたいこともあるだろうし、私は向こうに行ってるわ」
ロザリーはソニアに向き直ってそう言ってから、クロードに向かってフンッと鼻を鳴らして去っていく。
その態度に一瞬だけクロードも眉間に皺を寄せたが、すぐに柔らかい表情をソニアに向けた。
とくり、とソニアの胸が鳴る。くすぐったいような、少し恥ずかしいような、そんな気分には覚えがあって、でもこの感情をソニアはまだ知らない――知ろうともしなかった。このときはまだ。
「あー、遅くなって悪かったな」
入学式に遅れたことを気にしているのだろう。クロードはきまり悪げだ。
「ううん、来てくれて嬉しい」
言いながら、心の底からの笑顔を向ける。
来てくれたこと以上に会えたことが嬉しい。ずっと、ずっと会いたかったとそう言いたかったのに、なぜか言葉にはならなかった。
「ソニア」
「クロードさん」
声が重なる。
話すには少し遠いソニアとクロードの距離。それに気づいたのはソニアが先で、それを詰めたのはクロードだった。
クロードがソニアの方に歩み寄る。
「……っ」
なぜか、なぜか一瞬後ろに下がりたいと思ってしまった。クロードが近づいたぶんだけ。
距離が近いような気がしたのかもしれない。でも、面と向かって話すのにおかしいような距離ではなくて。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、遠く感じる。
彼を遠くに感じることを寂しく思うのに、近づかれることを恐れている。
目の前にいるのに、遠いのか近いのかそれさえもわからない。
わたしとクロードさんって、どれくらいの距離だった? ……わからない。
それは話す距離ではなくて、ひととひととの距離感。
手を伸ばしても良かっただろうか。おかえりなさいと、会いたかったと言って抱きよって良かっただろうか。……それを不快に思われない距離だった?
どんなふうにクロードと話していたのか、それすらもあやふやで。
「えっと、お久しぶりです」
「なんで敬語なんだよ……っと」
つい敬語になってしまったソニアにクロードが呆れた顔をした。距離感を掴めずに戸惑っているのはソニアだけのようだ。
忘れていたと言うように、少し照れくさそうにしながらクロードが告げる。
「ただいま、ソニア」
その言葉が、その姿が、懐かしい記憶に重なった。
でも、ソニアは臆病だから。
「うん、おかえりなさい……クロードさん」
――おかえりなさい、おおかみさん。
ずっと告げようと思っていた言葉は紡がれることなくその胸に秘められ、ソニアの中で小さなしこりとなって残った。
完結記念小話はここで終了です。ここから先の二人は第二部で……書けるといいな。
※この下は作者の戯言です。いつもより書いていることがアレなので、不安なひとは読まないように!
この話を読み返したときに思ったんですが……これって乙女ゲームでいうとすごい大事な分岐点だなって。どこがかっていうと、「うん、おかえりなさい……クロードさん」っていうソニアの台詞辺りですかね。ここでソニアがクロードを何て呼ぶかが重要な分岐になります。
↓乙女ゲーだとこんな感じ。
クロード「ただいま、ソニア」
なんて返そう?
→「おかえりなさい……クロードさん」
「おかえりなさい、おおかみさん!」
上を選ぶと恋愛ルートに、下を選ぶと保護者ルートに進みます。きっと、二週目からしか出ない選択肢。
……乙女ゲーやったことのある人にしかわからないネタですみません。いや、ノベルゲー経験者でもかろうじてわかるかも。