完結記念小話③「冬の夜は温かく」
《 補足 》
ソニアは十一歳、初等部三年の冬のある日の話。ちなみに、クロードは二十三歳。
初等部二年で九歳なんだから三年だったら十歳じゃないかと疑問に思うかもしれませんが、ただ単に誕生日の問題です。キャラクターの歳とか時間経過を考えるのが大変なので、あまり深く気にせず読んでください。作者は深く考えていません!
※冬の月=一月のことです。
※作中に登場する魔物の名前は作者の創作です。変な名前だと思っても気にしないでください。
冬の月の十二日。
その日は、ソニアにとってもクロードにとっても特別な日だった。
今日は休みだったはずのクロードが突然の呼び出しを受け、邸を出ていってから早数時間。
ソニアは不貞腐れたようにソファの上で丸まっていた。常ならば行儀が悪いと注意するナタリーも今日ばかりは何も言わない。
そこへ、騎士団に確認を取ってくると言って出ていたモルガンが戻ってくる。
「おおかみさん、帰れないって……?」
むくりと身を起こして尋ねた。震える声は今にも泣き出しそうだと自分でも思う。
ソニアの声を聞いたモルガンとナタリーは揃って困った顔をした。
二人は厳しいところもあるけれど優しい、互いによく似た夫婦だ。ロラやティモテのように話しやすいわけではないが、ソニアにとっては父と母のような存在だった。そんな二人を困らせていることに申し訳なさを感じずにはいられなくて。けれど、どうしようもないのだ。きっとこの悲しい気持ちはクロードが帰るまで消えないだろうから。
「どうも旦那様の対処を必要とすることがあったらしく、まだ帰れそうにないとのことです。お嬢様のことをお伝えしたかったのですが、旦那様は騎士団にはいらっしゃらなかったようでお会いできませんでした。対応してくださった騎士によれば……帰るのは遅くなるだろう、と」
モルガンの丁寧な説明もほとんど耳に入らなくて。
おおかみさんは帰ってこない。
ぼんやりと頭に浮かぶのはそんなこと。
またソファに横になって丸まって、頭まで毛布をかぶる。身体は十分に温まっているのに、心がひどく寒かった。
「お嬢様、今日はもうお休みになられた方が……」
ナタリーの言葉に首を振る。
「おおかみさんが帰ってくるまで待ってる。……帰ってくるって、誕生日のお祝いしてくれるって言ってたもん」
なんて子どもっぽいんだろう。
なんて我儘なんだろう。
大人は仕事なんだから仕方ないのだ。子どもは早く寝て明日にでも祝ってもらえばいいじゃないかと、ソニアのなかのソニアが言う。
でも、そうじゃないの。明日じゃ駄目なの。
だって今日は、ソニアの誕生日で――クロードの誕生日だから。
世界で一番大切で、一番に祝いたいひとの誕生日だから、どんなに夜が深くなってもクロードが帰ってくるまでソニアは起きていたかった。
誰より先に“おめでとう”を言うために。
それなのに、瞼はどんどん重くなっていく。
眠るまいとすればするほど、現実から意識は遠のいて。
夢と現の狭間で、ソニアは“誕生日を決めた日”のことを思い返していた。
◇◇◇
ソニアは誕生日がわからない子どもだった。
父親に聞いてもわからないと言うし、クロードがたまたま見つけたらしい母親に聞いても結局覚えていなかった。
誕生日。生まれた日を家族や友達に祝ってもらえる日。そんな日があることくらいはソニアも知っていた。けれど、自分にもそれがあるなんて思っていなかったし、祝ってもらおうなんて考えたことすらなかった。ただただ、誕生日を祝ってもらっている子が羨ましくて、それを外からそっと覗いているだけの自分が悲しかった。
――だから、嬉しくて仕方なかったのだ。
「ソニア、誕生日はいつがいい?」
クロードがそう聞いてくれたことが。
「いつでもいいの?」
「ああ。本当は生まれた日がわかるのが一番なんだろうけどな」
「はるでも、なつでも、あきでも?」
「ああ。ソニアの好きな日でいい。ソニアの好きな日に、誕生日を祝ってやる。何なら月に一回でも、毎日でも祝ってやるよ」
さすがにその言葉は冗談だとわかったが、毎日が誕生日なんて贅沢すぎるとソニアは首を振った。ソニアが生まれたことをクロードが祝ってくれるなら一生に一回でも十分すぎる。
拙い言葉でそう言ったら“お前はもっと欲張りになれ”と軽く頬を引っ張られた。……欲張りになるのは、我儘になるのはまだ怖い。
「ふゆでも、いい?」
悩んで悩んで出た言葉はそれ。
「冬? 冬の月か?」
「うん」
はじめは、クロードと出会った日にしようかとも思った。けれど、クロードに拾われた日は、両親に捨てられた日で。幸せの始まりでもあるけれど、悲しい日でもあったからその日にするのは止めた。
特別で、でもただ楽しい気持ちだけを持てる日。それこそ、生まれてきたことを祝ってもらうのに相応しい日だ。
そう考えたら、答えは一つだった。
「おおかみさんと、おなじひがいい」
冬の月の十二日。
それはクロードが生まれた日。クロードにとって特別な日。それがソニアも一緒だったら、どれだけ幸せだろうとそう思ったのだ。
性別も年齢も生まれも違って、同じ日に生まれたわけでもない。
でも、誕生日が一緒なら少しだけ同じになれる。ソニア自身は何も変わらないけれど、なんだかクロードに近づいた気がする。
「じゃあ、毎年、俺の誕生日と一緒に祝うか――ソニア、今日からお前の誕生日は冬の月の十二日だ」
その日から、ソニアの誕生日はクロードと同じ日になった。
それがどれだけ嬉しかったかなんて、きっとソニアにしかわからない。
その年の冬、初めてソニアは誕生日を祝ってもらった。
クロードから貰った髪飾りも、マルセルから貰った靴も、ロザリーから貰ったお揃いの手袋も、全部全部嬉しかったけれど、少しだけ照れながらもクロードが言ってくれた“生まれてきてくれてありがとう”の言葉が何より嬉しかった――みんなが祝ってくれたから、生まれて初めてソニアは生まれてきて良かったと思えた。
◇◇◇
クロードは心の中でひたすらに敬愛すべき王族であり尊敬すべき上司であるフェリクスを呪っていた。……まあ、クロードがフェリクスに対して敬愛や尊敬なんて感情を抱いたことは一度もないのだが。
今日は非番だってのに!
「――チッ」
内心で毒吐くのと同時に、思わず舌打ちが漏れた。
それが傍にいた部下の一人の耳に届いたらしく彼の肩が大きくはねる。
びくつくのは疾しいところがある証拠……と言うと大層だが、上への報告が遅れたせいで問題が大きくなったことも、非番のはずのクロードを含む第十三隊全員がまだ問題の対処に追われている原因になったのが自分だという自覚はあるのだろう。彼は、クロードが隊長を務める隊の中でも一番の新人だ。つまりは下っ端。クロードとしては、今回の問題を彼だけのせいにするつもりはないし、現にクロードが強く叱責したのは彼の教育担当の騎士なのだが。
「ほ、本当にすみません、隊長」
「お前に苛ついてるわけじゃない。で、問題の方は今どうなってる?」
今、騎士団を騒がせている問題。
それは、魔術組織である導の塔が管理していた研究対象が逃げ出したというものだった。これがネズミやウサギなどの実験体だったなら、ここまで話は大きくならなかっただろう。たとえ、脱走した数が多かったとしてもきっと休みのクロードまで駆り出されることはなかった。
だが、件の生物はネズミだのウサギだのそんな生易しいものではない。本来なら研究対象としてでも塔で管理することは許されない――危険度Aランクに分類される魔物だ。
「カマルレオパールは夜行性ですから、動きが見られるとしたらこれからだろうと……その、塔の魔導師たちが」
部下がちらりと向けた視線の先には、魔導師と思わしき濃い色のローブをまとった数人の男たち。知識のある者がいれば捕獲の際に役に立つということだが、データを取りにきたというのが見え見えだった。これだから研究者というのは性質が悪い。
クロードの苛立ちの原因を挙げるとしたら間違いなく彼らだ。それに何より、Aランクの魔物を逃がしておいて、禁忌指定の魔物を扱っていた研究チームのメンバー全員の謹慎と脱走した対象の捕獲で今回の件が済むと思っているところにも腹が立つ。
「……カマルレオパールか。確か、魔術が効かないんだったか?」
魔術が有効でありさえすれば、こうして駆り出されていたのは騎士団ではなく魔術師団の方だっただろう。クロードが言うのもなんだが、この国の騎士団は強くない。
対象を発見したら絶対に見つからないように逃げろとクロードの隊の連中には言い含めてある。たとえ、それが騎士にあるまじきことでも。
Aランクの魔物と相対するのにいったいどれだけの犠牲が払われるかを塔の研究者たちは知っているのだろうか。駆り出されている騎士たちだけではない。もし一般人に死傷者でもでたらどうする気なのか。普段の仕事は研究が主だったとしても魔導師なんだから自分たちで何とかしろと投げ捨ててやりたいが、このまま魔物を王都にのさばらせるわけにもいかないのが現状だ。
「ええ、そうみたいですが……知ってるんですか? もしかして、戦ったことが?」
「前にな」
夜幻豹とも呼ばれるカマルレオパールは、ギルドにいた頃に何度か討伐したことがあった。獣系の魔物のくせに幻術を使い、ほとんどの魔術が効かないという厄介な特性も、いつもは闇にまぎれていて捕食するときに姿を現すという習性もよく知っている――その、殺し方を。
「団長の指示は捕獲だったか?」
「はい。被害が出ればやむなしとのことですが、できるかぎり生きている状態でとのことでした」
フェリクスは塔に恩を売りたいようだ。
騎士団長としては、まあ妥当な考えかもしれない。フェリクスはその綺麗な顔に似合わず非情だ。だが、彼が“被害が出れば”殺してもいいと……恩を売る機会を逃してもいいと言ったのはクロードの怒りに触れたくないからだろう。やっと副団長の席に座ることを了承した部下のへそを曲げさせたくないに違いない。
「そうか。……悪いが、もう一度団長のところに行ってくれるか?」
「わかりました。何か他に指示を仰ぐことでも?」
「探索を得手とする魔術師か魔導師を一名よこしてほしいと伝えてくれ。まあ、あそこの連中を使う許可でもいいがな」
塔の魔導師に視線をやると、部下もそれにならった。それとクロードの言葉だけで、何のために必要かは言わずともわかったようだ。それ以上は何も言わず、彼は騎士団本部の方へ駆けて行く。
「さて、アレはどこにいるのやら」
“今日”が終わるまでには帰りたいものだ。
そう独りごちながら、クロードは王都の広場――王都の中心であり、最も王都各所からの情報を得られやすい場所で自分の隊の部下たちの報告を待っていた。
その表情は今の状況に相応しくない。わずかに笑っているようにも見える顔だ。いつもの不機嫌顔ではなく、ひっそりとどこか楽しそうにも見える笑みを浮かべている。
今のクロードを彼の元相棒が見ればこう叫んだだろう――“機嫌悪っ!”と。
この後にクロードによって無事に捕獲されたカマルレオパールも、自分が機嫌の悪い黒狼なんてものと対峙させられた事情を知っていたなら、脱走するなら別の日にしておけば良かったと嘆いたかもしれない。
◇◇◇
結局、帰宅できた頃には深夜を回っていた。
目の前にはクロードを待ったまま眠ってしまったらしいソニアがソファの上でちょこんと丸くなっている。ソニアの頭巾にしろ毛布にしろ何かをかぶる癖は、寂しいと感じたときや辛いときに出るものだ。――そうとわかっているから、罪悪感が募る。
「悪かったな」
約束を守れなくてすまない。
クロードは呟くように言ったが、その謝罪を聞く者はいない。
起こさないように慎重に毛布をめくると、ソニアは苦しげな顔で眠っていた。何やらうなされているようだ。頭を撫でてやると少しだけ表情が和らぐ。……そのことに、クロードの方が安心させられているということに最近気づいた。
「ベッドまでお運びしましょう」
小声でそう言ってきたモルガンに首を振って、クロードはそのままソニアを抱き上げる。
毛布にくるまれた小さな身体は放しがたくなるほど温かかった。寒さが嫌いなのに冬の夜を駆け回らされて冷え切ったクロードとはまったく逆だ。外から帰ってきて冷えたままの手がソニアに当たらないように注意しないといけない。
邸の主自身が運ぶとわかったモルガンは一礼して退室した。執事というのは忙しいものらしいから、彼もまだ仕事が残っているのかもしれない。
クロードはあまり振動が伝わらないようにしながらソニアの部屋に歩いて向かう。
前まではクロードとソニアの部屋は同じだった。だが、ソニアももう十歳になったということで去年からソニアのために別室を設けた。ソニアがクロードと一緒の部屋がいいと言ったから同じ部屋を使っていただけで、もともと邸を建てる際にソニアの部屋として考えていた部屋だ。
ソニア本人とロラとナタリーが整えた部屋はどこもかしこもソニアらしい。置かれているぬいぐるみや絵本のせいではなく、壁紙やカーテンの色のせいでもない。ぬいぐるみや絵本はいかにも子ども部屋然とさせているし、壁紙や家具の配色もソニアの好みに合わせているが、それらだけでは他の部屋とたいした違いを持たない。
クロードがソニアの部屋に感じる“ソニアらしさ”は、使用人たちにはわからないらしい。いかにも女の子の部屋という感じはするが、それだけだと。だからきっと、それはクロードにだけわかるものなのだろう。
寝台に寝かせても、ソニアは起きなかった。
熟睡しているようだ。モルガンやナタリーの話では、かなり遅くまで起きていたようなので、それも仕方ないかもしれない。
眠っているソニアを起こさないようにとクロードはいつもより静かに動いていた。その甲斐あってか、ソニアは抱き上げても、部屋まで運んでも、寝台に寝かせても目を覚まさない。
それを少し残念に思うクロードは自分で思っているより大人げないのだろう。起こすつもりはないのに、目覚めてほしいと――眠っていないソニアに会いたいと、そう思っている。
今日が……いや、もう昨日か。あれが特別なのはお前だけじゃねえんだぞ、ソニア。
ソニアの寝顔を見ながら心のなかで告げた言葉に嘘はない。
そして、昨日言うはずだった言葉を告げるために口を開く。
「誕生日おめでとう」
また、ちょっと躊躇ってから。
「ソニア、生まれてきてくれてありがとう。神なんて信じてねえけど……お前がいるから、信じてもない神に感謝してる」
~~っ、……はあ。ソニアが寝てて良かったかもな。
やっぱり照れくさいと思いながら、クロードは寝台の横から腰を上げる。
こればっかりは相手が眠っている方が言いやすい。まあ、どうせ明日も言うつもりなのだが。起きているソニアに言わないと喜んだ顔が見られないから。
言葉なんて本人に伝わらないと意味のないこと。もう一度告げるつもりがあるならなおさら今言う意味はない。だが、それでも今夜のうちに言っておきたかった。もう特別な日は過ぎてしまったけれど、一時間くらいの誤差は許してほしい。
自室へ戻ろうと眠るソニアに背を向けたとき、クロードは引っ掛かりを覚えた。
そっと振り向くとソニアの手がクロードの服の裾を掴んでいる。寝入っているようだから無意識のうちの行動だろう。
本当に咄嗟に出された手は歩き出していればわからなくなるくらいの弱い力でクロードを捉えていて、気づかなかったかもしれないそれに気づけたことに、クロードは久々に自分を誉めたくなった。
――我儘が好きなんて、変なの。
いつだったか、ソニアに言われた言葉が脳裏に蘇る。
「お前の我儘だから好きだし、叶えてやりたいんだよ」
いつかと同じ台詞を呟き、寝台に入ったクロードはソニアを抱き締めて寝る体勢に入った。
十一歳なんてまだ子どもだ。その一つ上だって、二つ上だって子どもだろう。だが、いつかはソニアも子どもじゃなくなる。添い寝するのも今日が最後かもしれない。
クロードから見ればソニアはまだまだ子どものままだが、モルガンやナタリーにしてみればもう子ども扱いしてはいけない歳らしい。それが、家族でもない男女となればなおのこと。ねだられても添い寝はするなと普段から二人にクロードが言われていることをソニア自身は知らないだろう。
モルガンもナタリーも説教長いんだよな……。
そう考えながら、クロードは目覚めたときのことは起きたときの自分に任せようと目を閉じた。
この話を書いた後にとある乙女ゲーで「誕生日に“生まれてきてくれてありがとう”は重い」という台詞を聞いたんですが、重くないですよね? 保護者キャラなら鉄板ネタですよね?
いや、重いからこそいいのか……?
作者的に、クロードの愛情は深いけど重くはないと思う。どちらかというと重いのはソニアの方かな。