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葉山高校の日常  作者: s.s.t
第二話
9/10

その2 ― 舞台の主役

 私が語るのは、およそ三年前の話だ。

 三年前の春に始まってから終わるまで一年にも満たない、人生全体から見ればほんの短い間の出来事。


 もちろんその出来事に関わった者達の人生は私も含めまだまだ続いていく。

 だから単純に終わりと言っていいのかは分からない。終わってないと言うべきかもしれない。

 結局物語に終わりも始まりも厳密に存在することは本来ならあり得ないことで、それが曲がりなりにも成り立つのは個々人の主観が共通したときだけである。


 こうした考えは大抵の物語に付きまとう概念ではあるが、私は私の語る物語に区切りを付けるため、この出来事を一つの「事件」として捉えた。

 諸君にもそれが物語の終始を決める目安だと認識しておいて欲しい。


 事件。ある種の犯罪性を匂わせる語句ではあるが、そう間違っている訳でもない。決して間違いではないだろうが、日常に起きた事件なんてそんなもの物語には珍しくないことも事実だ。

 だから私は大して深い意味も込めずに、ただ便宜的に「事件」という言葉を使うことを宣言しておこう。



 さて、物語の舞台は私が勤務する県立葉山高校。

 葉山高校は公立の中では全国でも五指に入る進学校であり、近くに金持ちが集まるエリート志向の私立高校もあるがそこを抜いて偏差値は県内第一位だ。

 だからと言ってそれが自慢になるかと言うと、全くそんなことは無い。


 進学率98%を超え、毎年国立・私立を問わず有名大学に合格者を多数出しているという実績は、教師陣にとっては誇らしいことかもしれない。

 しかしそれは当然ながら私個人の功績と言う訳でもなく、また教師の内の誰かが大きく貢献しているという訳でもない。私達教師はただ、長年葉山高校に蓄積されたノウハウによって半ばマニュアル化された教育方針に従い集められた、例えるならば大きな機械の歯車の一つに過ぎない。

 授業計画も暗黙の了解として教師個人ではなく学校側が決めることになっており、授業で教師が自由に出来る部分など大して残っていない。その扱いはまるで会社に絶対の忠誠を誓わされるサラリーマンのようで、残業代の出ない雑務の多さを考えるとブラック企業と大して変わらない。

 葉山高校の教師とは学校の教育方針を実現させるために適性のある者を選びだした結果の人選に過ぎないのだ。実際に使ってみて適性があるものは長く雇用し、適性の無いものは三年もせず他校に行く。それは我が校の教師の六割が十年以上勤務している者達であることからもうかがえる。

 かくいう私もその内の一人だが、正直なところここの方針にはうんざりしている。付き合っていられない、他校の方がマシ、というほどではないが正しく現状を見れば決して良い扱いでないことは諸君も分かるだろう? しかもほとんどの教師はこの葉山高校で教鞭を執っていることを誇りにしているため、そんな感情に1ミリも共感できない私は密かに孤独感を味わっている。


 それでも、それでも、生徒との触れ合いがあれば、部活の思い出だとか感動の卒業式だとか教師としての働きが報われる様なことでもあれば、辛くとも何とか楽しくやっていけると思うかもしれない。

 

 だがそれさえ無いのだ。この高校は本当にドラマに乏しい。

 感動が無い。青春が無い。熱血が無い。劇的な出来事が無い。およそ学園ストーリーに出て来そうな面白おかしいことは欠片も起こりようがない。

 秩序が保たれているという意味では喜ばれるべきだが、悪い事も起こらない。ちょっとした騒動さえない。不良生徒も、不登校も、留年対象者も、停学も退学も起こった試しがない。


 徹底的に無味乾燥、何も起こらない毎日、真に日常と呼ぶべき常の通りでしかない日常である。

 様々な言葉を尽くしたが、一言で表せば葉山高校の日常は「つまらない」。


 私がつまらないといったから何だと言う者は想像してみれば分かる。

 高校に限らずとも諸君には何かしらの学校生活の記憶があるはずだから、そこから想像を膨らませて欲しい。

 普段から学校生活が面白くないと思っている者はそこからもう一段か二段階つまらなくした学校生活をイメージすれば良い。

 いつも学校に行くのが楽しみだと思っている者は頭に浮かぶ楽しみを一つ残らず取り除いた学校生活をイメージすれば良い。

 それが葉山高校という舞台だ。


 具体的に言えば友達付き合いが浅く、クラスの連帯感が薄く、熱心な部活動もなく、授業は基本的に受験を意識した内容、生徒全員の認識として「勉強ができる事が大きなステータス」である。

 もちろん我が校の生徒達は機械的でガリ勉の根暗という訳ではなく、人間味のある諸君と何も変わらない人種ではあるが、これらの前提があるだけで途端に学校生活はつまらなくなるのだ。

 もし諸君が我が校で生徒達と机を並べるようなことがあれば、彼らを少々冷めた人間と感じるだろう。諸々の事より勉強を優先するから、決してそれが全てではないとしながらもそれを一番に考える彼らは一般的な高校生と比べて違和感を伴い目に映るはずだ。


 言うなればこの舞台の主役は勉強なのかもしれない。


 しかしまあ、時によっては主役が変わることもあるだろう。視点を変えれば役者が変わることもあるだろう。

 私が語ろうとしている物語は、まさにそのような時と視点の一致した物語である。


 明確な主人公を決めるのはこれまた物語の終始を定めるのと同じく難しいことだが、あくまで私の視点で最も主人公らしい立ち位置であったのは、三年前の春に入学してきた一人の男子生徒だった。


 その生徒の名前は瀬野和直せのかずま

 ある面から見れば馬鹿、別の面から見れば馬鹿、そしてその二つともまた違う面から見れば、馬鹿である。

 つまるところもし瀬野和直という人間を表した物体が存在するとすれば、前後上下左右斜めどこから観察しても「馬鹿」の文字が見えるという不可思議な現象が起こるのである。


 瀬野という人間の人格や言動を深く深く考察していけばまた異なる結果を得られるのかもしれないが、それでもやはり瀬野の第一印象や例の「事件」中の一連の行動は馬鹿っぽい、もしくは馬鹿そのものとしか言えないのである。


 瀬野がどれほど馬鹿なのか、どんな馬鹿なのかというと、そうだな……

 先ほど葉山高校の生徒の特徴の話をしたが、普通の人間に比べて冷めた印象を受けるとかそういったことは瀬野には起こらない。馬鹿だから。

 奴が自分のいた中学と同じような感覚でクラスメイトに話しかけても余所余所しい態度を取られるがそれに気付かない。遊びに誘って断られるという事実は認識できるが、自分が周りとずれているということは理解できない。馬鹿だから頭が働かないのだ。

 勉強面ではもっと分かりやすく馬鹿だ。何しろ入学試験の成績はぶっちぎりの最下位だから、知恵も知識もないということが分かるだろう。


 しかし馬鹿だからこそ、葉山高校の生徒達とはかけ離れた存在だからこそ、葉山高校という舞台に変化が起きるのだ。

 

 何もしなければ何も起こらない、諦めたら確率はゼロなどという言葉はそれこそ物語における常套句だが、この瀬野という馬鹿は偶然にも何かをする、諦める事がない存在だった。

 馬鹿だから他人に避けられたとは思わないし、話しかけるのをやめようとは考えない。そのため本人に現状を変えようという意図が無くとも結果として変化を起こしたのだ。


 長い時間の中で偶然に起きた変化、それは延々と繰り返された実験で奇跡的に発生した化学変化にも似た物で、長年平坦な教師生活を送っていた私にとってはある種の感動さえ感じられた。


 その瀬野を中心に起きた事件についての物語を、私は諸君に話そうと思う。




 …………ここまで思うがままに語って来たが、よく考えてみれば私がどう思っているかなどは諸君にとってどうでもいい話だったな。

 振り返ってみると物語を語ると言う目的に対して私は私情を混ぜ過ぎたと思う。


 少しでも物語に集中してもらうならば、語り手に私という個性は邪魔だろう。

 これからはなるべく自分を抑えて語ることにしよう。



二話分使っても主人公出せませんでした……。

「その3」は入学式の場面からです。

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