五人目 ― 黒星研は究める
かなり間の空いた更新になりますが、何とか形になったと思います。
五人目の黒星研君、かなり扱いづらくて苦戦しました。
私の中ではとても魅力的な人間の彼ですが、その魅力の何割を表現できたのか心配です。訳の分からないキャラクターになってなければいいのですが……
「葉山高校の生徒は三人に一人が変人だ」
こんな噂がまことしやかに囁かれるのは「勉強好きな奴は大概頭のネジが何本か外れている」という皮肉なのか、はたまた本当に奇人・変人が我が校には集まって来るのか。
その答えは簡単には出せないが、ただ一人の生徒については確かなことが言える。
黒星研という生徒だけは例外だ。
他の生徒と同じ枠にはめるべきではない。
普通の者とは違う変わったことをする変人であり、世にも稀な思考を持つ奇人であり、そして人とは思えないほどの卓越どころか超越した頭脳を持つ鬼人である。
詰まるところ、例え葉山高校が変人の集まる場所だったとしても、黒星だけは数の内に入れない方が良いということだ。あの鬼才はどこに居ても異質な存在であるに違いない。
というわけでごき「ごきげんよう、皆さん!」セリフを取るなあぁぁ――――!
「自己紹介します。黒星研、現在は大学二年生です。当時のプロフィールで言うと葉山高校二年生、AB型です。どうぞよろしくお願いします」
「始まりの挨拶を横取りした上にプロフィール紹介まで自分で済ませるとは。いやはや参った。私はお前をどう扱ったらいいんだろうね、黒星」
「とんだ御挨拶ってやつですね」
「質問を無視するな! わざとだろ? わざと私を困らせてるんだろ?」
「いいえ、僕は先生のご尊顔を拝見できるだけで幸せを感じられる人間です。ですから、当惑したお顔のほうが面白いからとかそんな理由で先生を困らせたりしません」
……心が折れそうだ。気味が悪くて一秒たりとも顔を合わせていたくない。
自分が私に苦手とされているのを知っているくせに、その上で私を立てるような言動ばかりするからますます気持ち悪い。
得体が知れない。何を考えているか分からない。だからより一層遠ざけたくなる。
「はあ……」
「どうしましたか先生? ご気分が優れないのですか?」
確かに気分は良くないさ。だが私はもう腹を括っている。
前回一度は覚悟を決めた。だから今更黒星から逃げるのも良くない。
どんな形にせよ今日はこいつと何かしらの決着をつけると決めているのだ。
「……黒星。これから話すことは真面目に聞け」
「分かりました。先生の仰るままに」
言葉は丁寧だがそれはいつも通りなので、本当に真剣になっているかは分からない。
それでもまあ、頭は不必要なぐらい良い奴だから少なくとも話せば理解はしてくれる。
話してもやっぱりだめならすっぱり縁を切ることも考えようか。
「まず、私はお前を嫌っている。それは知っているだろう」
「はい、自覚しています」
「だが教師としても、一人の人間としてもお前と今のままの関係でいるのは私の本意ではない」
「ご立派です」
「……だから私は、お前との不和の最大の原因を消すことにした」
途端に、黒星の空気が変わる。
今まで笑顔とも真顔とも言い難い微妙な表情だったのが、無表情に近い、私の心をそのまま映し出すような顔になる。
「その言葉は先生の本心でしょうか?」
黒星の問い掛けには正体不明の威圧感があった。
私の返答次第で黒星の表情も変わるのだと気付く。私を試す様な、年の離れた青年だとはとても信じられない、人間の本質を見透かそうとする表情だ。
もう一度覚悟を決め、口を開く。
「紛れもなく私の本心だ。和解であれ決別であれ、今日この場でお前と何らかの決着をつけることを望んでいる。そのためなら脅迫も押し退ける」
つまり、私が黒星に弱みを握られているから脅迫関係が成り立ち、そのため私は黒星を苦手だと思うのだから、弱みを弱みで無くしてしまえばこの問題は解決するはずなのだ。
黒星はゆっくりと目を閉じ、数瞬の後また目を開いた。
その表情は、おそらく真剣な表情。
黒星が私に初めて見せた本気の顔だと感じた。
「鷹田英理子さん。あなたの気持ちは受け取りました」
急にフルネームで呼ばれたが、不思議とむかつかないものだ。
それだけ黒星が真剣ということなのだろう。
何かこれからすごいことを言われそうな、そんな予感がした。
「そして今この時を持って、私のあなたへの研究は完了しました」
「…………は?」
予感がしただけだった。
高校時代の黒星研は、入学当初から周りの生徒に奇異の視線を向けられていた。
まず注目を集めたのは、勉強ができること。
葉山高校では定期テストの結果で上位者の名前が張り出される。
進学校らしく入学直後にも学力診断テストというものがあり、最初ぐらいはと張り切っている新入生も多い中、黒星は堂々の一位を飾った。
他校に比べて少なからず勉強のできる生徒は注目される傾向にあり、学年一位ともあればなおさらだった。
だがそれだけでは終わらない。むしろここからだった。
学力診断テストはあくまで中学までの内容だったが、高校の授業が始まってからも黒星は学年一位を取り続けた。
何がすごいかって、一位を取り続けたことより、難問を苦も無く解答していたことだ。
葉山高校の試験はかなり難しい。
例えば数学なら平均点は高くても四十点、低い時は十点台まで下がる。
過去の記録を見ても最高得点者は七十点台が多く、平均点が高い時にやっと九十点台が出る程度だ。
それなのに黒星はそういう難問を何でもないかのようにすらすら解いてしまう。
満点を取ることはあまりなかったのだが、必ずと言っていいほど簡単な問題を意図的に間違えていた。
後に聞いた話だが、本人は「知名度が高いと何かと役立つけれども、優秀な印象よりも異常な印象が勝ると逆に不便になってしまうから」と語っていた。
生徒から見た黒星は奴の狙い通り「例年の学力トップよりもさらに優秀な生徒」程度だったろうが、教師である私の視点ではテスト一つで自分の印象操作を画策する高校生という存在が不気味だった。しかしその反面、実際にそれを成し遂げたことやテストその物の出来の良さを見て黒星の中に唯一無二の才能を感じてもいた。
勉強面で優秀さを見せつける反面、黒星は奇行が目立った。
やたら人の内面に踏み込むような会話をしたがり、時々突拍子もない行動を起こす。
文芸部に所属したかと思うと、部の活動には一切参加せず部室の一角で熱心にパソコンに向かっていた。
私はこれらの奇行が全て黒星の「研究」に関わる行為だと後になって知った。
黒星研の研究についてなるべく簡潔に記しておこう。
以前、平田慶次という生徒の紹介をしただろう? 誰も覚えてないだろうが、奴には人間観察をする悪趣味な習慣があった。
言ってみれば黒星の研究はその延長にある。混じりっ気のない純粋な好奇心と知的欲求から行われる興味本位の研究である。文字通りただ「究める」だけの行為であり、そこには何かしらの成果や利益を目的とする要素は一切含まれていない。
研究の方法は単純な物で、まず黒星が興味を持った人物がいたらその人物に当たりをつける。普段の言動を調べ、過去を調べ、時には弱みを握り、情報が足りなければ直接コンタクトを取る。
対象者は黒星の興味が無くなるまでありとあらゆる情報を調べ尽くされる。
黒星の研究は人間という種と、種を構成する個々の存在への興味で満たされている。
全体と個体の両面から人間と向き合う。
その欲求自体がどんな理由で生まれたのかは知らないが、天性のサドであることから他人の情報を丸裸にすることに快感を得ているのだと私は思っている。
何しろ私をからかう奴はとても活き活きしている。それはもう良い笑顔を浮かべる。
だがしかし、そんな黒星の「研究」は世間に認められるようなものではない。
前述した通り十割が奴の興味に占められている上に、何の成果も利益もないため、研究と言っても仮に黒星が論文を書いたところで鼻で笑われるようなものなのだ。
強いて言うなら行動心理学という学問に近いが、黒星はまさに手段を問わないというか、もう何の研究分野だか分類できない内容になっている。それに被験者を募集して心理実験、という方法ではなく研究対象者の素の姿を捉えているので、本質的に違うものなのかもしれない。
私としては黒星がその人間のものとは思えない頭脳を駆使して情報を集める様子を見ているため、もし奴がその気になれば後世に残るような偉大な研究をいくつも成し遂げるだろうと確信している。
例えば黒星は群集心理にも長けていて、あの馬鹿との一件では我が校の気真面目な生徒達の心を見事に奴の意図した方向へ誘導して見せた。
黒星には奴独自の理論があるらしく、少し応用するだけでも莫大な利益を生めそうな効果を発揮していた。悪用すれば組織の一つや二つ楽に潰せるだろう。
「天才と馬鹿は紙一重」と言うなら、人の分を超える鬼才には「鬼才と変人は紙一重」とでも言う言葉がお似合いだ。
普通の人間ではありえないような思考回路だからこそ、常人と考え方も違えば、行動もおかしく見えてしまうのかもしれない。
だがまあ、私は黒星を嫌っているけれども、認めてもいる。
悪いと思う面は確かに多いが、あいつの能力は本物なのだ。
おそらく大学でも好き勝手をしているだろうから、余計に勿体無いと思う。
話を戻そう。
異常な印象は避けていた黒星だが、限りなくそれに近い印象を抱かれることは良しとしていた。
考えてみれば当然のことだが、本当に異常と思われたくないなら適当に間違えつつ一位を取り、普通の優等生を演じていればいい。
そうしなかったのは黒星の「研究」のために理想的な立ち位置を手に入れたかったからだ。優秀であることは認められているが一方で変人だと思われ、何を考えているか分からないが、完全な恐怖の対象とはならない。
そういう立ち位置であれば、何をやらかしてもおかしくはないと思われる。
結果的に黒星が何かの行動を起こした時受け入れられやすい立場となったわけだ。
つまり黒星は研究を円滑にするために色々やっていた訳だが、驚いたことに一つの行為で常に複数の効果を狙っていた。
勉強面で優秀なら問題行動を起こしても教師の心証も悪くなり難いし、自分が注目の的となることで色々な反応を見られるので研究の一環になる。自分を変人に見せるために奇行を重ねていたが、そもそもその奇行自体が研究行為であった。
まあ本質的に黒星が変人・奇人の類であることに変わりはないのだが、「変人だから奇行に及んだ」のではなく「自覚してより変人らしく見せるために奇行に及んだ」ことからその頭脳の一端が伺えるだろう。
ちなみに「研究」があれば「実験」もあるだろうと思うかもしれないが、黒星にとってはただの日常会話でさえ自分の興味を満たすのに役立てているため、「実験」と他の行為を明確に区別することが難しい。今回はとりあえず一貫して「研究」「研究行為」と表現しておいたことを言及しておく。
――そんな感じで黒星が「自分の研究」と言ったとすれば九分九厘この高校時代の「研究」と同じものを意味するのだろう。
だが、それはそれとして。
いきなり「私への研究は終わった」と言われても訳が分からず呆けるしかなかった。
応接室のソファに腰掛けた状態で向き合ったまま、数分の時間が流れる。
一度過去に遡り、戻って来てもまだ思考が回復しない私に対して、黒星が先に声をかけてきた。
「先生? 大丈夫ですか? 僕の言葉、ちゃんと聞こえてました?」
黒星の口調は普段のものになっている。一人称も「私」から「僕」に戻った。
呼びかけられた私はゆっくり顔を動かし意識を黒星の方へ向けた。
「…………ああ、おそらく、大丈夫だ。何を言われたか理解できなかったが」
それでも完全ではなく目上の者として体裁を取り繕うことも忘れていた。
「僕も少し意地悪が過ぎました。真剣にしていたつもりなんですが、つい驚かすことを優先しちゃって。すみませんでした」
珍しく黒星が殊勝に見える。普段の口調だけ丁寧で馬鹿にしているのをわざと分からせている様な喋り方ではなかった。
私が弱気になっているのに畳み掛けて来ないのは本人の言葉通り真剣だからだろう。
「謝らなくて良い。お前が本気なのは分かった。黒星、悪いが順を追って説明してくれ」
どうやらじっくり話せそうな雰囲気なので、黒星に自分で話すよう促してみた。
「ええ、もちろんです」
黒星は私の要求を快諾する。
「これから話すのは、種明かしと言うか解説と言うか、僕が何を考え先生と接していたか、またその裏で何をしていたか。そういう話です」
どうやら長い話になりそうだ。
「まず、先生は『僕が高校時代にやっていた研究』と聞いて何のことかは分かりますよね?」
「ああ、問題無い。あれを研究と呼んで良いのかは分からないが……大学でも同じことをしているのか?」
個人的には真面目に勉学に励んでいて欲しいが、それは無理な願いだと分かっている。
「そうですね、形は変わりましたが高校時代とそう変わりありません。少し面倒なのは教授達のご機嫌取りです。今は研究室を一つ奪……自由に使わせて頂いていて、ちゃんとした心理実験もやっています。こっちはこっちで面白いですね」
どうやら持ち前の優秀さで複数の教授に取り入り、弱みを握って一人の教授から研究室を奪い取ったらしい。その上で他の教授には猫を被ったままだということも伺える。
「で、その研究と私に何の関係が?」
「まあ平たく言いますと、その研究の対象に鷹田先生も入っていました」
「………………そうか」
また思考が止まりかけた。が、先程よりは分かりやすい。
何とか返事はしたが……つまり、ええと……
黒星と関わり始めてから四年ほど経つが、高校時代だけでも二年間。
私と黒星の関係は「黒星が私をからかう、脅迫する」という二つだけだと思っていたがそれが勘違いだとすると……その間の奴の言動の全てに違う意味が……
戸惑う私の思考は黒星の言葉に中断された。
「あまり難しく考えないでください。先生の僕に対する印象はそれはそれで間違っていません。ただ『僕が先生の研究もしていた』という事実が加わるだけです」
……確かにそうだ。
黒星の研究内容は人間への興味に尽きるから、極端な話奴が興味さえ持てば誰でも研究の対象に成り得る。
つまりは、
「先生は『高校教師・脅迫されている・脅迫の内容が珍しい』と中々他にはいない人間だったので、僕は興味を抑えられなかったんです」
そういう訳か。
種明かしとは良く言ったものだ。種が分かってしまえば簡単、こいつの得体の知れない態度も私の色々な反応を見るためだったということだろう。
ここまでの話でずいぶん驚かされたが、黒星の次の言葉にもう一つ驚かされた。また、こちらの方が私にとっては余程重要な話だった。
「実は先生への脅迫はいつでも止めることができる状態です」
「なに!? なら……いや、だが……」
一瞬喜びかけたが、すぐに疑問が浮かんだ。
黒星が私を脅迫する理由は高校時代に犯した一件について口封じするためだ。
それなのに脅迫の必要が無くなるというのはどういうことなのか。
「先生の秘密はその過去にあります。先生がこの高校の教師になった時に捨てた過去の経歴と自分の素性です」
「う……急にばらそうとするな。今までそれとなく引っ張って来たのに。驚くだろう」
「もういいじゃないですか。どうせ知ってしまえば大したことじゃありませんよ」
どうやら私の弱みの暴露が始まるらしい。
「なあ……私も確かに『ばらされてもいい』みたいなことを言ったが、やっぱり……」
「それじゃここからは僕がいつもの先生風に先生の紹介をします」
「ちょ、ちょっとまて! それはさすがに恥ずか……」
一人目 ― 鷹田英理子はお嬢様
「ああ! もう始めてる! しかもタイトルが恥ずかしい!」
「聞きたくないなら外出して来てください。小一時間で終わりますから」
「くそ! 覚えてろよ!」
―★★★―
…………さて、鷹田先生もいなくなったところで始めましょうか。
ごきげんよう、皆さん。黒星研です。
今回お話しするのは他でもない、我らが鷹田英理子先生についてです。
いやー、待ちに待った話がついにって感じですね。そうでもない? そうかも知れません。
せっかくですから先生が作中の僕らと同じ高校生だった頃のお話をしましょう。
鷹田英理子。
私立鷹上学園の生徒で、AB型、花の女子高生という頃でした。
鷹上学園という名は皆さん初耳でしょう。
鷹田先生がわざわざ話すとは思えませんしね。
この私立高校は葉山高校と同じく県内でも有数の進学校なのですが、明確な違いは葉山高校が県内第一位ならば鷹上学園は県内第二位ということです。
もちろんただの偏差値、数字上のお話ではありますが、この事実が良くない争いを引き起こしているんですね。
鷹上学園は進学校という特徴以外にも富裕層の子供達が入学することで有名です。
私立らしく馬鹿高い授業料を取り、周りを金持ちの子供で固めて親にも子供にもエリート意識を植え付けつつ、金も巻き上げようという魂胆ですね。
このエリート意識というのが中々厄介で、(少なくとも当人達は)立派な(つもりの)家に生まれた長男長女が多い上に、容易ではない教育を受け続け激しい競争に生き残って来た人達ですから。金さえ払えば入れる生温い学園に入学するような金持ち連中より余程プライドが高いんです。
ただそれを言えば葉山高校も同じで、一般家庭の子供達から受験戦争を勝ち上がって来た人間ばかりですから条件は同じです。まあハングリー精神のおかげで葉山高校が一歩リード、と言う感じです。
そういう訳ですぐ近くに自分達よりも勉強のできる連中がいるからそれはもう目の敵にされるわけですよ。
ことあるごとに葉山高の生徒に突っかかって来るんですが、葉山高の生徒はピンキリですから、底辺の生徒に威張り散らしてふんぞり返ってるなんて光景もしばしば見られます。
なんとなくの敵愾心しか持っていないのに、自分より成績が低い葉山高校の生徒を見つけると優越感を感じて勝ち誇っちゃうみたいです。
これが誰から見ても滑稽で、もちろん全員がこうという訳ではありませんが一部の鷹上の生徒がこんな態度を取り続けるものだから、葉山高の生徒から見た鷹上の生徒のイメージはただのかませ犬ですよ。笑っちゃいますよね。
まあそんな葉山高校と鷹上学園の確執は置いておくとして、鷹田先生の話をしなくてはなりませんね。
そうは言ってもそんなに話すことはないのですが、早い話が鷹田先生の父親が鷹上学園の理事長なんです。
『鷹田グループ』という企業グループがありまして、出版業とメディア関連に強いところなのですが、会長である鷹田和仁氏が娘が生まれたからって半分道楽で学園を作っちゃったんですね。
さすが金持ちは僕達大衆にできないことを平然とやってのけてくれます。
また、この『鷹田グループ』という企業としての一面以上に『鷹田家』は名家として知られています。由緒正しい家柄、ということでしょうか。
現代日本では全く目立たないですが、力自体はある家です。
表向きはただの企業として、実際は名家の誇りを忘れず裏では権力も振るうと。
僕達が知らないだけでよくある昔からの権力と人脈を地盤とした名家由来の企業ですね。
それで肝心の鷹田先生はと言うと、幼い頃から色々と教育されていました。
色々と言っても厳しい英才教育と言う訳ではありません。
「お淑やかな子に育ってほしい」と暴力的なテレビ番組を見たり外で激しく遊ぶことを制限されましたが、元々女の子ですから対して困りません。
「頭の良い子に育ってほしい」と名前を理知的なものにしたり足し算・引き算・漢字なんかを小学校入学前から習いましたが、普通の家庭でもやる子はいます。
「綺麗な子に育ってほしい」とおしゃれをさせたり絵画を見せたりして美意識を磨かれましたが、たくさん服を買ってもらって一緒に美術展にお出かけしたというだけです。
そんな風に案外ゆるい家庭で生まれ育った鷹田先生。
中学までずっと女子校で、これまたゆる~い校風のところでしたから、信じられないことに高校在学時はおっとりふわふわしたお嬢様でした。
だってあの鷹田先生ですよ?
普段から男言葉で喋って愛読書は少年漫画とライトノベル。
一言目には「面倒臭い」、二言目には「後に回そう」が口癖の鷹田先生です。
それが中学生まで「ごきげんよう」とか同級生と挨拶交わしちゃってて、高校に入っても天然系で可愛いと男子生徒に人気があったという……どうして今の有様にと思うでしょう?
ちなみに鷹上学園は普通に共学です。男女比は半々で若干女子が多いぐらいです。
そしてもう一つ余談ですが鷹田先生の言葉「私は美人」「昔はモテた」、これ実は本当の本当だったんですね。
周りから持て囃される様な美人でした。まあ逆に言えば身近な所以外では注目されない程度の美人ということで、別に飛び抜けた美人という訳でもないんですけど。
さて鷹田先生の変貌というかもはや突然変異と呼んでも過言ではない変化の原因ですが、これは鷹田先生が持つ自分の家への悪い感情のせいでした。
悪い感情とは何か?
この問いに答えるのは非常に難しい。
とにかくなぜか高田先生は自分の家を良く思っていなかったのです。
例えば十六歳の誕生日を迎えて突然見合い話が持ち込まれ、その見合い相手がストライクゾーンから大きく外れた大暴投も良い所の最悪な男だった。という明確な理由があるなら話は簡単なのですが、フィクションじゃあるまいしそんなことは有り得ません。
僕が高校に在籍していた期間中では、鷹田先生が家を嫌う理由は解明できませんでした。
これから話すのはあくまで僕の推測です。
まず念頭に置きたいのが、いくつもの心理的要因が重なって彼女の感情を作り上げているのではという前提です。
心理学の初歩ですが、人間の感情は一つの要因ではなくいくつもの要因や経験が重なっていて、それこそ無意識のものも含んで様々な心理の積み重ねによって成り立つと言われています。
おそらく鷹田先生の場合もそれに当てはまるのでしょう。
一般人には馴染みがありませんが彼女の家は地元の名家ですから、僕達には分からない苦労があったはずです。
親戚筋や商売繋がりの付き合いに子供の頃から関わっていたでしょうし、名家の娘に対するやっかみの視線も日常的な物だったでしょう。
そういう意味では「家が原因の嫌な出来事」というのが普通の家庭の子供よりも多かったと考えられます。
さらに言えば自分の境遇を比較する対象がいたことも大きいでしょう。お嬢様学校やエリートの集まる学園と言っても先生の家のようなところは一割にも満ちません。大抵が単なる富裕層で、家の事情に子供も関わらなくてはいけない程大きな家はそうそう無いのです。当たり前と言えば当たり前ですけどね。
大人達の人間関係に付き合わされず、(勉強を除けば)特別苦労することなく、ただ豊かな家庭環境でぬくぬくと過ごしている子が周りに沢山いた訳です。しかもその子供達が自分に嫌味を吐いてくるとしたら、そんなことが幼い頃から繰り返されていたとしたら、どうでしょう?
少しぐらいは女子高生の鷹田先生の心境も想像できるのではないでしょうか。
ただ一つ誤解しないで頂きたいことがあるですが、小さい頃の鷹田先生は自分の両親を嫌っていた訳ではなく、むしろ好いていました。親には責任がなく、彼女の家庭環境が仕方の無い物であることは幼いながらに理解していたのです。
しかしここからが残念と言うか、今の鷹田先生形成への第一歩と言いますか……高校に入学した頃から芽生え始めた自立心と、同時期にやって来た反抗期が合わさって、混ざり合い、絡み合い、こじれにこじれた結果、何故か家と両親をひっくるめて憎むべき対象と認識してしまったんです。
頭の良い人程うじうじ悩んだ挙げ句に突拍子もない考えを起こしてしまうという典型ですね。
ちなみにこのことは丁重にお願いして本人から聞いた事実をもとに推測しているので、信憑性は高いと思われます。
高校を出た後のことは割愛させて頂きたいのですが、簡潔に述べますと幾人かとの出会いを通して今の趣味に染まり、実家を継ぐ継がないで一騒動が起き、すったもんだの末に教師職に落ち着いて現在の鷹田英里子に至る、とそんな感じです。
これが鷹田先生の変化に関する僕の推測です。
いやー長々と話してしまいましたね。元々鷹田先生がお嬢様だという話でしたっけ?
大分脱線しましたけど本当に絵に描いた様なお嬢様だったんですよ。
鷹上学園では高嶺の花なんて言われて、天然だから気付かない内に男子を振っていたり……
ああ! ぜひともその姿を見てみたかった! きっとさぞや面白……いえ、今とは違った魅力があったことでしょう。
それに、鷹田先生が今の性格に変化し始めるのはこの頃だと思うんですよね。先程述べた自立心の芽生えと反抗期が重なった時期に、性格にも変化の兆候が現れていたはずなんです。
その変化の過程をリアルタイムで観察したかったというのも惜しむ理由です。
いやあ、本当に残念だ……
――おっと、また話が逸れました。
そろそろ先生を呼び戻しましょう。たぶん落ち着かなくてそこら辺りをうろうろしているはずです。
―★★★―
「もう話は終わったのか、黒星」
「はい、おかげさまで皆さんに鷹田先生のことを良く知って頂けました」
「ぐ、具体的にはどこまで話した?」
「話すのは面倒なので作者の原稿を読んでください」
「ちょ……危ない発言をするな。……この紙か?」
「………………。……! ……、……!? !!! ーーーー! !! ………………、ぶはぁ!」
「忙しなく表情を変えたり悶絶して体を捻ったり、見ていて面白いです」
「いやだってこの内容は恥ずかし……というかお前今はっきり面白いと……いやそれよりここまで話されたなんて……完全に黒歴史……」
「もう済んだことですから諦めてください。先生の黒歴史も、それを話したことも」
「くそ……なんてことだ……」
「それで先生。当初の話題に戻っても?」
「ん? 当初の話題……あ、ああ! そうだったな! ん、んん、ごほん」
「さあ、黒星。最早私の隠し事も露見してしまったし、そろそろ決着を付けようじゃないか」
「今更取り繕わなくても……」
「うるさい。それで、どうするんだ?」
「どうするも何も、秘密が公になったので脅迫関係はもうお終いですし、研究も終了ですから。これ以上鷹田先生を困らせることはしないつもりです」
「そ、そうか。少し拍子抜けだが……」
「ただ、一つだけ先生を困らせることをしたかもしれません」
「な、何だ」
「鷹田グループの弱みを握りました」
「は? え? ……何だって?」
「先生のご実家の弱みを握りました。それはもう鷹田グループなんていつでも潰せるぐらいのやつを」
「い、いや、ちょっと待て」
「だから先生に脅迫する必要も無くなりました。鷹田グループであれば高校生の軽犯罪について警察を黙らせるぐらいは造作もないことですから」
「それはよかった……って、だからちょっと待てと」
「僕はもう先生を脅迫する手段も理由もありません。それだけのことです。他にも何か?」
「…………いや。そうだな、特に聞くこともない。これで決着だ」
「それでなんですが」
「ま、まだ何かあるのか? 決着と言ったろう」
「いえ、決着については和解ということで同意します。その上でお願いしたいのです」
「なんだ。そういうことなら言ってみろ」
「先生は僕が高校で一番深く関わった教師ですし、これからも恩師として時々は先生を訪ねてもいいでしょうか?」
「……中々教師には嬉しいことを言ってくれる。よし、分かった。私も今までのことは水に流す。いつでも訪ねてくるといい」
「ありがとうございます。では早速なのですが」
「何だ。言ってみろ」
「ちょっと耳を貸してください。……ごにょごにょ」
「む……それは…………ふむ……それなら……良いだろう。好きにするといい」
「はい。いやー今から楽しみです。思えば葉山高校は興味深い人が何人もいました」
「それだけお前の餌食になった奴らがいるんだな」
「まあ、少しは反省しています。色々な人がいましたからね。興味も尽きませんでした。平田君に河津先輩……清水さんは一見普通の人でも中身は違うかも知れないことを教えてくれました。他にもクイズ研の兄弟、日本史のあの先生、他校にも面白い方達がいました…………皆さん元気にしているでしょうか」
「私の知っている範囲ではどいつも元気でやってるよ」
「そうですか。それは良かった」
―★★★―
すっかり冷めた茶を飲み干して、カップをテーブルに置く。黒星も同じ様に茶を片付けていた。
二人同時に飲み終えたところで、自然と時計に目が向いた。
「ああ、もうこんな時間か。大学生とは言え、遅くまで校内に元生徒を残しておくのもよろしくないだろう。黒星、そろそろ帰るといい」
「分かりました。今日は有意義な時間を過ごさせていただいてありがとうございました。近い内にまた会いましょう」
「ああ、近い内にな」
「それでは失礼します。さようなら、鷹田先生」
「気を付けて帰れよ」
入室する時の様にはふざけず、黒星は素直に帰って行った。
……それにしても改めて今日一日を振り返ると、高校時代の黒星を思い返したこともあって奴の凄まじさが再認識されるな。
実家の弱みを握ったと聞かされて混乱したが、まあ奴ならあり得る話だろう。
…………国との付き合いも深いんだけどな、私の家。そこから簡単に弱みになる情報を手に入れるって……いや、考えるのはよそう。
実家の暗部なんて聞きたくないしな。
黒星研。変人にして奇人。そして鬼人。
記憶力、思考速度、視野の広さ、並行思考、先入観の排除などおよそ研究に必要な能力は全て高いレベルで保有している。
その能力はあらゆる分野において役立つだろうが、やはり真価を発揮するのは純粋な頭脳労働だろう。黒星はその力を自分の欲求のために、「研究」のために使っているのだ。
異質。能力も異質であれば、その行動、思考と心理、放つ言葉、全てが異質に思える。
実際は普通の人間かもしれない。異質を演じているのかもしれない。
しかし演技だとしてもあそこまで完璧な演技が可能ということさえ異質なのだ。
やはり黒星を表す言葉には、「異質」が相応しいと思う。
そしてその異常性は全て一つの目的、「究める」という行為に集約されている。
「究める」ための「異質」か、「異質」であるが故の「究める」なのか。どちらが先かは分からないがこの二つを持って黒星研だ。
その黒星がこれから……おっと。この先はまだ言えないのだった。
今日は私の個人的な諍いに巻き込んで済まなかった、諸君。
もう一つ済まないついでだが、今回の次回予告は無しにする。
実際に読むまで分からないという訳だが、そう変わったことをするのではない。
私に言えるのはいつも通りに待っていてくれということだけだ。
それでは諸君。次回をお楽しみに。