二人目 ― 平田慶次は思い悩む
一話一人物形式の「葉山高校の日常」第一話、二人目は平田慶次君です。
この子に愛着を持てる人は中々いないと思いますが、それでも彼をよろしくお願いします。
…………この作品のタイトルだがな、最初は「馬鹿と女教師と普通の高校」とかいう感じの案もあったんだよ。実は。だけど完全にパクリだし、別に馬鹿も女教師も重要じゃないっていうかあくまでただの高校で起きた大して驚くところも無い話だからな、これ。
だからこの際つまらない話ですよって予め断るために「葉山高校の日常」なんて五秒で考えられそうな普通過ぎるタイトルを付けた訳なんだけど、案の定投稿した後新着小説を見てみたらちょっと下の方に似た様なタイトルの作品見つけちゃってさ……どれだけ平凡なタイトルなんだよ! って作者が自分にツッコミ入れてしまったなんて余談もあるんだ。
ちなみにパクる予定だった某ライトノベルみたいにファンタジー要素があるかどうかなんだが、基本この話にファンタジー要素は無い。強いて挙げるなら、私が持つ「好きなだけメタ発言できる能力」と「長年の教師経験から得た十代の少年少女の心理と私生活を見抜く能力」ぐらいだな。後者については生徒の心理描写とか私が見てないところとか語る上で不可欠だから作者が付与した能力なんだろう。
少年漫画大好きな私としては「能力」と聞けば心躍るものがあるが、まあ実際私が語り手なんだし私の視点が神の視点という認識で一つよろしくお願いするとしよう。
さて、前置きが長くなったな。ごきげんよう、諸君。鷹田英理子だ。
今回私が諸君に話してやるのは、平田慶次という男子生徒についてだ。
葉山高校二年生、十六歳のO型。
こいつの特徴は……特に無い。私から見れば、特徴の無い奴だ。
というのも、こいつは典型的な葉山高校の生徒だと言えるからだ。葉山高の教師である私からすれば、うっかり存在を忘れたり別の生徒と間違えることが多い困った生徒である。
葉山高生はみんないくつかの面で共通した考えを有しているが、こいつはその傾向が特に顕著だ。ゆえに葉山高校、引いては我が校の生徒達について手っ取り早く諸君に知ってもらうには彼が適役という訳なのだ。
では、奴について語ってやろう。
……ふふふ、早速私の「能力」の出番だな。この魔眼を持って奴の一日の生活ぶりを赤裸々に披露してやろう。
日付は四月下旬、進級して少し落ち着いてきた頃だな。
まずは奴が電車に乗るところからだ。男の朝を描写するのはだるいし興味も無いので割愛する。
葉山高校は進学校だけに県内の至る地域、場合によっては他県から通学する生徒もいるので、電車を利用する生徒が多い。
電車が来たようだ。朝だから混んでいるな。
当然平田も乗り込むが、あいつが乗るのは並んでいる乗客達の最後だ。先に乗って満員電車の真ん中でぎゅうぎゅうにされるより片面だけでもドアに接していた方が良いという考えだな。
これは葉山高生の特徴の一つだが、合理的な考え方をする生徒が多い。
たかだか電車で乗る位置にさえどこに立てば楽なのか一々頭を働かせる。端っこが楽、というのは平田の主観だが。
損得を細かく計算して行動を決めるので、感情に身を任せて衝動的な行為に走ることなどほとんど無いだろう。
平田は絶対にギャンブルをやらないタイプだな。リスクを背負うならそれに見合うメリットがないと動かないだろう。逆に、必要な行為でもリスクが高いならどこかで妥協してしまう癖もあるな。あいつに限らず葉山高生には良くある話だが。
電車の中では携帯プレーヤーで音楽を聞いている。中身はおそらく人気のJPOPだろう。我が校に限らずとりあえず流行に乗っておくのはどこの生徒も変わらないようだ。
おや、平田の目が一方向に固定されているな。
奴の視線の先にいるのは、サラリーマンとOLだな。ふーむ、別に痴漢とかではないようだ。
これはあれだ、いわゆる人間観察だ。葉山高生というより平田特有の習慣だな。
ぶっちゃけ平田は寡黙というか一歩間違えれば根暗の無口男だから普段他人と喋る習慣は無い。まあ不細工なわけでもないしおどおどした雰囲気がないからそういう風に見られることは滅多にない。
無口の代わりと言っては何だが、人間観察を良くやっているから人の心の機微についてはよく分かっている。いざ口を開けば、案外自分優位に話を進めるのが得意なんじゃないだろうか。
とりあえず私が平田になったつもりで例のリーマンとOLの実況をしてやろう。
まず平田の立ち位置は、座席の壁にもたれかかっている。横目で二人を視界に納められる場所だ。
OLの方はスマートフォンをいじっているな。動画でも見ているんだろう。
サラリーマンの方は……OLのスマートフォンを覗きこんでいる。じっくりねっとりと画面を凝視している。
OLは全く気付いてないみたいだが、平田の視点から見るとリーマンはむしろ露骨なぐらいだ。
このリーマン、自分ではさりげない振りをしているんだろうが、近くの人間が振り向くとさっと目を逸らしたりきょろきょろした後あたかも偶然目に入りましたよ、って感じでまたOLのスマホに目を戻すのだからもう一部始終見ているこっちからすれば滑稽そのものだ。
あ、駅に着いた時の乗り降りで位置が移動したな。もうスマホを覗きこめる距離じゃないぞ。
なんだか未練がましくOLの方をちらちら見ている。何回かOLの方を向いたけどおかしいと思われる前に諦めたみたいだ。十分不自然だったがな。
一体全体OLのスマホの画面には何が映し出されているんだか。私まで気になってきたぞ。
平田は手で口を押さえているな。表情は変わっていないが目が少し垂れている。あれは確実に手の下でにやけているはずだ。
次の駅の乗り降りでまた両者の距離が近くなった。リーマンの方はOLに近づいたことに気付いたようだ。さてどうするのか。
……おお! 何の恥ずかしげも無く画面を覗きこんだ! 奴には羞恥心がないのか? それとも他人に見られているとは露ほども考えないのか?
平田が急速にドアの外へ顔を向けた! かなり奇妙な行動だったがいきなり吹き出すよりはましだと判断したのだろう。口を押さえた手に反対の手で爪を立てている。これはつらい。私だったらリーマンと目を合わせてクスッと笑ってやるがな。まだ子供の平田には観察対象をどうこうするまでは考えられないようだ。
まあ茶番はここまでにしておこう。いくらなんでも朝の一場面で時間を取り過ぎた。
時間は飛んで朝の教室。
平田は無言で教室に入り、自分の席に着く。
始業時間までまだ十分ぐらいあるが、生徒はほとんど揃っている。
この辺りの葉山高生の特徴としては、教室に入った時元気良く「おはよう」なんて挨拶する習慣がないことと、始業十分前にはだいたいみんな登校してくることだ。
クラスメイトといえどそれほどフレンドリーにならないのが我が校の生徒達の嘆かわしい一面である。学校は大学進学のために勉強する場所。部活や友人関係は充実した生活のためにはある程度必要だが最優先ではないという認識がある。
さてさて、ホームルームも終わって一時間目が始まるわけだが、ここで葉山高校の授業内容と生徒の勉強面について話すとしよう。
長々説明するのは面倒なので簡潔にいこう。
まず授業。質も高いし量も多い。授業内容だけでも完璧に修めれば東大に合格できると言われている。実際は予習復習必須でかなりの重労働なのでついてこられる生徒は1割にも満たないが、ついていけた範囲で自分の実力としたり塾や予備校で補ったりしてみんな思い思いに勉強に励んでいる。
そして生徒の勉強だが、一割はどん底の見込みなし、六割は無理をせず、二割強は必死に勉強し、残りの一割に満たないほんの一握りは、まごうことなき天才、もしくは秀才。
最後の一握りの生徒達だが、彼らは勉強で苦労することを知らずそれこそ大学受験に限るならどこの大学だって狙える奴らだ。放っておいても学校に功績を残してくれるから学校運営者からすればありがたい生徒達だろう。
ちなみに平田はと言うと、最も多い無理せず勉強をする派の生徒だ。嫌にならない範囲で、でも将来のために学歴は付いた方が良いからなるべく勉強はしておく。この学校に集まるのは大抵そういう奴らだ。例外的に何らかの理由で全く勉強する気を無くした奴らもいるが。
平田の授業風景だが面白くも無いので飛ばそう。休み時間は誰とも喋らないし(そもそも半数は次の時間の予習をしている)、授業で当てられても普通に答えるしな。
昼休みも似たようなものだ。一人で食べる生徒はそれなりにいるし、グループで食べる生徒と半々ぐらいだ。
放課後に行こう、と思ったが平田は帰宅部だった。
代わりに葉山高校の部活動について説明しよう。まず、帰宅部は意外かもしれないが少数派だ。
意識的にしろ無意識的にしろ、勉強だけやっていてもモチベーションが上がらないことを経験的に知っているから部活に参加する生徒も多い。
生徒によっては点数稼ぎと気分転換の一石二鳥を狙って委員会に入る者もいる。
葉山高校の生徒は八~九割が部活に所属している。委員会は学期毎に決められた人数の委員を各クラスで決める。
しかし部活に参加する生徒が多いわりにはあまり良い成績を出す部がない。
元が進学校だから仕方ないが、熱心に練習する運動部であっても一人一人の地力が低いので大会で部活動に力を入れている高校と当たれば負ける。
文化部も練習や活動時間がたくさん必要な部は必然的に成績を出せない。
我が校で強い部といえば、囲碁部や将棋部、それからたまに文武両道の人間が入学してきて運動部で個人的に活躍するぐらいだ。
あとはクイズ研究会が熱心に活動しているのだが、部員が二人しかいないのでもう一人入部させて高校生クイズに出ようと去年から躍起になって部員集めをしている。
部活動に関してはそんなところだ。平田の話に戻ろう。
このまま何も起こらないのもつまらないな。でも平田だし、仕方ないか。そもそも何も起こらない物語だしな、これ。
おや、運動場で珍しく騒動が起きているな。ぎゃーぎゃー騒いでいるのが一人いるが、あれは誰だったか……?
というかこの騒動については私も見ていたから知っているのだが、今はあくまで平田視点で話そう。
さて平田も騒ぎに気付いたようだ。どうするのだろうか?
「……」
あ、無言で立ち去ったぞ。ほとんど興味を示さなかったな。
触らぬ神に祟り無し、という訳ではなく関わっても自分に利点がないからだろうな、平田の場合。
人並みの親切心は持ち合わせているが、進んで関わろうとはしないのは他の葉山高生、だけでなく今時の子供にはありがちなことだろう。
まあ私もちょっと前まで十代だった訳だし気持ちは分かるぞ、うん。嘘じゃない。
だがこのままでは本当に何も起こらないな。
平田の、というよりそのまま葉山高校の紹介になってしまった。
このままでは何一つ面白くならないまま話が終わってしまう。何か手を打たねば……
じゃあこのまま平田が喋らないままなのも何だから、私が平田と対談した時の話をしてあげよう。
諸君はお忘れかもしれないが私は生活指導教員でもあるのだよ。覚えてくれていたかな?
だから役職柄生徒と話す機会も多い。今後紹介する生徒とも当然腹を割って話したことがある。
熱血教師、とは思ってくれるな。私だって必要がなければ生徒と深い話などしない。たまたまこの物語の期間中は話をする生徒が多かったというだけだ。まあその一因はやはりあの馬鹿にあるのだが。
では平田と私の話だが、会話をしたきっかけは五月に入って奴の遅刻回数が増えてきたことだった。
一年生の頃は問題も起こさないし特出した部分があるわけでもないので全く目立たない生徒だったが、ここに来て一週間に三日も四日も遅刻するようになったせいで私の目に留まった。
生活指導と言っても問題児がいないせいでほとんどやることがない私にとっては、遅刻常習者への注意は数少ない仕事の一つだ。
遅刻が多い生徒のパターンは、我が校の場合二つ。
学校で勉強するより自分で勉強したい奴か、勉強自体嫌になった奴か。
前者は受験前の三年生なんかに多く、「学校の授業は自分に合わない」なんて考えて登校しなくなる。まあこういう奴はたいてい勘違いしているだけだし、結局家にいても自制できなくて失敗するような精神的に弱い奴らばかりだ。
平田の場合は、後者。いやどちらかといえば後者というだけで、実際はもう少し深刻だったが。
四日連続で遅刻し、担任に注意されても次の週やはり何度も遅刻した平田は、学校の規定により担任の次は生活指導である私の注意を受けることとなった。
応接室に呼び出された平田は私に促されて対面に座るが、その様子に緊張はあっても不安や動揺は見られない。
「……平田。なぜ自分が呼び出されたか分かっているよな?」
平田は呼び出されることを想定して心構えを作っていたようなので、私は前置きを入れずに切り出した。
「はい、分かっています」
帰ってきた言葉は簡潔なもの。そもそも無口な奴なので仕方ないかもしれないが、答えは私の口から言うしかないようだ。
「分かっているなら細かい説教は無しにするが、平田は最近遅刻が多いな。何か理由はあるのか?」
「いえ、特別な理由はありません。すみませんでした。以後気を付けます」
平田は突き放したような応答しかしない。
深く踏み入って来るなと、これは自分の問題だと心の中で叫んでいるようだった。
私からすればこういう生徒は初めてじゃない。平田が心の内を話してくれるまではっきりとはしないがいくつか原因の目星は付いている。
というわけで、経験からしてここで問い質すよりも次の機会を待った方がやりやすいと判断した。
「そうか、それならいい。今回の注意はここまでだ。もう帰ってもいいぞ」
「え…………あ、はい。失礼します」
そこで平田は最初戸惑った素振りを見せたが、すぐに落ち着いて返事をした。
まあ私には何を考えていたかお見通しだ。どうせすぐに帰してくれるとは思っていなかったから驚いて、その後私が面倒臭がりだから早く切り上げたがっているのだとでも判断したのだろう。
概ね当たりだが、一つ間違っている。確かに私は面倒事は避けて通りたいが、後回しにしても最終的に私が解決しないといけない問題に対してはちゃんと取り組む。
ただその過程で省ける面倒事はやっぱり避けようというだけだ。
だから次回への布石として、部屋を出ようとドアノブに手をかける平田に声を掛けた。
「一つ忠告しておくがな、平田」
ぴたっ、と動きを止めて平田が振り返る。
「……なんでしょうか」
「自分で気を付けるといった以上、明日からも遅刻が続くようならまた私と顔を合わせなきゃいけなくなるぞ。この次は平田の遅刻問題に対して私自ら解決に当たる。自分でなんとかできるのはこれが最後のチャンスだから、心して置くように」
「……分かり、ました」
つっかえながら答える平田を見て、平田が私の言葉の裏を読んでくれたようだと確認した。口下手なあいつからすれば思考を巡らせながら返答しようとした結果なのだろう。
その上で分かったと言ったのだから言質を取ったも同然だ。次回を楽しみに待つとしよう。
さてさてそんな出来事があった次の週、案の定平田は応接室で再び私の前に腰を下ろしていた。
「平田、なぜこの場にいるか確認するまでもないよな?」
「…………はい」
相変わらず口を開くのが遅い奴だが、前回とは様子が違う。この間より精神的に参っていて、そのせいで私への態度も弱々しくなっている反面、それを取り繕いプライドを保とうとする感情も見てとれる。
「結局平田は自分の力で遅刻を減らせなかった訳だが、まさかなんとなく遅刻するようになってしまいましたとは言わないよな? 今日はお前が遅刻する理由も話してもらおう」
私は早速前回の布石を持ち出した。
「……わざわざ話す必要は、無いと思います。個人的な理由ですから」
「平田、これは問題解決のために必要なことだ。平田自身の力で解決できない以上、私が指導しなければいけない。学校という組織に所属している以上、遅刻をせずに登校するのは平田の義務。その義務を果たせないなら、原因を話すのも平田の義務じゃないか?」
私がこういう言い方をするのは、平田に話しやすくするためだ。
平田が無口なのは、ただそういう性格だからというだけではなく自尊心が強いため心を閉ざしているのも理由にある。だからこいつのプライドを傷つけないように、教師に悩み事を相談するという自分を意識させないように、義務だと言い張る。
生徒の心を開かせる方法も色々だが、私が取るのはいつも一番効率的な手段だ。手っ取り早い方が面倒じゃないしな。
じっくり生徒と向き合って心の成長をさせるとかは、だるいし生活指導の域を脱しているだろう。それを生徒が望んでいるかどうかも分からないしな。
果たして平田がどう反応したかというと、私の思惑通りだった。
「たぶん長い話になると思いますが、いいでしょうか?」
恐る恐るだが、心を開こうとしている。私に拒否されると自分が傷つくから、慎重に確認もしてくる。
「どれだけ長くなってもいいから話すと良い。生活指導教員なんてそのためにいるようなものだ」
もちろん私は最初から奴の話を聞く気なので肯定した。
一度を腰を浮かせ、居住まいを正して平田が語り始める。
「なんというか、自分って部活にも入ってないし、特に趣味もないし、それでもこの学校に通っているので勉強だけが取り柄みたいなものなんですが……」
「ふむ、それで?」
威圧感を与えないように、簡潔な相槌を打つ。
「二年生に進級しても生活に変わり映えが無くて、高校にいる間はずっとこのままなのかなとは思っていたんです。でも」
平田は少しだけ口を閉じて、次の言葉を探っている。何と言えばいいのか、言ってしまっていいのか逡巡していたが、思いきった様子で再び話し出した。
「唐突に高校から先の将来も想像しちゃって……大学に入ったからって、就職したからって、何が変わるんだろうかって。結局無意味な毎日を過ごし続けるんじゃないかって……思ってしまって。それで、自分が今まで何の理由もなく勉強していたことにも気付いて。理由もなく頑張るのが嫌になってしまって……」
ここまで聞いた平田の話は私の予想から大して外れていなかった。
「理由がないって言っても全く無いわけじゃなくて、親のためとか、大学に行くためとか、そういう理由はあるんですけど。突き詰めると自分のためっていう理由が一つも無くて……」
周りから与えられた目標しか無くて、動機が足りない。小さい頃からの刷り込みで出来た「勉強はするものだ」「学校は通うものだ」なんて思い込みだけを支えにして生きていたから、急に支えがなくなると一気に自分が崩壊するんだよな。
「そしたら……何言ってるんだって思うかもしれませんけど、なんだかもう自分の人生自体無意味なものに思えてしまって。これから先自分が変われるとも思えないんです」
極端な言い方をすれば自分というものが薄いから、今までの自分さえ否定されるともう何も残っていない気になる。
「生きがいみたいなものが必要だと自分では感じているんですけど、興味を持てることも無くて。勉強も趣味も人付き合いも、自分にとってはそんなに重要じゃ無くて……」
平田自身はもう袋小路だと考えている訳だ。これ以上解決策が見つからない。ここ数週間でそこまで思い悩んで、行き着いた先が出口の無い思考の迷路だ。
それはもう放って置いたら自殺してもおかしくないほどのショックだろう。でもなあ……
「どうしたら良いか分からなくて。遅刻の言い訳にはなりませんけど、何に対してもやる気がなくなってしまっていました」
さっきから平田は私の反応を気にすることも忘れて心中を吐露し続けている。でもなあ……
「平田」
「は、はい」
「お前の悩んでいることなんて誰でも大なり小なり考えているんだよ! 自分が特別だとでも思っているのか! 『こんなに深く思い悩んでいる俺カッコイイ』とか『誰もこの可哀想な俺を理解してくれない』とか! 心の底では思っているんじゃないのか? そんなことでうじうじしてないでまずは行動。自分を変えられないとか思い込んでないでその前に限界まで足掻かないでどうするというんだ! やる気が起きないならさっさと死ね! 死ぬのも無為に人生を送るのも嫌なら根性で努力して見せろ!
…………なんて言えたら苦労しないのだが、教師が生徒に対してそんな暴言を吐くとPTAとかモンペレとかがうるさいし、ああ……面倒臭い。
仕様が無いので私は今の心の叫びを胸の奥深くにしまって、目の前の面倒臭い生徒に優しい言葉を掛け始めた。
「平田、甘ったれるな」
「う、……はい、すみません」
……いや、優しい言葉だぞ? 表面だけ取り繕ったような言葉よりもこう言う方が平田のことを思った真の優しさがあるというかだな。嘘じゃないぞ?
平田が私に拒絶されたと思って心に傷を負っているようにも見えるが、ここから挽回するんだ。決してむかついたからちょっとひどい言葉を叩きつけたわけじゃない。
「勘違いしているかもしれないが、私は平田の悩みを否定している訳じゃない。平田の自分の悩みに対する態度が甘いように思えたからそう言っただけだ」
「……はい」
別に平田は私に委縮して「はい」しか言えなくなっている訳ではない。はずだ。
「その、なんだ……平田が抱えている悩みというのは、他の人間も少しは考えることだ。平田の場合はそれが少し深刻なんだな」
ほら、平田が望みそうな反応をしてフォローも入れてるだろ? 私は生徒のことをちゃんと考えているんだよ。
その証拠に平田も緊張がゆるんで私と会話しようとしてきたしな。
「鷹田先生もそういう悩みを持ったことがあるんですか?」
「……そうだな、私にもある」
ちなみに私は全学年の世界史を受け持っているので元々平田とも面識がある。
だからこいつも知らない教師よりは会話を試みようと思えたのだろうが、さっきまで一方的に喋っていたとはいえ、やっと会話する気になった話題が、これとは……
私としては生徒には話したくない話題なので、単純に平田への助言だけに止めた。
「その私の経験から言わせてもらうと、とにかく行動をするしかない。平田は自分を変えられる自信が無いようなことを言っていたが、そういうものではないんだ。気付いてないかもしれないが、平田の力で変わることはできなくても、誰かの力で変われることもある。とにかく動いてみるしかないな。別に何かを強制する訳じゃないが、私の立場から平田に言うべきことは一つだ。遅刻をするな」
「そうですか……」
幸いにも平田は私の過去より私の言葉に興味を示したようで、自分の考えに没頭し始めた。
こいつは普段人と会話しない分、頭の中では人並みの倍以上のことを考えている。おそらく私の言いたいことも分かってくれるだろう。
まあ普通の人間が平田と同じ悩みを持っても日々の忙しさの中で悩んでいる暇も無くなるんだがな。考える人っていうのも良いことばかりじゃないってことだ。
その後も私は生活指導教員として平田に二、三の小言をくれてやったが平田は素直に頷いた。わざわざ語るまでも無い形式的なお説教だったが奴はさっきの助言に感心して私のことを認めたようで、私の言葉にはすんなり首肯した。
結果として、平田の遅刻は無くなった。
あの後も思い悩むことが無くなった訳ではないようだが、それでも学校には来る。私が言った「とにかく行動」の第一歩は登校することだからだ。家に引き籠っていては人との出会いさえ無いしな。
しかし今回私は平田に対して特別重要なことをした訳ではない。
ドラマに出てくるような、真剣に生徒と対峙し幾度もぶつかり合い、事件の末に深く理解し合い、感動を伴って終結するようなことは無い。
そもそも平田の物語が本当に終わる訳ではないし、平田が私の言葉に感動したのでもない。ただ聞き入れるべき言葉の一つとして聞き入れ、自分で納得しただけだ。
私が奴の問題解決に一役買っていたとしても、解決したのは平田自身。
青春ドラマのような出来事があるわけがない。何も特別なことは起こらない。
生活指導の教師が遅刻常習者を一人矯正した。言葉にすればこんなものだ。
さて、これで平田慶次という生徒の話は一旦締めさせてもらおう。
奴が活躍、と言っていいのかは分からないが目立つのはもう少し先の話だ。そこには当然、あの馬鹿も関わって来る。
……その馬鹿の話はいつするのかって? まあ諸君の気持ちは分からないでもない。
今回みたいにつまらない男のどうでも良い悩みを聞かされた身としては、いつ面白くなるのか気にするのは無理もないだろう。
だが敢えて宣言しよう! 馬鹿の登場は最後だと!
諸君には今回のように話の種にもならない、取るに足らないような人物達の話にもう少し付き合ってもらう。
そもそも私が話そうとしている出来事に関わった人間は、葉山高校の生徒を含めて軽く千人を超える。私が知る限りでも、数十人分は話せるのだぞ?
だから私もどの人物について話そうか迷っているのだ。せめて十人ぐらいには止めたいが、どうしようか……
うん、とりあえず話したいだけ話すとしよう。
心配せずとも途中で面倒臭くなるはずだから、十人にも届かない内に「次はあの馬鹿の話をする」と宣言するはずだ。
馬鹿について話した次の回からは、それまで語った人物全員が関わるこの物語の核心とも言うべき出来事が起こる。ある意味そこからが本番だ。
とはいえ期待してもらっても困る。「葉山高校の日常」はつまらない話だと冒頭でも念を押してあるし、あの馬鹿に対してライトノベルの主人公の様な魅力的な人物像を期待するのはやめてくれ。あくまで現実にいる平々凡々な一高校生だから、そのことは忘れないで欲しい。
それでは今回はここまでだ。
平田の話はあまりにも退屈だったから、次はもう少し活発な奴の話にしよう。楽しみにしていてくれたまえ。
本格的に一人分の話を書いてみましたが、一回の更新に毎回一~二週間は掛かりそうです。十月に入ればもう少し更新ペースを速くできるかもしれません。
この作品にまだ読者は定着していませんが、これからも続けて読もうと思ってくださった方に対してそれぐらいの更新頻度だとお知らせしておきます。