最終話 願い
ショッピングモールで窮地を迎えたアンダンテとニーナ。フォルテの怒りは当然収まるものではなく危うくまた1人命を失う所だったが、何とか思い留まる。重苦しい空気の中、アンダンテは急に夕ご飯の話を始めた。
「思うにあんたの連れ、頭のネジが数本抜けてると思うんだよ」
雑貨屋でニーナがフォルテに言う。隣で割れた食器を持ち上げながらマークが肩を竦める。
「まあでも何というか、悪い人ではないよな」
フォルテは食器を掴むとホコリを振り払う。ヒビが生えていた。
「僕から見ても変な人だとは思う」
アンダンテは「鍋を探して来てくれ」と唐突に3人に言った。当人はクッキングプリンターのメンテナンスをするらしい。タダ飯にありつけるとあればニーナやマークに断る理由はなかったが、彼らに食事を恵む理由は分からなかった。
中から1つ良い感じの器を見つけるとフォルテはマークにそれを見せる。
「こんなのどう?」
「うーん。鍋としてはちょっと小さいかも」
出会いは最悪で生きるためなら殺人も厭わない2人ではあるが、こうして争いさえなければ兄姉の様な気風だった。フォルテも2人を心から許してる訳でもなく、2人が怖いとかでもなく、ただ邪険にするのも少し違う。そんな気がしていた。
結局、仇のニーナは殺せなかった。それでもニーナはそんなフォルテを馬鹿にしつつ「羨ましい」と言っていた。その言葉の意味が分からなかった。
改めて使えそうな鍋を探しながらフォルテはニーナに尋ねてみる事にする。
「ニーナ、僕は君を殺せなかった。殺すより殺される側って言うのも自分でよく分かる。でも羨ましいって?」
フォルテの疑問に黙るニーナ。それから助けを求める様にマークの方を向く。マークはフォルテの方を向いた。
「なあフォルテ、もし君がどうしても無抵抗な人を殺さなきゃいけない場面に立ち会ったとする。手元にあるのはナイフと拳銃。どちらを選ぶ?」
「拳銃」
「どうして?」
「それは…相手を苦しめずに済むし…」
「そう。それと、人を殺す自身の心の負担が少ないってのも少なからずあるんじゃないか?」
フォルテは頷いた。マークも頷く。
「世の中には平気で人を殺せる人間と、必要に迫られれば人を殺せる人間と、人を殺せない人間の3種類に分類されるんだよ。あの時、もしニーナを撃ち殺してしまえたなら君の怒りと憎しみは鎮まった事だろう。でもね、その後の人生でニーナを、人を殺めてしまった事に対して、一切の罪悪感を感じずに生きて行けたと思うかい?」
フォルテは首を横に振る。
「仮にニーナがどんなに極悪人でもそれは変わらなかったと思う。罪悪感かは分からないけど…ただただ、人を殺してしまったと言う事実に僕は耐えられる自信がない」
マークは頷く。ニーナはそっぽを向いた。
「俺達は人殺しだ。同情なんかいらない。だが、こう言う見方もあると思うんだ。俺達は必要に迫られれば人を殺せてしまう人間…」
殺せてしまう。フォルテは頭の中でその言葉を反芻する。
自身が親しんだ相手が殺された時、怒りと憎しみで心が支配されてしまった。自身が理不尽に殺されたなら、相手に怒りを向けたり憎んだりして死んで行ったはずだ。
でも、もし自身が生きるために人を殺せる人間だったなら?我が身の可愛さのために人を殺せたら?どんなに罪悪感に苦しめられるだろう。殺した相手がどんな人生を歩んだのか、誰とどんな事を語って、感じて、今際の際にに何を考えたのか考えてしまうかもしれない。
誰かから同情なんかされようがない。我が身の可愛さのために奪う人間なのだから。復讐で殺されたって文句言いようがない。きっとこうなる運命だったと諦めざるを得ない。フォルテはうなだれる。
「良心の呵責に耐えられなくなるとやがて自分を正当化する様になる。弱肉強食が世の摂理だ。たまたま奴は弱者で、俺は強者だっただけ。運のない奴だった。あんなマヌケ、放っておいても他の誰かに殺されたはずだって。そう思わなきゃやってられないんだよ」
そう言いながらマークはフォルテの元に行ってしゃがむ。
「もし殺人に手を染めずに生きていたなら、そんな風に考える事もある。…どうだ、俺達を可哀想だと思うか?」
フォルテは首を横に振った。
「ちっとも」
マークは微笑んでハグした。
「それでいい。誰にも同情もされない人生は辛いぞ。お前は人に胸を張れる人生を歩むんだ」
そう言って背中を叩いた。
向き直りそんな様子を眺めていたニーナが頬を掻く。
「…その、鍋が見つかったんだが、いつ言えばいい?」
そう言って少し小さめの土鍋を見せる。
…ピピッ。ガタガタ。プッシュー。ドゥロロロロロ…。チーン。
すっかり日が暮れた。4人は道の真ん中で出来立てのちゃんこ鍋を囲む。アンダンテが取り皿に分けて渡す。多くの水が必要だったが、マークが数キロ先の水源地まで取りに行ってくれた。土鍋から湯気が上がっている。相変わらず料理は緑がかっていた。
ニーナは料理の匂いを嗅ぐ。
「はぁ…文明の匂いがするな」
「どんな第一声だ」
マークは困惑する。アンダンテはガツガツと食べる。取り皿の分をペロリと平らげるとすぐにおたまでおかわり分を注いでまた食べる。フォルテもお腹が空いていたのでかき込む様に食べる。
メンテのおかげかキャベツや人参やしいたけの食感の再現度はいつもの料理の食材より良い。まろみが少なくシャープな塩味がまさにケミカルテイストと言った具合だが、今回はニーナとフォルテが協力して獲った雀の肉団子も入っているのでひと手間加えてあって美味しい。ニーナもマークも遠慮なく食べる。
料理が冷える前に土鍋の中はすっからかんになった。カートリッジの中身もまばらにかなり減った。かなりのボリュームだった。それぞれお腹を満たして寛ぐ。
「…ランドの奴にも食わせてやりたかったな」
マークが呟いた。
「あいつが生きてたら料理よ取り分が減っちまうだろ」
ニーナがヘラヘラと笑いながら言う。
「お前なあ…」
マークは呆れる。フォルテも苦笑いした。アンダンテは鼻歌交じりに片付けをする。土鍋持っていかずは置いていくらしい。軽く水洗いして元あった場所に戻しに行った。その間に鍋のあった場所にマークが火起こしする。
戻って来たアンダンテも含めて4人で焚き火を囲む。ニーナは落ちていた小さな小枝を火の中に放り投げた。
「分かんねえな。あたし達はあんたを利用しようとした。あたし達のせいで酷い目に遭った。別に脅された訳でもないのに、何であたし達に飯なんて振る舞うんだ」
「飯は皆で食う方が美味い。それ以外に理由なんかいるか?」
「変な奴。あたしにはあんたと言う人間がさっぱりわからん」
火が小さくなって来た。フォルテはうとうとして、次第にアンダンテにもたれかかる。ニーナが枯れ葉を小さくなった火に投げ入れる。アンダンテが小枝で薪をかき混ぜる。
マークは火を眺めながら呟く。
「あんたはいい奴だ。だから、こんな世界じゃ早死にするんじゃないかって心配になる。俺はあんたみたいな人に長生きして欲しいんだよ。俺達みたいな人間にこんな事をしてたら、骨の髄まで吸い付くされてしまうよ」
アンダンテはため息をつく。
「どいつもこいつも奪うか奪われるかばかり考えやがる。そうじゃないだろ。与える奴も、貰う奴もいるんだ。こんな荒廃した世界でも、誰かが隣人に少しだけ親切になるだけで少しは良くなるんだぜ」
そう言ってアンダンテはかき混ぜていた小枝を火の中に投げ入れる。
「自分の事ばかり考えるから、誰も信じられなくなって…自分で自分を苦しめて…。俺にはお前達の考える事がちっとも分からねえ」
パチ…パチ…。消えた火が音を立てて燻る。アンダンテは鞄を探ると中から朝から散々な目に遭ったデパートでフォルテに手渡されたパンフレットを取り出した。それをニーナに投げる。
「デパートのパンフレットだが地元の観光案内の地図のページもある。そこに先日会った奴に聞いた生存者の集落らしい場所を記しておいた。本当に悪事が嫌ならここで死ぬ気で頼んで入れてもらえ。そして人のために働け。今の生活よりよっぽどマシだろ」
ニーナはパンフレット上の地図を眺める。それからマークにそれを見せる。
「ありがとう。やってみるよ」
隣で寝息を立てるフォルテの頭を撫でるアンダンテ。彼も目を閉じてそのまま寝た。
翌朝、野営地の近くにアルタとランドの墓を間隔を空けて作った。ランドの死体は回収できなかったが、アルタの死体は埋葬した。死後の祈り方は分からなかったので、アンダンテのやり方に倣いそれぞれの想いを胸に死後の安寧を祈った。
それから襲撃者2人と別れを告げてお互いに別の道を歩み始めた。マークにどうせなら一緒に来ないかと誘われたが、アンダンテはアルティノへ行く用事がありフォルテはもうしばらくあのベチャベチャの変な緑色の料理が食べたいと言う理由でアンダンテについて行く事にした。
出会いも別れも突然で、ぶつかりあったりもした。それでも別れ際にニーナが「その目的が済んだらお前らも集落に来いよ。今度はあたしが美味いもん食わしてやるぜ」と言っていた。奪い奪われる間柄に確かな変化があった。それだけでも、きっとこの出会いは決して悪くない物だった。フォルテはそう胸に刻んだ。
その日は料理のレシピも見当たらず、生存者とも出会わず、ただただ歩いた一日だった。誰もいない市街地で、特にしっかり風化に耐えた民家で寝泊まりする事になった。古い民家の木材の匂いがノスタルジックな気持ちにさせる。
地図上で見ればいよいよ生存者集落が近くなってきた。そこの環境さえ良ければ、もうアンダンテとフォルテはお別れになる。だから、何となくもう別れだと思うと、少し会話がぎこちなかった
その日の夜、2人で並んで仰向けに寝る。フォルテは天井を眺めながら呟いた。
「アンダンテはアルティノで理想のデザートに会えたら、今度はどうするの?」
「ん?ああ、そうだな。また美味しい料理のレシピでも探す旅を続けるかな」
「ふうん」
それからしばらくお互いに黙る。アンダンテはフォルテに背中を向ける。フォルテは目だけをアンダンテに向けた。
「でもさ。美味しい料理を食べたいなら集落に定住すべきじゃない?皆で食べる料理が美味しいんでしょ?」
アンダンテは所々破けた毛布を深く被る。フォルテはアンダンテの方を向く。しばらく黙っていたアンダンテだったが、まるで背中越しの視線に耐えかねた様に答える。
「美味しいだけじゃ駄目だ。色んな料理が食べてえからな」
「そっか」
こんな会話も今夜が最後になるかもしれない。なんてフォルテはぼんやり考える。
「アンダンテ。世界が荒廃する前は、世界中の人々は隣の人に親切だったのかな」
フォルテは生まれた頃から世界は荒廃している。文明が衰退する前の時代を知らない。アンダンテは前時代の技術を持ち歩いて、前時代の料理を食べ歩いている。
彼の年齢はとても分かりづらい。老けて見える若者なのか、若く見える壮年なのか。彼の生まれ育ちの一端に触れられそうな気がしてこんな疑問をぶつけてみたのだ。
彼は布団から顔を出した。振り返りもせずに答える。
「いや。人類は文明より先にモラルが廃れたよ。隣人を憎み、遠くの何かを愛する様になった。人間の権威による支配は失墜したけど、代わりに蠢く大衆が作るうねり…流行に支配される様になった。統率者のいない流行が大きな生き物みたいになって、誰にもコントロールできない対立と争いを生んだ。他人を顧みず、自分の事だけを考える事が最善になる最悪の時代だった」
フォルテは敷き布団をキュッと強く握った。
「正しさに固執した極度の潔白主義が強固な監視社会を生み、狭量な完璧主義が善意を雁字搦めにした」
アンダンテは身体の向きを変えてフォルテの方を向く。
「かつては貧困が争いを生んでいた。今がそうだ。でも、昔は人と人を繋ぐ機械が豊かさの中に対立を生んだ。もうその機械はもう存在しない。人が隣人を愛するだけの事さえ思い出してくれれば、無駄な争いは、無駄に流される血は減るんだ」
そこまで言ってアンダンテは涙をボロボロと零した。。
「誰かが誰かの幸せを願う様になる。そのきっかけを撒いて回るんだ。ただそれだけでいいんだ。誰かが誰かを憎んで、不幸を願って、奪ったり、奪われたりするのはもう散々なんだ…!」
アンダンテはそう叫んで両手で顔を覆って泣き出した。
彼はいつから生きているのだろう。どこで生まれてどう生きてきたんだろう。何を体験して、何を感じて来たのだろう。フォルテにそれは分からないが、ただその消えそうなほど小さな悲痛な声が彼の人生を追体験させる様に胸を抉る。
きっと気が遠くなるほど前からこうしていたんだろう。誰かの幸せを願って生きてきたんだろう。自分の撒いた希望がどこか知らない所で芽吹く事を願って。
フォルテは静かにアンダンテを抱きしめた。やがて彼は泣き疲れて眠ってしまった。フォルテもそのまま眠りにつく。
朝になるとアンダンテが瞼を擦って起きる。少し寝過ぎた様で日が彼の想定していた位置より高く昇っていた。見渡すが近くにフォルテがいない。
「フォルテ?」
彼は泊まった民家の近くにいた。出発の支度を済ませ、仕掛けていた罠にかかった小動物を捌いている。
「おはよう、今日は遅かったね」
「ごめん。寝過ぎた」
アンダンテはヘラヘラと笑う。彼の料理を手伝い、共に完成した朝食を食べる。アンダンテは地図を開き、そこに書かれた目印を指差した。
「今日はここへ向かうぞ。いい所だといいな」
「アンダンテの眼鏡に適うかレシピがあるといいね」
そう言いながらフォルテはアンダンテが以前の生存者グループと取引きした時にもらったタレをつけた蛇の蒲焼きを食べる。アンダンテはウサギ肉とカラスノエンドウと保存していたヒエを塩で味付けしたお粥を食べる。
「俺の事は良い。フォルテは自分が住むのに適しているかどうかだ」
蛇の蒲焼きを食べ終えて串を置いて首を横に振るフォルテ。
「その事なんだけどさ。やっぱり僕、アンダンテについて行きたい」
食事の手が止まるアンダンテ。フォルテは彼の目を真っ直ぐに見据えている。
「駄目だ。危険過ぎる。俺はお前を守ってやれるかも分からないし、いつ飢え死にするかも分からないんだぞ。お前だって俺と一緒にいて不安な事も危険な事も沢山あっただろ」
「それは生存者グループと旅をする時も集落にいる時も変わらないよ。いつだって暴力や飢え、不測の事態に怯えてる。どうせ同じなら、アンダンテと一緒にいたいんだ」
アンダンテはため息をついた。
「バカげてる…」
そう言ってお粥をかき込む。
「隣人に親切にする。隣人を愛する。誰かの幸せを願う。そうするきっかけを配って回って皆を幸せにする。それがアンダンテの願いでしょ?なのに与えるだけで自分は受け取らない。皆を幸せにする願いにアンダンテ自身が含まれていないのはおかしいじゃないか」
アンダンテは笑った。
「分かった、分かったよ。どのみち交易はしたいから集落には寄るぞ。だから早くご飯を食え。冷える」
フォルテはアンダンテに断られてもまだ食い下がろうとあれこれ返す言葉を考えていたので、思いのほかすんなりと受け入れられてパァーッと顔が明るくなる。やれやれといった顔をするアンダンテだったが、わずかに笑みが溢れている事は自覚が無かった。
自分の幸せを願う。アンダンテはフォルテの指摘の通り、自ら抱く願いから自身が抜け落ちている事に気付けなかった。彼は食器を置いて胸元に手を当てる。
「そうか。俺、ずっと寂しかったんだな…」
「え?今何か言った?」
思わずこぼれた独り言を聞かれて焦るアンダンテ。
「な、何も言ってねーよ!」
「え、何で急にキレてんの…?」
そうして食事を終えると片付けをした。次に誰かがこの民家を使うとしても気持ちよく使えるようにできるだけゴミは残さずに立ち去る。
2人で立ち並ぶ廃墟の住宅街を歩く。温かな風がアンダンテの髪をそよそよと撫でる。
「ところで気になったんだけど、アルティノって遊園地にあるって言うデザート、名前は何て言うの?」
「うん?ああ。フルーツポンチって言うらしい。楽しみだよな」
「どんなのだろ」
「イメージ画像ならレシピにあるぞ。見てみろよ」
そう言ってアンダンテは鞄からレシピを取り出す。
びゅうっと一陣の風が吹く。軽く手に握っていたレシピが吹き飛ばされる。焦って走り出すアンダンテだったが、地面に下ろしていた鞄のヒモに足を引っ掛けて転ぶ。フォルテは走ってレシピを追いかける。
草の生えたアスファルトに鼻をぶつけたアンダンテは「いてて」と言いながら鼻を擦りながら起き上がる。レシピを追って遠くなっていくフォルテの背中を見てアンダンテは更に焦る。
「お、おいあまり先を走るなって!」
急いで鞄を背負い、レシピを追いかける彼の背中を追いかけて行った。彼らの過ぎ去ったこの街並みには後には静けさが残るばかりである。
元々一万文字の1話で終わらせるつもりだった事もあって特に言う事がなくなった




