第二話
ハーツは穏やかに目を覚ました。
戦闘地域で眠ることも多い彼女にとって、心休まる時間というのは貴重なものだ。
ベッドから這い出て、洗面台に立つ。鏡に映る自分の姿を、眠気眼で眺める。
彼女の右目は左目に比べて薄い青色になっていた。これは後天的にできたものだ。長期間の目の酷使によって、瞳孔が薄くなっている。
跳ねた髪を直しつつ、少しムッとする。
自身の身体は同年代に比べて小さい。身を隠すのに最適ではあるが、運動能力の維持はそれに伴って難しい。
「ハーツ、おはよう〜」
欠伸とともに、ロードが起きてきた。長い黒髪は、爆発したようにボサボサだ。
着ているタンクトップは、胸部を強調するように押し上がっている。それを見て、さらにムッとした。
「どした?」
「なんでも」
素っ気なく視線を外し、寝癖を直す。そのまま歯を磨いて顔を洗った。
お腹を掻きながら歯を磨いているロードを置いて、ハーツは寝床に戻る。
ベッド横にある狙撃銃を手に持つ。一通り正常に動くか確認してから、肩に担ぐ。
ドアを開けて、外に出る。太陽の眩しさに、右目を少し細める。
風が人々の声を運んでくる。人の温もりがくすぐったくなり、壊れたヘッドホンを耳につける。その瞬間、世界から切り離された感覚がして少し安心する。
「こんなに敵が多くちゃ敵わねぇ!」
そんなハーツの耳に、聞き覚えのありすぎるブリッジの声。
戦場では多対一でも生き残る男が、子どもたち相手に押されていた。
笑い声が入り混じる。ブリッジは完全に遊びの標的だ。
「クソー! 降参だ降参!」
そんな彼が、髪の毛を引っ張られながら片手でこちらに挨拶してくる。
「お、ようハーツ」
ハーツは彼の姿を見て、少し息を吐く。
「何してるの?」
呆れているわけではなく、純粋な疑問である。
「いやぁ、朝から元気なちびっ子に標的にされちまってな」
彼は困り顔だが、どこか嬉しそうでもあった。
「ハーツも混ざるか?」
「遠慮しとく」
銃を担ぎ直し、ハーツは体を背ける。元気な笑い声が背中にぶつかった。
「ハーツちゃん、今日も元気ね」
「そう」
「おー、ハーツ。後で店に寄ってかねぇか?」
「ん」
「ねぇ、ハーツ。今日も遊ばないの?」
「遊ばない」
集落内を歩いているだけで、様々な人が声をかけてくる。それほどハーツたち四人のチームは、大切だということだ。
正直、話しかけられるのはあまり好きではない。ノイズが混じり、心が乱される気がするから。それでも悪い気はしていないあたり、自分もずいぶんと馴染んできたと思う。
しばらく歩いてから着いたのは、集落隅にある監視塔だった。鉄柱を叩くと、塔の上から兵士が一人こちらを覗き見る。
「今日も来たのかハーツ」
「ん、交代」
「いつも助かってるが、たまには休んでも良いんだぞ?」
「間に合ってる」
短く応えると、はしごを登る。そんなハーツに向かって、兵士は大きくため息をついた。
「それじゃあいつもの通り、何かあったら教えてくれ」
それだけ言うと、彼は降りていく。
パイプ椅子に腰掛けて、狙撃銃を降ろす。弾倉を取り出し、弾が入っていることを確認する。
そのままボルトレバーを引き、銃の中の弾を取り出した。
動作は問題ない。今日もいつも通り、静かに見張るだけ。
中の暖かな風とは裏腹に、外からは冷たい風が流れ込む。板挟みになる位置で、彼女は静かに呼吸する。
彼女が思い起こすのは、昨日の廃都市での戦い。一人一人の練度はそこまでではなかった。しかし、あれだけの集団が襲いかかってきたのは、ここ最近では珍しい。
「やっぱり不穏」
ふと、言葉が漏れていた。何かがかき乱している予感がしてならないのだ。
その予兆はきっとフラッグも感じているだろう。朝から姿が見えないのは、どこかで話し合ってるからだろうか。
今日の警らは、五小隊二十人で行われていると聞く。ハーツたちほどの練度はなくとも、それなりの強さを誇っている。だから、心配しなくても良いはずなのだが……。
「……っ!」
身を屈めた。鉄塔を掠めた弾丸が、甲高い悲鳴を上げた。明らかに悪意を持った視線がこちらに貼り付いている。
近くにある無線を持ち、フラッグがいつも繋いでいるチャンネルに回線を合わせる。
『どうした?』
「南方向、狙撃。敵影二名、多分斥候。力量はそれなり」
『……分かった警らと連絡を取る。そこから狙撃できるか?』
「可能。逃走ルートも把握済み」
フラッグの返答を聞く前に、風の音だけを頼りに照準器を覗く。
二百メートル先の崖上。一方は狙撃銃を持って呆気にとられている。もう一人は握った双眼鏡をしまいつつ慌てて逃げようとしていた。
呼吸を止める。引き金を引く。
発砲音が空気を割いた。
照準器の先で、観測手であろう兵士の頭から血が飛び散った。
呼吸を戻す。息を止めていた反動で鼓動が早くなっているが、数秒で元の温度に引き戻す。
レバーを引いて、空薬莢を排出する。金属音が大きな音を奏で、張り詰める空気を倍増させる。
狙撃手は、動かなくなった仲間を見てすぐに身を翻した。
相手の退く判断が早い。これは完全に訓練されている人間のもの。
きっと最初のプランは、見張りを殺してから迂回路から攻める予定だったのだろう。しかし、その一手目を失敗した。
本隊は今頃、撤退を始めているころだろうか。
だったら、あの狙撃手を逃すわけにはいかない。
呼吸を止める。外さない。心で誓い、引き金を再び引いた。
放たれた銃弾は、狙撃手の右肩を貫いた。そのまま地面に倒れる。
急所はわざと外してある。しばらくは生きていられるが、動けないだろう。
無線機を取って、連絡を入れる。
「一人沈黙。もう一人は行動不能」
『よくやった。確認に仲間を向かわせる。ハーツはこのままこっちに来れるか?』
「可能」
それだけ言うと、彼女は狙撃銃を抱え直す。
ふと、立ち上がった時におかしな風がよぎった。
照準器を覗き、行動不能になっていたはずの狙撃手を見やる。
体が痙攣していた。血を吐いていた。あれは完全に何か服毒したときの反応。嫌な空気がハーツの周囲に纏わりつく。
「ターゲット死亡」
『……何があった?』
「服毒。恐らく、口の奥にカプセルを隠してた」
『分かった。ブリッジとロードを呼ぶ。ハーツもこっちに来い』
無線の先に聞こえたフラッグの声は、低くなっていた。
その重たさが、いつもとは違うということを示唆している。




