隠された真実
翌日の朝。約束通り休みの日だったが、迅だけは工場にやってきていた。
「ただいまって、また来たのか」
じいちゃんが苦笑いを浮かべると、迅は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。どうしても気になることがあって」
「昨日言ったこと、聞いてなかったのか?」
「聞いてました。でも」
迅は手にしたノートを見せた。昨夜、家で書き続けた疑問点がびっしりと並んでいる。図表や計算式まで書き込まれた、まるで研究者のメモのようだった。
「この機体のことが頭から離れないんです」
じいちゃんは呆れたような、でもどこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「機械に取り憑かれる気持ち、よく分かるよ」
工場の中に入ると、迅は真っ直ぐRusty Hawkに向かった。昨夜の疑問を一つずつ確認していく。
「やっぱりおかしい」
この燃料噴射システム、教科書に載っているどの機体とも構造が違う。それも、明らかに性能が上回っている。
「じいちゃん、この機体。本当に20年前のものなんですか?」
「そうだが、何か問題でも?」
迅はノートを開いた。昨夜から考え続けた疑問点が、整理されて書かれている。
「この制御システム、20年前の技術じゃ実現できないはずです」
機体の下に潜り込み、配管を指差した。配管の材質、接続方法、制御バルブの精度。どれを取っても、当時の技術レベルを明らかに超えている。
「それに、この姿勢制御ユニット。明らかに後から付け足されてますよね?」
迅の指摘は的確だった。取り付けボルトの新しさ、周囲の配線の這わせ方。確かに後付けの痕跡がある。
「よく気がついたな」
じいちゃんが感心したような声を出すと、迅はさらに熱心に説明を続けた。
「エンジン出力も計算が合いません。カタログスペック上は300馬力のはずなのに、実際の出力は400馬力以上ある」
「どうして分かる?」
「昨日の飛行データです。遼の体重と機体重量、それに加速性能を計算すると、絶対に300馬力じゃ出せない数値になってます」
迅がノートの計算式を見せる。物理法則に基づいた正確な計算だった。13歳とは思えない精密さで、機体性能を逆算している。
じいちゃんは黙って迅の説明を聞いていた。この少年は、本当に機械のことが好きなんだろう。そして、才能もある。
しばらくして、遼と結衣もやってきた。
「あれ、迅がもういる」
「あれ?迅、また機体の下にいるの?」
結衣が呆れたような声を出すと、迅が顔を出した。額に薄っすらと汗をかいている。集中して作業していたのだ。
「ちょっと気になることが」
遼はRusty Hawkを見上げて呟いた。
「この子、確かに古そうだけど、なんか特別な感じがするんだよね」
「特別?」
結衣が首をかしげると、遼は少し考えてから答えた。
「うん。飛んでるとき、俺の考えてることが分かってるみたい」
迅が身を乗り出した。
「それです!パイロットの意図に対する機体の反応速度が異常に速いんです」
「異常って、悪いことなの?」
結衣が心配そうに聞くと、迅は首を振った。
「悪いことじゃありません。むしろすごいことです。普通の機体なら0.2秒のタイムラグがあるはずなのに、この機体はほぼゼロです」
「それって、すごいの?」
「すごいなんてもんじゃありません」
迅の目が輝いた。
「最新のコンピューター制御でも、ここまでの精度は出せません」
じいちゃんが重い腰を上げて、機体の一部を撫でた。
「まあ、多少手を加えてはいるからな」
「多少って」
迅が食い下がろうとすると、じいちゃんは苦笑いを浮かべた。
「そんなに知りたいなら、見せてやろう」
じいちゃんは工場の奥から一台の機械を持ち出してきた。
「これで、Rusty Hawkの本当の姿が分かる」
それは見たこともない形の検査装置だった。複雑な回路と、無数のケーブルが組み合わさっている。市販品ではない、完全な手作りの機械だった。
「何ですか、これ?」
「独自に開発した機体解析システムだ」
じいちゃんがケーブルをRusty Hawkに接続すると、画面に複雑なデータが表示され始めた。三次元の機体図面が回転し、各部の動作パラメータがリアルタイムで更新されていく。
「うわ!!」
迅が息を呑んだ。画面に映る機体の内部構造は、想像していたものとは全く違っていた。
「このAI制御システム」
画面の一角に、見慣れない回路図が表示されている。それは教科書のどこにも載っていない、全く新しい制御システムだった。
「パイロットの意図を先読みして、最適な制御を行う。まだ実験段階だがな」
遼が驚いた顔をした。
「AI?この子、考えることができるの?」
「そこまでじゃないが、お前の操縦の癖を学習して、先回りして調整してる」
結衣も目を丸くした。
「だから遼の思った通りに動いてくれるんだ」
「そういうことだ」
迅は震える手で画面を指差した。
「こんな技術、大学の研究室でもないんじゃない?」
「どこの大学でも実用化できてないレベルだ」
じいちゃんが控えめに答えると、迅はますます混乱した。
「じいちゃんって、いったい何者なんですか?」
「昔取った杵柄ってやつだ」
曖昧な答えしか返ってこない。でも、確実に言えることが一つある。
「すごい人だったんですね」
遼は画面を見つめながら呟いた。
「俺のために、こんなすごいものを」
「お前になら任せられると思ったからだ」
じいちゃんの穏やかな声に、遼は胸が熱くなった。こんなに貴重な技術を、自分のために使ってくれている。その重みを、今更ながら感じていた。
「でも、どうして俺なんですか?」
「お前の飛び方を見てれば分かる。技術に溺れず、純粋に楽しんでる」
じいちゃんは遠い目をして続けた。
「それが一番大切なことなんだ」
その日の夜、三人は工場の外のベンチに座っていた。
「じいちゃんって、本当は何者なんだろう」
遼の呟きに、迅と結衣も頷いた。
「あのAIシステム、個人で開発できるレベルじゃありません」
「でも詳しいことは教えてくれないよね」
結衣が空を見上げた。星がきれいに見える夜だった。
「でも、遼のことを本当に大切に思ってるのは分かる」
遼も頷いた。
「うん。俺のために、あんなすごいものを作ってくれて」
迅が真剣な顔で言った。
「だからこそ、僕らも頑張らないと。じいちゃんの技術を、遼の才能を無駄にしちゃいけない」
「そうだね」
結衣が微笑んだ。
「みんなで遼を支えよう」
遼は少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう。でも、一番大事なのは楽しむことだから」
「それもそうだね」
三人は笑い合った。どんな秘密があっても、大切なのは今の気持ち。みんなで一緒に飛んでいくことだ。
その夜、じいちゃんは一人工場に残っていた。古い引き出しから、色褪せたアルバムを取り出す。
写真には若い頃の自分が写っている。白衣を着て、研究所で仲間たちと機械を囲む姿。そして、SKYCARレースに出場していた頃の写真も。
「天才エンジニア・鷹山太郎」と呼ばれていた時代の写真だった。
「あの頃は、技術で勝負することばかり考えていた」
呟きながら、Rusty Hawkを見上げる。
「でも、遼を見ていると思うんだ。技術は手段でしかないって」
机の引き出しから、古い新聞の切り抜きを取り出した。
『天才エンジニア・鷹山太郎、レース界から引退』
黄ばんだ記事の中に、若い頃の自分の写真が載っている。
「楽しむことを忘れて、勝つことばかり考えていた。だからレースも、研究も、すべて中途半端になった」
記事をそっと仕舞い、再びRusty Hawkを見つめた。
「お前は違うな、遼。お前なら、俺ができなかったことをやり遂げられる」
AIシステムのディスプレイには、今日のデータが静かに表示されている。遼の操縦パターンが少しずつ学習され、蓄積されていく。
「明日から、本当の特訓を始めるか」
機体に語りかけるように呟いた。月明かりがRusty Hawkを照らしている。古い機体だが、確かに特別な存在だった。




