次の空への決意
決勝から数日後の夜。
工場は一日の整備を終え、工具の音も止んで深い静寂に包まれていた。
Rusty Hawkは中央に横たわり、鈍い外装に蛍光灯の光を反射させている。
昼間の喧騒が嘘のように静かな空間。
遼はコックピットに腰をかけ、ぼんやりと計器を眺めていた。
アナログの速度計、高度計、エンジン出力ゲージ。
どれも古い設計だが、決勝では完璧に役割を果たしてくれた。
「楽しかったな、相棒」
呟きは静かに響き、錆びた機体に吸い込まれていった。
壁には新聞の切り抜きが何枚も貼られている。
『奇跡の逆転劇』
『12歳の天才パイロット』
『楽しいが最速の哲学』
どれも自分のことを書いているはずなのに、まだ実感が湧かない。
背後から、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
振り返る必要もない。
この足音の主は一人しかいない。
「まだ起きとったのか」
じいちゃんが片手に工具箱をぶら下げて立っていた。
いつものように汚れた作業着を着て、穏やかな表情を浮かべている。
「うん、なんか寝られなくて」
遼が照れ笑いを浮かべる。
じいちゃんは黙ってRusty Hawkの外装を撫でた。
長年連れ添った相棒を労うような、優しい手つき。機体の細かな傷や錆びも、全て愛おしそうに触れていく。
「ようやったな。古い機体でも、工夫と心意気があればここまでいける」
「ありがとう。じいちゃんが整備してくれたから」
「ワシじゃない。お前と迅の頑張りじゃ」
しばらく二人で黙って機体を眺めた。
工場の時計が深夜十一時を指している。
外では風が吹いて、古い建物が小さくきしむ音が聞こえる。
やがて、じいちゃんが重い口を開いた。
「だがな、ブロンズはこれで済んだが次はどうする」
遼は顔を上げる。分かっていた質問だった。
「シルバーリーグ、だよね」
「そうだ。シルバーに上がれば、相手はさらに速い。最新鋭ばかりが集まる。技術も資金も桁違いじゃ」
じいちゃんの言葉は厳しかったが、声は優しかった。
現実を突きつけているのではなく、遼自身に考えさせようとしている。
「Rusty Hawkでは、もう限界が来るかもしれん。ブロンズで奇跡を起こせたのは、相手が油断しとったからでもある」
遼は唇を噛み、Rusty Hawkを見つめた。
錆び、傷つき、それでも最後まで走り切った相棒。
Aurora-9との性能差は歴然としていた。
それを技術と工夫で補ったが、シルバーリーグではそれだけでは通用しないかもしれない。
新しい機体に乗り換える選択肢もある。
スポンサーからの申し出もいくつか来ている。
最新鋭の機体、潤沢な資金、プロの整備チーム。勝利への近道は用意されている。
でも。
「Rusty Hawkと一緒に飛べて、本当に楽しかった」
遼ははっきりと言った。迷いはない。
「シルバーで勝てるかわからない。もしかしたら、ボロ負けするかもしれない。でも、俺はまた飛びたい。この子と一緒に、楽しく飛びたいんだ」
じいちゃんは目を細め、ふっと笑った。
「無茶を言う。合理的じゃないな」
「うん。でも、たとえ勝てなくても、挑戦すること自体が楽しいから」
その言葉に、じいちゃんはしばらく黙った。
遠い目をして、何かを思い出しているようだった。やがてRusty Hawkの機体を軽く叩く。
「こいつと一緒に、もう一度上の空を見せてもらうか」
「いいの?」
「お前が決めたことじゃ。ワシが止める理由はない」
工場の窓から夜空を見上げると、星がいくつも瞬いていた。
街の明かりに負けじと、小さな光を放っている。
遼は拳を握り、まっすぐに呟いた。
「俺はシルバーに行く。Rusty Hawkと一緒に」
じいちゃんは小さく頷き、背を向けて歩き出した。
「なら、整備は任せろ。お前が楽しめるよう、できる限りの準備はしてやる」
「ありがとう、じいちゃん」
遼はその背中を見送り、Rusty Hawkにそっと手を置いた。
機体が微かに振動したような気がした。
エンジンは止まっているのに、まるで心臓が鼓動しているような温かさがある。
「これからも一緒に飛ぼうな。楽しく、どこまでも」
工場に静寂が戻る。
だがその静けさは、終わりを告げるものではなく、新たな始まりの予感に満ちていた。
外では夜風が建物を撫でて通り過ぎ、遠くで夜行のSKYCARがエンジン音を響かせている。街は眠らない。
空も眠らない。
そして遼の心の中でも、新しい冒険への炎がゆらゆらと燃え続けている。
ブロンズリーグで奇跡を起こした少年と古い機体の物語は、ここで一つの幕を下ろす。
でも物語は終わらない。
むしろ、これからが本当の冒険の始まりなのだ。
シルバーリーグという、より厳しく、より美しい空が遼たちを待っている。
新たな仲間、新たな敵、新たな技術、新たな感動。
全てが未知数の世界へ、Rusty Hawkは再び翼を広げる。
遼は工場を後にしながら振り返った。
Rusty Hawkが蛍光灯の光を浴びて、静かに微笑んでいるように見える。
「おやすみ、相棒。また明日」
扉が閉まり、工場に完全な静寂が降りる。
でもその静寂の奥で、確実に新しい物語の歯車が回り始めていた。
次は、シルバーリーグ。
より過酷で、より美しい空での戦いが待っている。




