静寂の中の誓い
ホテルの部屋に戻ると、窓からは夜景とコースが一望できた。
光のゲートが宙に浮かび、レーザーが交差する様子は、昼間には想像もできなかった幻想的な景色を作り出している。
都市全体が一つの巨大なアート作品のように見えた。
「本当に、あの空を飛ぶんだ」
ベッドに腰を下ろした結衣が、感嘆とも不安ともつかない声を漏らす。
遼は窓に近づき、額を押しつけるようにして外を見つめていた。
「きれいだけど、やっぱり怖いな」
普段なら決して口にしない弱音が、自然と漏れる。
夜の空には、昼間とは違う種類の緊張感があった。
迅がベッドに座りながら、静かに言った。
「怖さは消えなくていい。それがブレーキになる。大事なのは、その怖さを楽しみに変えることだ」
「迅、なんか名言っぽいよ」
結衣が笑うと、迅は照れくさそうに頭を掻いた。
「名言じゃねえよ、ただの事実だ」
「でも、なんか安心した」
遼が窓から顔を離し、振り返った。
その表情には、迷いが消えた清々しさがあった。
その夜、三人は机を囲み、ノートを広げて明日の作戦を確認した。
迅が真剣な顔で説明する。
「直線ではAurora-9にも、他の最新機にも勝てない。だけど、ビルの間の狭いゲート区間、そこがRusty Hawkの真骨頂だ」
コースの図面を指差しながら続ける。
「特にここ、高層ビル群の間を縫って飛ぶセクション。幅がかなり狭い。大型機やスピード重視の機体には不利になるはずだ」
「狭いところ、俺は好きだ!」
遼が即答すると、迅は満足そうに頷いた。
「分かってる。だからお前の特性に合わせて、機体の反応速度を最優先で調整してある」
結衣はノートに「応援計画」と書き込み、ペンライトや横断幕の手配を確認していた。
「観客席からも、絶対に遼を支えるから。特に夜戦は観客の声が重要だって、テレビで言ってた」
「ありがとう、結衣」
遼の素直な感謝の言葉に、結衣は頬を染めた。
三人の言葉が自然に重なり、そこに不思議な安心感が生まれる。
一人じゃない。
それを改めて確認する、特別な時間だった。
「明日はきっと、今までで一番楽しいレースになる」
遼の言葉に、迅と結衣も頷いた。
深夜。
みんなが寝静まったあと、遼だけが再び窓辺に立った。
眼下には眠らない都市が広がっている。
車のライトが川のように流れ、空にはネオンゲートが淡く輝き続けている。
静寂の中に、都市の鼓動が響いていた。
遼はそっと呟いた。
「まだ怖い。でも、今度は違う怖さだ」
最初に感じた不安とは質の違う、より深い緊張感。
それは恐怖というより、未知への敬意に近いものだった。
Rusty Hawkの操縦桿を握る感覚が、掌に甦る。
工業地帯の煙突の間を縫って飛んだ時の一体感。郊外の壁すれすれを駆け抜けた時の爽快感。
そして今度は光の中を。
「明日はきっと、新しい『楽しい』を見つけられる」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった不安が期待に変わっていくのを感じた。
夜空に浮かぶゲートの輪郭を目で追いながら、遼は静かに決意を固めた。
「相棒と一緒なら、どんな空でも楽しめる」
ベッドに戻る前、遼は窓に向かって小さく手を合わせた。
「みんな、じいちゃんも、見ててくれ!」
その声は静かな夜に溶け、都市のざわめきに混じって消えていく。
だが確かに、誰かに届いた気がした。
Rusty Hawkにも、仲間たちにも、そして遠く離れた故郷のじいちゃんにも。
翌日のレースに向けて、少年の心は静かに燃えていた。
光の空で新しい冒険が始まることを、心の底から楽しみにして。
遼は穏やかな表情でベッドに入り、深い眠りについた。
夢の中でも、きっと空を飛んでいることだろう。
夜のメトロシティに、小さな決意が静かに響いた。
明日という新しい空への、変わらぬ想いを込めて。




