レース開始、そして
スタートラインに機体が並ぶ。カウントダウンが始まると、観客席の熱気が最高潮に達した。
「3!」
スクリーンに巨大な数字が点滅し、各機体のエンジンが唸りを上げる。
「2!」
青白い光を放つ最新機たちの中で、Rusty Hawkだけが異質な存在感を放っていた。
「1!」
観客の期待が一点に集中する。
「スタート!」
その瞬間、十数機のSKYCARが一斉に舞い上がった。大気を切り裂く轟音が観客席を揺らす。白煙を残して加速していく最新機たちは、矢のように空を駆け抜けていく。
だが、その中で一機だけ、明らかに遅れをとっていた。Rusty Hawk。出力の立ち上がりは鈍く、他機がすでに高度を稼ぐ中、ようやく機体が地面を離れた。
「おい、あの機体、出遅れてるぞ!」
「Rusty Hawk? まだ飛んでたんだな、あんなポンコツ」
観客席のあちこちから失望と嘲笑が漏れる。実況アナウンサーも戸惑いを隠せない。
「おーっと、Rusty Hawk、スタートに大きく遅れをとっています。旧式機ゆえの限界か」
観客席では結衣が心配そうに見守っていた。
「大丈夫かな」
迅も拳を握りしめていた。機体の性能差は分かっている。でも、遼なら何かやってくれると信じていた。
だが、そのコックピットで操縦桿を握る遼の表情は全く違っていた。
「すげぇ! やっぱり空を走るのって最高だ!」
大人顔負けの速さを誇るライバルたちに置いて行かれても、遼の瞳は純粋な輝きで満ちていた。彼にとって重要なのは勝敗ではない。この瞬間、空を駆けている事実そのものが心を震わせていた。
レース序盤、直線コースに入ると差はさらに広がった。最新機Aurora-9が矢のように突き抜け、Bulldogが重量感ある機動で押し上げていく。観客席からは歓声とため息が入り交じる。
Rusty Hawkはといえば、エンジン音もどこか古臭く、加速は鈍い。まるで博物館から引っ張り出してきた遺物のように見えた。
「やっぱり無理だろ、あんな骨董品じゃ」
「すぐにリタイアするに決まってる」
観客の声は冷ややかだった。
迅は歯がみした。もっと新しいパーツがあれば、もっと予算があれば。でも現実は厳しい。古い機体を愛する気持ちと、最新技術への憧れが胸の中で複雑に絡み合っていた。
結衣は両手を組み、祈るような気持ちで遼を見つめていた。
「遼…頑張って」
だが遼はそんな声に耳を貸さない。
「風、気持ちいい!」
彼の笑みは、誰よりも楽しげだった。順位なんてどうでもいい。この瞬間の爽快感こそが、彼の求めていたものだった。
やがてコースは工業地帯特有の複雑な地形へと差し掛かる。林立する煙突、入り組んだ配管、狭いゲート。機体を操作するパイロットたちは一斉に慎重さを増した。無理な加速をすれば、鉄骨に接触して即リタイアだ。
実際、序盤で無理をした機体が煙突にかすり、火花を散らして脱落する光景もあった。
「やっぱり難しいコースだ」
観客席からも不安混じりの声が漏れる。
だが、その瞬間の遼の目は違った。
「へへっ、面白そうじゃん!」
Rusty Hawkのスロットルをぐっと押し込み、機体を狭い煙突群の中へ突っ込ませた。観客席がどよめく。実況アナウンサーの声が裏返る。
「ま、まさか!あのRusty Hawkが加速している!」
狭い区間に入り込むと、多くの機体が安全策をとって減速する中、遼だけは逆に加速した。鉄骨の影が次々と視界をかすめる。ほんの数十センチの余裕もない空間を、Rusty Hawkは軽快にすり抜けていく。
「な、何だあの動き!」
「子どもが操縦してるんじゃないのか!?」
観客たちの驚きは疑念から興奮へと変わり始めた。
迅の目が輝いた。
「やっぱり遼は違う!」
結衣も立ち上がっていた。
「すごい! すごいよ、遼!」
実況が熱を帯びる。
「煙突群の狭いセクション! 各機慎重に進む中、Rusty Hawkだけがまるで遊んでいるかのように舞っている! 信じられない! これは!」
遼の口元には笑みが浮かんでいた。
「この狭いの、楽しい!」
古びた機体と幼い少年。その組み合わせは、本来なら無謀としか言えないはずだった。だが観客の目には、まるで空を自在に舞う鷹のように映っていた。Rusty Hawkが狭間を抜けるたびに観客席から歓声が上がる。さっきまでの嘲笑は、すでにどこかへ消えていた。
煙突群を抜けた先、さらなる急カーブが待ち受ける。コースの設計者たちが「最初の振るい」と呼ぶ難所。ここで多くの新人は失速し、あるいは接触事故を起こして姿を消す。
だが遼の両手は震えていなかった。むしろ興奮でわずかに汗ばんでいるだけだった。
「もっと速く!もっと狭いとこ、行ける!」
その瞬間、Rusty Hawkが再び加速する。観客席がざわつき、実況が息を呑む。
「おっと! あの旧式機、さらに加速!? 煙突の間を縫って、信じられない操縦です!」
狭さを恐れないどころか、むしろ楽しむ。遼にとって工業地帯の迷路は、遊び場に等しかった。古びたRusty Hawkの機動性が、ここにきて鮮烈に生きていた。
観客の視線は、いつしか彼一人に集まっていた。誰も予想しなかった展開。誰も信じなかった旧式機の挑戦。
そして、実況が叫んだ。
「まさか、あの機体が!」




