新技術の命名
崖面すれすれを抜けたRusty Hawkは、まるで鷹が翼を広げたような美しい弧を描いた。その姿は観る者すべての心を奪った。芸術と技術が融合した瞬間だった。
「……ウォール……ラン……?」
観客席の誰かが呟いた声が、静寂を破る。
実況アナウンサーが震える声で叫んだ。
「これぞ"Wall Run"!!!」
命名の瞬間。観客は総立ちとなり、会場全体が「Wall Run!」のコールに包まれる。言葉が生まれ、伝説が始まった瞬間だった。
SNS上でも瞬時に映像が拡散される。《#WallRun》《#RustyHawk》がトレンドに踊り、動画再生数は瞬く間に数十万を超えていった。
「すげぇ!!」
「美しい!!」
「あんな飛び方、初めて見た」
観客たちはただ呆然とその技を讃えるしかなかった。理屈を超えた美しさがそこにあった。
迅は整備席で拳を握りしめた。技術者として、あの飛び方を理解したいと思う。だが同時に、理解を超えた何かがあることも感じていた。
「やったな、遼! また伝説を作りやがった!」
結衣も涙ぐみながら叫ぶ。
「Rusty Hawk、最高だよ!」
タクマは複雑な心境だった。技術的には理解できない。だが、美しさは確かに感じた。速さだけが正義ではないことを、あの少年が証明している。
Wall Runによって失われた速度はほとんどなかった。むしろ加速しているように見える。崖面からの反発力を利用した、新しい推進理論。遼は直感でそれを掴んでいた。
「Rusty Hawkが順位を上げています! 一気に抜き去った! これは大逆転劇の予感です!」
実況の声が裏返る。
Falcon-Xを操るタクマも驚愕していた。理論的に説明のつかない現象。だが、現実に起きている。
「なんて技だ!崖を走るなんて、聞いたことがない!」
最終ラップに突入する頃には、Rusty Hawkはトップ集団に食い込んでいた。観客席は総立ちとなり、「Rusty Hawk!」コールが轟く。
遼は笑顔で操縦桿を握りしめた。これほど楽しいレースは初めてだった。Falcon-Xという強力なライバルがいるからこそ、自分も限界を超えられる。
「行こう、相棒! 最後まで楽しもう!」
Falcon-Xとのデッドヒート。直線では速度差が響くが、遼は狭いコーナーを華麗に駆け抜け、差を縮めていく。
タクマは冷静さを保とうとしたが、心の奥で興奮していた。これほど刺激的なレースは久しぶりだった。純粋に競い合うことの喜び。それを思い出させてくれる相手だった。
「君は、本物だ!」
最後の直線が近づく。勝負の行方は分からない。だが、どちらが勝っても、素晴らしいレースになることは確実だった。
最後の選択
ゴールラインが迫る。Falcon-XとRusty Hawkが並走している。観客席の興奮は最高潮に達していた。
「Falcon-Xか、Rusty Hawkか!」
実況の声が裏返る。
最後のコーナー、遼は重要な選択を迫られた。安全にコーナーを抜けるか、それとも再び壁を攻めるか。
答えは明白だった。
「もう一度!」
遼は思い切り機体を壁際に寄せた。再び壁をなぞるような軌道。観客が息を呑む。
「まさか、もう一度?!」
二回目のWall Run。だが今度は違った。最初は偶然だったかもしれない。しかし今度は意図的だった。技術として確立された瞬間だった。
Rusty Hawkは空を滑る鷹のように加速し、ゴール直前でFalcon-Xを抜き去った。
「ゴォォォール!!! Rusty Hawkだぁぁぁぁ!!!」
会場が揺れるほどの歓声に包まれる。観客は総立ちとなり、拍手が鳴り止まない。
遼はコックピットで満面の笑みを浮かべ、叫んだ。
「壁が近くて、すっごく楽しかった!」
その純粋な喜びが、観客の心を震わせた。勝利への執着ではなく、飛ぶことへの純粋な愛。それがRusty Hawkの魅力だった。
表彰台で、遼は少し照れながら笑っていた。トロフィーよりも、今日のレースが楽しかったことが何より嬉しかった。
観客席からは「Rusty Hawk!」「Wall Run!」のコールが響く。彼らの心に、新しいヒーローが誕生していた。
タクマは表彰台の下で拍手を送っていた。悔しさより先に、清々しさがあった。久しぶりに、心から楽しめるレースだった。
「君の技術は、本物だ」
表彰式の後、タクマは遼に近づいた。
「すごいレースでした! 僕、Falcon-Xの速さにびっくりして」
遼の素直な賞賛に、タクマは苦笑いした。勝ったのは遼なのに、相手を讃えている。この純粋さが、彼の強さの源なのかもしれない。
「次は負けない。でも、今日は楽しかった。ありがとう」
タクマは手を差し出し、遼はしっかりと握り返した。ライバルとしての絆が生まれた瞬間だった。
迅は整備席で工具を片付けながら、満足げに笑っていた。古いエンジンも、愛情を注げば応えてくれる。今日はそれを証明できた。
「お疲れさん、相棒」
Rusty Hawkのエンジンを軽く叩く。温かい金属の感触が、今日の勝利を実感させてくれる。
結衣はSNSの反応をチェックしていた。「#WallRun」のタグは既に数万件を超えている。動画は国際的にも話題になっていた。
「遼、世界中で話題になってる!」
「本当? でも一番嬉しいのは、みんなが楽しんでくれたことかな」
遼の答えに、迅と結衣は顔を見合わせて笑った。この少年は本当に変わらない。それが彼の最大の魅力だった。
夕日が山々を染める中、チーム「Rusty Hawk」は片付けを終えていた。今日の勝利は、彼らにとって新しいスタートラインだった。
「次のレースは何戦にでるの?」
遼が楽しそうに尋ねる。
「今度は光と影の世界だ。また新しい挑戦が待ってるよ」
迅が答える。夜のレースには夜の難しさがある。だが、この少年なら必ず対応してくれるだろう。
「楽しみ! 夜の空も美しそう」
結衣はスケジュール帳に次の予定を書き込んだ。応援グッズの準備、SNSの管理、栄養管理。やることは山積みだが、全てが楽しみに変わる魔法を、遼は持っていた。
観客席では、まだ興奮が冷めやらない人々が話し込んでいた。
「Wall Runって、どうやったらできるんだろう」
「あの子、天才じゃない?」
「次のレースも見に行こう!」
Rusty Hawkの人気は確実に広がっていった。だが遼には、そんな現象よりも大切なものがあった。
空を飛ぶ喜び。仲間との絆。そして、観客と分かち合う興奮。
それらが全て揃った時、奇跡は起きる。今日がまさにその日だった。
トラックに機体を載せ、山道を下っていく。夕焼けが空を染め、新しい冒険への期待が三人の心を満たしていた。
「今日も、最高の一日だったね」
遼の言葉に、迅と結衣はうなずいた。
明日もまた、新しい空が待っている。Rusty Hawkと共に、どこまでも高く飛んでいける。そんな確信を胸に、三人は家路についた。
Wall Runの誕生は、単なる技術革新ではなかった。飛ぶことの純粋な喜びが形になった瞬間。それが人々の心を動かし、新しい伝説を生み出した。
ブロンズリーグ第5戦は終わった。だが物語は、まだ始まったばかりだった。




