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Sky Runners  作者: SKY
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第1章 第5話:「新たなライバル」 完璧な銀の鷹


前回の工業地帯レースから三週間。ブロンズリーグの公式スケジュールは年間16戦、街の熱狂が静まりかける頃に次の開催がやってくる。チーム「Rusty Hawk」のトラックは、朝もやに包まれた山道を揺れながら進んでいた。


「空気が甘いね。油の匂いがしない」


窓を開けた結衣が、嬉しそうに深呼吸する。膝の上には手作りの応援グッズが詰まったバッグ。昨夜遅くまでミシンを踏んでいた疲れなど、どこにもない。


「吸いすぎて酸素酔いするなよ」


助手席に座っていた迅が笑い、荷台をのぞく。固定ベルトに抱きしめられた錆色の機体。Rusty Hawkが、木漏れ日を受けてかすかに赤く光っていた。

昨夜は午前三時まで整備にかかった。

新品のパーツは買えない。だが、使い古したエンジンにも愛情を注げば応えてくれる。そう信じて、一つひとつのボルトを確認し直した。


「遼、今日の朝飯どうだった?」


結衣が振り返る。


「おいしかった! 特にあのフルーツサラダ。なんか元気が出る味だった」


「ビタミンCを多めにしたの。長丁場のレースだから、疲労回復を考えて」


遼は素直に驚く。


「そんなことまで考えてくれてるんだ」


迅は苦笑いした。こいつの純粋さは、時として眩しすぎる。だが、その純粋さこそが彼の武器でもあった。

やがて視界がひらけ、郊外サーキットの全貌が姿を現す。山肌を縫うように伸びる三本の長い直線、谷をまたぐ透明ゲート、森の切れ目に据えられたナローセクション。工業地帯の鉄骨と煤の迷路とは別世界だ。斜面に並ぶ観客席は、まだ早い時間だというのに色とりどりのフラッグで埋まりつつある。

トラックがピットレーン脇に止まると、三人は一斉に外へ飛び出した。


「うわぁ、きれい」


結衣の声が、山の静けさに吸い込まれる。


「良い風だ。密度が軽い。直線、伸びそうだな」


迅は空を仰いでから、現実に戻るように眉間に皺を寄せた。


「相手は、もっと伸びるけどな」


遼は荷台からぴょんと降り、Rusty Hawkのフェアリングを撫でる。


「気持ちよく飛べそうだ、な? 相棒」


観客席の片隅で、小さな声が混じる。


「Rusty Hawkだ!」「この前の"Sky Drift"の子!」


紙フラッグがひらひら揺れ、子どもたちがこちらに手を振る。遼は照れて笑い、肩越しに二人へ振り返った。


「みんな来てくれてる」


「期待は追い風にも向かい風にもなる。うまく使え」


工具箱を肩に担ぎ直しながら、迅が短く言った。その工具箱は彼の父から譲り受けたもの。金属の鈍い光沢に、数え切れない整備の記憶が宿っている。


パドックの向こうで、金属的な高音が立ち上がる。銀の機体が、舞台の主役のように運び込まれてきた。美しく整えられた曲面、スポンサーのロゴが幾層にも重なるコート、引き締まったインテーク。機体名はFalcon-X。周囲を囲むチームスタッフの動きは、ひとつの生き物のように滑らかだ。

迅の目が思わず輝く。最新の空力パーツ、カーボンファイバーのフレーム、精密制御システム。工学者としての憧れと、現実の制約への諦めが胸で混じり合った。


「揃ってるな」


迅の声がほんの少しだけ低くなる。羨ましさを隠すように。

その中心から現れたのは、二十五歳前後の男。日焼けした頬、過不足のない筋肉、無駄のない歩幅。視線は静かで、しかし遠慮がない。彼の名前はタクマ。ブロンズリーグでは既に三勝を挙げている実力者だった。

タクマは遠くからRusty Hawkを見つめていた。工業地帯レースの映像は何度も見返した。あの少年の飛び方は、確かに才能に満ちている。だが才能だけでは越えられない壁がある。それを教えるのも、先輩の役目かもしれない。


「噂のRusty Hawkか。工業地帯レース、見たよ」


遼が慌てて頭を下げる。


「ありがとうございます!」


タクマは口の端だけで笑い、手を差し出した。


「タクマ。Falcon-Xのパイロットだ。子どもの遊び場じゃない、って言葉は好きじゃないが、ここは直線が長い。速いだけのほうが正義になる瞬間がある」


遼の表情が少し引き締まる。だが恐れではなく、挑戦への興奮だった。


「速さだけの正義」


結衣が小さく繰り返す。その声に、かすかな不安が混じっていた。遼の安全を何より心配する彼女にとって、「速さが正義」という言葉は心地よくない。

迅は一歩出て、タクマを真正面から見た。


「忠告はありがたい。けど、うちは"楽しむ走り"で勝ち筋を探す」


タクマの瞳に、一瞬だけ懐かしさが宿る。自分も昔はそう言っていた。純粋に飛ぶことを楽しんでいた頃があった。だがプロの世界は結果が全て。楽しさだけでは生き残れない。


「楽しむのは否定しない。問題は、楽しみきる前に終わるコースだってことさ」


遼は思わず笑った。


「じゃあ、終わる前に楽しみきります!」


その答えに、タクマの目が一瞬だけ和らぐ。この少年の中に、失ったものを見た気がした。


「面白い。君のその感じ、嫌いじゃない」


彼が踵を返すと、Falcon-Xの整備チームが一段階ギアを上げたように動き始めた。ナットが締まり、データが吸い上げられ、ケーブルが躍る。完成品の上にさらに完成が積みあがっていく、そんな圧のある光景。

迅は複雑な表情でその様子を見つめた。あれが本来のレースチームの姿なのかもしれない。だが、自分たちには自分たちの戦い方がある。


「差は"装備"にも"歴"にもある。でも、心配すんな。差はゼロじゃないほうが、ひっくり返しがいがある」


迅がわざとらしく肩をほぐして、遼の背中を叩く。

山が仕掛けた罠

昼前、試走コースのブリーフィングが始まった。大型ホロに投影されたマップは、三本の長い直線を太い赤で示し、森を抜ける中盤セクションは黄色の狭幅ラインで描かれている。高低差は過去最大級。谷を渡るゲートは上昇気流の渦に触れる設計だ。


「第1直線、下り勾配で初速重視。Falcon-Xはここでトップスピード。第2直線は横風が強いから、姿勢制御の追従が遅れると振られる。第3直線前に"緩やか急カーブ"、名は体を表さない罠。」


迅がタブレットに次々とメモを刻む。彼の手帳は整備データと戦術ノートで埋め尽くされている。古いエンジンの癖、空力特性の補正値、遼の操縦傾向。全てを数値で把握し、最適解を導き出そうとする職人の執念がそこにあった。


「緩やか急カーブ?」


結衣が首をかしげる。


「半径は広いのに、入口が狭い。見かけ以上に突っ込みすぎる。ラインを外すと、最終直線で死ぬ。で、中盤はご褒美。森のナローセクション、ゲート幅は工業地帯の煙突間より"指二本分"広い程度」


遼の目がきらりと光る。


「指二本分かぁ、十分!」


「十分じゃない。ギリギリ、だ」


迅はきっぱり告げるが、口調に棘はない。むしろ愛情深い心配だった。


「ただ、ここはお前の領分だ。壁が近いほど静かになる、あのモード」

迅は遼の特異な才能を理解していた。普通のパイロットが恐怖を感じる狭い空間で、この少年は逆に集中力を高める。それは教えて身につくものではない。天性の感覚だった。

結衣はコース図の端、崖沿いのパートに印を付けた。


「ここ、風が巻くって書いてある。上から下へ、下から上へ。旗が二方向に揺れてるマークがあるよ、怖くない?」


遼は少しだけ考えてから、素直にうなずく。


「怖い。でも、怖いのと楽しいのは、時々、隣り合ってるんだよね」


タクマがいつの間にか近くに来て、ホロの森区間を指でなぞった。彼も同じ資料を見つめているが、その視線は計算的だった。リスクとリターンを天秤にかけ、最も確実な選択肢を探している。


「ここは抜けない。普通は、な。ラインが一つしかないから」


「普通は、ね」


迅が口の端を上げる。

タクマは肩を軽くすくめると、自分のパドックに戻っていった。去り際に振り返り、小さく呟く。


「ブロンズは育成枠だ。だからこそ、見られている。安全に、速く。それすら、俺は難しいと思ってるよ」


置き土産のような言葉に、結衣はそっと拳を握った。


「"見られている"って、責任の重さでもあるよね」


「うん。でも、応援の重みでもある」


遼は客席側を見た。色紙を掲げる子、手作りのRustyマークをペイントした帽子、スマホを構える家族連れ。


「重さは翼に変えられる。きっと」


夕方、山の影が伸び、サーキットにオレンジが降りる。試走用のスロットが終わり、整備エリアに静けさが戻ると、三人の影も長く伸びた。

迅は工具を並べ直し、手の甲で額の汗を拭う。彼にとって工具は身体の一部だった。レンチの重み、ドライバーの手触り、それぞれに意味がある。父から教わった「道具を大切にする者は、道具に大切にされる」という言葉を、今でも信じている。


「直線は数字が正直だ。足らないものは足らない。けど、詰める余地はある。レスポンス、姿勢制御、ドラッグの逃し方。今夜中にできる範囲でやる」


結衣は短いペンライトで計器盤チェックリストを追い、深く息を吐いた。


「私、応援の掲示もまとめておく。配信タグは#RustyHawk #郊外ラウンド #指二本分!は長い?」


「長いけど好き」


遼が笑い、Rusty Hawkのコックピットに軽く手をかける。


「今日は、よく眠れそうだ。明日が楽しみすぎて」


迅と結衣は顔を見合わせ、同時に肩の力を抜いた。


「やっぱり遼だな」


「この感じが、いちばん心強い」


遼と結衣が宿舎に向かった後、迅は一人で整備を続けた。エンジンルームに手を入れ、細かい調整を重ねる。新しいパーツを買う予算はない。だが、古いパーツでも限界まで性能を引き出すことはできる。


「頼むぞ、相棒」


迅はエンジンブロックに手を置き、小さく呟いた。明日、この古いエンジンが最新鋭のFalcon-Xと戦わなければならない。勝算は薄いかもしれない。だが、不可能ではない。遼という天才がいる限り。

遠くのチームパドックでは、Falcon-Xの整備チームがまだ作業を続けていた。最新の診断機器、精密な計測装置。彼らの装備は迅の工具箱とは格が違う。

だが迅は負い目を感じなかった。愛情と技術があれば、古い機体でも奇跡を起こせる。それを証明するのが、自分たちの使命だった。じいちゃんに教えてもらった通り、念には念を入れて整備する迅だけの特別な時間をパドックで過ごした。


遠くの観客席から、誰かが練習用に鳴らす小さなホイッスルの音が転がってくる。山風がそれをふくらませ、夕焼けはゆっくり群青に変わる。錆色の相棒は、その色の移ろいを鏡のように映しながら静かにたたずんでいた。


速さの正義と楽しさの正義


翌朝、レース開始の三時間前。タクマは一人でコースを見回っていた。プロとしてのルーティン。風向き、気温、路面状況。全てを把握しておく必要がある。

彼の脳裏に、昨日の遼の笑顔が浮かんだ。あの純粋な楽しみ方を、自分はいつ失ったのだろう。スポンサーとの契約、メディアへの対応、勝利への重圧。気がつけば、飛ぶことが仕事になっていた。


「楽しみきる前に終わる、か」


自分の言葉を反芻する。本当は、終わらないで欲しいのかもしれない。あの少年の純粋さが続いてほしい。だが現実は厳しい。結果を出さなければ消えていく世界。それがプロレースの宿命だった。

一方、Rusty Hawkの格納庫では、遼が機体と対話していた。


「今日もよろしく、相棒。怖いコースだけど、一緒なら大丈夫だ」


彼の声に不安はなかった。ただ、新しい挑戦への期待だけがあった。それは幼い頃から変わらない。空を飛ぶたびに、世界が美しく見える。それだけで十分だった。

結衣は最後のチェックリストを確認しながら、SNSの反応を見ていた。「#RustyHawk」のタグは既に数千件。期待と不安の声が入り交じっている。


「みんな、遼を応援してくれてる」


彼女の胸に温かいものが広がる。遼のために、自分ができることを全てやりたい。そう思った。

迅は最後の最後まで調整を続けていた。空力パーツの角度を0.1度刻みで調整し、エンジンの響きに耳を澄ませる。


「お前の心臓、また心配させるんだろうな」


Rusty Hawkに向かって愚痴を零す。だが、その声は愛情に満ちていた。


スタート一時間前。

観客席は既に満員だった。子どもたちが手作りのフラッグを振り、家族連れがスマホを構える。Rusty Hawkの人気は確実に広がっていた。


「今日のレースは、速さの正義と楽しさの正義の対決になりそうですね」


実況アナウンサーが興奮気味に語る。

タクマはFalcon-Xのコックピットで最終チェックを行っていた。全てのシステムが完璧に調整されている。勝利への道筋は見えていた。だが、心の片隅に小さな疑問が残る。

勝つことが全てなのか?

遼はRusty Hawkに乗り込み、深呼吸した。山の空気が肺を満たし、心が落ち着く。


「行こう、相棒。今日も楽しく飛ぼう」


遼にとっての2戦目、ブロンズリーグ第5戦・郊外サーキット。

速さが正義になる直線と、意思が正義になる狭間。その両方が待っている。

タクマとの出会いは、遼に新しい視点を与えた。プロの厳しさと、飛ぶことの純粋な喜び。その両方を理解することが、本当の成長につながるのかもしれない。

少年は、肩の上で跳ねる期待と不安を一つに結び、ただまっすぐに、空の向こうを見つめた。観客席からの声援が風に混じり、山々に響いていく。

物語は、新しい段階に入ろうとしていた。


レース開始

山間のサーキットに、張りつめた空気が漂っていた。観客席の熱気と山の静寂が不思議に調和し、神聖な雰囲気を醸し出している。


「カウントダウン、スタート!」


巨大スクリーンの数字が点滅する。観客席の子どもたちが旗を振り、実況が高らかに声を響かせる。


「3、2、1、ゼロ!」


十数機のSKYCARが一斉に舞い上がった。エンジンの轟音が山々に反響し、空気を震わせる。その瞬間、時が止まったような静寂の後、爆発的な推力が空間を支配した。

その中で、Rusty Hawkはやはり出遅れた。古びたエンジンは立ち上がりが鈍く、Falcon-Xが矢のように飛び出す中、じわりと高度を稼ぐ。

観客席からため息が漏れた。


「やっぱりRusty Hawkじゃスピードが足りないな」


「直線で勝てるわけがない」


実況も苦々しく伝える。


「第2戦、郊外サーキット! Rusty Hawk、スタート直後から大きく遅れをとっています!」


迅は整備席で歯を食いしばった。分かっていた結果だが、実際に見ると悔しい。


「くそ!エンジンが古すぎる」


結衣は両手を胸の前で握りしめ、祈るような気持ちで見つめる。


「遼なら、きっと」


だが、コックピットの遼は笑っていた。速度差を実感しながらも、その速さに純粋な感動を覚えていた。


「よし!行くよ、相棒!」




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