じいちゃんの想いと過去の影
夕暮れが近づき、工場のシャッターの隙間からオレンジ色の光が差し込んでいた。作業を終えた遼と仲間たちが帰った後、工場にはじいちゃん一人が残っていた。
Rusty Hawkは格納庫の中央で静かに佇んでいる。古い機体ではあるが、その表面を見つめていると、確かな生命力のようなものを感じる気がした。
じいちゃんは古びた布を手に取り、丁寧に外装を磨き始めた。油の匂いと、布が金属を擦るかすかな音だけが工場に響く。この時間が、じいちゃんにとっては至福のひとときだった。
「本当に、よく頑張ってくれてるな」
その声は、誰に聞かせるでもなく、長年の相棒に語りかけるようなものだった。機体の一つ一つのキズ、補修の跡、そして新しくついた小さな汚れまで、全てに愛情を込めて手入れをする。
遠くからは、遼たちの笑い声がまだ微かに聞こえてくる。その声に、じいちゃんの表情は自然と柔らかくなった。
「あの子たちの笑い声、懐かしいな」
作業の手を止め、じいちゃんは机の上のタブレットを開いた。そこには先日のレースの映像が残されている。遼のファンになった近所の人が録画してくれたものだった。
指先で巻き戻し、再生する。煙突群を縫うRusty Hawk。急カーブで滑るように加速する姿。Sky Driftの瞬間。
「夢を与える走りだ」
呟きながら、じいちゃんの目が細められる。その映像に重なるように、若い日の自分の姿が脳裏に蘇っていた。
40年以上前。じいちゃんもまた、空を駆けるレーサーだった。当時のSKYCARはもっと原始的で、安全装置も少なかった。だからこそ、純粋に飛ぶことの喜びがあった。
壁に飾られた古い写真へ視線を移す。そこには、若き日のじいちゃんと見覚えのある機体が写っている。まだ新しかった頃のRusty Hawk。トロフィーを掲げ、満面の笑みを浮かべる姿。
手を伸ばし、古びたトロフィーを取り上げる。「ブロンズリーグ優勝」「シルバーリーグ準優勝」の文字が刻まれている。
「……あの頃の自分みたいだ」
遼の走りと、自分の過去が重なり合っていくのを感じていた。同じ機体、同じ純粋な気持ち、そして同じ「楽しむ走り」。
ふと、じいちゃんは昔を思い返す。かつて自分も空を駆けていた時代。「楽しむ走り」を信条にし、仲間と共に笑い合っていた日々。
でも、いつからか状況は変わっていった。レースが商業化され、スポンサーの意向が強くなり、勝利至上主義の流れに押されていった。楽しさよりも記録や結果ばかりが重視される世界になった。
そしてある日、大事故が起こった。親友が命を落とし、自分も重傷を負った。その時、じいちゃんは決断した。レースから身を引くことを。
「あの時、オレは何を見失ったんだろうな」
トロフィーを見つめながら、じいちゃんは自問した。純粋に空を愛していた気持ちを、いつしか忘れてしまっていたのではないか。
Rusty Hawkに視線を戻す。そこに座るのは今や孫のような存在の遼。
「同じ道を歩ませていいのか」
心の奥で葛藤が揺れる。レースの世界の厳しさを知っているからこそ、遼を危険にさらしたくない気持ちもあった。
だが同時に、遼の無垢な笑顔を思い出す。「空を走るのが楽しい」。あの言葉を聞いた瞬間、胸の奥で長く眠っていたものが震えた。
失いかけていた、飛ぶことの純粋な喜び。それを遼が思い出させてくれた。
夜が深くなり、工場の外では虫の声が響いている。じいちゃんは椅子に座り直し、昔の日記を取り出した。レーサー時代の記録が詰まった、今では黄ばんだノート。
ページをめくると、若い頃の情熱的な文字が踊っている。
『今日のレースは最高だった。勝てなかったけど、空を飛ぶ喜びを観客に伝えられた気がする』
『Rusty Hawkと心が通じ合った瞬間があった。機体と一体になるってこういうことなんだ』
『レースは楽しむもの。そのことを忘れちゃいけない』
かつての自分の言葉が、今の遼とぴったり重なる。同じ情熱、同じ純粋さ、同じ価値観。
「そうか。オレが遼に託したかったのは、これだったのか」
じいちゃんの目に、涙がにじんだ。自分が失いかけた純粋な気持ちを、遼に託したのだ。
夜。工場の扉を開けると、冷たい風と共に星が瞬く夜空が広がっていた。じいちゃんはゆっくりと空を仰ぐ。
「お前の道は、お前が決めろ」
遼を信じること。それが最も大切だと心に刻む。そして静かに拳を握った。
「だが、オレは陰ながら支える。あの子が迷わぬように、道を外さぬように」
その瞳には、若い頃と変わらぬ輝きが宿っていた。工場の中で眠るRusty Hawkは、まるでその言葉を聞いているかのように、月光に照らされて静かに光を反射していた。




