第1章 第4話「小さな有名人」変化する日常と新たな責任
レース後の週末の朝、遼はいつものように商店街を歩いていた。焼き立てのパンの匂い、魚屋の威勢のいい声、八百屋の店先に並ぶ色とりどりの野菜──いつもと同じはずの景色なのに、今日はどこか違って見えた。
「ねえねえ! あの人だよ!」
子どもの甲高い声が響く。振り返ると、小学生くらいの子どもたちが息を切らして駆け寄ってきた。
「Rusty Hawkのお兄ちゃんだ!」
「この前のレース、テレビで見たよ! すっごくかっこよかった!」
遼は一瞬きょとんとした後、顔を赤らめて困ったように笑った。
「え、俺?普通に飛んでただけなんだけど」
「普通じゃないよ! 空でドリフトするなんて、誰もやったことないって!」
子どもたちの純粋な興奮に、遼は嬉しかった。でも同時に、少し戸惑いも感じていた。
パン屋のおばさんも笑顔で店から出てきた。
「遼ちゃん、この前すごかったねぇ! うちのお客さんもみんな話題にしてたよ。『あの子、確か近所の子よね』って」
肉屋のおじさんも手を振る。
「テレビで見たぞ! 最初はハラハラしたが、あの技は本物だな!」
周囲から注がれる視線は、いつもと違う温かさを帯びていた。期待と親しみが入り混じった、特別な眼差し。
遼の胸はくすぐったいような、誇らしいような感覚でいっぱいになった。
「俺ちょっとだけ、有名になっちゃったのかな」
心の中でそう呟きながら、遼は複雑な気持ちを味わっていた。嬉しいけれど、なんだか照れくさい。そして、少しだけプレッシャーも感じていた。
午後、公園に立ち寄ると、さらに多くの子どもたちが駆け寄ってきた。まるで有名人を囲むファンのように。
「ねえ! Sky Drift教えてよ!」
「どうやって空でドリフトするの?」
「僕も免許取ったらやりたい!」
遼は困ったように笑いながら両手を広げた。
「えーっと……なんかこう、ふわっとして、くるって……」
身振り手振りで説明するが、子どもたちは首をかしげる。
「分からないよー!」
でも、その笑い声は楽しそうだった。遼もつられて笑う。質問攻めにあいながらも、子どもたちの純粋な憧れの気持ちが嬉しかった。
「じゃあ、またレースで見せてあげるよ!」
「やったー!」「今度も応援するからね!」「頑張って!」
無邪気な声が公園に響く。その声援を聞いていると、遼の心の中で何かが変化していくのを感じた。
「みんなが期待してくれてる。俺、もっと頑張らなきゃ」
今までは純粋に「楽しいから」飛んでいた。でも今は、応援してくれる人たちのためにも飛びたいという気持ちが芽生えていた。
数日後、地元テレビ局からの取材依頼が舞い込んだ。工場で迎えた取材クルーを前に、遼は少し緊張していた。
「SKYCARレースに新星現る!そう言われていますが、今の気持ちは?」
アナウンサーが笑顔でマイクを向ける。カメラのレンズが遼を捉えている。
遼は少し照れながら、でも素直に答えた。
「楽しいから飛んでるだけなんです。でも、応援してくれる人が増えて、すごく嬉しいです!」
その屈託のない笑顔は、テレビの向こうの多くの視聴者の心を掴んだ。画面に映し出された12歳の少年の素朴さと純粋さが、見る者の心を温めた。
放送後、SNSではすぐに拡散された。#RustyHawk のタグは再び盛り上がりを見せ、「こんな純粋な子がいるんだ」「次のレースも絶対見る」といったコメントが溢れた。
工場に戻ると、迅が新聞を片手ににやにやしていた。
「お前、もう完全に有名人だな」
新聞の地方版には、遼の写真と共に「12歳の天才レーサー」という見出しが踊っていた。
結衣も嬉しそうに続ける。
「でも、遼らしくていいよね。変わらないって大事だと思う」
遼は頬をかきながら苦笑いした。
「そ、そうかな……なんだか恥ずかしいよ」
迅が真面目な顔で言った。
「でも気をつけろよ。有名になるって、良いことばかりじゃない。プレッシャーもかかるし、いろんな人の期待も背負うことになる」
その言葉に、遼は少し考え込んだ。確かに、最近は子どもたちの視線や大人たちの期待を強く感じるようになった。
「でも、俺は変わらないよ。空を飛ぶのが楽しいから飛ぶ。それだけだ」
結衣が安心したように微笑んだ。
「うん、その気持ちを忘れなければ大丈夫」
その夜、一人でRusty Hawkのコックピットに座った遼は、静かに星空を見上げていた。
「みんなが期待してくれてる」
心の中に生まれるプレッシャーと嬉しさ。そのどちらも確かに存在していた。有名になることの責任の重さも感じ始めていた。
でも、操縦桿を握る手に力を込めながら、遼は心の中で確認した。
「俺が空を走る理由は一つだ。楽しく飛びたい。それが一番大事」
星空を見上げながら、遼は決意を新たにした。
「よし、次も絶対に楽しいレースにする! みんなのためにも、自分のためにも」
夜の工場に、少年の静かな声が響いた。その瞳には、既に次の挑戦への光が宿っていた。




