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悪役令嬢と呼ばれた私が家を捨てて隣国に逃げたら、皇太子に溺愛されて次期王妃になりました

作者: 結城斎太郎

貴族の館の奥で、私は今日も一人だった。


 上流貴族ハルツェル侯爵家の次女、エルミナ。名ばかりの侯爵令嬢。幼少の頃から両親に無視され、姉のレイチェルには「醜い、無能、疫病神」と罵られながら、誰にも庇われずに育ってきた。


 それでも、ほんの少しの希望があった。


 婚約者――第一王子のセシル様。政略で決まった関係とはいえ、私の存在を認めてくれる唯一の人だと信じていた。


 けれどそれも、今日、終わった。


「婚約は破棄する。理由は……君に品性がないからだ」


 それは、王城での舞踏会の場だった。セシル王子は、私の姉レイチェルの手を取りながら、冷たくそう告げた。


 周囲の視線が突き刺さる。レイチェルは笑みを浮かべ、王子の腕に絡みついて私を見下ろした。


「当然でしょう? あなたにはもったいないわ、セシル様は」


「侯爵家としても、レイチェルの方が相応しい。お前には別の道を歩んでもらおう」


 父は淡々と言い放った。母はただ目を伏せるだけ。誰も私を庇わなかった。


 悪役令嬢。いつからか、そう囁かれるようになった名前が、私の唯一の肩書だった。


 その夜、私は館を抜け出した。


 燃えるような怒りでも、冷たい悲しみでもなく、ただ、空っぽだった。


 ――もう、ここには居場所はない。


 そうして私は、夜明け前の森を抜け、国境を越え、隣国エルディアへと逃げ込んだ。



「名は?」


「……ミナ」


 偽名を名乗った私は、小さな村の宿屋に身を寄せていた。


 食器洗い、掃除、雑用……貴族の知識など役に立たない仕事ばかりだったが、働くことで誰かに認めてもらえる感覚は、どこか心地よかった。


「君、変わってるな。背筋が真っ直ぐすぎる」


 そう言ったのは、一人の青年。旅人だと名乗るその男は、ふとした偶然で宿に立ち寄ったらしい。


 金の髪に琥珀色の瞳。どこか品のある立ち居振る舞いに、ただ者ではないと警戒した。


 だが彼は、それを意に介さず笑った。


「君、ずっとここにいるのか?」


「……行くあてもありません」


「なら、俺の城に来ないか?」


「……は?」


 私は目を疑った。


 彼の正体は、隣国エルディアの皇太子、カイエル・レオニスだった。



「断る」


「……理由を聞いても?」


「私には、何もないからです。あなたに与えられるものなど、何も」


 私はその好意を、幾度となく突き返した。


 優しくされるほど、心が壊れていくようだった。温もりを知ってしまえば、また失った時、二度と立ち直れなくなる。


 けれど彼は、諦めなかった。


「なら、俺がお前を奪おう」


 彼はそう言って、私の過去を調べ上げた。


 婚約破棄、姉からの暴行、両親のネグレクト。そして、それを誰一人咎めなかった王国の仕組み。


「俺の許しが出た。あの国の腐った貴族どもを、全部潰す」


「……何を、する気ですか?」


「お前の代わりに、復讐してやるんだよ。俺の“妃”として、堂々とな」


 数日後、ハルツェル侯爵家は隣国による経済的制裁により破産。


 姉レイチェルは、王子との関係を暴露され、貴族令嬢の地位を剥奪された。


 父は不正献金の証拠を暴かれ、爵位を剥奪。母はその衝撃で倒れ、屋敷は売却された。


 王子セシルは、自身の政略結婚破棄の影響で王位継承権を失い、国外追放処分に。


 私は――何もしていない。ただ見ていただけ。


 カイエルが、すべてやってくれた。



 そして今、私はエルディア王宮の正装を身にまとい、王妃候補として、玉座の間に立っていた。


「エルミナ・ハルツェル。……いや、これよりは、レオニス・エルミナとして名乗るがよい」


 カイエルが私の手を取って、宣言する。


 ここには、私を蔑む者はいない。私を“役立たず”と罵る姉も、無視する両親もいない。


「……まだ、信じられないのです。こんな私が……」


「お前は“こんな”じゃない。俺が見たのは、お前がどれほど強くて、美しいかってことだ」


 彼の手は、あたたかかった。過去の全てが嘘だったかのように、心を溶かしてくれる。


 ようやく気づいた。


 私は――愛されたかったのだ。


 誰かに、必要とされたかった。


「……ありがとう、ございます。カイエル様」


「違う。夫になるんだから“カイエル”でいい」


 その言葉に、私は思わず笑った。


 もう、あの冷たい館には戻らない。


 私は、私のままで生きていく。


 次期王妃として。愛される女性として。



---


祝福の鐘が、青空に響き渡る。


「……本当に、今日なんですね」


 鏡の前で、私は小さくつぶやいた。


 純白のドレスは、かつての自分とはまるで似つかぬほど、眩しかった。

 背中に広がるレースの刺繍、細やかに施された銀糸の紋章、王家の象徴である蒼き宝石。

 どれもが私が“選ばれた存在”であることを証明していた。


「とてもお美しいです、エルミナ様」


 侍女がそっと微笑む。かつては名前さえ呼ばれなかった私に、今は人が敬意をもって接してくれる。


 変わったのは周囲ではなく、私自身なのだと、ようやく理解できた。


「……行こう、私の足で。私の意思で」


 私はドレスの裾をつまみ、扉へ向かう。


 今日は、カイエルと結ばれる日。――私の、新しい人生の始まりだ。



「王城での式は、政務の重臣、外交の代表、そして各国の要人を招く、最大級の国事行事です」


 側近がそう説明する中、私は王宮の大広間の扉の前に立っていた。


 そして――


 扉が開かれた。


 広間の中央、純白のバージンロードの先には、カイエルが立っていた。

 凛々しい軍装に、王家の紋章を飾り、堂々たる姿で私を見つめるその瞳は、優しく、温かい。


 私は一歩、また一歩と進む。胸がいっぱいになりそうだった。


 その途中――見知った顔が目に入った。


 レイチェル。セシル。父と母。


 すでにすべてを失い、爵位も名誉も剥奪された彼らは、今やただの「招待客」だった。

 だが今日だけは、あえてカイエルの意向で呼ばれたのだ。


 その意味を、彼らは痛いほど理解しているはず。


「……お前が、王妃になるだなんて……」


 レイチェルの唇が震えているのが見えた。

 けれど私は、ただまっすぐ前を見て、微笑んだ。


 ――もう、あなたたちに私は何も求めない。


 私は、私を選んでくれた人の元へ向かうのだから。



 神官の言葉に従い、私たちは向かい合った。


「皇太子カイエル・レオニス・エルディア。あなたは、このエルミナを生涯の伴侶と認めますか?」


「はい。命尽きるその時まで、彼女を守り、愛し、共に歩むことを誓います」


 カイエルの言葉に、心が震えた。


 今まで聞いたどんな言葉よりも、力強く、あたたかい。


「エルミナ・ハルツェル。あなたは、このカイエルを生涯の伴侶と認めますか?」


「……はい。すべてを失ったあの日、手を差し伸べてくれたあなたに、心から感謝しています。

 私は、生涯あなたの隣に立ち、共に生きていくことを誓います」


 涙が、頬を伝った。


 でも、もう拭わない。これは弱さではない、強さの証だ。


「この二人の契りが、神と民の前で結ばれたことを、ここに証します」


 神官が高らかに宣言する。


 その瞬間、カイエルが私を優しく抱き寄せ、額にそっと口づけた。


「……ようやく、君を正式に“俺のもの”にできたな」


「ふふ、前からあなたのものでしたよ?」


 小さく笑い合う私たちの周囲から、歓声と拍手が湧き上がった。



 その後の披露宴では、国内外の賓客が次々と挨拶に訪れた。


 中には、私の旧友だった令嬢たちや、かつて私を見下していた者たちもいたが――


「王妃となったエルミナ様に、ぜひ我が国の公女教育をお任せしたいのです」


「さすが王妃殿下。知性と気品を兼ね備えていらっしゃる」


 誰もが敬意をもって、私を「王妃」として迎えてくれる。


 私は、もう「悪役令嬢」ではない。


 愛され、選ばれ、国と運命を共にする人間なのだ。



 夜。


 式が終わり、王宮のバルコニーから夜景を眺めていると、カイエルが隣に立った。


「今日の君は、まるで女神のようだった」


「また、そうやって……」


「本気だよ。……でも、今からは“妻”としての君を独占できる」


 カイエルの腕が、私の腰を抱く。


 どんな過去も、どんな痛みも、この腕の中にいると溶けていく気がした。


「カイエル様――」


「妻になったのに、“様”はやめろ。……カイエルで、いい」


「……はい、カイエル」


 ようやく呼べたその名前は、どこまでもあたたかく、私の心に染み渡った。


「さあ、夜は長い。今日からは君の全てを、俺だけのものにする番だ」


 その言葉に、胸が高鳴る。


 もう恐れることは何もない。


 私の人生は、今まさに――本当の意味で、始まったのだから。




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