ショートストーリ創作工房 31~35
5編のショートストーリズ。家計を助ける副業、純粋な涙。寂しいOB、亡者の願い、灯台下暗し。
キーワード;創作工房、副業、涙、OB、あの世の郵便局、知らぬは。
目次
31.副業の勧め
32.一途な涙
33.OB
34.あの世の郵便局にて
35.知らぬは……
31.副業の勧め
「はい。お待たせいたしました。会員番号18番の足立様ですね。今回は、担当者である私、伊東久美子が足立様のご希望に適う女性をご紹介させていただきます。私の一押しです」
伊東は最後の言葉を力強く自信を込めて言った。
足立は、担当者が首に掛けている職員カードに目をやってから、
「はい。よろしくお願いします。私はプレミアム会員になるほど紹介を受けてきましたが、まだ良縁に恵まれていません」
と頭を軽く下げた。
「はい、はい。お任せください。お相手が決まるまで、全身全霊をかけてご紹介したしますのでね。ほっほっほっ」
「で、今回は?」
「はい。こちらの方です。お写真とプロフィールをご覧ください。都内にある有名な短期大学の演劇科を卒業され、今は花嫁修業中です」
足立は顔写真を見てから、プロフィールに書かれた氏名と年齢を確認した。長澤ますみふうの童顔で、年齢は28歳とあった。足立はビリビリとくるものを感じた。その勢いで訊いた。
「短大を卒業後は?」
「はい。アパレルメーカーに5年ほど勤務されていましたが、30歳までにご結婚したいという夢がおありです。で、退社されてご自宅で花嫁修業中というわけです」
「金さえ払えば、何でも手に入るこんな時代にどんな花嫁修業をされているのですか?」
「はい。この女性は今どきいない古風な方で、お茶、お花、洋裁、お料理など専業主婦として必要なことを全般的に……」
足立は話の腰を折り、矢継ぎ早に訊いた。
「専業主婦に徹するのですね。結婚する気はあるんでしょうね?」
「と、申しますと?」
「これまで紹介された方はどなたも結婚後もキャリアウーマンとして働き続けたいという方ばかりで、そこで意見が合わず、こちらからよりも先に向こうから断られ続けています。もう、7回も」
「はい~。7回ですね。まだまだ諦めることはないです。ほっほっほっ」
伊東は足立の目をしっかり見て言った。
「だから~、今回の女性は本当に専業主婦になって、私を支えてくれる方なのですか?」
「はい~。そのように……で、これは私から足立様へのアドバイスですが。今回はもっと豪華な食事にお誘いしてみてはいかがでしょうか。この方はお料理も修業中ですから、普段、口になさらないような特別なお料理でおもてなしされれば、結婚後、食事を作るときの有益な参考になるかと思いますが。よく申しますよね。美味しい料理を作ろうと思えば、まずは美味しい料理を食べなさいと。足立様は年収が超ハイレベルですので、きっとお相手の方も感動され、一気に意気投合されるかもしれませんよ。ほっほっほっ」
「なるほどぉ、相手の趣味に合った誘い方をしなさいと……分りました。これまで、ホテルのレストランでしたが、今回は3つ星のフランス料理店でフルコースのディナーを食べながら、お話をさせていただきます」
「ほ~。それはいいですね。大喜びされますよ。ほっほっほっ。きっと今回で決まりますよ。では、今週末の土曜日の夜7時にお合いするということで、レストランの予約が確定しだい、私に連絡をください。お相手には確実にお伝えしますので。ほっほっほっ。よかったぁ、よかったぁ」
伊東は我がことのように破顔で応えた。
当日、担当者は2人をレストランで引き合わせると、さっさと消えた。担当者が熱心に勧める理由は明らかであった。クライアントの男性が紹介された女性と接触をする、連絡を取り合う機会を作るだけでも報酬に歩合が上乗せされるからであった。
「お母さん。もう~お客さんを私に紹介するの、止めにしようよ~」
「何を言ってるの? この娘は。毎回タダで、ご馳走を食べさせてくれるのだから、いいじゃない。なかにはプレゼントを買ってくれた男性もいたでしょ。タダほど安いものはないのよ」
「違うでしょ。タダほど高いものない、でしょ。う~ん、そういう問題じゃない無くてぇ。これで15人目よ。私は2人の子持ちで、36歳のばあさんよ。いくら顔が童顔に見えるっていっても。28歳はないでしょ。どの男性も開口一番、歳の割には落ち着いているってびっくりしているわ。今回の男性なんて、疑心に満ちた顔で私の厚化粧の下の地肌を射抜くような視線を投げてきたんだからぁ。おまけに短大の演劇科なんて卒業してないよ。役者を目指していたのか、と訊かれて、冷や汗をかいたわよ」
「でも、あなたは演技がうまいじゃないの?」
「それは、コントや吉本新喜劇が好きで、よく観るから、アドリブでできているだけよ。うまいわけじゃないから」
「あら、そうかい? これまでのお客さんはみんな演劇科で演技を習得した女性だと思い込んでいるけどねぇ」
「それにアパレルになんて勤めたことないし、高卒でフリーターよ。確かに、スーパーの被服売り場で働いてはいるけど。時給は安いし、バツイチだし、生活は一杯一杯だけどぉ」
「だから毎月余分にもらった歩合から、生活費としてキャッシュバックしてあげてるでしょ。いい副業をしていると思えばいいのよ」
そう言うと母はニッコと笑った。(了)
32.一途な涙
薄汚れた白衣姿の老博士が街角で通行人に声をかけている。
「涙、涙をください!」
哀れみを含んだその声に1人の男が立ち止まり、声をかけた。
「涙をもらってどうするつもりですか?」
老博士は訴えるように答えた。
「はい。涙から電気を作りたいのです」
「ええっ。目から火花が出るっていうけど、涙から電気ですかぁ?」
男はあざ笑うように訊き返した。
「そうです。私は20歳の頃にこのアイディアが浮かび、この歳になるまで実験を重ねてきました。その結果、ついに見つけたのです。涙の中に電気となる成分のあることを」
「どんな成分ですか?」
男は思わず訊いていた。
老博士は相好を崩して、説明した。
「涙には水分のほかに塩素、ナトリウムが多く含まれ、あとはタンパク質、糖質、カルシウム、カリウムなどが含まれています。このタンパク質が重要です。その前に発電を説明します。ものに圧力を加えると弱い電気が生じます。これを利用してライターやコンロに着火させています。この現象はピエゾ(圧電)効果と呼ばれるもので、人間の涙に含まれるタンパク質でも確認できました。そのタンパク質はリゾチームというもので、これを結晶化させてフィルム状に加工し、圧力をかけると弱い電気が生じるのです。私はこの電気を実用化したいのです」
男は顎に右手の掌をそえて、訝る声で訊いた。
「涙といっても色々あって、うれし涙、悲しい涙、怒りの涙。これらに違いはあるのですか?」
この素朴ではあるが的を射た質問に老博士は笑みを浮かべ、少年のように目を輝かせて答えた。
「あなたはいいとろに気がつきましたね。実は、涙にも味の違いがあります。怒りの涙、悔し涙ではカリウムイオンと水分が少ないので味が濃く、塩辛さも濃くなっています。一方、悲しい涙、うれし涙は薄味です」
「なるほどぉ」
感心の声が漏れた。
老博士はさらに続けた。
「もちろん悲しい涙と悔し涙だけを電気に変換できればいいのですが、いずれにしろ不純物が多すぎると」
男は要領を得ない気持ちを言葉にした。
「実現すれば、ノーベル賞ものですなあ」
この一言に顔色をさっと変えた老博士は怖い目をして、語気を強めて言い返した。
「私はそんな賞や名誉、ましてや金など望んでいません。ただ自分の発見を実用化したいだけなのです。これは生涯をかけた夢なのです」
男はその迫力に押されている自分を感じ、労わるよう優しい声で言った。
「涙なら誰からでももらえるでしょ。この世の中、泣きたいことばかりじゃないですか」
「それが駄目なんです」
老博士の声は沈んでいた。
「なぜ?」
「涙であれば、何でもいいという訳ではありません」
「では誰のどんな涙が欲しいのですか?」
「本当は他人への思い遣りを含んだ涙がいいのですが、この時代、そんな涙を流される方はいません。そこで赤ん坊の涙が欲しいのです。あの母親のオッパイをおねだりする天使の涙を」
老博士は覇気のない声で続けた。
「ところがこの話を聞き入れてくれる親御さんはいません。それに少子化で赤ん坊も少なくなっています」
「年寄りならたくさんいますよね」
男は励ましてみた。
が、老博士は沈んだままの声で答えた。
「不純物が多すぎます」
「といいますと?」
男はまだ理解しかねていた。
「多くの年寄りは長年、いいことも悪いこともたくさん見て、本来、純粋だった成分が汚れているのです」
「白内障みたいに。それでまだ純粋で穢れのない赤ん坊の涙がより望ましいと」
男は何とか理解できたようだった。
「そうです。実用化するためにはより純粋な涙をもっと集めなければなりません」
老博士は強く言った。
「年寄りでも純粋で穢れていない人間もいますよね」
男は食い下がってみた。
「いいえ。私もそう信じてたくさんのサンプルを採取してきました。でも、駄目なんです」
その声はまた沈んでいた。
「駄目な人間とはどんな方ですか」
男の声は詰問していた。
「典型的なのは政治家です。彼らの流す涙はかなり穢れています。嘘八百の世界、権謀術数の世界を見るばかりですから」
「なるほどォ。一理ありますね」
男はなぜか納得した。
老博士は微かに笑みを浮かべ少し弾んだ声で答えた。
「そんなわけで純粋で穢れのない涙を探し続けているのです」
「でも、それじゃあ、いつまでたっても入手できないでしょ」
男は歯痒い思いがした。
「そうなんです。なので、不純物を取り除く作業に手間取って、この歳になってしまいました」
そう言うと、老博士は視線を落とした。
「不純物を、大変ですなあ~」
呆れたという顔をして男は老博士の薄くなった頭頂部へこう一声かけて行ってしまった。
実験室では、今日も老博士がため息をついていた。
「はぁ。この涙にも不純物が混ざっていたかぁ」
そのサンプルの入った試験管には妻と印字されていた。
愚直で研究一筋の人生を支えてくれる妻を思うとき、老博士の目から水晶のように輝く涙が零れた。惜しくも老博士はそれに気づいていなかった。(了)
33.OB
高齢者による万引き事件が増えている。犯罪に手を染める主な動機は物欲ではなく、社縁、地縁、血縁を失くしたことからくる寂しさである、と言われている。
この男の場合は定年退職時に突きつけられた離婚がきっかけであった。これといって趣味もなく家庭を顧みることもしない、仕事一筋の人生が災いしたのかもしれない。
男は出来心からスーパーの菓子パンを万引きしてしまった。ヤバイと思い、逃げたところを警備員に取り押さえられ、事務室へ連れていかれた。
男は強固なプライドの持ち主で、「これは別の店で買ったもので、盗んだものじゃない」と白状しなかった。
しかし、店長は防犯カメラに映る男の映像を見せ、詰問した。その間、男は緊張感とともに妙に心地よい気分を味わっていた(他人がこんなにも話しかけてくれるのも久しぶりだ)。
一時であれ、男は寂しさを解消できた。男が漏らす嘲笑に店長は激怒し、ついに警察へと引き渡した。
刑事たちに両腕を取られ署に入るやいなや、男は強面な顔つきに変わり、じろりと署内を見回した。顔を上げた署員たちはその顔に「はっ」「えっ」と息を飲むような表情をした。
取調室では屈辱よりもむしろ快感を覚えた。一市民にすぎない自分のために若い刑事がこんなにも一生懸命親身に話しかけてくれている。刑事の臨機応変な対応ぶり、その活き活きとした表情を見ているだけで男は嬉しくなっていた。これを確認できただけでも自分がやったことに後悔はないとさえ思えた。
刑事は男の所持金を数えてから労わるよう声をかけた。
「財布に1万5000円ほど、入っていますよね。万引きしなくても、これで払えばこんな面倒なことにはならなかったでしょうに。どうかされましたか?」
その真剣な目つき、真摯な声は職務に忠実だった若い頃の自分を見ているようで、頼もしいとさえ思えた。
男には地縁者、血縁者はおらず、万引きの動機のみならず、現住所も氏名も白状しなかったため、留置室へ収監された。入るとすぐにゴロリと横になり今日一日を振り返り、ほくそ笑んでいた。すると背後から大きな声がした。
「おい。夕食だ! 食べな」
先ほどの刑事がいわゆる官弁を差し入れてきた。冷めた天丼ではあったが、男は顔をほころばせ、味を噛みしめて食べた。
ほどなく刑事が丼を下げに来ると、男は高飛車な態度で小言を聞かせた。
「人身保護の観点から温かい食事を用意しろ。ちゃんとカロリー計算はされてるんだろうな?」
刑事は「あんたに言われる筋合いはない」と一瞬、言葉を強めたが、「今後、気をつけましょう」と笑みをこぼした。
翌朝は温かい朝食が差し入れられた。男は笑顔で若い刑事を褒めた。その後、取り調べを受けた。刑事は万引きといえども窃盗事件なので一応、調書を取ることを伝えた。それに対して抵抗することなく、男はすらすらと万引きをした動機、現住所、それから氏名を名乗った。刑事は職歴を尋ねることも忘れてはいなかった。スーパーとは万引きした菓子パンの値段を支払うことで示談も成立した。
最後に、若い刑事は自分の老いた親にでも話すよう優しく諭した。
「2度と、こんな馬鹿な事件をおこさないように」
男は厳重注意を受けてから放免された。
日常の生活に戻ると、男はまた寂寥感に襲われ、スーパーでの会話や警察署でのやりとりを快く思い出していた。
気づいたときにはスーパーの事務室に座っており、店長の声が頭の上から降ってきた。
「また、あんたかい。じいさん。この前、警察にお世話になったばかりだろ。年寄りだから、こっちは気をつかって示談ですませてやったのに。こりゃあ常習犯だな。今日は警察へ直接引き渡してやる。臭いメシでも喰ってこいや」
次に男が顔を上げると、警察署の取調室にいた。若い刑事は呆れたという顔で脅すような口調で言った。
「また、やったのですか。癖になる前に止めないと、示談では済まされなくなりますよ。ご存知だとは思いますが、裁判沙汰になることも」
しかし、男はどこか達観していた。笑みを浮かべ進んで留置室へ入ると、すぐに刑事に要求した。その口ぶりは命令するかのようであった。
「夜は冷えるので毛布を一枚余分に用意してくれ」
刑事は苦虫を噛み潰した表情で応じた。
男は今回も夕食と翌日の朝食をぺろりと食べてから素直に白状し、放免された。
警察署を出ても男は相変わらず寂寥感が消えず、懲りずに万引きを繰り返し、留置室と娑婆とを往復していた。そのたびに刑事の顔は困惑の色を濃くしたが、男の表情は明るくなるばかりであった。若い刑事の対応にも文句をつけなくなり、ついには職場に出勤してくるような小気味よい足取りで、連行されてくるのであった。
これに業を煮やした若い刑事は叱責とも哀願ともとれる大声を投げつけた。
「署長! 元の署長! 寂しいからといっていつまでも職場へ来ないでくださいよ~。自分たちはちゃんと職務を遂行してますから。上司面するのはもう止めてください!」(了)
34.あの世の郵便局にて
人間の命というものは儚いものです。昨日まで元気だった人、ついさっきまで息をしていた人がコロッと死んでしまうなんてことがときどきあります。そんなとき、後に遺された家族や関係者たちは生きているときに、もっとこうしてあげれば良かった、ああしてあげれば良かった、と後悔するものです。「後悔先に立たず」亡くなった方が親であれば、「孝行したいときに親はなし」なんてことも言います。
一方、これは想像するしかありませんが、亡くなられた方もあの世へ行ってから、生きているうちにああしておけば良かった、こうしておけば良かった、最後に家族や友人たちに「ありがとう」って言ってから死にたかった。あるいは死ぬ前に「へそくりの隠し場所は、和室の畳の下。女房にはバレないように浮気をしていた。会社の金を黙って横領していた。借金を踏み倒した。趣味で書いていた小説を文芸賞へ投稿したかった」など、これだけは伝えておきたかった、これだけはやっておきたかった、白状しておきたかった、とまあ亡くなった方にもいくつかの心残りはあるかもしれません。
あの世、彼岸の「三途の川」のほとりに郵便局があります。亡くなった方がそこから現世、此岸へ手紙を出すのです。そこでは色んな会話が飛び交っています。
汚職事件で大臣を罷免された後、その心労から大病を患い、お亡くなりになった男性は「あの事件は贈収賄ではなく、検察に嵌められたんだ。雇った弁護士たちもヘボなヤツたちだった。身の潔白をこの手紙で証明したい」と鼻息を荒くしていた。
亭主がつくった借金で一家4人が無理心中をした。しかし、死なぬは亭主ばかりなり。すぐに再婚し、幸せに暮らしている。死んだ子の年も数えない。浮かばれない女房は「恨み、辛みを書いた手紙を送りつけたい」と嘆く毎日であった。
中学校でイジメを苦にして高層ビルの屋上から投身自殺した女子生徒は自分をイジメた同級生たちに「死んで呪ってやろうと思ったが、うまくいかない。死んでも花実は咲かなかった。せめてこの不幸の手紙だけでも読ませてやりたい」と書いては消し、また書いていた。
ある期間、TVにも頻繁に出て売れっ子だった芸人は、闇営業で所属事務所を解雇された。行き場を無くし、数日後、冬の日本海へ入水自殺した。そのとき書き残した遺書を手に「ヤクザからもらった金は老母が還付金詐欺で騙し取られた金を返してもらっただけだ。みんな、俺のことを誤解している。これを読んでくれれば、分る!」と涙ながらに訴えていた。
このように郵便局内では亡者たちが現世で体験した不平不満、悔恨を口にして騒いでいます。しかし、生前とは違い亡者たちは自由に手紙を投函できるわけではありません。手紙は郵便局長が1通ずつ開封し、その文面を検閲することになっています。
これに腹を立てた亡者が尋ねます。
「プライバシーの侵害だあー。なぜ、検閲をするのか? 憲法に反するぞ!」
局長は慈悲に満ちた笑みを浮かべて答えます。
「はい。ここはヨミ(黄泉=読み)の国ですから」
「??」
納得のいかない亡者はさらに反論します。
「ここにいる亡者たちは生前、いかに悪人であったとしてもお釈迦様の前ではすべて善人として処遇されると聞いて来た。その善人の手紙を検閲するとは?」
これに対して局長は首を大きく横に振り、諭すよう答えます。
「いいえ。それは大きな誤解です。あの世に来ても現世へオレオレ詐欺を仕掛ける亡者もいますから」
「この手紙を使って、詐欺をする?」
「そうです」
「ここへ来ても現世の生者を騙そうとする悪人がいるのですか?」
別の亡者が尋ねます。
「残念ですが、いるのです。そんな輩が。現世が変りつつあるようにこの(あの)世も一刻一刻と変りつつあるのです。すべての方を善人として扱うわけにはまいりません。悪人はどこまでいっても悪人です。生粋の悪人根性はたとえ死んでも治りません。南無阿弥陀仏。アーメン」
「う~ん。なるほどぉ」
亡者は感心してしまいます。
しかし、まだ大きな疑問はあります。投函された手紙は誰があの世から現世へ届けるのか。そう、あの世から現世へ帰って行った者などいないからです。また、本当に届いたのかどうかを確認することすらできません。
局長はこの疑問に静かに答えます。
「大昔の陰陽師、今も存在するイタコやシャーマンに託すのです」
「そういえば、イタコの言っていることは当たっていた」生前、イタコに死者を呼び戻してもらう(口寄せ)祈祷をお願いしたことのある亡者がぽつりと言った。
すると、別の亡者がまた疑問を口にします。
「あれは生者が死者と話してみたい内容を事前に誰かがイタコにそっと教えているのだろ?」
亡者たちの目はいっせいに局長に向けられました。
それでも局長は怯むことなく、きっぱりと言い切った。
「正しく成仏することです。もう、お止しなさい。死人に口なし。いいえ、愚痴なし」
最後のダジャレに亡者たちは口をあんぐり開き固まってしまった。(了)
35.知らぬは……
午前10時過ぎ。都心部へ向かう普通電車の乗客はまばらであった。
2人の老婦人が相席し、窓側に座る老婦人が口を開いた。
「今日は、眼科と耳鼻科の診察を受けるの。歳をとると、眼と耳が不自由になってきて」
通路側の老婦人は右膝をさすりながら返した。
「わたしは膝の具合が良くなくて、外科よ。もうかれこれ3年になるわ」
電車はゴトンと次の駅で停まった。
3人の若い女性たちが後ろのドアからガヤガヤとおしゃべりしながら乗ってきた。老婦人たちの横を通り、前方の4人掛けの席へ向い、2人は老婦人たちと対面し、もう1人は背を向けて座った。
電車が動きはじめると、女性たちのおしゃべりは止んだ。見ると、ショルダーバッグを膝に置いて、何やら細々(こまごま)した物を選んでいる。そのうち、手の平ほどの鏡を出して、3人が三人三様の化粧をはじめた。
器具を使って、マツ毛をしきりにカールさせている子。口をコの字にして、他人がみるとトンマな顔付きになっている。頬紅を塗っている子。やたらと口紅を左右に引いている子。
しばらくすると、誰かが誰かに訊いている。
「ねえ、どう? これで大丈夫かな? きれいに見える? どう?」
別の2人が交互に一オクターブ高い声で答える。
「いい! いい! 可愛いー」
「それヤバイよー。いいじゃん」
静かに見守っていた老婦人たちは、
「まあ、みっともないったらありゃしない。今の娘さんたちは電車の中で化粧をするのかしら」
「そうそう。電車だけじゃなくて、バスとか地下鉄でもしているみたい。ほんと、お頭がどうかしているのよ」
と怒りを顕にして、小さな声で話します。
しばらくその様子を黙って見ていたが、窓側の老婦人が断固とした口調で言った。
「この辺りにわたしの長女が住んでいて、あれくらいの歳の娘がいるけど、あんなことは絶対にさせてないわ。あの子たちの母親の躾がなってないのよ。わたしたちの世代は娘を厳しく躾ましたけどね。今の若い母親は……」
連れの老婦人も加勢する。
「母親だけじゃなくて、きっと学校でも教えてないのよ。化粧は家を出る前にするもので、乗り物の中や他人様の前ですることは恥ずかしいことだってね」
「まあ、恥も外聞もないわね。あの子たちもいずれは人の親になるんでしょうねぇ」一息おいて「ねえ、見てよ。あの後ろ髪の見える子、服装は派手だし、何あの髪飾り、場所と時間を間違えてるわね」と顎をしゃくります。
「ほんと、水商売の女って感じ。まだ昼間よ。嫌ねぇー。若いのにねぇ」
「日本人女性の淑やかさなんて、もう望めない期待できない時代ですかねぇ」
「長生きしていると色んなことに衝撃を受けますよ。若い人たちは、何かと言えば、自由だ自由だなんて口にしますけど、他人の目もあるのにねぇ」
老婦人たちの視線を気にすることなく、女性たちははしゃぎながら顔の造作に余念がない。
老婦人たちに背を向けている女性が突然、甲高い声を発した。
「これさあー。お母さんが使っているものよ。いいでしょ。高価んだってさ。ヘソクリで買ったんだってー。もらっちゃった!」
すると前の女性が返した。
「どれ、見せてー。これ! いいなあ。うちのお母さん、お化粧するの、あんまり好きじゃないから。こんな高価ものは使ってないよ~」
つられて隣の女性も声を出した。
「いいよなあ。お化粧に理解のあるお母さんがいてー。うらやましいー」
老婦人たちは女性たちの席を凝視し、言葉をなくし、呆然としていた。
こちらに背中を見せている女性がまた声高に口を開いた。
「この時間帯の電車っていいよね。いつも空いていて、貸し切りだよね~」
それから金魚のように口をパクパクさせてショッキングピンクの口紅を塗りはじめた。
通路側の老婦人が連れに、
「空いているから自分の部屋と勘違いしているのかしら? バッカじゃない」
と、怪訝そうに小さな声で耳打ちした。
それには答えず、窓側の老婦人は連れに「うん」と目配せしてから立ち上がった。連れは思わず「あっ」と声を漏らし、彼女を見上げた。
立ち上がった老婦人は鬼の形相で女性たちの席へ近づいた。対面した2人の女性は「はっ」「えっ」と顔を上げ、固まった。
その顔へ老婦人は容赦なく、
「あなたたちうら若き女性でしょ。お化粧は家を出る前にきちんとするものよ。電車の中でするものじゃありません。女性としての品格を自ら下げています。まったくもう。あなたたちの母親の顔を見てみたいものだわ。ふん」
と、強い言葉を投げつけ大きく鼻を鳴らし、キィと女性たちを睨みつけた。
その声に背中を向けていた女性が振り返り奇声を発した。
「あれれ! お祖母ちゃん。お祖母ちゃんじゃないの!」
次の瞬間、老婦人の大きく見開かれた両目はその女性の顔に吸い付いた。みごとにカールしたまつ毛の瞳に見つめられ、老婦人は首を後ろに反らせてやり場のない途方にくれた目で、連れをチラリと盗み見た。その後、視線を宙にあちこち泳がせた。(了)