第15話 三貴神集結
天照、と呼ばれる神の顔は宙に浮いた状態でこちらを見下ろしていたが、こちらが存在に気づくとその巨大な顔が大岩の如くゴロンと地上へ落下した。
「ひいいいいいい!」
千秋は絶叫する。生首がすぐ近くに落ちてきたのだから当然だ。しかもめちゃくちゃでかい。10階建てのビルくらいあるのではないだろうか。今は首だけだが、もし本体があるのだとすれば、無駄に大きな建物のスケールはこの巨大な神に合わせて作られているかもしれない。ひれ伏している状態のためあまりまじまじと眺めることはできないのだが、光り輝くような芯の強い、美しい女性の顔であった。綺麗な長髪が川のように床に広がり、頭には豪華絢爛な金色に光る飾りをつけている。まるで太陽のような存在だ。
しばらく皆黙ったまま緊迫した空気が張りつめていたが、最初に口火を切ったのは、七三分け男だった。
「か、畏くも、天照大御神様に於かせられましては時下ますますの御清祥のことお慶び申し上げるとともに拝謁の機会、大変光栄に思いま…」
「無駄な挨拶はよい。」
赤いクジラのような、形の良い大きな唇がゆっくりと泳ぐように緩慢に動いたと思ったら、ピシャリと七三分け男に言い放つ。ハッとするような美しい声であったが、声を伝って耳が冷たくなるのではないかというくらい、冷淡な調子である。小学生の時に演奏会で使った、鉄琴の音を思い出す。氷のような、冷たく美しい音。あと口は動いているが、声自体は空間全体から不気味に発せられているようで重々しく反響していた。
「最近、どうやら地上の方が騒がしいようだな。」
「ま、まさか天照様のお耳にも入っていたとは…!私共の管理不足で、大変申し訳ありません…!」
ただでさえ床に頭がめり込みそうなくらいひれ伏しているというのに、七三分け男は更に突き抜けて頭から地面に潜るのではないかというくらい必死なものだった。さっきの厳格な様子と打って変わって何だか見ていて可哀想になってくる。前の職場の、普段は社員たちに偉そうな態度をとっていた嫌な上司が部長に叱責された時、情けなくぺこぺこと謝罪を繰り返すのみのロボットと化していたのを彷彿とさせる。
「おい、そこにいるのは人間ではないか。」
ビクリと肩を震わせる。完全に僕のことだ。ぎょろりとした大きな目玉からの、自分を貫くのではないかというくらい強烈な視線を背中に感じる。これは、喋ってもいいのだろうか。ここにいる他の者達の様子からして、この天照と呼ばれる生首は別格の存在のようだ。人間でいう社長のようなものなのだろうか。無視するのは流石に不敬にあたるだろう。しかし声を出そうにも、掠れたような情けない音しか口から出ない。本当に心の底から恐怖を感じている時、人間というのは思ったように声が出ないものなのだなと実感した瞬間だった。
「天照様、只今私への尋問の途中でして…、この人間はその証人としてここへ連れてこられたのです。」
自分の代わりに、三十日月がハキハキとした口調で対応した。七三分け男を始め、他の者たちも僕と同様、恐怖なのか髪の毛1本すら動かさない中、三十日月は唯一、物怖じせず冷静な態度をとっていた。この前、助けられた件もそうだが、三十日月は普段、軽薄で胡散臭いところもあるものの、こういうピンチの場面では凄く頼もしい存在になる。
「ほぉ…そうか、お前はまた何かやらかしたという訳か、黎。」
「いやぁ、そんなことないですよ。こいつらが私を虐めているだけですって。」
誰も何も言えない状況を逆手に、三十日月はここぞとばかりに言いたい放題言う。七三分け男たちは殺気立った視線を三十日月に向けるが、当の本人は気にもしていない。
「ふん、お前が問題を起こすのはいつものことだ。そんなことより――、」
大きな唇が言葉を言い切る前に、急に背後から、ぎぎぎぎ……というあの大きな扉が開く重たい音がした。
突然の来訪者に誰もが驚いてそちらを見る。どうやら予想外の客人のようだ。しばらくすると足音はしないものの、まるで平安の時代劇のような豪奢な和服に身を包んだ男が姿を現した。いや、服装的に男物であったので男と判断したが、顔の造形を見るとこの世のものとは思えないほど美しく色白で、闇のように黒く艶のある長い髪を、歩くのに伴って惜しみなく煌めかせている。大きさは僕や三十日月達とあまり変わらない。
しかし、この来訪者が人間ではなく天照と同様、特別な存在であることは一目見て分かった。男がゆっくりとこちらに近づくと、いっとう美しい笑みを湛えながら緩慢に口を開いた。
「姉様、いらしていたのですか。まさかこんな所でお会いすることになるとは。」
声は少し低く、やはり男性であったが、こちらもやはりうっとりするような綺麗な声であった。
「月読か。よくも私の前に姿を現したものだな。お主とはもう金輪際会う予定はなかったのだが。」
「ははは、数万年ぶりに会う兄弟に対してかける言葉がそれですか。相変わらずですね姉様は。」
どうやらこの男は月読という名で、天照の弟らしい。会話からして、兄弟仲はあまり良好とは思えないが。
「驚いたな…。」
隣で三十日月がポツリと呟く。
「え?何が?」
声を潜めて聞くと
「あの兄弟は仲が悪いんだよ、そのせいで昼と夜が生まれたくらいだし。天照様は太陽神、月読様は月神だよ。」
「え!?仲が悪いって理由で昼と夜があるの!?」
「保食神っていう神様がいてね、天照様が月読様に会わせたんだけど、その保食神が口から食べ物を出してもてなしたのが良くなかったんだろうね、月読様が怒ってその神を殺しちゃったんだ。んで、天照様はそれに激昂して…そこから顔を合わせないようにしてたってのに。もしかしたら天と地がひっくり返るかもしれないね。」
三十日月は冗談で言ったのだろうが、兄弟仲が悪いというだけで自然を大きく揺るがすような存在なのだ。本当に天と地がひっくり返ってしまってもおかしくはないので、非力な人間側の自分としては笑えない。口が引きつってしまう。
「一体何をしに来た、仕事はどうしたのだ。さっさとまた月へ帰ったらどうなのだ。」
「姉様、ご存知ないのですか。最近は『りもーと』、というのが主流なのですよ。遠隔からでも仕事に問題はございません。」
神の世界にもリモートワークが浸透していることに驚きを隠せない。え、zoomとか使うのかな。
「りも…?お主は一体何を申しているのだ、意味のわからないことを言わずさっさとさっさと消え失せ――」
その時だった。ピシャッ!!っという鋭い音が鳴ったかと思うと紫の雷が矢のように落ちてきた。その後どおおおん、という脳から足の先まで響くような爆音が鳴り、あまりの衝撃に風と土煙がこちらを襲う。雷の威力が凄まじかったのか、落ちた場所の床も壊れてしまっていた。
またしても会話を遮られてしまった天照は、ついに綺麗な眉をこれでもかというくらいに釣り上げ、怒り出してしまう。
「今度は誰だ!この私の話を遮る無礼者は…!」
「俺だ。」
煙の中、何者かが声を発した。力強く、重々しい男性の声であった。カツ、カツ、カツ、と一切迷いのない足音がこちらに近づく。どうやら雷と共に、また新たな来客が落ちてきたようだ。その場にいる皆が固唾を飲んでそちらの方を凝視する。
――現れたのは、意外にも人間のようなスーツを身にまとった大男であった。といっても、今まで見た者たちとは違い、明らかに質の良い、高級なスーツを身にまとっていた。見た目は2mはありそうながっしりとした体躯である。力強い大きな目、凛々しい眉が特徴で、大股で闊歩しながら歩く様を見ていると、海すら男を避けてパッカリと開きそうなくらい堂々としたものであった。
「ほぉ…。まさか須佐之男まで来るとは。」
月読は扇を開いて煙を避けながら、感嘆するかのように呟く。
一方、天照は目をカッと開きしばらくワナワナと口を震わせていたが、気丈に笑ったかと思うと
「須佐之男、前回は皮を剥いだ馬を落としてきたが、今回はお前自身が落ちてきたという訳か。」
須佐之男と呼ばれる男は相当破天荒な男らしい。
「俺もこんな場所に来るつもりはなかった。しかし、近頃姉さんが怠慢なせいでこちらにも被害が出ているからな。流石に堪忍袋の緒も切れる。」
「…怠慢だと?貴様がまさかこの私にそのようなことを申すとは!笑わせてくれる。」
天照は先程の月読に対しての態度以上に敵対心をむき出しにしており、両者今にも戦闘を開始しそうなくらい空気が張りつめていた。
「これはすごいよ、明。」
三十日月が急にそんな事を言い出す。
「え?な…何が?今にも何かヤバそうなことが起こりそうな雰囲気なんだけど…。」
「この三神が一同に会するなんて…歴史、いや神話に残るような大事件だよ!もしかしたら天地が三回くらいはひっくり返るかもね!」
3回は困る。元に戻るかもしれないから、せめて2回にしてくれないだろうか。




