第12話 神使
「おい…おい!起きろ人間!!!」
「!?」
何者かによる怒号によって、千秋は目を覚ました。最悪の目覚めである。
「ん…んん!?ここ、どこだ…!?」
見たこともない広い建物の中だった。永遠と広がっている大理石のような黒色の冷たい床に転がっていた千秋は驚いて立ち上がり、あたりをキョロキョロと見渡す。前後左右、視認できる範囲ではどこを見ても壁や扉が見当たらない。規格外の建造物のようだ。遠くに円柱が見え、数キロ先の遥か彼方に等間隔でそびえ立っている。朱色、というには少しどす黒く年季の入った柱は、これまた天井が見えないほど高く、1本1本がビルと同じくらいの大きさなのではないかというほどとても太い。こんな大きな建物が日本にあっただろうか。海外の大聖堂や宮殿のような豪奢でスケールの大きい建物と似ているが、あれを100倍、1000倍にした感じだろうか。とにかくでかい。
千秋が見たこともない景色に呆然としていると、また声がした。
「やっと起きたか…。もう時間が無い、早くついて来い。」
まただ。声の高さ的には女性のようであったが、辺りに人の姿は無い。一体どこから聞こえているのだろう。
「おい!一体どこを見ている!下だ、下!」
下???千秋が不思議に思いながら素直に声に従い、下を見る、そこには――
真っ白で耳をピン、と立てた可愛らしい兎がいた。
「え…え?兎…?まさかこれじゃないよな…?」
千秋が困惑していると、兎は怒ったのか飛びかかってきて前足で千秋の足を攻撃してくる。正直、痛みはなくむしろ微笑ましい。
「不敬な人間め!神使である私をこれ扱いするとは!」
やはりこの兎が喋っているようである。口は動いていないが明瞭に声が聞こえるし、怒っている様子を見ても言動が一致している。色々と変なものを見てきた千秋だが、喋る動物というのはまだ見たことがない。それに、しんし、とは何だ。やけに偉そうだし、三十日月と同様、神か何かの類なのだろうか…。
「えっと…あの、貴方は何者です…?あと僕なんでここにいるんでしょうか…?」
できるだけ視線を下げようと兎の前で正座をして、恐る恐る質問する。気分を害させて、天罰のようなものでも食らったら大変である。兎は少し落ち着いたのか、千秋の顔を見て話し出す。
「私は今回、お前を誓約殿に連れてくるよう連れてくるよう命じられた神使である。名はシロだ。」
「うけいでん…?あとしんしって何…?」
説明をされたものの、名前がシロってことしか分からない。兎…ではなくシロは耳を垂れさせ、やれやれ…というようなポーズをする。呆れているのは言葉がなくても分かった。
「なんだ、お前は何も知らないのか。全く…。」
そうシロが言うやいなや、体からぼふんっと白い煙がでてきた。千秋は驚き思わず目をつぶってしまう。一体何が起きたというのか。恐る恐る目を開ける。すると、さっきまでいたはずの足元の白いうさぎは居なくなってしまっていた。代わりに、目の前には小学生くらいだろうか千秋の胸より少し下くらいの身長の、おそらく10歳前後であろう小さな女の子がこちらを見上げ、睨むように腕組みしながら仁王立ちしていた。髪色は少しピンク味のある明るいホワイトカラーでツインテールにしており前髪はぱっつん。服は白の大きなレースの襟が付いている真っ黒の膝くらいの長さのワンピースを着ていて、フリルが控えめについた白の靴下、リボンの装飾のついた黒のドレスシューズを履いている。とても可愛らしいのだが、だいぶフォーマルな感じが強く喪服のようでもあり少し不気味にも感じた。
「え、あの、もしかしてシロ…さん…?」
「様をつけろ、人間が。せっかくこうしてお前に合わせてわざわざ人間の姿になったというのに。」
シロは目を細めてじとりと千秋を睨む。そんなこと言われましても…。情報が多すぎて色々と追いつかない。喋り方が澱みなくハキハキとして大人っぽくて、どうにも子供の見た目との乖離が凄い。しかも偉そうときた。困惑している千秋を置いて、シロは説明を続ける。
「神使――我々、神の使いは基本的に神々の仕事のサポートをしている。分かりやすく人間にも伝えるとすると…いわゆる天使ってやつが近い存在になるのか。普段は動物の姿だが状況によって自由自在に変化することができる。あと、誓約殿というのは人間で言うところの裁判所のようなものだ。お前はこれから神々の裁判に出廷するのだ。」
「なるほどなるほど…ん?え?出廷?僕が?え、何で!?」
途中までふんふんと聞いていた千秋だがシロの最後のセリフに心臓がひゅっとなる。裁判というワードだけでも身が竦むというのに、神々の裁判!?自分はそんな大罪を犯してしまったのだろうか。千秋が不安と恐怖でガクガクと震えていると、背後でまた別の声が聞こえた。
「おい、シロ。いつまでかかっている。早くそいつを連れていくぞ。」
威圧感のある、重く低い声であった。千秋が驚いて振り返るとそこには190cmはあるだろうか、体格がよく男前で、険しい表情をした大男が千秋たちを見下ろしていた。見た目は30代くらい、目は若干つり目で目力があり、髪は黒色で前髪はセンターパートにしており、後ろは無造作な感じだった。コートを羽織っておりスーツをキチッと着用しているが、こちらも喪服のようであった。全て黒で統一している。この大男を見た瞬間今までボヤけていた、自分がここに来る前の記憶をだんだんと思い出してきた。そうだ、確か自分は美容院に行って買い物をして帰っていた。アパートの自分の部屋のドアノブにかけようとした時、廊下の少し離れたところで妙な2人組に声をかけられたのだ。確か1人は大柄の気難しそうな男性、もう1人は小さな小学生くらいの女の子…。妙な組み合わせだなと疑問に思ったのを覚えている。そしてその後の記憶があやふやでハッキリと思い出せないのだが、自分がこの2人によってどこかに攫われたということだけは確信した。神の使い、と言うくらいだから誘拐後監禁して暴行、みたいな明らかに悪いことはしないだろうが、急に得体の知れない2人組とこの謎の広い建物にやっと恐怖を感じ始めた。
「あの…!ここは、一体どこなんです。なんで急に攫うようなマネを…しかも裁判とか意味わからないし…!」千秋がパニックになり騒ぎ出す。一方、大男の方は少し驚いたように目を開き、シロの方に話しかける。
「まさか、何も知らないのか、この男は。」
「ああ、私たちのことも今回の裁判のことも知らないらしい。」
シロがそう答えると、大男は呆れた様子で
「全く…あの方は一体何をしているんだ。自分でまいた種だろうに…。」
と言う。あの方…?と千秋が疑問に思っているとシロが
「まあ、あの方が適当なのは今に始まったことじゃない。」
と言い、大男もそれに同意する。
「そうだな、尻拭いはいつも我々だ。おい、人間。」
千秋は突然話を振られビクッとする。鋭い眼光でこちらを見られると迫力もあり、まるで睨まれているようである。
「ここは、八百万の神々の住まう場所、高天原だ。お前は死神三十日月黎の、とある禁を破ったことに対する嫌疑の証人として連れてくるよう命じられた。」
あと、攫うような強引なマネをしてすまなかった、とポツリと最後に呟いた。




