待ち合わせ
家から歩いて10分のアリーナの駐車場。私はかじかむ手でスマートフォンのメッセージを確認する。
『もう少しで着くよ!何か目印になるようなものある?』
彼からのメッセージに、私は深呼吸した。
『3番の駐車場にいます。ピンクのニットにジーンズを履いてます』
私が返信すると、すぐに既読がつく。18時を少し過ぎた頃、私の前に黒い車が停まった。車の窓が開き、白いパーカーを来た彼が私に微笑んだ。
「お待たせ。隣にどーぞ」
「お願いします」
私はぺこりと頭を下げ、車のドアを開けた。
「めっちゃ礼儀正しいじゃん」
彼の驚いた表情が面白くて、私はくすりと笑う。
「珍しいんですか?」
私が聞くと、彼は頷いた。
「珍しいね。てか初めてかも」
彼の助手席に座ると、ふわりと甘い香水の匂いがした。
「寒かったでしょ? 暖房強めるね」
「そんな、お構いなく」
私が首を振ると、遠慮しなくていいのにと彼は笑う。
「どこか行きたいところある?」
彼の問に、私は首を傾げた。
「私、あまりドライブしたことなくて」
「そっか。じゃ、適当に走るね」
私がシートベルトを締めたことを確認し、彼は車を走らせた。
彼、翔大翔大さんとは1週間前に出会い系アプリで知り合った。翔大さんは私よりも9歳年上だったが、プロフィール写真の整った顔立ちと優しそうな笑顔の写真に惹かれてハートボタンを押した。すると数時間後に翔大さんからメッセージが来て、会話をしているうちに会うことになったのだ。
「誰かと会うの、初めてなんだよね? 緊張してる?」
翔大さんから聞かれ、私は頷いた。
「そうだよね。穂波穂波ちゃん、今20歳だっけ?」
今日初めて名前を呼ばれ、私は思わず視線を窓へと逸らした。
「そうです」
「じゃぁ俺なんておじさんでしょ? 初めて会うのがこんなのでごめん」
彼の言葉に、私は慌てて首を振る。
「そんなことないです」
「そ?」
彼は笑い、近くのコンビニに車を止めた。
「穂波ちゃん、コーヒー飲める?」
翔大さんは、ミルクコーヒーを私に渡す。
「え、すみません。何円でした?」
私が聞くと、翔大さんは笑う。
「いいよ。俺が好きで買ったんだし」
「ありがとうございます。いただきます」
ミルクコーヒーは、甘さ控えめで飲みやすかった。
「穂波ちゃんは、どうしてアプリしようと思ったの?」
翔大さんから聞かれ、私は苦笑いする。
「多分話したらひきますよ」
私には、去年まで中学生から仲のいい友達がいた。私達はいわゆる腐女子という者で、2人で会ってはBL話に花を咲かせていた。
「私絶対彼氏とか出来ないわ。BLが命」
彼女は、よくそう言っていた。私も恋人がいなく作る気もなかったから、一緒にいると心地よかった。
「穂波ちゃん、私ね異動になったんだ」
ある日、友達は異動になったことを話してくれた。その場所が他県で、簡単には会えなくなることも。
「そっか。寂しくなるね」
「でも帰る時は連絡するし、通話とかメールいっぱいしよ」
その子はそう言い、転勤の日を迎えた。
最初の頃はよくメールしていたが、次第にやり取りが減っていった。
その子の誕生日のお知らせが届き、久しぶりにトーク画面を開いた。
「え?」
その子のプロフィールの写真は、私の知らない男性の後ろ姿になっていた。
「私びっくりしちゃって。素直に喜べなくて。おめでとうって言えなかったんです。最低ですよね。恋するもしないも、その子の自由なのに」
私は、ミルクコーヒーの蓋を回す。
「最低じゃないよ」
彼の言葉に安心し、私は続けた。
「羨ましかったんです。私も、誰かと繋がってみたいって思ったんです。その子の気持ちを味わってみたいって」
そこまで話終わると、翔大さんはそっと私の甲に手を重ねた。
「もう少し、その子の気持ち味わってみる?」
彼はプレハブの前に車を停め、私のシートベルトのボタンを押す。
「狭いから気をつけてね」
私は彼に促されるままプレハブに入り、靴を脱いだ。
私はソファーに腰を下ろし、少し濡れた髪を撫でる。彼のシャワーの音を聞きく度、私の鼓動は早くなった。
シャワーの音が止まり、翔大さんの歩く音が近くなる。
「めっちゃ緊張してるじゃん」
翔大さんは隣に座り微笑む。笑うと細くなって垂れる翔大さんの丸い目が、私は好きなのだと思った。
翔大さんは私のおでこに掛かった髪を撫で、唇を近づけた。顔が熱くなり、涙が出そうになるのを必死に堪えた。翔大さんの唇はおでこから鼻へ移り、その後目を閉じてそっとキスをした。
「ここじゃ狭いし、ベッド行こっか」
翔大さんが耳元で囁き、私は頷い。
私の肩に手を添え、何度も唇を重ねる。彼の手が肩から下がり、優しく胸を撫でる。私は、彼に身を委ねた。
「痛い思いさせちゃってごめんね。大丈夫?」
「大丈夫です。こちらこそ、すみませんでした」
車の中、翔大さんが申し訳なさそうな表情をこちらに向けている。
結局、最後まですることは出来なかった。痛がる私を見て、翔大さんが止めたのだ。
アリーナの駐車場に車を停め、私は翔大さんの車を降りた。
「気をつけてね」
彼が手を振り、私も振り返した。
私は一体何がしたかったのだろう。翔大さんは嫌いじゃない。むしろ一緒にいて居心地が良かった。でもこれは、友達お同じ気持ちではない気がする。翔大さんへの気持ちは、恋愛感情なのだろうか?
きっともうあの人と会うべきではない。帰り道、なんとなくそう思った。
寝る前にスマートフォンを見ると、翔大さんからメッセージが入っていた。
『次はいつ待ち合わせする?』
私はおもむろにスケジュール表を開き、返信する。
『来週の金曜日空いてます』