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1番目の貴方に恋して。

作者: たのし

私は1番右側のドの鍵盤。私は声を出すのが凄く苦手。だって高い声だから少し出すと喉は痛くなるし、音だってあまり響かない。


でも1番左の貴方が低い音を出す度に私は心が踊った。一緒に88人の仲間と共にやって来たけれど、お隣さんの白鍵と左上の黒鍵しか私の世界は無かった。そんな私の狭い世界を変えたのは貴方の声を聞いた時だ。


貴方の声に出会ったのは、このピアノのご主人が音を出している時だった。沢山の声が音符となって飛んでいる時だ。みんなの音の奥に低い存在感のない声がした。それは私とは違って高い声ではなくて優しさに包まれたとても暖かい声だった。


私は自分の高い少し冷たい声にコンプレックスがあったから、初めて貴方の声を聞いた時はその胸をホカホカにする声が羨ましくて、また歌ってくれないかなっと思っていた。


でも、来る日も来る日も貴方の声は聞こえなかった。私はそれでもご主人が私達の声を出す度に貴方を探した。貴方の低い声は全く聞こえない。私は声を出す度に左側の貴方を見ていた。白鍵とは程遠いくらい黄色くなり他の白鍵と見比べるとかなり歳をとっていた。それでも、私は貴方の声が好きだから待ち続けた。


もう聞けないのかなっと思った頃に声の奥に聴こえてくる貴方の声。ずるい。また考えてしまう。


この気持ちは私の中に留めている。隣の子に言ってしまうと隣り合っている私達の噂はすぐに広まってしまうから。もし、貴方に知られたら迷惑をかけてしまう。だから私は言わずに心に閉まっていた。


いつか、貴方と一緒に声を出せたらなっと私は想いを胸に。


ある日、旋律師の人が私達の体を点検しに来た。

まずは真ん中の子から始まり左の人達。そして、最後に右側の私の方にやって来た。少しくすぐったく、笑うのを堪えていると終わり最後に私から順番に一つ一つ白鍵を押していった。


私の声は一人で音符となり宙に浮いた。

1番左の貴方をみると貴方の白鍵は汚れていて、貴方から伸びる弦は茶色く錆びていた。他の人達のは綺麗なのに。私は少し憤りを感じた。


その後、他の人達が一人一人声を出していた。

一人で声を出すことはなかなかないので、緊張から音を外す子とか主張しすぎて声が大きい人もいた。その子達は体を弄られてくすぐったいのかケラケラ笑っている。


最後に貴方の番になり、貴方は声を出した。

低くて優しい声。あー。やっぱり私は貴方の声が好きだ。私のところまで微かにしか聞こえない声だけど、私の胸はホカホカになる。


一緒にいつか同じ曲の上で出会いたいと思った。


そして、旋律師の人がご主人に話をしている時、貴方の事を話していた。「もう、古くなっているので変えた方がいいのでは。」っとご主人はそれに対して「いえ、音が出なくなるまで使います」っと旋律師に話していた。


私の体から伸びる弦が冷たくなるのを感じた。

貴方とはずっと一緒に居れないんだな。貴方が居なくなったら私の世界はまた狭くなってしまう。


私はそれからそんな事を毎日考えていた。


でも、貴方の声を聞けばそんな気持ちが無くなってしまう。貴方の声はそんな力を持っていた。


ますます好きになった。

っと同時にいつかの別れに胸が切なくなった。


時々聞く貴方の声は優しい。

でも、聞く度に弱々しくなって行く。


声があまり出ないからご主人は貴方を他の人より強く叩く。だから他の白鍵より一段下がっていた。それを見る度に私はご主人にもう貴方に左小指を掛けないで欲しいと願った。


そんなある日、ご主人がベートーベンのワルトシュタインを弾いた。その時私が先に声を出すと、その後貴方の声が左側から聞こえて来た。


そして、貴方は私の方を見て「あー。やっと逢えた。貴女に逢えた。

僕は貴女の声に恋をした。やっぱり素敵だ。そして同じ空間でこうして出逢えた。僕は幸せ者だ。ありがとう。ありがとう」


っと言った。私は自分の弦が暖かくなるのを感じた。


「私も貴方の低く優しい声に恋をしていました。

いつも曲の中で貴方を探していました。

あー。やっと同じ空間で出逢えることができました。このワルトシュタインは私達の長年の夢を叶えてくださいました。素敵な曲。ありがとう。ありがとう」


っと今までの気持ちを伝えた。


貴方は限りある時間の中で沢山私を褒めてくれた。嫌な自分の高い声を綺麗だと褒めてくれた。そして、好きだと言ってくれた。


神様ありがとう。右側のあの人も私の声を探してくれていた。こんな幸せはこの先ないと思います。


こんな幸せな白鍵は世界の何処を探してもないと思います。私は幸せ者です。


私達はワルトシュタインの中の短い時間の中で沢山の愛の言葉を交わした。


そして、貴方は最後に「僕は貴女に出会えて凄く幸せだ」っと言った。曲が終わり静けさが部屋を包んだ。


プツン‥‥っと左側から乾いた音が聞こえた。


私は彼が声を発せなくなった事を察した。


ご主人は左側の白鍵を叩いている。


カスカスっと声の聞こえない白鍵を何度も叩いていた。


彼との別れは私を絶望させた。

それから声を出す度癖で左を見てしまう。


1番左側には綺麗な白鍵がいた。

声を聞いても、貴方みたいな低い優しい声は聞こえて来なかった。


それから、月日が流れ私も隣の白鍵より一段下がり黄ばんだ体になった。声を出す度に体は痛くなるし、歳を感じていた。


そして、私の弦がブチブチと軋む音が聞こえた。


プツン。


トントン。。。カスカス。。。


さっ。今から貴方の所にいきますよ。またワルトシュタインの上で沢山話をしましょうね。




おしまい。


-tano-


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