白い霧と怪しい女
「それでは皆、出発です! 気を付けて高台まで向かいましょう!」
「おー!」
牧場を後にしたわたし達は皆で掛け声をかけると、森に向かって歩き始めた。高台は森の中にあるため、草原から一度森の中に入る必要があるのだ。
しばらく歩いていると、森に入ると白い霧が辺りを包み込み始めたことに気付いた。それに眉を寄せたわたしはスピネルと顔を見合わせる。
「これは霧……でしょうか?」
「ああ、霧だな。見通しが悪くなってきたから、離れないように気を付けるんだ!」
スピネルが大きな声で周りに指示を出すと、他の三人もわたし達の近くに来たので全員が固まった状態で森の中を進む。
そこから目的地に向かってしばらく歩いているとミステルが不思議そうな表情で首を傾げる。
「そろそろ高台がみえてもいい頃なんじゃないか?」
「確かに結構歩きましたが、中々森から抜けられないですね……」
シリウスも不思議そうな顔で自分が持っていた地図を広げた。牧場でランチャが言っていた通り、牧場から高台まではそう遠くもない。普通に歩いていれば十分程度で到着するはずだが、今はもうその倍は歩いている。
「霧のせいで別の方角に向かっている可能性はありませんの?」
「それはないと思う。今も方向を確かめながら歩いているんだ」
ドロッセルの疑問にスピネルが答える。その手には目的地の方向を指し示す方位磁石が握られており、それを見ながら歩いて来たと言うのだ。
「でも……それだとなんで到着しないんでしょうか?」
「分からない……これが壊れたわけでもなさそうなんだが、ずっと真っ直ぐ歩いて到着しないのは考えられないだろう?」
スピネルも自分の持っている方位磁石を見つめながら首を傾げる。皆で首を傾げていると、ミステルがそう言えばと話を始める。
「ボタニガルテンには方向感覚を狂わせる植物が生えていたはずだ。その植物が森の中にあるならそれのせいかもしれない。しかし、課外活動で入ることもあるような学園の森にそのような植物が生えているとは考えにくいのだが……」
周囲は既に霧で覆われていて、皆の顔が何とか見えるくらいの状況だ。もしそのような植物があったとしても、この霧の中探すのは難しいだろう。
「わたしが風魔法で霧を払ってみましょうか?」
「いや、できれば魔法は使わないでおきたい。何があるか分からないからな。大丈夫だ、何かあっても俺が皆を守ってやるさ」
こちらの提案は却下されてしまったが、スピネルが自分の手甲を見せてそう言うのでわたしはそれに従うことにした。
そんな話をしているとむーちゃんが急に霧の中に向かって鳴き始める。
「むー! むー!」
「どうしたのですか、むーちゃん……」
急に鳴き始めたむーちゃんを見てわたし達が驚いていると、良く見えないが霧の向こうに何かの気配を感じる。何だか嫌な予感がしたわたしは慌てて皆に指示を出すことにした。
「! 皆、横に飛んでください!」
わたしが叫ぶようにそう言うと皆が横っ飛びでその場から離れる。それと同時にわたし達の横を大きな黒い塊が通り過ぎていった。
ドッドッという地面を踏みしめる足音と共に通り過ぎていったそれは、以前カーネリアお姉様と森に行ったときに見たことがある魔獣だった。
わたしは喉の奥から絞り出すように声を出す。
「シュヴァイン……!」
それを聞いたスピネルが手甲に魔力を込めて即座に戦闘態勢に移る。呪文を唱えるとスピネルの手甲が赤く光り、爪のような形の火を纏う。
「火よ爪となれ! クリス! 皆を連れて下がっていろ!」
「はい!」
わたしはまだ状況に対応できていない他の三人に近付くと、腰の杖に手をかけながらシュヴァインから離れることにした。
「皆、大丈夫ですか!?」
「ああ、何とかね……それよりさっきのは一体?」
「あれはシュヴァインという魔獣です。今はスピネルが相手をしているので、皆は一緒に下がりましょう!」
「魔獣と戦っているスピネルの邪魔になってもいけませんものね……分かりましたわ!」
わたしが三人を連れてシュヴァインとスピネルの戦っているところから離れると、遠くの方からスピネルとシュヴァインの戦闘する音が聞こえてくる。スピネルなら大丈夫だと思うが、少し心配だ。
「スピネルは大丈夫でしょうか?」
わたしがそんなことを口に出すと、またしてもむーちゃんが鳴き始める。むーちゃんが向いているのはスピネル達が戦っているのとは別の方向だ。
「むー!」
「むーちゃん、今度はどうかしたのですか?」
むーちゃんの鳴き声につられて目を向けると、ローブを着た怪しい者が立っていた。被ったフードと霧のせいで顔は良く見えないが、その奥には炎のような赤い瞳が怪しく光っている。
「あなたは何者です!?」
わたしは相手に質問しながら腰から杖を引き抜くと、見るからに怪しいその人物に先端を向ける。
「そんなに怒らないでくれよ。誰だって杖を向けられたら怖いだろう?」
からかうようにそう言った怪しい者はクククと噛み殺したような笑い声をあげる。声や背格好から察するに女性のようだ。わたしは警戒を解かないまま怪しい女に杖を向け続ける。
「もう一度聞きます! あなたは何者ですか!?」
「私の名前はスファレ。まあ、別に覚えなくていいけどね」
手を広げて呆れたようにそう答えるスファレに対して、わたしは牽制のための風魔法を唱えた。
「風よ渦巻け!」
次の瞬間わたしの魔法が発動して風が渦巻き、スファレを風の檻に閉じ込めることができた。これでしばらく時間稼ぎをしてスピネルが来るのを待とう。そう思っていると突然風の檻が目の前からフッと消えた。
「え?」
「ダメじゃないかクリス。いきなり魔法を使うなんて礼儀がなってないよ」
わたしの名前を呼ぶスファレはそう言って自分の杖をこちらに向けてくる。
「しばらく君達には眠って貰おう。闇よ眠らせろ」
スファレがそう唱えた瞬間、わたしはフッと意識が遠のいていくのを感じる。先ほどスファレが唱えた呪文は精神に作用する闇魔法だ。それならわたしは『精神活性』によって耐えることが出来るかもしれない。
「倒れるわけには……いきません!」
一瞬だけ力を入れて眠らないよう堪えると、わたしは体内の余っている魔力をできるだけ『精神活性』に注ぎ込む。すると、相手の魔法を無効化できたようで眠気が吹き飛ぶのを感じた。
「皆! 大丈夫ですか!?」
「う……」
しかし、他の三人は魔法を受けてしまったようで、膝を突きその場に倒れこんでしまった。それを見たスファレはつまらなさそうに溜息を吐く。
「その子達はともかく、クリスには『精神活性』があるから効かないか……」
「あなたはどうしてわたしのことを知っているのですか!? 何が目的ですか!?」
「私の目的はクリス、君だよ」
「わたしですか……?」
わたしはゴクリと唾を呑みこみ、スファレを睨みつける。スファレは警戒したまま飄々とした態度で話を続ける。
「とは言え私もクリスを傷つけるつもりはないよ。一緒に来てもらうだけさ」
「その場合、皆はどうなるのですか?」
「クリスがついて来るなら他の者には傷一つ付けないと約束しよう」
わたしはスファレと問答しながらもこの場を切り抜ける方法を考える。
今、この場に立っているのはむーちゃんとわたしだけだ。他の三人は先ほどの魔法で眠らされてしまった。つまり、わたしが三人を守らなければならない。
それなら、目の前のスファレを倒すのはどうだろうか。それもできないだろう。先ほど風の檻を突破されたことから、わたしの魔法で撃退することは難しいと思う。
スピネルが戻ってくれば三人をスピネルに担いでもらって、逃げることが出来るかもしれない。だが、その場合でもスファレは大人しく逃がしてはくれないだろう。
「さあ、どうする? クリス。一緒に来るかい?」
「わたしは……」
そんなことを考えながらスファレに杖を向け続けるが、いずれにしても全員を守りながら逃げる方法が思いつかない。そんなわたしを見てむーちゃんが鳴く。
「むー!」
「え?」
むーちゃんは自分に任せろと言うように短い前足を上げてわたしに目を向ける。
「むーちゃんなら何とかできるのですか?」
「むい!」
既に魔導器を爪に変形させていたむーちゃんは、以前スピネルと練習した風の爪を纏って臨戦態勢になっていた。
わたしはむーちゃんを信じてコクリと頷く。
「分かりました! よろしくお願いします! むーちゃん!」
「むい!」
「へえ……使い魔に何ができるのか見せてもらおうじゃないか」
むーちゃんは大きく頷くとスファレを睨みつける。スファレもむーちゃんを警戒しているようで杖をむーちゃんに向けている。
スファレと向かい合った瞬間、むーちゃんが自分の魔力を魔導器に集め始める。
「む~!!!」
掛け声と共に魔力を集めたむーちゃんは呪文らしき言葉をむにゃむにゃと唱え始め、詠唱を終えると最後に一度大きく力を入れて鳴く。
「むーむー!」
むーちゃんが力強く鳴くと、周囲の温度が下がり始める。辺りの草や木が白く凍てつき、わたしの吐く息が一瞬で白くなる。
「氷魔法だと!? 何故使い魔がそんな魔法を使えるんだ!?」
「む~!」
動揺しているスファレを尻目にむーちゃんが魔力を放ち続けると、スファレの周りの空気が渦巻き始める。
「氷と風の魔法か! このままではマズいな……」
「むー!」
スファレが良くないと感じたのか何やら唱え始めるが、そのままむーちゃんが前足を突き出すとスファレは氷と風の檻に閉じ込められ、足の方から段々と凍り付き始めた。
「火を与えよ<フランメ・ゲーブン>!」
「むー!」
スファレは温度を上げる魔法を使って、風と氷の檻から脱出しようとしている。しかし、むーちゃんは彼女を逃がすまいとドンドン魔力を注ぎ込んでいく。
「何かわたしにできることは……そうだ!」
わたしはむーちゃんを援護するために固有魔法を発動する。今まで『精神活性』に流していた魔力を『魔力活性』に流し込んで自分の魔力を増やしていく。
「う……」
『魔力活性』に魔力を流していると段々気分が悪くなってきたが、ここで止めるわけにはいかない。本来ならば『魔力活性』を使うことは禁じられているが、この場を切り抜けるためには少しでも多くの魔力が必要だ。
「ふー……良し!」
一度深呼吸することで気分の悪さを我慢すると、続けて『生命活性』に魔力を流し体調を回復させる。自分の体調が徐々に回復していくのを感じたわたしは『魔力活性』で増やした魔力をむーちゃんへと流し込んでいく。
「むーちゃん! わたしの魔力も使って下さい!」
「むー!」
それによりむーちゃんの魔法が強力になっていくのを肌で感じる。むーちゃんも大きく鳴きながらスファレへと魔法をかけ続ける。
「むー!」
「間に合わないか! こうなれば一か八か……」
スファレが言い終わるより早くむーちゃんの魔法が完成し、スファレが立っていた場所に大きな氷の柱がそびえ立っていた。
「やりましたか……?」
一本の氷の柱となったスファレにむーちゃんとわたしで近づいて、きちんと彼女が凍り付いていることを確認する。
「やりましたね、むーちゃん!」
「むむい!」
わたしが喜んでむーちゃんを見ると、むーちゃんは辺りをキョロキョロと見回しているところだった。それを見たわたしが首を傾げていると、背後の草がガサリと揺れた。
「え?」
「むー!」
わたしが振り向くよりも早くむーちゃんがわたしの背後に飛んでいく。キンという金属同士がぶつかるような硬質な音が響くと、そこには杖に水の刃を纏わせたスファレの姿があった。
「どうしてスファレがそこにいるのですか!?」
「幻覚魔法を使って逃げたのさ。もっともあと少し遅かったら完全に凍り付いていたけどね」
どうやら先ほどわたしが確認した氷の柱はスファレ本人ではなかったようだ。『精神活性』に流す魔力を減らしたことで、わたしは幻覚魔法にかかってしまったようだ。
そのことに気付いたわたしが慌てて杖を構えると、それよりも先にスファレが杖をこちらに向ける。
「闇よ閉ざせ」
スファレが呪文を唱えるとわたしの目の前が一瞬で真っ暗になる。そんな中わたしの耳にスファレの声が響く。
「今日はもう時間切れだ。また会おう、クリス」
「待ちなさい、スファレ!」
わたしは辺りを見回してスファレを探すが、暗闇に包まれた今の状態では見つけることができない。その後『精神活性』を発動すると目は見えるようになったが、霧が晴れ始めた森の中にスファレの姿は既に無かった。




