空飛ぶムイムイ
わたしとアレキサンダーお兄様がむーちゃんを連れて寮の前庭に出ると、爽やかな春の風がわたし達の頬を撫でる。
「気持ちいい風ですね~」
「今日みたいな天気の良い日はピクニックをしても良かったかもね」
「ピクニック! 今度一緒にやりましょうね!」
「む~?」
「もちろんその時はむーちゃんも一緒ですよ!」
わたし達がピクニックの約束をしていると、寮の方から箒を持ったエメラルお兄様がこちらに向かって歩いて来た。
「お待たせ、クリス!」
「全然待っていないので大丈夫ですよ!」
エメラルお兄様は工作室を出た後、自分の部屋に箒を取りに行っていたのでわたし達より遅れて前庭に到着したのだ。
「やっぱり普段は箒を使ってるから、こっちの方が良いかと思って……」
「エメラルお兄様の好きなようにしてもらって構いませんよ! 何と言っても今日の先生はお兄様なのですから!」
わたしが先生と呼ぶと少し照れくさそうに頬を掻いたエメラルお兄様だったが、すぐに気を取り直すと咳払いを一つする。
「それじゃあまずはむーちゃんに飛行魔法を体験させてあげるね! クリス、むーちゃんをこっちに渡してもらえる?」
「分かりました! むーちゃん、気を付けて飛んできてくださいね!」
「むー!」
わたしがむーちゃんをエメラルお兄様に手渡すと、エメラルお兄様は飛行魔法を発動して空に浮かび上がる。何度見ても空を飛ぶのは楽しそうだ。
わたしは空を見上げたままアレキサンダーお兄様に話しかける。
「楽しそうですね、アレキサンダーお兄様……」
「ああ……私も飛行の魔道具を持って来れば良かったなあ……」
二人でぼんやりと空を見上げていると、しばらくしてむーちゃんを抱えたエメラルお兄様がわたし達の元に戻って来た。二人で駆け寄るとむーちゃんをエメラルお兄様から受け取る。
「ありがとうございました、エメラルお兄様!」
「僕も楽しかったから気にしないで」
「むーちゃんもお帰りなさい! 空はどうでしたか?」
「むー!」
前足をピコピコ動かしているので、むーちゃんも空の旅は満足だったようだ。わたしはエメラルお兄様に顔を向ける。
「これでむーちゃんは飛行魔法を使えるようになるのですか?」
「とりあえず飛び方と呪文は教えてみたけど……一度試してもらえばいいんじゃないかな?」
「分かりました! それではむーちゃんに試してもらいましょう!」
わたしは抱えたむーちゃんを地面にそっと降ろすと、飛行魔法を使うようお願いしてみる。もしもの時に備え、エメラルお兄様は箒に乗って空に浮かんでいる状態だ。
「いつでも良いよ! クリス!」
「分かりました! むーちゃん、空を飛んでみてください!」
「むー!」
むーちゃんは一度頭を縦に振ると魔導器に魔力を集め始めた。そしてそのまま呪文らしき言葉を唱え始める。
「むーむー!」
むーちゃんが鳴いた次の瞬間、魔導器が光を放ってむーちゃんの体が浮き始める。確か以前アレキサンダーお兄様に乗せてもらった飛行の魔道具も同じように浮かび上がったはずだ。
「浮かびましたよ! エメラルお兄様! むーちゃんも凄いです!」
「本当に飛べるんだね……」
「むー!」
エメラルお兄様が引きつった笑みを浮かべる横で、むーちゃんは足をパタパタと動かして喜びを表現しているが、浮いてしまっているため姿勢の制御ができずにクルクルと空中で回転してしまう。
「む!? むー!!」
「むーちゃん!」
わたしが慌ててむーちゃんを抑えると、むーちゃんの回転は止まる。わたしもむーちゃんもホッと胸を撫でおろすと、エメラルお兄様の方を見る。
「やはり、いきなり飛行魔法は難しかったのでしょうか?」
「うーん……」
むーちゃんを地面に下ろしながらわたしが首を傾げると、エメラルお兄様も一緒になって首を傾げる。
「まさか本当に飛べると思ってなかったから驚いたよ……それにむーむー言ってるだけで呪文じゃなかったよね……」
確かにむーちゃんはちゃんと発音できていなくても、魔法が発動していた。どうやらエメラルお兄様は、むーちゃんが呪文を使えるか半信半疑だったらしい。エメラルお兄様は考え込みながらもむーちゃんの頭を優しく撫でる。
「魔法が使えるのは分かってたけど、呪文も唱えられるんだ。凄いね、むーちゃん!」
「むー!」
むーちゃんはエメラルお兄様に褒められたのが嬉しいのか、ピョコピョコと地面を跳ねまわっている。それを聞いたわたしはまたしても首を傾げる。
「ということは他の魔法も使えるんでしょうか?」
むーちゃんを飼い始めてからも固有魔法の研究に没頭していたせいで、むーちゃんが何をできるのかよく知らないままだったわたしは、いい機会だと思って色々試してみることにした。
「多分使えるんじゃない……? むーちゃん、次はこの呪文を唱えてみてくれるかな」
エメラルお兄様が箒に魔力を流しながら、呪文を唱える。
「風よ吹け」
「わあ! 気持ちいいです!」
「む~」
エメラルお兄様の声と同時に涼しい風がわたし達を包み込んで、とても気持ちがいい。エメラルお兄様は魔法を止めると、むーちゃんの方に向き直る。
「それじゃあむーちゃんも唱えてみて?」
「むー!」
エメラルお兄様がそう言うと、むーちゃんに皆の注目が集まる。むーちゃんは一度気合を入れて、魔導器に魔力を流し始める。
「むーむー!」
先ほど空を飛んだ呪文と全く同じ発音だったが、エメラルお兄様と同じように風を吹かせることに成功した。
むーちゃんはそれに喜んでトコトコ走り回っているが、わたし達は顔を見合わせて首を傾げる。
「発音は同じでしたけど、違う魔法が発動しましたね……」
「どうしてだろう……もしかしたら、むーちゃんは呪文がなくても魔法を使えるのかな?」
「いや、呪文がないと魔法は使えないはずだよ」
呪文を教えたエメラルお兄様もだが、それを見ていたアレキサンダーお兄様も動揺しているようだ。
「エメラル。試しに空を飛ぶ想像をしながら、風を起こす呪文を唱えてみてくれ。呪文ではなく魔力の流し方で発動する魔法を変えられるかもしれないからね」
「分かった、やってみるよ兄さん」
アレキサンダーお兄様に言われて箒に魔力を流したエメラルお兄様が再び風を起こす呪文を唱えた。
「風よ吹け」
「気持ちいい風です! けど……」
「空は飛べなかったみたいだね」
どうやら風を起こす呪文で空を飛ぶことはできないようだ。その結果に三人で頭を抱える。
「やはり呪文に対応した魔法しか発動しないようですね」
「そうなるとどうしてむーちゃんは飛行魔法を発動出来たんだろう?」
「呪文の発音は出来ないけど意識はしているから、魔法が発動したってところかな?」
三人でむーちゃんを見つめながら、魔法が発動した理由を考えてみるが答えは出ない。
「とりあえず、むーちゃんの呪文の検証はまた今度にしよう。クリスが講義を受けてからでも遅くはないだろう」
「それもそうだね。これ以上問題を起こされても困るし、あまりクリスに呪文を教えないようにした方が良いよね」
「そんな……!」
「むーむ」
わたしが肩を落とすと、むーちゃんが肩をペシペシと叩いてくる。わたしを元気づけようとしているのかもしれない。顔を上げながらむーちゃんの方を向く。
「ありがとうございます、むーちゃん……え?」
「どうしたのクリス……って」
「むーちゃんが……」
何故抱えてもいないのに、わたしが顔を上げた位置にむーちゃんがいるのだろう。一瞬固まったわたしを見て、エメラルお兄様とアレキサンダーお兄様も事態を理解したようだ。
そこには、空をフワフワと飛んでいるむーちゃんの姿があった。
「む~む~」
ポカンと口を開けていると、むーちゃんがスイスイと空を飛び回っているのが見える。先ほどのように空中でジタバタしているわけではなく、完全に制御できているようだ。
それを見たエメラルお兄様は、悲鳴のような声を上げる。
「え、むーちゃん飛べるようになったの!? 僕でも半年練習してやっと自由に飛べるようになったのに!?」
「むー!」
むーちゃんはクルリと空中で回転すると、短い後ろ足で二足歩行するような姿勢をとって着地する。それを見てアレキサンダーお兄様は溜息を吐いた。
「とにかくむーちゃんについては分からないことが多すぎる……明らかに普通の魔獣じゃないだろう……」
「お父様も初めて見た時は、変異種かもしれないと言っていましたね……」
わたしもムイムイの飼い方は調べたが、実際にどういう魔獣なのか詳しく知っているわけではない。腕に抱えたむーちゃんはわたし達の困惑など知らぬ顔で、楽しそうに前足をパタパタ動かしている。
そんな中、悔しそうな表情でむーちゃんを見つめているエメラルお兄様も溜息を吐く。
「はあ……むーちゃんも空を飛べるようになったってことだよね?」
「そういうことになりますね……むーちゃん、もう一度飛んでみてください!」
「むーむー!」
地面に座り込んでいたむーちゃんは呪文らしき言葉を唱えると、フワフワと空中に浮かび上がる。
むーちゃんはクルリと宙返りをしたり、空中を泳ぐように飛び回ったりしておりとても楽しそうだ。
「む~!」
「やっぱりちゃんと飛べるんだね……はあ……」
「元気を出して下さい、エメラルお兄様!」
自分が半年ほど訓練してやっと飛べるようになったにも関わらず、むーちゃんがすぐに飛べるようになったせいでエメラルお兄様は落ち込んでしまった。
「大丈夫です、エメラルお兄様! わたしもまだ飛べませんから!」
「それは慰めになってないよ、クリス……」
わたしはエメラルお兄様を励ましながら、アレキサンダーお兄様に目を向ける。
「そう言えば腕輪の変形も試していませんでしたね……アレキサンダーお兄様、教えてもらっても良いですか?」
「もちろん、そのつもりさ! むーちゃんは浮かんだままで大丈夫かい?」
「むー!」
むーちゃんはピコピコと前足を振って了解の意を示している。それを見たアレキサンダ―お兄様も一度大きく頷く。
「それじゃあ、腕輪の変形も試してみようか!」
「はい!」




