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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
囚われた者
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囚われた者 1


 翌朝起きてすぐ。ティータは台所には向かわず、礼拝堂の裏手にある薬草小屋へと足を向けた。思った通り、忙しげに人が出入りしている。

 教会で、ということは。結局ウーゴが世話をするはめになるということだ。

「ティータ、どうしたね。ああ、そうか。この前の草のことか。今、手が放せないのであとでもう一度きてくれぬか。すまぬ」

「それもあるんですけど」

 ためらっていると、ウーゴが手を止めた。

「どうした」

「御病人の世話。あたしにもお手伝いさせてもらえませんか」

 夕べからずっと考えていたことだ。誰よりも丈夫だったウーゴも、年のせいか近頃はずいぶん弱ってきている。これ以上負担が増えるのは心配だった。

 小さな目が丸くなる。

「なにを言い出すかと思えば。それはわたしが任された仕事だ。そなたが関わることではない」

 らしくないかたくなな調子に、ティータは前に聞いた話が本当だったのだという確信を深める。塔の捕虜の中に病人がいる。それがどうも、人にうつる病らしいというのだ。

「でもこのところただでさえお忙しいって聞いてます。もし、ウーゴ様が倒れてしまったら、みんなどうしたらいいんですか」

「そなたには厨房の仕事があるのではないか」

「でも、ウーゴ様のお手伝いがしたいんです」

「いかん」

 素っ気なく背を向けると、彼は上の段の壷をとろうと手を伸ばした。その拍子に足に痛みがあったのか、バランスを崩して倒れかかる。

 ティータは背中を支え、さっさと壷を取ってしまった。笑顔を向けるとウーゴは溜息をつく。そしてなにやら迷うような表情になった。

「仕方ない。すぐ用意ができるから。それを持って付いてきなさい」

 やがて数人の男と共に、彼らは西の塔に向かった。


 始めて足を踏み入れる牢獄は、外が夏であることなど忘れたかのように、うす暗く、黴臭い空気が澱んでいる。

 見張り番の戦士が先に立ち、狭い階段から塔の上階へ向かう。立ち止まったのは小さな木戸の前だった。かんぬきが軋んで動き、重い扉が開く。

 さすがに病人の体を気遣い、牢の中でも居心地のいい場所を選んだのだろう。明かり取りの窓から細い光が射し込み、微かに風も吹き込んでいる。捕虜は大事な身代金の形、命をなくされては困るのだ。

 だが、微かな光があれば、周辺の澱んだ空気もまた際だつ。

 囚われた者は、薄暗い牢の隅にうずくまり、時折苦しげな咳をしていた。

「ロクリス殿。昨日伺ったウーゴでございます。お着替えを持ってまいりました」

 呼びかけられて病人はのろのろと顔を上げた。伸ばし放題になっている暗い色の髪と髭が汚れてもつれ合い、青白い皮膚を奇妙に際だたせている。落ち窪んだ瞳はうつろでそこには何一つ心の動きを推測させるものはみえない。

 この人は助からないかもしれない。やるせない思いと共にそう感じた。今彼らが目にしているのは、すでに諦めてしまった者の顔だ。

 ウーゴは立ちすくんでしまったティータをそっと押しやると、後ろの男たちを呼んだ。

「ランおまえは、その湯で体を清めてさしあげてくれ。あとの二人は寝床を頼む。ティータ、そなたはそこで薬の支度をしていなさい」

 不満をのべようとしたが、たしかに着替えの間は控えていた方が良さそうだ。とりあえずは素直に言いつけに従う。

 男たちが入っていってしばらくすると、部屋からは汚れ物が運び出されてきた。元は上質な品だったのだろう服も今では垢じみて汚れている。襟元や袖についたどす黒い染みは乾いた血なのだろうか。古い藁のあちこちにも、同じ色のごわごわした汚れがこびりついている。

 彼女はその場で、言われるままに湯を渡し、清潔な肌着を渡し、すぐ出せるように薬の用意をした。

 しばらくたって、頃合いだろうかと中を覗くと、捕虜はされるがままに顔をぼろ布でなで回されていた。髪を切り、髭をあたり、こざっぱりした白いシャツに着替えている。先ほどとは違い、くっきりと浮かび上がってみえる輪郭は、はっとするほど頼りなく痩せていた。

「ありがとう。そなたたちはもうよい。後でまた小屋の方へきておくれ」

 ウーゴの言葉に、男たちが逃げ出すように帰っていく。ティータは煎じ薬の椀を持って中に入っていった。

「ああ、待たせてしまってすまぬ。そなたももう帰りなさい」

 ウーゴが手を伸ばす。だがティータは椀を抱えたまま、さらに奥へと進む。病人のすぐ脇まで来てから、ようやく手渡した。

 彼は困り切ったように目の前の娘を見ている。おそらく、先ほどの有様を見れば彼女が逃げ帰ると思っていたのだろう。たとえ捕虜であっても騎士の若君であればこそ手当もしてもらえる。下働きの娘が同じ病にかかったときには、うつらないように閉じこめられておわりだ。

 正直に言えば、なぜこんなにむきになっているのかティータ自分もよく分からなかった。

 もちろん元々の理由は、忙しいウーゴの手助けが少しだけでもできないかと思ったことだ。それにローウェンが絡んでいることも、全く理由になっていないといえば嘘になる。さらにはゲールと一緒になる日が近づいてくることへの、いたたまれなさも。

 けれど、それだけでこんな行動に出るたちではなかったはずなのだ。

 最後の最後に彼女の背中をおしたもの。それは、あの日幻の中で見たエルディスの眼差しなのかもしれない。

 己の信じるものに、真っ直ぐに殉じていくエルディス。

 忘れていた。いや、消え残ったまま封じられていた子供の頃のあこがれが、胸の奥でざわめいている。このまま、ただ流れていきたくない。と。

「困った娘だ」

 そういった老人の瞳の中に、嬉しさも感じられたような気がしたのは気のせいだったのだろうか。

 すくなくともひとまずは諦めたのだろう。ウーゴは病人に向き直る。 

「薬湯です。お飲みください」

 骨張った手を取り、椀を持たせ、なんとか飲むようにと促す。彼は思いのほか従順にそれを口に運んだ。だが口を付けたとたんに顔をしかめ、いかにもいやそうに椀を押しやる。その仕草が幼い。間近で見ると、彼はティータとさほど違わない年頃のように見えた。

 痛ましさが胸に迫る。いつの間にか、目の前の病人の手助けをしたい。という素直な思いがわき上がってきていた。

 彼女はウーゴから薬湯を取ると、もう一度握らせようとした。

「どうか飲んでください。少し苦いかも知れませんが、ウーゴ様が調合してくれた体に良いお薬なんです」

 ロクリスは今始めて存在に気づいたように、ティータを見た。だがなんの興味を示すこともなく、うつろなまま視線はそれていく。

 どうしていいか分からずに、手だてを求めてウーゴを見る。だが彼も困ったように首を振るだけだ。この青年に生きようとする意欲がないことはあまりにも明らかだった。

 その時。

「やあ、ロクリス様お久しぶりです。覚えておいでですか、以前、荘園におじゃました楽士のローウェンです」

 その場の雰囲気に全く頓着しない。おそろしく脳天気な声だった。牢の入り口には竪琴を背負った楽士が顔中に笑顔を張り付けて立っている。

「あなたは……」

 低くかすれたそれは、始めて聞くロクリスの声だった。

 今の今まで空っぽだった彼の顔に、様々な感情がひしめいている。驚き、嬉しさ、困惑、安堵……。

 ローウェンはまっすぐに歩み寄るとその手を取った。ロクリスは咳き込み、あわてたように手を払う。

「触れないで。あなたにうつしたら」

「お気持ちは嬉しいんですが、一介の楽士には過ぎたお言葉ですよ」

 はっとしたように彼を見るロクリスの瞳がふと緩んだ。

「ああ、そう……そうですね。でも、……君……の楽の音をこの世から失うわけにはいかない」

 楽士は明るい笑い声をたてる。

「俺もそう思ってますよ。でも大丈夫。気をつけていれば健康な者には簡単にはうつりませんから。そうでしょう」

 同意を求めるようにウーゴを振り返る。そして隣にいるのがティータだと気付くと、一瞬口笛を吹くように唇をとがらせた。

 だがすぐにいつもの笑顔に戻り、当たり前のように椀に手を伸ばす。

「それ、飲ませるんだろ」

 ロクリスは、再び手渡された薬湯をしばらく睨み付けていたが、諦めたように一気に飲み干し、思いきり顔をしかめた。

 これほどの短時間で病状の変わるはずもない。しかしその顔はすでに死へ向かおうとする者のそれではなくなっている。

「ついこの前、お国に行って来ました。母上は本当に心配しておられましたよ。わたしがこちらに来たのも、ロクリス様のご様子を見てきて欲しいと頼まれたからです。必ず無事に出られます。ですからそれまで決して病気に負けないようにがんばってください。わたしもできるだけのことはしますから。あなたにはその力がおありでしょう」

 彼は楽士の顔を見てしっかりと頷いた。そして視線は背中に負った楽器へと向かう。

「弾いてくれないか」

「そうこなくっちゃ。何かご希望はありますか」

 ローウェンは嬉々として楽器を取り出す。

「なんでもいい。君の弾くものならなんでも」

 ゆっくりとしたメロディが流れ始める。

 聞き覚えのある曲だった。大地の魔法使いのバラッドの最後の歌。荒れ果てたアロマの地が再び甦る日を約する歌だ。

 病との戦いに疲れ果て、希望を失いかけていたロクリスに贈るのにまさにふさわしい。

 けれどそれだけじゃなくて……これは。

 身も心も音の中に抱かれていくこの感じ。ティータの体中がざわめき始める。


 かくて大地は眠りにつきぬ

 傷つき疲れ果てたその身を癒すために

彼もまた眠りにつきぬ

 安らかなる眠りを守るために


だが君よ忘れるな

そは永久の眠りにあらず

 はるけき冬の彼方にこそ

 目覚めの時は訪れる


永き眠りの明ける日に

 人は再び命の意味を知るだろう 


 音は聞く者を鷲づかみにし、荒涼とした風景の中へ運んで行く。目の前にあるのは、汚れた石の壁ではなく地平の彼方まで続く荒れ果てた大地だ。

 降り注ぐ石の雨に打たれ傷ついた大地。だが厄災はアルマを葬り去ることはできなかった。失われた命は取り返せないが、それでもたしかに希望はある。

 幻こそは現れなかったが、まるで光景が目前に浮かぶかのような。これは。これこそは川辺で聞いたのと同じ、ティータが魅せられたローウェンの音楽だ。

 あの日から今日まで、はぐらかされ続けていた思いが、今、満たされる。 

「ほう、これは……」

 ウーゴも小さく感嘆の声を上げた。

 ついで曲は変奏され、眠りを誘うようなまろやかな穏やかな響きになった。

 幸福な気分に包まれたながらうっとりと音の流れに身をゆだねる。だが曲は間もなく止まってしまった。思わず不満を訴えようと視線を向けると、ローウェンが唇に指を当てる。

 琴の音の止んだ牢の中に、静かな寝息が聞こえていた。

 誰からともなく微笑みあって、三人は表へと出た。


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