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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
季節外れの放浪楽士
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季節外れの放浪楽士 3

「ただいま」

「ずいぶん遅いんだな。いいかげん一人で外をうろつくのはやめたらどうだ」

 出迎えたのは低い男の声だった。沈みかけていた気分がさらに落ちていく。

 レグスだ。彼がここにいることは別に不思議なことではない。囲っている女の部屋なのだから。でも娘が戻ってくる時分までいることはまずないのに。

「なにかあったら、ゲールにどう言えばいい」

「すみません」

 言いたいことは全て飲み込む。レグスと言い争ってもどうにもならないのだから。

「あまりユーニスを心配させないでやれ。母一人、子一人の親子だろう」

 彼は主人然として、クッションに寄りかかっている。母のユーニスは、その後ろの暗がりにひっそりと座っていた。

「まあいい。今日はそんなことを言いに来たんじゃない。ここに来なさい」

 言いながら、傍らから古布でくるまれた包みを持ち上げる。

「開けてごらん」

 うながされて開けた包みの中身は、新しい布地だった。明るい青は鮮やかで、手触りも柔らかい。

「素敵でしょう。結婚式の時の晴れ着にするようにって」 

 母のユーニスが弾んだ声を上げる。

「愛娘の婚礼だ。バロウが生きていれば、さぞ喜んだことだろう。わたしでは気付かないこともあると思うが、なにかあったら遠慮なく言いなさい。できることなら何とかしてあげるから」 

「気遣ってもらってすみません。わたし一人では何もしてやれなくて」

 何も言えずにいるとユーニスがかわりに言葉を紡いだ。

 ティータは奥歯をかみしめる。

 バロウが喜ぶはずなどなかった。父が生きていたら、娘にこんなみじめな思いをさせたはずなどない。

「どうした。気分でも悪いのか」

 レグスは気遣わしげに養い子をのぞき込む。

「あ。いえ。ただ」

「ただ、なんだ」

「これ……。わたしには似合わないと」

 彼はいぶかしげに首をかしげる。

「気にいらんのか」

「そういうわけじゃ」

「気に入らないことなんてありませんわ。生まれてこの方、こんな上等な生地の服を着せてやったことなんてありませんもの。女なら嬉しくないわけなんてありません。あら。それとも式の日の晴れ着はゲールに贈ってもらう約束にでもなっているのかしら」

 ユーニスはことさら楽しげに、一気にまくし立てる。

「そうなのか、それなら野暮なことを言うつもりはないが」

 レグスは後ろにいる愛人が、娘にきつい一瞥を投げていることには気付きもしない。

「いいえ。あの。母さんの目の色と同じきれいな青だったから。なんだか母さんの方が似合いそうで」

 苦し紛れの言い訳に、彼は含むもののない笑い声をあげた。

「これは失敗した。言われてみればその通りだ。仕方ない。これはおまえのにしろ、ユーニス。たしかに花嫁の母親にも晴れ着は必要だ。ティータの分はまた別に似合いそうな色を探してやろう。いや。自分で選ばせたほうがいいかな。さもないと今度はニナやアライラのほうが似合いそうだなどと言われかねん」

 彼はティータが親しくしている娘たちの名をあげて、陽気に笑った。ユーニスの柔らかな笑い声が重なる。

「さて、今日はこれで退散するか」

 腰を上げたレグスについて、ユーニスも立ち上がった。

「ティータ。ちゃんとお礼を言いなさい。あら。それともわたしが言ったほうがいいのかしら」

 冗談のような口調の陰で、そっと娘のスカートを引っ張る。

「ありがとうございます。でも、わたし。ほんとに晴れ着なんて」

 手をつねられた。

「今日はありがとうございました。気を付けて戻ってくださいね」

 愛人を見送って扉を閉めたユーニスの表情は、遠慮なしに険しくなった。

「さっきのあれはなに。いったい何が気に入らないの。笑い飛ばしてくれたからよかったけど。あなた、自分がせっかくの好意にどれほど失礼な態度をとったのか分かってる」

 母が怒るのも無理はない。レグスの機嫌を損ねたら彼女たちは生きていけないのだ。

 親切な人とだけ思っていた父の上官と母の間にどんないきさつがあったのかは知らない。けれど気が付いたときにはユーニスは、バロウの寡婦ではなく、レグスの情婦と言われるようになっていた。そのおかげで主を失った親子はたいして不自由することもなく生きてこられた。

 そのことが不快じゃないと言えば嘘になる。けれど、よくあることだ。それだけでさっきのような態度をとるほどに子供ではない。

「結婚なんてしたくない」

 それが言ってもしかたのないことだということも分かってはいた。

「あなたまだそんな」

 ユーニスの手が娘の肩をきつく掴む。指が微かに震えている。  

「一度はちゃんと納得したことでしょう。ゲールとのことはみんな知ってるの。もう他の人とは結婚できないのよ。母さんみたいに日陰者にはなりたいの。いいえ、それでも守ってくれる人が見つかればいいわ。もしいなかったらどうなるか……」

 母の言いたいことは分かってる。さんざん聞かされたことだ。何十回。ひょっとしたら何百回。ティータには、その言葉を否定できない。だから押し切られてしまった。

 でも、納得なんてしていない。

 しかし、それを言えば不毛な言い争いをもう一度繰り返すことになる。彼女は母の手をすり抜けて、聞き飽きた小言から逃げ出した。

「どこへ行くの」

「ちょっと涼みに」

「娘が出歩く時分じゃないでしょ」

「すぐ戻るわ」

 閉めた扉の向こうから特大の溜息が聞こえたような気がした。

 最初からどこへ。と当てがあったわけではない。だがすぐに足は食堂へと向いた。

 ローウェンの歌が聞きたい。

 川辺で聞いた調べを、繰り返し繰り返し思い出す。他のことを考えたくなかった。あの音に浸っていれば、一時でも幸せでいられる。

 食堂に近づくにつれ、男たちの笑い声が流れてきた。やがて仄かに竪琴の音が混ざりはじめる。速いテンポの陽気な曲だった。間違いなく彼の手だ。吸い寄せられるように足が早まる。

 歌声が聞こえてきた。笑い声が一段と高まる。

 ……足が止まった。

 分かってしまったのだ。切れ切れに聞こえてくる歌詞や、品のない笑い声。

 歌われているのは、猥雑な囃し歌だ。

「たしかに玄人だわね……」

 情けなかった。すがるようにここまで来た自分があまりにも。

 もう一度はじけるような笑い声があがった。それ以上そこにいることに耐えられなかった。踵を返して元来た道を真っ直ぐに戻る。

 戻る場所は母の待つ部屋しかなかったけれど。



 ローウェンと戦士たちは食堂から宿舎へ移り、楽の音は他国の噂話へと変化していた。

「嘘だろ! 首吊りの縄が切れるなんて、そんなことがほんとに起こるのか」

「うーん、おれもあんま詳しくは知らないんです。縄が古かったんじゃないかって噂でしたよ。それに実は吊られた親父がいいもん食ってたからえらい巨体だったらしくて」

「けどよぉ。それで許されちまったら、殺されたほうはやりきれねえよなぁ」

「まあ、ご本人は、すっかり心を入れ替えて、教会にお布施しまくっているみたいですから。神様の思し召しだったんじゃないですか」

「ちっ、金かよ」

「俺たち貧乏人には縁のねえ話だな」

「本当に自然に切れることもあるみたいですけどね」

 話の切れ目で一人の男が身を乗り出した。 

「それより、おめえグラナクは通ってきたんだろ。話には聞いてるけどやっぱりあんまよくねえのか」

「ええ。雨があまり降ってませんね。去年に比べればだいぶましなようですが」

「おいおい。それじゃあ春先の戦で抱え込んだグラナク捕虜のやつら。ひょっとして居座っちまうんじゃねえか」

「それどころか、また攻めてきたりしてよ。捕虜になったほうが腹一杯食えるって」

 さっきから伸びすぎた前髪を気にしている若い戦士が、めんどくさそうに口を挟む。

「まだだいぶいるんですか。グラナクの捕虜は。かわいそうに。せっかくの夏を塔の中で過ごすことになるわけだ」

「そう多かぁないさ。ある程度、金のあるやつらはもどったからな」

「貧乏人しか残ってないんですかっ。おやおや、せっかくだから捕虜の方々もお慰めしようと思ったんですが、それじゃあ商売になりませんかね」

 その時、夕の鐘が鳴り始めた。

「おっと。いいかげん、ねぐらに行ったほうがいいぜ。場所は聞いたのか。案内してやるよ」

 腰を上げながら言ったのはラグだ。

「できればお願いします」

「また明日来いよ」

「途中でカマ掘られねえように気いつけてな」

 にぎやかな笑い声が二人を送り出す。表はすでに人通りも絶えていた。

「なにか」

 しばらく歩いたところで、ローウェンが足を止める。

「さっきから何か言いたげでしたよね」  

「気付いてやがったか」

 ラグは鼻を鳴らす。

「なんでティータと一緒だったんだ」

「ティータ。……ああ、ここに案内してくれた娘さんですね。それがなにか」

 弓兵はとぼけた顔で鼻を掻く。

「なんだか親しげに話してたって言うじゃねえか。あいつはえらい人見知りなんだ。はじめてあったやつに。とくにてめえみてえな調子のいい野郎に気安いそぶりを見せるなんて妙なんだよ。……食堂でだって。なんか、目と目で示し合わせてたろうが」

 薄暗がりの中。美しい顔に少しばかり人の悪い笑みが浮かんだ。

「惚れ込まれてしまったみたいですから」

「なんだと」

「これに」

 ローウェンは、背中に背負っている竪琴を、わざとらしく指さしてみせた。

「好きみたいですね。音楽が。ずいぶん耳も肥えてるみたしだし。ああ、ご心配なく。俺は芸に惚れてくれた相手は大事にすることにしてるんです。捕って食べたりはしません」

 ケッ。小さな声でラグが吐き捨てる。

「ずいぶん気にかけてるんですね。あれ。でもたしかあの娘の許嫁は……」

「うるせえな。妹みたいなもんなんだよ。あいつは。こおんなガキの頃から面倒見てやってたんだ」

「おや、そうなんですか。でも、それなら気に染まない相手との縁談を何とかしてあげればいいのに。ずいぶんと辛そうですよ」

 一瞬。眠たげな顔に傷ついたような表情が浮かぶ。

「あいつが言ったのか。てめえにそんなことまでしゃべったのかよ」 

「いいえ。でもなんとなく分かります。望んだことではないのでしょう」

 きつい視線が楽士に突き刺さる。だが、彼は気にする様子も見せない。

 ラグは舌打ちをして、癖のある髪を乱暴にかき混ぜる。

「ったく。事情もしらねえで偉そうに言うんじゃねえよ。仕方なかったんだよ、やられちまったんだから。やったやつがちゃんと女房にするっていうんだ。それしかねえだろ。俺に何ができるってんだ」

 薄紫の瞳に、不審げな色が浮かぶ。

「ああ、そういう。でも、それしかないってこともないでしょう」

「他にどうしようがあるんだよ。城中の噂になっちまってるんだぜ。ゲールが手をつけたのが知れてるのに、他の男と一緒になるわけにゃあいかねえだろうが。いくら気にくわないったって、ちゃんと結婚して女房にしてもらえる方が、どっかの妾や娼婦になるよりゃあまだましだ」

「ちょっと待って。それ。本気で言ってるんですか」

「そっちこそなに言ってやがんだ。どこがおかしいんだよ」

 ローウェンはしばらく目の前の男の表情を伺っていたが、やがて芝居がかった仕草で、額に手を当てた。

「……ちょっと頭痛が。いえ。この辺のご婦人の身持ちがおそろしく堅いわけがようやく解りました。ええ、聞いてはいたんですよ。でもそこまでひどいとは……。あの娘もかわいそうだ。ルールにでも生まれていれば、そんな理不尽なことを言われずにすんだのに」

「理不尽。何がだよ」

「理不尽なんですよ、よその国では。ルールだったら、嫌がる女の子にそんなまねをしたら、二度と近づけません」

 ラグの表情が固くなる。

「おまえまさかよけいなことを……」

 楽士はおどけたように両手を広げる。

「ご心配なく。と言ったでしょう。あえてかき回すつもりはありません。できるだけその土地のやり方に従うのが流儀ですから。もめ事は嫌いなんです」

 ラグは剣呑な表情で睨み付ける。

「嫌いだと……。けっ、そういうてめえが、さぞかしあっちこっちで、もめ事を作ってきたんだろうよ」

 ローウェンはさらに白々しい調子で両手を上げる。

「まあ、たしかにもてますからね、顔がいいから自分から口説かなくてもあっちからくるし。顔に惚れない子でも腕前にはぞっこん惚れ込まれちゃったりする」

「おまえ……嫌なやつだな」

「あなた結構いい人ですね」

 大きく開いたラグの口がせわしなく動いて、けれど言葉は出てこない。彼はやけのように頭をかき回した。

「とにかくティータに妙なまねして見ろ。ご自慢の顔と腕、二度と使いものにならないようにしてやる」

 くるりと背を向け、大股に歩いていく。

「わかってますよ」

 放浪楽士は、そう叫んだ後、声を潜めた。

「今はそれどころじゃないしね」

 瞳がふと曇る。彼は首を振って顔を上げた。ゆっくりと周囲を見まわす。視線の止まった先には薄闇の中にさらに暗く。塔がそびえ立っていた。東に一つ。西に一つ。何か考え込むようにじっと見つめる。そして、はっとしたように目を見開いた。

「あ、しまったねぐら。おーい。ちょっと待ってください」

 呼び止められて、ラグは疲れ果てたように肩を落とした。



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