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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
罪人
17/19

罪人 3

 目覚めたときには、馴染んだ部屋の寝台の上だった。薄暗いのは夕刻が近いせいらしい。どうやら昼中寝ていたようだ。

 命が助かったと分かると、現金なもので、背中の痛みや全身を覆うだるさ、差し込むような空腹が、あらためて辛く感じられる。

 ユーニスは薄いパン粥を用意してくれていた。それを食べている間に、アライラやニナが周りの目も気にせずにティータの世話をしてくれたこと、ラグが部屋まで運んでくれたこと。ウーゴとレグスが様子を見に現れたこと。その他にも何人か、こっそり気遣ってくれた人がいることなどを話してくれる。

責める言葉のないことが、かえっていたたまれなかった。

 娘が捕らえられてから今日までの間。彼女がどんな仕打ちを受けたか、聞かなくても想像はつく。

 これからだって、けして楽観はできない。刑が執行されてなお生きていた者が再び罰せられることはないし。神が許したのだからと、罪に至った経緯を同情の目で見てもらえるようにもなるかもしれない、しかし、なにもなかったのと同じではあり得ない。

食べ終わったあと、視線を合わせるのが恐くて、背中の痛みを理由に俯せる。こっそり、様子を伺うと、ユーニスは考えごとをしているのか、どこかぼんやりとしたふうで座り込んでいた。

 外には仕事を終えた人たちのにぎやかな声が行き交うようになっても、部屋の中ではティータが体を動かす時に藁がこすれる乾いた音が時々響くだけだ。

 だが、やがて扉を叩く音がした。ユーニスが何か問答しているようだ。入ってきたのはラグだった。すこし緊張しているように見える。自然に手をさしのべていた。

「ありがとう」

 弓を持つその手を確かめるように取り、母が水桶をもって外へ出たことを確かめてから囁く。

「助けてくれたのね。一緒にいたでしょうロクリス様と」

 ラグは目を閉じた。

「何で……。わかるんだ」

 感じたのだと言ってしまっていいのかどうか分からずにとまどっていると。

「本当なんだな」

「何が」

「あいつらの言ったことは。おまえが……」

 それからきつく手を握り返してきた。

「おまえが魔女だって」

 魔女という響きはなじまない。けれど。その言葉の指す者はたぶん自分のような者なのだろう。

「うん。そうだったみたい」

 ラグは泣きそうな顔で、幼なじみを見つめている。

「居られないんだな。もう、どうしたってここには」

 少し考えて。頷く。

 癒し手ではないかもしれない。けれど、その血筋であることだけは間違いないようだ。そのことが知られたら、せっかく助かった命をまた危険にさらすことになるだろう。

 ラグは少しためらうように続けた。

「明日中、あいつらが例の場所で待ってるそうだ。そう言えばおまえには分かると」

 体中の血が一気に熱くなった。 

「本当に。本当なの」

 せっかちにラグを揺り動かす。

「いいのかよ」

 彼は怒ったようにその手をふりほどいた。

「殺してくれって泣いたじゃねぇか。あれはいったい何だったんだ。あんな目にあって、そんなにあっさり許していいのか」

 その激しさにあわててティータは一瞬戸惑い。やがて思い出す。

「ごめん。あれは。嘘なの」

 虚をつかれたようにラグは彼女を見つめた。

「嘘。だと。あんなに泣いて必死に……」

「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい。でもあの時はあれが一番良いと思ったの。少しでもロクリス様が安全に逃げられるようにって。みんなを騙したことは悪かったとは思ってる、でも、ごめん……」

「おまえ……。そこまでして」

 ラグは天井を仰ぐ。

「いいさ。わかったよ。おまえの気持ちは。俺たちよりも、ずっと一緒にいたここの仲間よりあいつらを選ぶんだな。ならいいさ。行っちまえ。どこでも。あいつらと」

 泣きそうな顔だった。

 立ち上がり、さっさと戸口に向かう。だが、ドアのところで少し迷うように立ち止まり。

「達者でいろよ」

 少しおどけた声だった。そのことに励まされて声をあげる。

「ラグ」

 呼び止められて、彼はとまどうように肩をすくめた。

「大好きよ。ほんとうに兄さんみたいに思ってた」

 くしゃりと顔が崩れる、それを隠すように彼は顔をなでた。

「知ってるさ。でも、惚れちゃあいないんだろ」

 ラグと入れ違いに、ユーニスが戻ってきた。

 彼女は水桶を置くと、瓶の奥を探り出した。小さな袋を取り出し、ティータの横に座る。

 桶が空のままであることに気づいて、ティータは一瞬身を縮めた。しかし。

「持って行きなさい」

 袋の中身は二つのペンダント。

「母さん。それ」

「見つかったらめんどくさそうだったから隠しておいたのよ。あんたのだから好きにすればいいわ」

 ペンダントを差し出した母の手を握りしめたまま、ティータは話すことができなくなってしまった。

「ごめんなさい」

 なかなか口にできなかった謝罪の言葉がようやく漏れる。だがユーニスは疲れたように首を振った。

「謝ることはないわ。私はあなたの母親なんだから。でも、ほんとをいえば、あなたに振り回されるのはさすがに疲れたわね。どこかへ行ってくれるならそれでいいわ」

 気丈な母が、こんな諦めきったような言葉を口にすることにティータは打ちのめされた。ただ、ごくささやかな救いは、握った手が振り払われることはなく、弱々しくだが握り返されたことだった。



 朝の鐘で目が覚める。城の門が開く時刻だ。

 まだだるい身を起こしてティータは身支度を調えた。母はまだ眠っているのか、ふりをしているのか、寝床から起きあがってこない。

 夕べの袋の中から、ロクリスから渡されたロケットを取り出し服の下に付けた。ゲールから贈られたものはそのまま置いておくことにする。

 水を一口飲んで座り直す。体が重い。まだ熱もあるし背中も痛む。だが、草地までなら、なんとか歩けそうではあった。それにあそこまでたどり着けば、大地からあふれ出る力でもっと元気を取り戻せそうでもある。

 あまり大っぴらに出発を告げて歩くわけにはいかないが、ニナとアライラくらいには別れを告げられないか。そんなことを思っているところに、戸口を叩く者があった。

「ティータ。いる。あたしよ。アライラ」

 ひどくせっぱ詰まった声だ。

 あわてて扉を開けた。ユーニスも驚いたように身を起こす。飛び込んでくるなりアライラはティータの肩をがっしりと握りしめる。

「逃げなさい」

「逃げるって。どうして」

「ゲールに、殺されるわ」

 息が止まりそうになる。

「だって。縄が切れて」

「ええ、そう。殿様に逆らった罪は許されたわ。でも、不義を犯した罪は許されてない」

「そんなこと……」

 アライラは、早口でさえぎる。

「ゲールがそう言ってるってこと。ウィムがさっきすっ飛んできて、早くあんたに伝えてやれって。ゲールにしてみりゃ、そうでもしなきゃメンツが立たないでしょう。でも、せっかく助かった命だもの」

 アライラは、ユーニスに向き直り改まった調子で続けた。

「いきなりじゃあ行く先も思いつかないかもしれません。でも、とりあえずでいいから、どこか見つからないところはないですか」

 ユーニスの顔には、いつもの落ち着いた笑みが戻ってきていた。

「ありがとう。実はね。この子は今日にもここから連れ出すつもりだったの。こんな大変なことをしでかしてしまったら、もうお城には居づらいでしょう。東の村に嫁いでいるわたしの姉のところに、しばらく置いてもらおうかってちょうど話してたのよ」

 東の村の伯母とは全くと言っていいほど行き来はないし、もちろんそんな話はしたこともない。とまどうティータに、ユーニスは目配せする。

「昨日の話の通りにすればいいのよ。分かった。とにかく、すぐに出たほうがいいわね」

 ようやく、母の言いたいことが分かって、頷く。途中まで一緒に行ってくれると言うアライラにしばらく待ってもらい。あわてて荷物をまとめた。

 といっても、たいした用意などあるわけもない。ごくわずかな食料と、換えの肌着。それをまとめて、アライラの持ってきた洗濯物の奥に隠す。

 幸い、一番大切な荷物はすでに首に掛かっている。

 母やアライラにせかされあわてて部屋を出かけ、さすがに名残惜しくてティータは振り向いた。

「かあさん。ごめん。元気でね」

「行きなさい。私にしてあげられることはもう無いわ。あとは自分でなんとかするのよ」

 ユーニスは、きっぱりと娘の背を押した。扉の向こうへと。十七年を共に暮らしてきた母と娘のあまりにあわただしい別れだった。

 二人の娘は、洗い物の影に隠れながら城門へ向かう。

 ずっと暮らしてきたウォードを離れ、二度と戻らないかもしれない旅に出るのだ。できれば、もっと沢山の人に別れを告げたかった。いろんな場所を記憶に焼き付けたかった。だが、感傷に浸る暇はない。ゲールに見つかる前に城を出なければならない。ティータは弱りきった体を奮い立たせ、一歩一歩進んでいく。

 ティータに気づく人もいたが、おおよその状況は見当がつくのだろう。遠巻きに、好奇心や悪意に満ちた、時には気遣わしげな視線を投げてくるだけだ。

 やがて城門にたどり着き。門番の戦士にはアライラに話したのと同じ嘘を告げる。

「ろくに付き合いもない親戚の家なんて辛いかもしれないけど、でも生きてりゃそのうち良いこともあるさ。やけ起こさないでがんばんだよ」

 アライラの大きな体が屈み込み、潤んだ目が覗き込んでくる。

 本当のことを言いたい。けれど、これから逃げた捕虜と落ち合おうとしているのだと知ってしまったら、生真面目な彼女には見逃すことなどできないだろう。

 ただありきたりの別れの言葉だけが、彼女に残せる感謝のしるしだった。

「ほんとに、ありがとう。それから、ニナにもよろしくって。お別れを言えなくてごめんねって伝えてね」 

「ばかね。永の別れじゃないんだからさ。ほとぼりが冷めたら。遊びにおいで。ゲールが居ない隙にさ」

 その日はこない。親類の家にティータがたどり着くことはない。けれど。

「そうね。またきっと会える」

 可能性があるわけではない。それはただの希望だった。

 アライラに別れを告げ、城門を出、しばらくしてから道をそれる。慣れている者しか知らない獣道だ。森に入り込んだことで、少し気が楽になり、足を止めて息を整えた。歩くだけのことが、今の彼女には辛い。座ったら二度と立てなくなりそうで立ったままで休む。

 なかなか歩き出すことができずにいると、枝が折れる音が聞こえた。

 振り向いて見たものは、獣道をまっすぐに歩いてくるゲール。

 一瞬の驚きから我に返ると、ティータは森の中へと飛び込んだ。とっさに木立の間を行く方が逃げやすいと思ったのだ。

 確かに、元気なときなら、森の中で彼から逃げるのはそれほど難しくなかっただろう。このあたりの森には詳しいし、木の根や岩ででこぼことした土地を自由に走り回るのも得意だ。体が大きい分、木に邪魔されて動きづらそうにしているゲールを引き離すことなどわけはなかったはずだ。

 だが、今のティータは囚われの生活で衰えてしまっていた。必死に駆けているのに、思うように体が動かない。

 こんなところで殺されたくはない。たどり着こう。なんとか約束の場所まで。あそこでならおそらくロクリスも身体に負担をかけることなく魔法を使えるはずだ。ティータ自身も少しは回復するかもしれない。

 しかし、追われて逃げ回るうちに道筋を逸れてしまったようだ。

 木立を抜け。開けた場所に出たとき、あまりのことにティータは叫んだ。

 川の曲がる場所にある突き出た崖に出てしまったのだ。近くには降りられるような場所はない。

 木立を分けてゲールが現れる。迫ってくる気配にティータは振り返る。

「みっともないまねはよせ」

 ゲールが短剣を抜く。

「なんのつもり」

「この先、生きていても恥をさらすだけだ。楽にしてやる」

「ごめんだわ。なんでそんなことをあんたに決められなきゃ行けないの。あたしはここを出ていく。自分で生きていけるところを見つけてみせるわ」

 返事はなくゲールが短剣を振りかざして襲ってきた。かろうじてその腕をかいくぐる。木立の中に逃げ込もうとしたが襟をつかんで引きずり出され、転がされた。

 上から落ちてくる短剣を身をよじって避ける。よほど力がこもっていたのか、運が良かったのか、それは岩の割れ目に刃先が挟まり抜けなくなってしまった。

 抜こうとしている隙に何とか立ち上がる。

 だが、逃げおおせる前に彼は短剣を諦めて、ティータを捕えていた。後ろから突き倒され、かばう間もなく顔から地面に突っ込む。起きあがろうしたところを仰向けにされ、無防備な腹にティータの倍はあるだろう体重が落ちてくる。衝撃に動きがとまる。

 喉に手が伸びてくる。避けようとしても身動きができない。いくらかは自由になる足をばたばたさせてもびくともしない。何とか手を外そうとしても力が違いすぎる。

 絶望しかけたティータの手に堅いものが触れた。ロケットを下げている鎖だ。頭の中で声が聞こえたような気がした。無意識に引き出してそれを握りしめる。

 助けて。お願い。

 首筋に力が加わる。

 死ぬのだろうか。こんなところで。ゲールの手に掛かって。

 息が苦しい。頭がぽうっとしてくる。もう……

 だが、唐突に首に加わっていた力が消えた。

「おまえは……。なぜ、こんなときに」

 よく分からないまま、きつく抱きしめられていた。ゲールの混乱が伝わってくる。同時に伝わってくる甘い喜びの色は何なのだろうか。

 きつく握りしめたままのティータの拳を包み込むと。いとおしげに口づける。空気を堪能するために喘ぎながら、わけも分からず彼女はされるがままになっていた。

 そのとき、風が人声を運んできた。何を言っているのかは分からない。けれどその響きを間違えるはずもない。

 川の対岸を遡ってくる二人連れの姿。

 彼女が気づくのと同時にゲールもまた気づいたようだ。ティータを押しやり崖の先端に立つ。昂然と彼らの姿を見下ろし薄く笑った。

「行くぞ」

 どうすれば生きて対岸にたどり付けられるのか、そのことでいっぱいになっていたティータにはその言葉は聞こえない。じれたようにさしのべられた手を振り払ったとき、ゲールはほんとうに不思議そうな顔をした。

 とまどいながら、それでも彼らがすぐそこまで来ていることに力を得てティータは立ち上がる。ロケットを放し、掌に滲み出た汗を拭く。

 そのときだ。ゲールの視線がいぶかしげに彼女の胸元に向かったのは。たどった先にはロクリスから預かったロケットがあった。

 乾いた笑い声が上がる。

 死に直面してか、力の場所に近づいたからか。異様に鋭敏になっていたティータの感覚にゲールの悲しみが届く。思ってもみなかったその感情の色にとまどいながら。それが徐々に怒りに変わるのに怯え、彼女は後ずさる。

 だが後ろは崖。岩が多い浅い川床では、落ちたら、まず助かるまい。

 そのとき、また何か叫ぶ声がした。だが何を言っているのかがどうしても分からない。

 ゲールが近づいてくる。怒りが暗く凝っている。

 手だてを探して彼女は辺りを見回す。川向こうには何か必死に叫び続けるローウェンの姿。ゲールがさらに一歩近づく。

 ロクリスの瞳が金色に輝いた。

 風が吹く。

 風にあおられティータの体は川へと躍った。

明日、あと一話とエピローグを投稿して完結します。


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