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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
罪人
15/19

罪人 1


 夕刻から雨が降り始めていた。

 夜の鐘が鳴ってしばらくたつ。もうそろそろロクリスが牢を抜け出す刻限だ。

 ティータの目は闇を見つめている。眠れないのだ。いらだちとも不安ともつかない感覚が耐え難いほどにふくれあがってくる。

 耐えられず、寝藁の奥に隠してあったロケットを引きずり出し、握りしめた。

 無事にことを為し遂げられるだろうか。ローウェンは城壁の外だ。城をでるまではリュシスの力を借りてではあるが、ロクリスが全て一人で成し遂げなければならない。

 詳しい手はずは知らないが、見張りの交代の刻限をねらって鍵を外し。外に出るつもりらしい。だが、塔の出入り口には、見張りがいる。すぐ脇には彼らの詰め所もある。逃げ出すことは不可能ではないだろうが、おそろしく難しいはずだ。

 だが、そこさえ乗り越えて、外に出、闇に紛れてしまえば、逃げ切れる可能性はかなり高くなる。

 ティータは祈った。胸の前でロケットを握りしめ、目を閉じる。ふと、手の中でそれが脈打つような気がした。ひどく乱れている。

 やりすごせないほどにはげしい不安がこみ上げてきた。ベッドの上に起き直り息を整えてみる。けれど不安は去らない。息が苦しい。その苦しさは掌の中のロケットから染み出して体中を浸していく。

 これはロクリスが長い間肌身離さず身につけていたもの。

 ティータは耐えきれずに起き上がる。ためらいと不安とに揺れながら、その場をぐるぐると歩き回った。部屋の中に騒々しい音が響き渡る。真っ暗な中で動き回ったせいで、長持ちを蹴飛ばしてしまったようだ。

 しかし、すぐ傍らで眠っているユーニスが起きる気配はない。そのことがティータの背を押した。

 もう一度確かめるようにロケットを握りしめる。雨の向こう側にいる持ち主のことを思いながら。

 押し寄せてきたものは、苦しさと重たさと冷たさと、そして絶望。

 その重たさに耐えられず、ロケット元の場所にしまい込むとティータは表に飛び出した。

 雨は一段と激しさを増している。

 まずは、ローウェンが、逃げ出すつもりならと指定した場所を目指す。新月に近いうえに、雨雲で月が隠れて何も見えないが、馴染んだ城内だ。記憶と勘を頼りに走る。

 激しい雨が浸み通り、肌までを濡らす。寒さは感じなかったが、スカートがまとわりついて走りにくい。

 舌打ちして、けれど思い直す。逃げるのなら、この雨と闇はむしろ天の助けではないか。

 やがて、目的の場所にたどり着いた。だが、耳を覆うのは雨が地面を叩き付ける音だけ。

 もう彼はここを通り過ぎてしまったのかもしれない。思いながらも、辺りを探っていると、内壁のあたりに何かの存在を感じた。不安はあるが恐怖は感じない。

 かすかな気配を探りながら、少しずつ近寄っていく。

 すぐ側だ。

 と思ったときに聞き慣れた咳の音がした。その音のする方へと駆け寄る。何かの固まりに足下をとられ、転びそうになった。あわてて手をついた先は人の体だった。

 伝わってくる気配はたしかに数日前に通い合った物と同じ。けれどひどく弱っている。

「大丈夫ですか」

 見当を付けて肩を抱えたが返事は帰らない。かわりに激しい咳が続く。助けを求めるかのように、手がティータにしがみついてくる。

 くぐもった音がして、生暖かいものが肩にかかった。

「力を使いすぎた」

「どうしてここまで」

「たぶんリュシス。あれで力を使いこなせたとしても、己の内にある光の量は変わらない。限界を超えれば……このざまだ。たぶん。あのときも」

 荒い息の下でそれだけの言葉を言うのすらやっとのようだ。呆然としているティータを押しやるようにして掠れた声で続ける。

「行ってくれ。私はもうだめだ」

 弱々しい言葉を無視し、彼の腕を肩に担ぐと力を込めて立ち上がった。

「どこへ出ればいいんですか」

「北東と南東の見張り所の間のあたりから城壁を越える予定なんだ。だがもう」

「黙って。しゃべるとよけいに疲れますから」

 強引に歩き出す。ロクリスも、ああは言ったがあきらめきれないのだろう。されるがままに歩き出す。しかし、その足取りは何とも頼りないもので、肩にはかなりの重さが掛かってくる。痩せているとは言っても一人前の男の体だ。ティータはともするとふらつきがちになった。

 外壁にたどり着いたときには、すっかり疲れ果てていた。

 一休みして、かがり火に浮かび上がる細く急な石段を見上げていると、さらに不安になってくる。今の彼にあそこを上がることができるのだろうか。

 幸い、見張りの戦士は外には気を配っても、塀の内側まではさほど気にしていないようだ。しかし、望楼のすぐ脇。城壁にあがっていく細い石段は、雨で滑りやすくなっているし、支えて行くには狭すぎる。よけいな時間がかかれば見つかる危険はふくれあがる。

 傍らのロクリスの様子をうかがう。顔色は見えないが、荒い息づかいが聞こえた。息をしているだけで精一杯のようだ。

 だが、いつまでも迷っているわけにはいかなかった。囚人が逃亡したことに、今、誰かが気づくかもしれないのだ。

 ティータはきつく目をつぶる。もしもの時は自分も一緒に逃げるしかない。疲れ切った母の寝顔が、まぶたに浮かんだのを振り払うように首を振る。

「行きましょう」

 さっきと同じように、ロクリスを支える。

 しかし、壁の手前で彼は自分から立ち止まった。

「ここまででいい。ただ、もう少しだけ支えていてくれ。見張りを気絶させる」

「大丈夫なんですか」

「大丈夫……では……ないかもしれない。でも、するしかない」

 ティータは息を飲み込む。

 位置を変え。北東からの見張の体が狙いやすい位置にくるのをじっと待ち受ける。明かりの中に、見覚えのある顔が浮かんだ。

「殺したり。しませんよね」

「今の私に殺せるほどの力は無い」

 そして彼は顔の前にかざした手を、まっすぐに見張りの方へと伸ばす。

 ロクリスの体の中を光が流れていくのが見えた。けれど、それはもう、本当にごくわずかだった。かすかな力が指先に集まり、それ以外の部分は空っぽになっていく。

 だめだ。このままでは彼は死んでしまう。

 思った瞬間に、ティータの中の光がロクリスへ向かって流れ始めた。いったん流れができてしまうと、それは一気に勢いを増した。彼女の体の中の光だけではなく、大気の中から、地面から、ごくかすかな光を取り込み、そしてロクリスへと向かっていく。

 先ほどとは比べものにならないほどの光が彼の指先に集まり。集まりきれずに彼の体を満たし。

 そして放たれる。

 見張りの戦士はくずおれた。

 思わず身を乗り出したティータの肩をなだめるようにロクリスが叩く。

「大丈夫。気を失っているだけだ。命に別状はない。それより。君は大丈夫なのか」

 先ほどよりもずいぶん落ち着いた声だった。肩に掛かる重みも無くなっている。これなら一人で城壁を越えられそうだ。

「大丈夫です。ちょっと疲れたけど、この前の時ほどじゃないから。すこしだけ休んでこっそり戻ります」

 もしかしたら、さっきのあれは癒しの技だったのだろうか。そう思うとなんだか少し自分が誇らしい。

「ティータ。やはり一緒に行こう」

 見えないと分かっていたが彼女は首を振る。 

「行きたいけど。……やっぱり今は行けません。その……逃げ回れるほどには元気じゃないみたいで。少し休みたいんです。それより。早く行ってください。せっかくここまで来たんですから」

 肩に置かれた手から気遣いが伝わってくる。だが、いつまでもためらっている余裕がないことは彼にも分かっているはずだ。

「分かった。では早く戻るんだ。さっきのことも、約束のことも、けして気づかれないようにするんだよ」

「はい」

 最後に、もう一度だけ彼の手に力がこもった。

「忘れないで。私もローウェンも君が好きだよ」

 ティータの胸を幸福で満たして彼は闇の中に消えていった。

 後ろ姿が見えなくなると彼女はその場に座り込んだ。本当は立っているのがやっとだったのだ。こんなに疲れ切っていると気付かれてしまったら、ロクリスは、立ち去ることをもっとためらっただろう。だがもうその心配はない。

 なかなか立ち上がれずにいると、緊急を知らせる鐘の音が響き渡った。

 急にあたりが騒然とし出す。

 逃亡が発覚したのだ。

 篝火が一段と明るくなった。広場に戦士たちが集まり始めている。 

 人の行き来が増える。あわてて戻るのもかえって危険そうだと、ティータは建物の陰に潜り込んだ。

 傍らを気づかずに戦士が駆け抜けていく。

 どうせすぐには動けそうもない。彼らがロクリスを追って外に出てから、闇に紛れて家に戻ったほうがいい。ユーニスには疑われるだろうが、彼女にとっても娘の罪を言い立てて自らも責めを負うよりは、口をぬぐって知らぬふりをしたほうがましなはずだ。

ため息をついて目を閉じたとき。生暖かななにかが彼女の首筋を這った。

 いきなりのおぞましい感触に、とっさに悲鳴が上がる。

 しまった。と思ったときにはもう遅かった。呆然とするティータの横には、急な雨で小屋に入れ忘れられたのだろう、一頭の豚が雨に濡れた身をふるっている。そしてもう一度、その暖かな舌ティータを舐めた。

「おいどうした」 

 たいまつがさしだされる。

「ティータ。ティータだ。どうした」

「その血はなんなんだ。怪我をしてるのか」

 城の中に暮らす者は皆顔見知りだ。

 とっさにいいわけを考える前に誰かが叫んでいた。

「そうか。おまえが手引きしたんだな。一人で牢を出られるわけはない。おかしいと思ったんだ」

 戦士たちがざわめく。彼女が今日逃げた捕虜の世話を親身になってしていたことを知らない者はいない。

「違う」

「ならこんな所にいる理由を言え」 

「騒がしいからなんだか心配になって出てきたら戻れなくなっちゃったのよ」

「じゃあその血は何なんだ」

「引っかけて」

「何を騒いでるんだ」

 錆を含んだ声に戦士たちが静まる。レグスだった。ほっとしている自分が腹だたしい。だが、すでに彼にかばってもらえる状況でもなさそうだった。

 戦士から報告を受けた彼はティータの傍らに来た。

「傷口を見せるんだ」

「いや」

「押さえていろ」

 両脇にいた者たちが彼女の腕を押さえつける。動きを封じられ露わにされた肩にも腕にも傷口があるはずもない。

 レグスは苦しげに目の前の養い子の姿を見ていた。

「何かいい訳は」

 終わりだ。体を支配する疲れは頭にまで及んでいて、何も考えることができない。

 ついさっきまで見えていた光は、ほんの一瞬の間違いのために消え去ってしまった。

「なぜだ」

 レグスが低く呟くのが聞こえたのはティータだけだったろう。

「やつはどこに逃げた。知っているんだろう。答えろ」

横にいた別の年かさの戦士が叫ぶ。

 なんだか不思議だった。自分が答えると思っているのだろうか。

「ティータ」

 レグスの低い声が斬りつけてくる。それは恫喝ではなくて悲痛な叫びに聞こえた

 そんなレグスに焦れるように、先ほどの戦士がティータの襟首を捕まえる。

「さっさと答えろ」

 反感が、くしゃりと形を変える。どうやらもう一つだけ、彼らのためにできることがありそうだと気付いたのだ。 

「西の方に向かうって言ってた。街道に沿って一気にグラナクに入るって」

「西だな」

 行きかけた男を押しとどめ、レグスが探るような視線を送ってくる。

 そして信じがたい言葉を口にした。

「いや、西の街道の可能性は薄いようだ。クルツ卿にそう伝えてくれ。責任は俺が持つ」

「待ってよ。なんで信じてくれないの」

「どういうことだ」

 ティータと周りの者が同時に叫ぶ。レグスはひどく悲しそうにみえた。

「おまえはバロウにそっくりだ。あいつほど頑固な男はいなかった。せっかく逃がしてやった相手の不利になるようなことを、そんなに簡単にしゃべるとは思えん」

 その時、ティータは今まで無かったほどはっきりと、レグスに愛されていたのだと感じた。血はつながっていなくても、おそらくは本当に父親のように。けれど、その愛情はいつものようにこのときにもティータを追いつめる。

 だから、感謝の言葉の代わりに彼女は嘘を重ねる。

「違うの。連れて行ってくれるって言ったの。一緒に。だから、だからあたしは。なのに……。信じてたのに。行きたかったのに。それなのに」

 一緒に行きたかった。口にしたとたん涙があふれた。

 行きたかったのだ。彼らとともに。

 あらためて自分の思いに気付かされた。その先に待っているのが、何の苦労もない生活だなどとは思わない。ウォードを離れることを考えるだけで、どうしようもなく不安になる。それでも、ロクリスがいてくれれば穏やかな気持ちになれる。ローウェンが大丈夫だと言ってくれるなら頑張れる気がする。

 けれどそんな希望はもう失われてしまった。

 レグスが足を止め、とまどったように振り返る。

 感傷に浸っている暇はない。あと一息だ。何を言えばいい。どんな言葉なら。

「本当なのよ。こっそり聞いてたの。心配で。だから。だから本当に。……お願い。早く追って。捕まえてよ。お願いだから」

 これ以上どう言えばいいのだろう。裏切られて、傷ついていたら、どんな言葉が出るのだろう。

 そのとき、レグスの向こうで、冷たい水色の瞳がティータを睨め付けていることに気づいた。見られているだけで体が凍り付いてしまう。

 もし、いま彼に任務がなければ。ティータが別の重い罪に問われていなければ。今この場で彼女は殺されていただろう。

 そうか。

「殺して。あの人を。お願い。わたしのために。殺して」

 取り巻く空気が哀れみの色に染まる。レグスはただ一瞬、きつく養い子を抱きしめて、身を翻した。

「西の街道へ」

 もういい。これ以上彼女にできることはない。

 最後の張りを失ってくずおれた。

 なにやら声を上げているレグスの後についてゲールが走り去る。だが、今、殺されなかったからどうだというのだろう。領主に逆らったものの生きる場所は、城にはない。

 今の彼女に残されている希望は、死に至るまでの苦痛が少しでも少ないようにと願うことくらいなのだ。

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