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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
大地の末裔
13/19

大地の末裔 4

 城へ戻る道で、父のことを話した。あの場所での思い出や、戻ってこないと知ったときの喪失感。ローウェンは茶化すこともなく聞いていた。

 こんなに穏やかな気持ちになったことは、もうずっとなかったような気がする。

 だが、城まであと少しというところで、二人は突然取り囲まれた。

 驚きよりも、せっかくの時間を台無しにされた悲しみが先に立つ。

「ほおら。見てよ。やっぱり一緒だったじゃないの」

 台所で一緒に働いているエニアという娘が勝ち誇ったように叫ぶ。その横で、モーラが憎々しげにこちらを睨んでいる。

 エニアの視線の先に、退屈そうに木に寄り掛かるゲールがいた。

「だから言ったでしょ。ゲール。あんた、この女に騙されてるのよ。おとなしそうな顔してあばずれなんだから」

モーラがゲールに好意を持っていたことは知っていた。だから自分が良く思われていないことも。だが、今さらこんなまねをするほどとは思ってもみなかった。

「残念だったよなぁ。力づくでかっさらうほど惚れ込んだ女が、とんだ尻軽だったわけだ」

 サイスとムラクがにやにやと笑っている。

 彼らとは、少し前に言い争いから暴力沙汰になり、手ひどく痛めつけられたことがあった。見ていた者も多く、あきらかに彼らの方に非があったために、上からきつく油を絞られていたのだが、そのことを逆恨みされているのだろう。

「ちょっと。何とか言ったらどうなのよ」

 モーラが形の良いあごを上げて睨み付けてくる。

「だってよぉ。いまさら言い訳のしようもないだろう。ずいぶんしっぽりとした雰囲気だったじゃねえか。さぞかしお楽しみだったんだろうよ」

 サイスの言葉に、ムラクが品のない笑い声を上げる。 

「あのお。何か誤解があるようなんですが」

 妙にのんびりした調子で割って入ったのは、ローウェンだった。

「うるせえな。てめえは黙ってろ」

 凄まれて、一度はわざとらしく肩をすくめてみせたものの、けろりとした顔で続ける。

「いやぁ。だって、なんか俺も一応関係あることになってるんでしょう。ええと、一応言っとくと、ティータちゃんには薬草のことを教えてもらってたんです。この辺りの草はルールの方とはだいぶ違うもので。一人旅をしてると薬草の知識は必要ですからね。で、お礼にと美しい音楽を楽しんでもらって、なごやかな気分で戻ってきたら、いきなりこれでしょ。まいっちゃうなぁ」

 その言葉が耳に入っていないかのように、ゲールが真っ直ぐにティータに向かってきた。モーラを押しのけて真正面に立ち止まる。

「こいつと寝たのか」

 直裁的な問いかけに、取り囲む者たちの表情が緊張に張りつめる。

 質問自体があまりに腹立たしくて、ティータはすぐに答えることができなかった。その沈黙に、ゲールの目の色がきつさを増す。

「まあ、いい。確かめれば分かることだ」

 いきなり腕をつかまれ、引きずられるように傍らの茂みまで連れて行かれた。周りの者たちは、呑まれたように黙って二人を見ている。

 木の陰になっている場所まで行くと、いきなり乱暴に突き倒された。裾が乱れる。あわてて直そうとしたのを払いのけられ、膝に手が掛かる。抵抗するまもなく思い切り足を広げられた。スカートがまくり上げられる。まだ十分に明るい日差しの下、見えないとはいえ傍らには何人もの人がいる場所で、下半身がさらけ出される。

 隠す間もなく、ゲールの手が伸びる。

 いきなり走った痛みに、押さえきれず悲鳴がこぼれた。

 彼は、劣情とはおよそ無縁な冷たい表情を崩さないまま、体の奥まで探っていく。

 あまりのことに、何が起こっているのか、いったいどういう意味があるのかを考えることさえできない。

 しばしの後、彼は指を引き抜くと。ゆっくりと立ち上がった。

「おかしなまねはしていなかったようだな」

 凍っていた時間がすこしずつ溶け始める。

 自分がどれほどあられもない姿をさらしているかにようやく気付き、あわただしく裾を直す。体が震えていた。恐ろしさからではない。屈辱からだ。

 考えるより先に手が出ていた。

 男の頬が頼りない音をたてる。

 ゲールは表情一つ変えない。静かに手が上がり、無造作に振り下ろされる。

 頬に衝撃がはしり、体が地面にたたきつけられた。

「腹を立てるくらいなら、疑われるようなことをするな」

 痛みに耐えることに精一杯で、逆らう言葉も思い浮かばない。

「ちょっと、あんた。どこ行く気よ」

 突然、きつい女の声が響いた。

「どこって、俺の疑いは晴れたんでしょう。なら、いる必要ないじゃないですか」

 茶化すように答えているのはローウェンの声だ。

「逃げる気」

「逃げてないですって。この後、御領主様のところに行かなきゃいけないんですよ。遅れたら困るじゃないですか。もっと違ったお誘いだったら、言い訳の百や二百くらい考えますけど。やったのやらなかったのって色気のない。しかも全く心当たりのない女の子相手にでしょ。なんかいろんな意味で傷ついちゃうなぁ。俺」

 そう言うとゲールに向き直った。 

「ねえ。あなたからも言ってくださいよ。何にもしてなかったって分かったんでしょう」

 言われた方は不快げに顔をしかめる。

「おやおや、ずいぶんご機嫌斜めなんですねぇ。あなたの許嫁が俺と一緒で楽しそうにしてたのが、そんなにお気にめしませんでしたか。でも、悪いけど、俺だって女に不自由してる訳じゃないんだ。あんたみたいにやっかいな男の張り付いてる田舎娘なんか、なにも好きこのんで手を出したりはしませんよ」

 小馬鹿にしたような物言いに、ゲールの眉間にきつく皺が寄る。ティータが落とした籠を拾い上げると、いきなりローウェンに投げつけた。

「それを持ってさっさと失せろ」

「ふえっ。こんな重いものを持たせるんですかぁ」

 ぶつけられた籠を、重そうに取り落としてみせる。

「不満か」

「あ、いえいえとんでもない。ありがたくお受けしますよ」

 殊勝げに頭を下げる姿から、ゲールは憎々しげに視線をそらす。

「とにかくティータには二度と近づくな。何も無かったとしても貴様のような男娼に近づかれるだけで迷惑だ」

「そこまで言いますかねぇ。あ、いえいえ分かりました。もう近づきませんよ。肝に銘じましたので、いろいろとね。じゃあ、お先」

 楽士は、ことさらに重そうに籠を担ぎ上げると、大げさに肩をすくめて見せた。それから、わざとらしく一度よろけて見せた後、優雅な仕草で背を向け、ゆうゆうと口笛を吹きながら歩き出す。

 聞き覚えのあるメロディだった。それがどんな歌詞の歌だったのかを思い出したとたん、ティータの体の奥から熱いものがこみ上げる。

 罪を犯した男が、累を及ぼすまいとして恋人を拒絶する歌なのだ。

 側にいられなくてごめんね。手をさしのべて上げられなくてごめんね。何もしてあげられないけれど、ただ祈っているからおまえの幸せを……。

 ローウェンがああいう態度をとったのは、そうしたほうがこの場がうまく納まるからだ。とっさにそう感じていた。でも、今の言葉の方が彼の本音ではないかという不安もまた、簡単に消すことができずにいたのだ。しかし……。

 鼻の奥が痛い。

 ばかだな。もし他の誰れかが気付いたらどうするつもりだろう。そんなに有名な曲じゃないから、たぶんティータ以外は分からないだろうけど。

 ティータは口笛に必死に耳を傾ける。だが、それはだんだん小さく。やがて聞こえているのか、自分で作り出した幻の音なのか分からなくなり。

「くだらん男だ」

 おそらくはローウェンの思惑通りにゲールが吐き捨てる。

「で、おまえたちもこれ以上何かあるのか」

「けっ」

 サイスたちはローウェンの後を追うように駆けていった。だが、モーラは、ためらいがちにゲールに近寄ってくる。  

「待ってよ。そりゃあ、たしかにたまたま今は何もなかったかもしれないよ。でも、やっぱりおかしいよ。こいつら。あんただって見てただろう。あいつと一緒の時の甘ったれた態度。普段とは全然違ったじゃないか。見てられないんだよ。あんたがこの女にいいようにあしらわれてるのが」

 ゲールが煩わしげに体を動かす。

 女達は身を縮めた。 だが彼はすこしいらだたしげに腕を組みなおしただけだ。

「すまんが、いい加減にしてくれないか。世迷い事を聞くのは飽きた」

「だって」

「心配してくれるのは有り難いが、これは俺とこいつの問題だ。もし、おまえたちが言うようなことがあるなら、始末はこの手で付ける」

 気圧されるようにモーラとその友人は顔を見合わせる。

「始末って、本気なの」

 彼は面倒くさそうに溜息をつく。

「ううん。いいけどさ。あんたがそのつもりなら……」

「ねぇ。モーラ行こう」

 エニアが、女友達の手を引っ張る。モーラは何か言いたげにゲールを見上げた。

「俺はまだこいつと話がある」

 彼はあごを動かしティータを示す。赤く形のいい唇がゆがんだ。

「ごめん。もうよけいなことは言わない。でも、気を付けて」

 それから、ティータをきっと睨み付ける。

「せいぜい殺されないように気をつけな」

 去っていく大柄な後ろ姿が頼りなく見えた。

 彼女がゲールを追いかけていたのは、手に入りそうな男の中では条件が良いという。ただそれだけのことからなのだろうと思っていた。それが、あんなに思い詰めたような表情をみせるなんて。

 何でこの男はあんなに美しい娘が慕ってくれるのに、ティータになど執着するのだろう。そのせいで二人の女が不幸になっているというのに。

「どうした。何が言いたい」

 いつの間にか、ゲールは彼女を見ていたようだ。あわててにじんだ涙を擦る。

「別に」

「言いたいことがあったらはっきり言え」

 話すつもりなど無い思いだったが、怒鳴られてまで隠すことでもない。 

「あんな綺麗な子のどこが気に入らないのかと思って」

 ゲールは眉をひそめる。

「ああいう浮ついた女は好かん」

 吐き捨てるような口調に、つい、その気もないのにモーラをかばってしまう。

「浮ついて……。そりゃあ見た目はたしかに派手だけど。でも、いまはなんだか真剣だったじゃない、あんなに一生懸命……」

「もういい」

 手の平で口がふさがれる。

「くだらん焼き餅を焼くな」

 一瞬頭の中が空っぽになる。予想のつかない言葉すぎて理解できなかったのだ。

 だが、その先の言葉にはさらに驚かされた。 

「今年の収穫祭の時に式をあげる。レグスやお袋さんにはもう話した」

 意味が分からないわけではない。ただ、今この瞬間にその言葉をなぜ聞いているのかが理解できない。

「二、三日中には教会で公示を出すぞ」

 そう言うと、話は終わったとばかりにさっさと歩き出す。 

「ま、待ってよ。さっき、あんな。なんでいきなりこんな話になるのよ」

「いきなりでもない。夫婦になってしまえば、今日のように波風をたてたがるやつもいなくなるだろう。おまえも、死にかけた病人の世話なんぞやめて、さっさと子供でも産め」

 反射的な嫌悪が体を突き抜けた。

 いつか、子供の手を引いてあの場所を訪れようと思っていた。その子がかつての自分のように楽しそうに頷いてくれたら自分は幸せになれるかもしれないと。

 けれど。

 それは、ゲールの子なのだ。

 愛せるのだろうか。

「どうした」

 行きかけたゲールが振り返る。

 呆然と立ちつくしているティータを認めたとたん、その表情に一瞬暗いものが走る。伸びてきた腕が、いきなり肩を捕んだ。

「裏切るな。おまえを殺したくはない」

 容赦ない力が痛い。

 なのになぜか可笑しかった。裏切ることなどできるはずはないではないか。だって裏切るためには、せめて一度はゲールに誠実でなければならないのに。


「ティータ。戻ったのね」

 部屋に戻ったとたんユーニスが飛びつくように駆け寄ってきた。

「ゲールには会ったの」

 肯くと、母はくずおれるように座り込んだ。 

「よかった」

 絞り出すようにうめく。

「どうかしたの」

「どうかしたのじゃないわよ。母さんがどんなに心配したか」

 そう言って、言葉に詰まる。

「あんたがあの芸人と一緒にいるらしいって。信用してはいるけど、万が一の時は生きて会えないかもしれないって。ゲールが、あの子が言うから」

 心が冷えた。

 今更のように身にしみる。今日、ティータが生きていられたのは、彼女が誰とも寝ていなかったからなのだと。もし、ローウェンであれ、他の誰かであれ、ゲール以外の男と通じていたら。たとえそちらの方が彼女にとっては真実であったとしても、彼女の死は仕方のないこととして語られていたはずだ。

 それは、母親でさえ、認めざるを得ないほどに正当なこと。

 ゲールはしばしば娼婦を相手にしているらしい。責めるつもりはないし、むしろ自分に求められるよりはありがたいと思っているくらいだ。

 だが、ひどく理不尽な気がした。

 けれど、その気持ちを母に納得させる言葉を彼女は持たない。もちろん、母以外の人だって耳を貸してなどくれないだろう。

「まあでも、おかげで日取りも決まったし、こうしてみるとかえってよかったわ」

 ユーニスは、ほっとしたせいか上機嫌になっていた。娘の結婚を本気で喜んでいるのだ。ティータが自分を幸福だと思えないのは、わがままだからとしか母は思わないのだろう。

「これでようやく肩の荷が下りるわ」

「そうよね。あたしはお荷物よね」

「なにいってんのよ。ちょっとした言葉の綾じゃないの。あんたがいなかったら頑張れなかったわよ。大事なバロウの忘れ形見なんだから」 

 それはきっと本当なのだろう。

 だが、何となく覚えている。父がいたときの母は、いつもいらいらと神経をとがらせていた。レグスに囲われてからのほうが、ずっと穏やかに見えるのだ。

 父も、父によく似た自分も、母をいらだたせるばかりだった。ユーニスは認めないだろうが、自分は母にとっては大事な宝物である以上に、扱い難い重荷だったのだ。

 そしてたぶん、父が母をいらだたせたようにティータはゲールをいらだたせ、ゲールはティータやりきれなくさせつづけることになるのだろう。

 ぼんやりと、一つの考えがまとまり始めていた。

 敷布にくるまって、眠れないまま思いにふける。やがてとりとめもなく様々な思いが頭に浮かんできた。

 たとえば、ローウェンがロクリスを伴って向かうというルールのこと。

 濃い色の葡萄酒。情熱的な歌。気性の激しさと美貌で名高いルール女公。その愛人とも不倶戴天の敵ともいわれるランドゥール伯。大陸で一番古いといわれる竪琴引きのギルドに君臨する神の唄人。

 そういえば、ローウェンたら、まるで自分の方が腕はいいようなことまで言ってたっけ。

 幻の妙音に包まれながら、ティータはようやく眠りについた。


 

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