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魔法使いの夏  作者: mizuki.r
大地の末裔
12/19

大地の末裔 3

 川辺の草地にたどり着いたのはまだ日も高いうちだった。

 籠を放り出してその場に座り込む。ここに来るのは、ローウェンに会った日以来だ。

 風が優しい。体の中を光が走り抜けていく。

 ああ、そうだ。この感じだ。

 あの日、ティータの中から流れ出しロクリスを癒したもの。

 これが魔法の源だといわれる大地の力なのだろうか。土の中に、風の中に、みずみずしい光が息づいているのが分かる。

 彼女は大地に身を横たえ、目を閉じる。力はいっそう鮮やかに感じられる。

 それはあまりになじみ深いものだった。父を失ったときも。ゲールの力に屈して傷ついたときも、彼女を包み込み癒してくれたもの。それがこれなのだ。。

 初めてここに来た日のことはよく覚えている。父が帰らない戦いに出る数日前だった。

 誰にも言ってはいけないよ。ここは力の場所なんだから。

 今なら分かる。あれはおそらく真実だ。父も感じてはいたのだろう。ティータが今感じているこの豊かで激しい力を。城の中では微かにしか感じられない光がここには溢れているのを。

 母さんには分からない。

 父の言葉に潜んでいた寂しさに、ようやく気づく。

 もし彼女が癒し手なのならば、たぶんそれは父から受け継いだ血筋なのだろう。

 突然。

 彼女は自分がまさに魔法使いの末裔なのだということを受け入れた。

 父から彼女へ。その父には、そのまた父か母から伝えられた密やかな遺産。

 認めようが認めまいが。強い力を持とうが持つまいが。彼女は、地の子供たちと呼ばれた、大地の力を操る者たちの血脈につながる者の一人なのだ。

 草を踏む音がした。何かが近づいてくる。いやな感じはしない。むしろこの場に心地よくなじむ気配だ。その気配が心地よくて、消えてしまうのがもったいなくてティータは目を閉じたままじっとしている。

 閉じた瞼の向こうで日が陰った。

 ふわり。と暖かなものが唇に触れる。頬に落ちかかってきた柔らかな何かがくすぐったい。思わず笑い出した。

 つられたようにローウェンも笑い出す。

 笑い声は光の中にとけていく。

「笑うかなぁ。普通」

「だって、くすぐったくて」

 彼はまぶしいように目を細める。

「まあいいか。十分口直しにはなったから」

 視線が合うとおどけたように顔をしかめてみせる。

「さっきおっさんとキスするはめになっちゃってさ。だめなんだよねぇ。男は。レディだったら年齢がいってても、性格が悪くてもキスするのは大歓迎なんだけど」

 手を伸ばして、ティータを引き起こす。そして、傍に咲いていた花を一輪手折った。

「リュシスの花もそろそろ終わりだね」

 指の中でくるくると回してから、それを差し出す。

「知ってる。この花、リュシスって呼ばれてたんだよ、昔は。聞いたことない。見習い魔法使いの試し」

 差し出された可憐な紫の花を受け取る。

 リュシス。どこかで聞いたことがある。でも、はっきりとは思い出せない。けれどそう。たしか、見習い魔法使いの試しとも呼ばれていたかもしれない。そして……。

「物語に出てくるよね。見習い魔法使いがこれをつかって、自分に力があるかどうか試したり、修行したりするところが。この花の香りには、一時的にだけど、隠れた能力を引き出す作用があるらしいんだ。ただ、どのくらいの量をどうやって使えばいいのかがはっきり分からない。昔はエッセンスを使ったっていうけど、その作り方も伝わってない。だからとりあえずは、この前みたいに、湯に入れて香りをたててごらん。かなり効果があるみたいだから。なにしろロクリス様に効くかどうか試すつもりが、君の力まで引き出してしまったんだからね」

 ティータは自分の手の中の小さな花と、楽士の顔を見比べた。

「じゃあ、この前力が使えたのって……」

「それのおかげも、たぶんある。ただね。物語を知ってるなら分かると思うけど、効果が出るほどの量を続けてとるのは危険だよ。力を使い果たして、ぼろぼろになってしまうって言われてる。だから、使うのはどうしても必要なときだけに、ね」

 それはごく当たり前の花にしかみえなかった。澄んだ香りを胸一杯に吸い込んでみる。確かに気分が澄み切ってはいくけれど、何らかの危険が潜んでいるなどとはとても思えない。

「だからさ。あんまり教えたくなかった。でも、こんなに効くとは思わずに、香りのたて方も教えちゃったし。それに、……ウーゴ様やお袋さんに何かあったとして。見殺しにするか、魔女として処刑されるか、君自身で決めたいだろう」

「ずいぶんな言い方ね」

 ティータは苦笑いした。

「まあね。でも、それが最悪かもしれないけど、似たような状況には、何度も出会う羽目になるよ。たぶん。覚悟はできてる」

 頷くしかなかった。

 覚悟ができているとは言い難い。けれど、ここに来て分かってしまったから。うまく操れたのは花の香りのせいにしても、もともとは、あくまでティータの中にある能力を目覚めさせただけなのだと。

 気付かなければそのまま過ごしていられたかもしれない。けれどあるものと知ってしまったものを全くなかったことにすることもできない。

「本当のこというと、あんまり嬉しくないんだよね。この先ずっと君が魔女として処刑されたんじゃないかって心配しなきゃいけないってのは。君が本当に癒しの力に目覚めちゃったんだとしたら、たぶん俺のせいだろう。リュシスのこともそうだし、それに初めて会った日に起こったあれ。あれも君の中で何かを目覚めさせてしまった。そうだろう」

 確かにあの日、ローウェンの歌を聴きながら体の隅々までもが光に満たされたのを思い出す。淀んでいたものを押し流して溢れていった光。言われてみれば、あの出来事以来なのだ。以前よりもはっきりとは光を感じられるようになったのは。

「そうね。そうかもしれない。でも、そんなことを気にするなんて、あなたらしくないわよ」

「そうかな」

「うん」

「でもやっぱり気にはなるんだ」

 そして彼は座り直した。

「だからさ、一緒に来ない」

 鳥の声が遠のく。

「今、なんて」

「この際だからさ。ルールまで一緒に行こう。あっちなら、癒し手は多少怖がられるけど、処刑されたりはしない。君と同じ力を持っていて、みんなに尊敬され大事にされてる人も知ってるよ」

「でも、前に頼るなって」

「うん。まあ、そういうことにしようと思ったんだけど、結局こうなっちゃうんだよね。かわいい女の子には弱いんだ」

 スカートを握りしめて固まってし0まったティータをからかうように、三つ編みの先を持って、二、三回軽く引っ張る。

「足手まといでしょう」

「そうでもない。もし、君が本当に癒し手ならむしろすごく助かるし。じゃなくても、一緒の方がロクリス様も心強いと思うんだ。あの人も郷里へは帰れないからね。ルールになら、あの病気を直せるかもしれない人がいる。だから、そこにしばらくやっかいになるつもりでいるけど、向こうでは俺もずっと側にいられるわけじゃない。弱っているうえに、言葉も習慣もだいぶ違うし、一人じゃ心細いと思うんだ」

 嬉しかった。けれどそれ以上に驚きと、とまどいが大きすぎた。

「あたし。本気で考えた事なんて無かった。ウォードを出ることなんて。そんなことができるなんて。生きていけるなんて。本当にここ以外で。あたしなんかが」

「うん。まあ。たしかに今まで飛び出さなかったのは賢明だね。君は世間を知ってるわけでもないし、世渡りがうまいわけでもない。一人じゃあ娼家以外に働き口を見つけるのは難しいと思うよ。でも、今は俺という上々のつてがある。ロクリス様を預ける所で働いてもいいし。合わないようなら、他にもいくつか心当たりがある。何とかなるさ」

 めまいがしそうだった。

 考えるまいとしていた。望むまいとしていた。けれど、ほんとうは今の言葉をどれほど求めていたことか。

 ティータは目をとじた。気持ちははっきりしている。

「行きたい。外の世界が見たい」 

 けれど。

「でもだめだわ。あなた達と一緒に行ったらあたしは裏切り者になっちゃう。母さんは殺されるかもしれない。ウーゴ様にもご迷惑が掛かるかも。……あたし……どうしたら」

「俺が聞いた限りでは、逃亡の補助では家族は連座させられないはずだよ。ギルゼルド様は特別慈悲深いとも思えないけど、法を曲げてまでお母さんを死なすほどに苛烈なお人柄とも思えない。後のことは残った人たちに任せて自分の安全を考えてもいいんじゃないかな。君のお母さんには、かなりしんどい状況でも何とか切り抜ける才覚くらいありそうだし。ウーゴ様は、一時気まずい思いをするにしても、ここでは必要な人だ。取り返しのつかないようなことにはならないだろう。許嫁は……まあ、自分で招いたようなものだからね」

 ローウェンは見たことがないくらい優しい顔をしていた。 

「そうなのかもしれない。多分そうよね。でも、……だめ。きれい事を言ってるわけじゃないのよ。自分が辛くなりそうなの。たぶんどこか遠くで幸せに暮らしてたとしても、あたしのせいで母さんが辛い思いをしてるかもしれないって思ったら、せっかくの幸せが台無しになってしまいそうで」 

「そうか……。そうだね。そうかもしれない。俺は平気だけど、君には耐えられないかもしれない。もちろん無理強いをするつもりは」

「でも、行きたいのよ」

行かなくても良いと言われることも辛くて、彼女はその言葉を遮った。鼻の奥が痛い。

 彼は少し困ったようにティータの肩を叩いた。

「ごめん。かえって悩ませちゃったね」

 彼女は必死に頭を振る。

「違うの。嬉しいのよ。そう言ってもらえただけで。ただ。……ただ」

 地面についた手の上に、涙がぽとりと落ちる。

「分かった。急がなくていいから。どうするかは決行の日までに決めてくれればいい。いいかい。よく聞いておいてくれ。俺はあさってここを出る。そして、その日の夜から数え初めて六度目の夜。それが決行の夜だ。その時までに決心が付いたら、東の塔のすぐ外側、少し内壁が崩れている場所があるのを知っているだろう。そこでロクリス様を待ってくれ。俺は君も連れて行けるように準備しておくから。……時間をかけたからといってすっきりと割り切れる問題じゃないとは思う。でも、落ち着いて考えたほうが、今ここで無理に答えをだすよりも納得がいくだろう」

 いっそもっと強引であってくれたら楽なのに。と、ちらりと頭をよぎる。けれど、あくまでも答えは相手の意志にゆだねようとするのがローウェンなのだ。

 惑いを押しのけてティータはようやく頷いた。

 ローウェンの面に悲しいような笑みが浮かぶ。

「できればルールに行くことにしてくれれば助かるけど。でも。もし、ここに残ることに決めたら。それで、心配していたことが本当になって、命が危なくなったりしたら。その時は、またいつでもルールに逃げておいで。竪琴引きのギルドを尋ねて、こういう男に会いたいと伝えれば、きっと誰か俺のことを知っているやつがいるから」 

 そして微かにためらいをみせた後で続けた。

「向こうではアルベール。そう名乗ってる。ローウェンは子供の頃の名なんだ。でも、けっこう名を知られてるから今度の旅では、その名を使えなかった。隠しててごめん」

 あまり驚きはなかった。言われてみれば当然だと思ったのだ。たとえどこであろうと、彼の音楽が人を引きつけ、賞賛を呼ばないはずはない。

 そして、時には、固まってしまった名声から自由になりたいと思うこともあるのだろう。

「ありがとう。その時はきっと行くわ」

 ローウェンは何か言いかけて、ため息を一つつくと口を閉ざした。

 突然、別れの近いことが生々しく感じられて、いたたまれなくなる。

 ロクリスが旅立つ日まで考える時間はある。だが、それはきっと、この幸福な夢をあきらめるために費やされるのであろう時間だ。今日、別れたら、おそらくは、二度とこうして二人で話すことはできないだろう。

 ティータの中に、どうしようもなく激しくわき起こってきたものがある。

「あのね。お願いがあるの……」

 悲しいような静かな笑顔に少しおびえながら、先を続ける。

「もう一度、あたしだけのために竪琴を弾いてくれる」  

 光が強くなった気がした。楽士は、了解の言葉の代わりに竪琴を取り出す。

「なにか希望はある」

「本気の『熱い悪魔のロンド』が聴きたいな。あと、『ウィレスの岸辺』あの歌。あなたの声ならきっととてもはえると思うの。歌のない竪琴だけの曲も聴いてみたいわ。あとはもういちど魔法使いのバラードのなかの曲も聴きたいし……」

 彼は楽しそうに笑い出した。

「分かったよ。たしかに『ウィレスの岸辺』俺の得意な曲だ。でもそんなに時間もある訳じゃないし。あとは俺の選曲を信用してもらえるかな」

 そして、岸辺に音楽が流れた始めた。

 音ははじけて光になり。光は揺れて音になる。

 草も木も水も風もそしてティータ自身も。その場にある全てのものは揺らぎ、ローウェンの歌になる。

 ティータ自身の肉体が共鳴胴となって音を響かせていく。

 この時をおいては、二度と出会うことのできないかもしれない至高の音を味わうには、耳だけでは足りなかった。目も体中の皮膚もとぎすまし、一片たりとも逃すことのないように自らを捧げ尽くす。

 その時悟った。彼の音楽が奇跡をよぶのは当たり前なのだ。なぜならば彼の音楽そのものが奇跡なのだから。


 だが、陽は無慈悲に傾く。

 最後の音が竪琴から放たれ、余韻が広がり。消えずに空気の中に溶け込んでいく。

 二人は人と人に戻った。

 視線が重なった時、ティータは悟った。聞く者にとってそうだったように、弾く者にとってもこの一時が至福だったのだと。

 声を出すのが、この時間を壊すのが怖い。けれど、どうしても言わなければならない。

「ありがとう。もう、この先何があっても、あたし、生まれてきてよかったって思える」

 楽士は竪琴を抱えたままじっと彼女を見つめ返していた。その微笑みに、見たことのない何かが入り交じっているのをティータは不思議な思いで見ている。

 やがて、ふわりと彼女の肩に波打つ金の髪が預けられる。

「礼を言うのは俺の方だ。ありがとう。こんな風に弾けて最高だったよ」

 不思議だった。ゲールに限らず、男に触れられるのは嫌なのに、ローウェンなら平気なのはなぜなんだろう。伝わってくるぬくもりを暖かく感じるのはどうしてなんだろう。

 目の前で柔らかな金髪が揺れている。

 母さんに似ている。いきなりそう思った。

 なんだか甘えたくなって、彼なら許してくれるような気がして、肩に頬をすり寄せる。その甘さは、まだ母に対して何のこだわりも持たなかった子供の時にだけ、その腕の中で味わうことのできた安心感と切ないほどに似ていた。

「かあさんみたい……」

 ローウェンの肩が小さく揺れて、それから本当に母がしてくれたように優しく抱きしめてくれた。


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